18:ゆっくりと近づく②
辺境伯領での一週間はあっという間に過ぎていった。
領都は鉄壁の守りで、二十年間敵国から攻められることはなかったのだけれど、国境付近の村は壊滅的な被害を受けた所もある。疎開していた人たちが故郷に戻りたいと嘆願していることもあり、ゆっくりとした進みではあるが、彼らの願いを叶える為に動くそうだ。他にも敵国から得た土地の開発にも乗り出すようで、辺境伯領は人手が足りていない。
新規開拓のために王都から働き手を募集したり、移住者を募ったりと大変そうだった。一応、侯爵家に籍入れする予定だったので、割と厳しい教育を施されていたけれど、戦地復興の教育は受けていない。
フェルスさまが辺境伯の座に就けば、私も辺境伯夫人として腕を振るわなければならないのだが、ちゃんとできるのか少し不安である。不安を隠していても良いことはないので、彼と辺境伯閣下と夫人に正直に打ち明けると、ゆっくりと学べば良いと笑って許してくださった。
ゆっくりとした歩みだけれど、フェルスさまのお相手として相応しくなれるならこんな嬉しいことはない。婚約白紙になった私を拾って頂いた恩もあるのだから、受けた恩を少しずつでも返していかないと、貴族としてというよりも、人としてどうかと思うから頑張らなければ。
辺境伯領での視察を終えて、昨日の夜、王都のナーシサス家のタウンハウスへと戻っていた。朝、朝食を済ませるために食堂へ向かうと、既に弟と母が椅子に座していた。
昨日は戻った挨拶を家族と屋敷のみんなに済ませると、直ぐに自室に入ってベッドへと潜り込んでいたから、辺境伯領のことを話さないままだった。期待をありありと顔に浮かべている弟と、弟を見て苦笑いを浮かべている母。自分の席へと向かうと、侍女が椅子を引いてくれて腰を掛ける。
「姉上、辺境伯領はどうでしたか?」
弟はナーシサス伯爵領を盛り上げていかなければならないから、ロータス辺境伯領がどのような場所だったのか興味があるようだ。
弟の未来を考えれば、辺境伯領を見学させて頂くのも良いのかなと頭の片隅で考える。次にフェルスさまに会った時にお願いしてみよう。彼と弟は初対面の時に随分と意気投合していたようで、いろいろと教えて貰うことに抵抗感はなさそうだから丁度良いのかもしれない。
「おはよう。そうね、戦争の爪痕は残っているけれど、領に住まう方々は悲観していないし、今と先を見据えているわ。辺境伯さまもご夫人も優秀な方でしょうから、心配は必要ないのでしょうね」
領都は活気に溢れていた。二十年も戦争をしていたことが信じられないくらいに。激戦区と言われたあの場所の補給や物資が途絶えなかった理由は、辺境伯領都の発展具合と辺境伯家が備蓄していた食料のお陰だったのだろう。同規模の領よりも確実に物資保有量が多かったのだから。まだ婚約者でしかない私にこんな情報を見せて頂いて良いのか疑問に感じていたら、王家も知っているしさほど問題はないとのこと。
辺境伯閣下とフェルスさまの豪胆さに驚いたものだ。
閣下はフェルスさまに代を譲る気はまだないと仰っていた。その間、フェルスさまは自身の活躍で得た法衣子爵位を名乗るそうだ。私も彼と婚姻すれば、しばらくの間は子爵夫人となる。
婚約話が辺境伯家から舞い込んだ時、いきなり辺境伯夫人となることはなく子爵位を名乗ると聞いていたので問題ない。これからしばらくは、フェルスさまと私の婚約を果たしたことをお知らせするために、通常より多めに夜会やお茶会に参加しようと打ち合わせを済ませていた。
フェルスさまは辺境伯領から単身で、転移魔法を使い王都まで移動するそうだ。身軽な男だからできることだよ、と苦笑していたけれど私が王都から辺境伯領まで転移で移動するなら、何度か中継が必要となり彼の魔力量の多さが窺い知れる。
――また一週間が過ぎ。
辺境伯領での視察の疲れも取れ、これからのことの打ち合わせを済ませる。フェルスさまと私が婚約を結んだことを大々的に発表するのは婚約と同時に、ということになっている。
軍神と王国内で評判の高い彼の伴侶が、無名で地味な私で申し訳ない所。私付きの侍女や伯爵家に仕える侍女のみんなには『お嬢さまは磨けば必ず光ります!』と言われ、これから美容や服飾の勉強やらを侍女たち総出で学び直すと気合を入れていた。私の一年先が凄いことになりそうなので、お手柔らかにお願いしますと伝えたものの、軍神さまの婚約者というステータスに盛り上がっている。
現に、今日は王都の辺境伯家が所有するタウンハウスに呼ばれており、家族総出の見送りを受けて馬車に乗り込んだ。辺境伯家のタウンハウスにお邪魔してフェルスさまご本人と、夫人に出迎えられたので驚きである。
「呼びつけてすまない。私がエレアノーラの下へ行くべきなのだが、今日は母の力が必要でね。流石に母を連れて伯爵邸へ赴く訳にはいかず、君に足を運んで貰った」
フェルスさまからは事前に教えて頂いていたので問題はない。夫人も温和な方で話しやすい方である。フェルスさまに春がきたと喜んでいる姿はお可愛らしいし、男児しか儲けられなかったので家に女の子がいると華やかになると仰っていた。
「フェルスさま、この度はお誘いいただきありがとうございます。しかし……ドレス一式を仕立てて頂くのは気が引けます」
今日の目的は私のドレスを仕立てる為である。しかも代金はフェルスさま持ちで、何着頼んでも構わないし、宝石類も彼が費用を出すと言ってくれた。もちろん男性が女性のドレスを贈ることはあるけれど、仕立て前から関わることは珍しい。大抵は王都の高級店に赴くか、お抱えの仕立て屋にお願いして現物を贈る形なのに。
「手紙にも書いたが気にしないでくれ。私の自己満足のようなもので、付き合わせてしまう君への報酬だな。それに着飾った君を見てみたいという気持もある」
「でもフェルスに女性が身に纏うドレスなんて分からないでしょう。なので母の出番という訳です」
ふふふと笑うフェルスさまと辺境伯夫人。髪色が一緒の所為か、お二人は親子なのだなとしみじみ感じる。明るい夫人と落ち着きのあるフェルスさまを足して丁度良いというか、なんというか。
行こう、と仰ったフェルスさまが腕を取り、お屋敷の中へと案内される。客室には辺境伯家お抱えの仕立て屋さんが待ち構えており、彼に付いてきていたお針子さんの手によって、隣室に移動した私はあれよあれよと採寸された。いきなりのことで驚きながら、部屋に戻ると既にドレスのデザインが何種類も机の上に並べられており、フェルスさまに手招きされて彼の横に座す。私の好みの色やデザインを聞かれるけれど、地味な容姿に似合う色とデザインは限られており、無難なものを選ぶ。
――地味な女に流行りのドレスなど似合う訳がなかろう。
カイアスさまの言葉が蘇る。戦に赴く前、とある夜会会場で彼に告げられた言葉だ。自身が地味なことは重々理解しているし、流行りのドレスが似合わないことも理解していた。ただ見目の良いカイアスさまの隣に並んでもおかしくないようにと、色は抑えたものを選んで身に付けて夜会に参加した結果がソレだった。
選んで頂いたドレスをちゃんと着こなせるか不安になって、手元を見る。
「エレアノーラ?」
「あ、いえ。なんでもありません」
駄目だ、目の前のことに集中しないと。私を嬉しそうに出迎えてくれたお二方に失礼になると、フェルスさまの顔を見た。
「そうか。体調が優れないなら教えてくれ。別に今日でなくてはいけないということはない。別の日にまた行えば良いだけだから」
心配そうな顔から、柔らかい笑みへと変わるフェルスさまの表情に、私も笑みを返す。そうして私のドレス選びが始まった訳だけれど……フェルスさまも夫人も私に似合うからと言って、何着もドレスを仕立てるように命じたのはどうなのだろうか。
あまりにも発注されるので、十分にお気持ちは受け取りましたと言っても、フェルスさまはお金を使うことがなく個人資産を貯め込むばかりだったので、こういう時にでも経済を回さなければと夫人が言い切った。
彼も彼で、自身の選んだドレスを私が着ている所を見てみたいと、真剣な眼差しで言うものだから反論なんてできる訳がなく。結局、装飾品も沢山選ぶことになり、何度夜会に参加すればドレスに一度袖を通すことになるのだろうと、少し気が遠くなるのだった。