16:不器用な二人
王家主催の祝勝会から一日経った後に、また彼女と再会できるとは全く考えていなかった。なにがそうさせたのか分からないが、時間が経てば経つほどいろいろと考え込んでしまうから丁度良かった。
ハイドラジア侯爵家の嫡男は相変わらず横柄な態度で彼女と接している。一日で婚約を白紙に戻した手腕を認めるべきなのか、侯爵家の適当さに呆れるべきなのか……どちらにしろ私には好都合だったのかもしれない。そうして私とエレアノーラ・ナーシサス嬢との婚約が決まったのだが、浮いた話など上がらずハインリヒにも母にも、もっと男らしくリードしなさいと言われて善処はしてみたものの、大きな進展はなく。
ああ、いや。婚約を結んだのだから大きな一歩であろう。あとはゆっくりと関係を築いていけばいいと考えているのだが、周囲と私の考えが食い違っているらしく、どうにも盛り上がりに欠ける私と彼女の関係をじれったく感じているようだった。
ナーシサス家の方々に挨拶を交わした際は私の姿を見て驚いていたが、婚約を白紙に戻された、ある意味でキズモノの令嬢で良いのかと問われた。
有難い話ではあるものの、軍神と呼ばれる私の経歴に傷がつくのではと心配される始末だ。貴族であれば諸手を挙げて迎える申し出なのだが、欲がないのだなと少々心配になりながらも、控えめな彼女の血縁者なのだと実感する。
そうしていきなり婚約を結んでから一ヶ月が経ち、エレアノーラが辺境伯領に視察にきていた。
視察とは名ばかりで、母が娘ができると舞い上がり婚約にかこつけた呼び出しなのだが、彼女も嫁ぎ先の領のことは知っておいた方が良いと今回の視察を快諾してくれた。
今、彼女は辺境伯領邸の客室で休んでいる最中なのだが、暇を持て余したらしく庭に出る許可を求めてきた。断る理由もなく許可を出したのが先ほど。庭に関しては母が采配しており、父も私も関知していないのだが、領邸の庭を気に入ってくれると良いのだが……。自室の窓から庭を見ると、すぐにエレアノーラの姿を捉えた。
彼女の側仕えと一緒に庭をゆっくりと歩いて散策している。時折、足を止めて庭木の花に触れ、指を指して二人で笑いあっていた。侍女の立ち位置に私がいれば、どのような言葉を交わすのだろう。
貴族に人気のある草花を確りと学んでおくべきだった。ずっと昔から貴族に好まれている薔薇は、交配を繰り返して何千種あると聞いたことがある。詳しい者は図鑑も持たず、ぴたりと言い当てるらしい。今度、母か庭師に役に立ちそうな本を選んでもらい知識を仕入れようと目を細めると、開放したままの自室の扉の前に執事が立っていたのだった。
「坊ちゃま、奥さまからのご伝言です。見ているだけでは女性の心を手に入れられませんよ、と。貴方たちはお互いにまだなにも知らないのですから、少しでも一緒の時間を作りなさい、とのことでございます」
一週間の辺境伯領視察は彼女との仲を深める為であるのは理解している。母から女性が好む男の行動を教授して頂いてはいるが、女性全てに当てはまらないから、気を付けなさいと言われてしまった。――その前に。
「……なあ、爺。頼むから彼女の前でその呼び方は」
もう良い歳をした男なのだから、子供扱いは止めて欲しい。爺は私の幼い頃から知っているので、坊ちゃま呼びを止めようとしない。止める時は私が当主の座に就いた時のみと言い切っていた。
「承知しております。ご婚約者さまの前ではフェルスさまとお呼びさせて頂きますので。――女性を一人で庭を散策させるのは如何なものでしょうか、坊ちゃま」
ふふふと笑う爺。恐らく私の心の内など彼には分かり切っているのだろう。む、と己の口が伸びるのを感じつつ。
「今行こうとしていた所だ」
悔し紛れの一言を残して爺に見送られながら部屋を出て、母から教わった庭の草花の名前を思い出しながら歩いて行くのだった。
◇
草花や庭木については、家庭教師やナーシサス伯爵家の庭師から教えを受けているけれど、手習いや勉強の優先順位は低くてそれなりの所で終わってしまっていた。
詳しい方や造詣が深い方は、庭木や草花の配置や配色を細かく庭師に指定すると聞いている。センスのない方がソレをすると、面白おかしい庭になるそうで、頑張って庭師の方がどうにか体裁を整えているなんて話を聞いたこともある。辺境伯領の庭は、一般的なものだろうけれど細かい所に気を配られているし、通常の庭園よりも花の種類が多い気がする。
「綺麗ね」
纏う服が汚れないように手で押さえて、小さく咲いている赤い花に触れる。薔薇だと一瞬浮かんだけれど、違うようだ。薔薇も種類が沢山あって、人気のあるものであれば知っているのだけれど通な方が好むような薔薇の名前は知らない。
「ですね、お嬢さま」
私の側仕えの侍女が背後で小さく笑う気配を感じた。ふと思う事があって、姿勢を元の位置へと戻す。
「お嬢さまと呼ぶのはそろそろ卒業できないかしら?」
後ろを振り返ると、なんだろうと不思議な顔になった侍女は長年私に仕えてくれている。ずっと一緒なので主従関係というよりは、年上の姉といった感じだ。婚姻しているので子供を産み育てる為に休んでいたのだけれど、子育てが落ち着いて伯爵家で再度雇用した経緯がある。
「そうですか? 私にとってお嬢さまはお嬢さまなので違和感はありませんが……」
「名前で呼んでくれて構わないわ。他の方も聞いているし、子供扱いみたいで少し恥ずかしいもの」
未婚なのでお嬢さまで間違いないのだけれど、一年後には辺境伯家の籍に入るのだから少しは背伸びしても良いのでは。
幼い頃から付き合いのあったカイアスさまの前では、あまり気にしたことはなかったけれど。もしかして、この辺りのことも地味で面白味のない女と評されてしまった原因なのだろうか。魅力的な女性というのであれば、あまり気を遣わなかった私は子供じみていたのかもしれない。
「承知いたしました。ではこれからはエレアノーラさまと」
小さく笑って頭を下げる侍女に『お願い』と告げれば、誰かがこちらへとやってきた。足を小さく動かして体の向きを変えれば、フェルスさまが銀糸の髪を風に靡かせながら庭に来る姿を視界に捉えるのだった。






