11:彼女を知った経緯①
――戦場での彼女を知ったのは何時だったか。
私が初めて彼女を見たのは、二十年戦争で一番の激戦区と呼ばれた場所を制す少し前。その彼女がエレアノーラ・ナーシサス伯爵家令嬢だと知ったのは、初めて見た時から少し時間を経てからだった。
社交界では見たことはなく、仮に見たとしても目立たなかっただろう。どこにでもいるような人だったし、黒髪黒目という色は貴族の女性としては地味である。十年弱、戦地で戦っている私には社交界は縁遠い世界であるが、目立つこと、派手なものを好む貴族女性の間では控えた容姿だといえよう。
夜。夜間は休戦協定を結んでおり、野戦陣地の最奥にある天幕で、渋い顔で椅子に座す統合指揮官と私は静かに珈琲を嗜んでいた。
「女が前線に立つとはなあ……いよいよ我が国も追い込まれてしまっているようだな。フェルス」
統合指揮官が私に重く呟いた。長く続く戦争は男を奪った。どこの領地でも男手が減り、労働力不足に喘いでいることだろう。戦など早く終わらせてしまいたいが、私一人の努力で終わるなら苦労はしなかった。
今はまだ数の少ない女性であるが、戦が続くのであれば女性の比率は増えていくだろう。いい加減、隣国にも諦めてもらいたいものだが、決定打がお互いに足りなかった。始めてしまうのは簡単だが、終わりを迎えるには難しい。相手国の思惑にこちらの国の思惑、いろんなものが絡み合い、二十年近く戦が続いているのだから。
「しかし、まだ希望はあります。此処を制すことができれば、我が国が優勢に立ちましょう」
戦線を押し上げることができれば、まだ希望はあるのだ。長く続く戦で疲弊しているのは、どちらも同じ。この地での戦いが大きな転機になることは間違いないのだから。
「物は言いようだな。勝利して我が国が優勢に立つということは、向こうが勝てば我々は一気に苦しい状況に陥る……」
統合指揮官が珈琲を一口含んだのを確認して、私はにやりと笑う。
「分かっております。落とさせませんよ、向こうさんには」
「頼もしいな。だが、一人で無理をするものではない。我々は軍隊だ。お前を失えば士気は一気に落ちてしまう。死んでくれるなよ、フェルス」
統合指揮官の彼が言う通り、我々は軍隊である。私は周りから『軍神』と称えられているが、そんな立派なものではない。
私を庇い、お前は希望なのだから死ぬなと言い残して天へと旅立った者、私に憧れた少年が足を失い戦地から生まれ故郷に戻って行った。お前は強いのだからしっかりと飯を食えと、自分の食べ物を笑いながら差し出す者。故郷に残した家族を私に託して、敵国に掴まった者もいる。死んでいった仲間や同僚の献身が、私を軍神たらしめる。
「死にませんよ」
息を吐いて笑い、統合指揮官に視線を向けて珈琲を掲げ『勝利を我が国に』と告げれば、目の前の彼は私を見てひとつ頷いた。死ねるわけがないだろう。私は私のやるべきことがある。
国を勝利に導くという大役を成し遂げなければ、死んでいった者たちに顔向けできないのだから。明日の予定を聞き天幕を出て、自身に与えられた天幕を目指す。空に浮かんだ星々は、いつ見上げても美しい。
「星が綺麗だ」
一人呟きながら、自然に笑みが零れて静かな時間を楽しんでいると、それを破る者が現れた。
「俺の婚約者のエレアノーラが同じ戦場に立つとはな! 当主が早死にして弟の代わりに訓練を受けたと聞いたが、戦場は男の居場所だ、女のアイツになにができる!」
「ははは、違いない! 女にできることなんざ、俺たちに組み敷かれるか、肉壁になるかだろう?」
男二人が手に水筒を持って、私の横を通り過ぎた。水筒の中身は酒であろう。酔っているのか、足元が覚束ない。
見るに堪えない光景や、仲間の死を嘆いて酒に逃げる者は多いが……今し方、私の横を通り過ぎた男たちは、貴族階級の者だ。他の者の規範になるべき人間が、大声で話す内容ではない。
それにエレアノーラと呼ばれた女性は、話を聞く限り貴族の女性であろう。事情を詳しく知らないが、早逝した当主と弟の代わりに戦場に立ったならば立派な意思である。兵士として使えないならば、招集されることはないし訓練を受けることもない。であるならば、エレアノーラと呼ばれた女性は魔力持ちであり、魔法が使え戦場に立つ能力が備わっているのだから。
本人に聞こえないとはいえ、聞いて気持ちの良いものではない。聞くに堪えない言葉を咎めようと足を止めるが、相手は私に気付かない。
「俺の親父もなにを考えているのか分からん。地味でなんの特徴もない、口うるさいだけの女を俺に宛がうなんてなあ。もっと俺に釣り合う女を用意しろってんだ!!」
「カイアスは顔だけは良いからなあ」
「おい、俺が顔だけみたいな言い方はするな! この戦で武勲を上げて、名を上げる。それこそ彼の軍神を超えるくらいにな!」
カイアスという名に聞き覚えがあった。確か、ハイドラジア侯爵家の嫡子であったか。暗くて顔をはっきり捉えることはできなかったが、素性を知れたのであれば私がこの場で注意をするより、彼の上官へ報告した方が良いだろう。女性が使用する天幕が男と分けられていることに安堵して、また歩き始めるのだった。
フェルスくんの視点と直ぐに分かると良いのですが……。






