17:ゆっくりと近づく①
陽の光に当てられた銀糸の長い髪が綺麗だなと、至って普通の感想を抱いてしまった。語彙力が高いご令嬢であれば、今見た彼をどう表現するのだろう。
彼の姿を捉えたので、フェルスさまがこちらにくるまで待っていると、彼も気付いて大股になって進む。どんどんとこちらへとやって来る彼の足は随分と長いようで、一歩の幅が凄く大きい。男の人らしいなあと感心していると、私の前に立ったフェルスさまが柔らな笑みを浮かべた。
「エレアノーラ、我が家の庭を気に入ってくれると嬉しいのだが、どうだろう?」
フェルスさまは、カイアスさまや王太子殿下とお会いした時とは違う空気を纏っていた。戦場で私の横を通り過ぎた時の荒々しさとも違う、落ち着いた静かな雰囲気。夜会の時は、凛とした華のある面持ちだったのだけれど、今の穏やかな顔が彼本来の姿なのだろうか。
「あまり詳しくはないので的確なことは申し上げられませんが、素敵な庭です。手入れが行き届いておりますし、なによりこの庭は力強いです……ああ、いえ、その……違いました。美しいです」
恥ずかしい。本当に語彙力があればと願ってしまう。せめて生命力に満ち溢れておりますと言えれば良かったのだけれど、頭の中に浮かんだ言葉が力強いで、そのまま口から出てしまった。私の言葉に目を見開いた彼がしばらくすると、くつくつと喉を鳴らしながら笑っている。表現力が皆無で申し訳ありませんと心の中で謝っていれば、彼が笑うのを止めて目を細めた。
「母が随分と庭に力を入れていてね。私と父は手を出させて貰えないんだ。だが私もこの庭を見て感じていた。生き生きと葉を茂らせ、花を咲かせている彼らは力強い。エレアノーラの言葉を聞いて自信が持てた」
隅々まで手入れが行き届いている辺境伯領邸の庭は夫人が采配しているようだ。庭木と草花の配置が素晴らしいから、夫人に聞けば庭園のあれこれを教えてくださるだろうか。
「庭を案内しようと言いたいが、草花にそう詳しくはなくて説明できないのは申し訳ない。ただ足元が悪い所もある」
彼はそう言って片手を私の方へと伸ばしてきた。エスコートを担ってくれるようで、伸ばされた彼の掌に私の手を置くと少し照れたような顔になる。
「私も詳しくはありませんから。あの、図々しいお願いかもしれませんが、今度、図鑑を持ってご一緒に調べるのは如何でしょうか。きっと楽しいです」
私も父と弟のエスコート以外は慣れていなくて、気恥ずかしい気持ちがある。カイアスさまとは夜会などの必要最低限しか腕を取らなかった。
ごつごつとした男の人らしい掌には、肉刺ができており凄く硬くなっていて、幼い頃から鍛えていたのだろうなと分かってしまう。軍神と謳われた彼は一体、どのような努力をしてきたのかは知らないけれど、また彼が戦に繰り出されることがないように、長く平和な時間が続きますようにと願う。
「そうか、そうだな。――エレアノーラが身に着けている指輪は魔法具だな?」
私の右手を取った彼が笑みを打ち消して、少し顔へと近づけてまじまじと私の手を見る。指が細くて長いわけではなく、どこにでもあるような手だからまじまじと見る価値はないのだけれど。
「はい。少し不格好ですが、必要なものですので……」
戦時中は敵に実力を知られないように、魔力量を計られないようにと、魔法使いは魔法具によって魔力が漏れ出ないように制御していた。平時は魔法使いが街中で勝手に攻撃魔法を使わないように、国から支給される場合もあった。
私は伯爵家で拵えたものを使用しており、貴族女性が身に着けるには少々不格好なものである。とはいえ身に着けなければ、無差別攻撃の意思アリと判断されて捕らえられても文句は言えないので、魔法使いにとって必要な物である。
彼の言う通り、私の指には魔力隠蔽の魔法具を着けているし、魔法を扱える彼も当然身に着けていた。ただ身に着ける魔法具は指輪でなければならないとは指定されておらず、耳飾りの方もいれば、腕輪にネックレスの方もいて、見える位置に身に着けておけば罪に問われることはない。
「こればかりは仕方ないからな。くだらないことを聞いてしまった。――さあ、行こう。詳しくはないが慣れた庭だ。君と共に歩くくらいなら私にもできる」
私の手を取ったままの彼が、歩を進める。数歩足を進めると、私の歩幅に合わせてくれた。お礼を伝える為に顔を上げて、彼を見ると少し顔を赤くして視線を逸らされた。
照れくさいのかなとか、どうして相手が私なのに照れるのだろうとかいろいろな感情が湧き上がってくる。フェルスさまは凄くカッコいい男性だから、私は彼に釣り合うのだろうか。庭に咲く草花を鑑賞していることなど忘れてしまいそうになる。余計なことを考えるのは失礼だと頭の中に巡る不安を打ち消して、庭へと視線を向ける。
「この花は……」
暫く庭を歩いて、とある場所で足を止めた。あまり見たことのない、珍しいもののような。庭の片隅で石をくり抜いて水を張った中には、草が生えて小さな花を咲かせていた。綺麗に咲いているというよりは、可愛らしいと表現する方が適切だろう。 しかし、水を張っていれば虫が湧くから避けそうなものだけれど。
「ああ、よく気が付いたね。母の受け売りになるが、蓮の花だそうだ。ずっと遠い昔に、ロータス家の初代が東の国から取り寄せたと聞いたな。代々受け継いで、今でも花を咲かせている」
なので、王国では珍しい花だそうだ。
「ロータス家にとって、大切なものなのですね」
「どう、だろうな……確かに大切なものだが、この地に生きる領民と君の命や家族の命に比べれば……上手く言えないな。ただ花も大事だが優先すべきものがあるからな」
彼の気持ちは理解できる。花も大事だけれど、貴族であるなら忠誠を誓う国が大事であるし、領主であればその地の領民のことを考えなければならない。状況によって取捨選択しなければならないものがあると、彼は言いたいのだろう。
「そろそろ陽が沈む、屋敷に戻ろう」
「はい。ご案内、ありがとうございました」
彼の言葉に頷いて、私たちは領邸の中へと戻るのだった。