14:彼女を知った経緯④
私が戦場で見た黒髪の女性は、エレアノーラ・ナーシサスと言い伯爵家の長子なのだと、ハインリヒから送られた報告書で知った。彼女の行動の裏付けを王家から軍へと命じ、軍は当時の状況を調べてくれたようだ。戦況を大きく変えたとして、評価を受け報酬を得たと聞いた。私が彼女の手柄を横取りしてしまったことは、言及しなかったそうだ。
ハインリヒ曰く『謙虚だねえ。貴族ならもう少し欲を持つべきかなあ』と妙な面持ちで、愚痴に近い言葉を残している。確かに貴族であるならば、自身と家の利益の為に動くのが普通であるのだが。主張するのが苦手なのか、出世欲がないだけなのか、私が彼女の気持ちを理解するには情報が少なすぎた。
王家が主催した戦の勝利を祝う祝賀会が開かれ、私も勝利の立役者として参加していた。舞踏場で踊る者を少し離れた場所から見る。ハインリヒと彼の伴侶である妃殿下がファーストダンスを踊っている所で、ひらひらと裾の長いドレスを舞い上がらせながら見事な踊りを披露していた。
「賑やかだな」
戦場で流れる軍楽とはまた違った趣の、踊ることに特化している曲が会場に流れ、ファーストダンスを終えると舞踏場へと人が流れ込み、ペアを組んで楽しそうに舞っていた。社交界に関わる機会が少なく、場違いな感覚に苛なまれながら、私に挨拶をしたくてうずうずと視線を向けてくる方々に苦笑いを浮かべると、嬉しそうな顔を浮かべて足早に私を取り囲んだ。
「ロータス辺境伯子息の活躍は耳にしておりました。軍神と名高い貴方が我が国にいてくださり本当に良かった!」
「フェルス殿、ご婚約者をお探しではないですか? 我が家の娘はいかがでしょう、年齢も十五歳とまだ若い。親の贔屓目と言われるかもしれないが、容姿も優れておりますし、頭の回転もそれなりです。未来の辺境伯夫人を務める力はありましょう」
こうして貴族に取り囲まれるのはいつものことだった。休暇と軍への報告を兼ねて王都へと足を運んだ際に、断れない誘いというものは必ずある。
ロータス家の長男として生まれた私は戦場に立つ機会が多く、次期当主を正式に決めていなかった。父から戦が終わり私が次代を継げと命を受けて、手続きをしている真っ最中なのだが、本当に彼らは耳聡い。いつの間にか私の腕に絡みついて、胸を押し付けている女性の行動に引きながら、のらりくらりと言葉を紡いでその場を凌いだ。
「ハインリヒ」
人波を縫って、ファーストダンスを終えたハインリヒの下へと向かうと、私に気付いた彼と妃殿下が顔を向けて手を上げた。
「フェルス、逃げてきたのかい?」
苦笑いを浮かべながらハインリヒが私を迎え入れてくれる。
「君、婚約者探ししなきゃ駄目でしょ。辺境伯子息が二十五歳にもなって誰も娶っていないなんて問題だよ」
ハインリヒは貧乏貴族の七男や八男ならいざ知らず、と言葉を付け加え、僕が言えた台詞ではないと更に付けたしたのだった。平時であれば私に婚約者が宛がわれていただろうが、最近まで戦時中であり、私は戦場に立つと決めていた。
戦が続いていれば二人の弟のどちらかが辺境伯当主を継ぐ予定だったが、終戦を迎えて状況が変わり、父も弟も分家筋の家々も私が当主の座に就くことを押した。決まってしまえば逃げることはできず、いろいろと事務手続きを進めている最中なのだが、伴侶を望むのは時期尚早ではないだろうか。もう少し、世情が落ち着いてからでも良いだろうとハインリヒに告げる。
「あ、そうだ。フェルスが気になっていた黒髪の女性、今この会場にきているはずだよ。王家から招待状を送ったからねえ。話したいことがあるなら話してくれば良いんじゃないかな」
にこりと笑みを浮かべるハインリヒ。彼は私を以前から堅物だと評しており、女性と関わらなければならない今の状況を面白がっていないだろうか。とはいえ独り身の男が貴族女性に近寄っては、無用な噂を流しかねない。
「私が赴けば彼女に迷惑が掛かるかもしれないし、伯爵家の女性であるなら婚約者がいるだろう。不用意に接触すべきではない……」
「それはそうだけれど、軍神としてお礼くらいは伝えて欲しい所だねえ。功労者には王家から報酬を出しているけれど、女性だからと言われて額と評価を下げざるを得なかったんだし。君からお礼の言葉を貰った箔くらいあっても良いでしょ」
やはり女性の地位が低く見られているなと、片眉がぴくりと動いたのが分かった。そんな私を見たハインリヒも微妙な顔を浮かべたのだった。しかし私の言葉だけで箔が付くのだろうか。
「そういうものなのか?」
「そういうものだよ。立場のある者から言葉を貰うことって、結構大事だからね。君が彼女の評価を不当だと思うならちゃんと言葉を掛けて、周囲の認識を変えてあげればいい。まあ、彼女には婚約者がいるから接触は適切にね」
戦場を実際に見た訳ではないから、彼女の功績を疑問に感じている者もいて、軍神と呼ばれる私からの言葉であれば彼女の評価に納得するだろう、と。なるほどと理解して、それならば彼女に労いの言葉くらいは掛けておくべきなのか。しかし――。
「男であれば気軽にできるが……女性となると途端に難しくなるな…………どうしたものか」
現場で同僚や部下が武勲を上げれば、良かったなと声を気軽に掛けるのだが、相手が女性の場合どうしたものか。そもそも私と彼女は初対面となるし、名乗りから始めるべきか?
いや、自惚れて良いのならば私の名は売れているし、彼女の横を愛馬で横切っているのだから、私が彼女の功績を奪ったことに怒っている可能性だってある。そう考えると名乗りからではなく、謝罪からすべきなのか。
「ここで悩んでも仕方ないよ。フェルスくん、頑張りなさい。あと、女性に対する耐性を少しでも付けてくるんだよ。きっと良い経験になるだろうから」
ハインリヒが私の体の向きを変えて、背中を思いっきり叩いた。彼の横では妃殿下がくすくすと面白そうに笑っている。腹を決めて、挨拶を交わすしかないのか。怒っているならば誠心誠意謝るしかないだろうと、会場の人波の中へと足を踏み入れたのだった。