01:婚約白紙
後に二十年戦争と呼ばれる隣国との戦いに終止符が打たれて一ヶ月が経った。戦の終わりを祝う王家主催のパーティーが開かれている。
宴の始まりを告げる王太子殿下と王太子妃殿下のファーストダンスが終わり、舞踏場には多くの参加者が思い思いに踊っている。ひらひらと靡くドレスや燕尾服の裾が、孔雀が求愛をしているようで思わず目を細める。会場は魔法も血の臭いも、痛みにのたうち回る兵士の声も聞こえず平和そのもの。
暗鬱としていた二十年間を払拭するように、会場に集まっている多くの方々は豪華な衣装を身に纏い宴を楽しんでいる。楽団の生演奏が流れる煌びやかな会場で私、エレアノーラ・ナーシサスは真新しいドレスで人波を掻い潜りながら、婚約者であるカイアス・ハイドラジアさまの姿を探していた。
あ、と視線の先に見知った姿を捉えた。すらりとした背の高い、金糸の髪に翠色の瞳。確りと通った鼻筋に、きりりと締まる口元。どうしてこんな美丈夫が私の婚約者さまなのだろうと、彼を宛がわれた幼い頃本気で考えていた。地味で目立たないと言われ、ハイドラジア侯爵家から伯爵位である我が家に縁談が持ち掛けられた際、両親は驚きながらも話を受け入れた。
ナーシサス伯爵家は代々魔力持ちを多く輩出し、ハイドラジア侯爵家はそんな我が家の特質を狙ったそうだ。国内にはナーシサス家より有力な伯爵家が存在するのに、魔力量くらいしか取り柄のない、微妙な立ち位置のナーシサス家を選んだ理由に納得したけれど。
「まだいたのか……エレアノーラ」
カイアスさまは不機嫌を隠さないまま私を見ながら名を呼んだ。彼の隣……いや、腕には豊満な胸を押し付けた女性の姿が。まるで大輪の薔薇のようなお姿と艶のあるピンクブロンドを靡かせて、くすくすと小さく笑いながら私を見ている。婚約者であれど、彼は侯爵家の方であり私は伯爵家の人間である。不敬がないようにと軽く頭を下げてから口を開いた。
「カイアスさま、お探し致しました。今宵のパートナーはカイアスさまです。どうか務めを果たしてくださいませ」
私は彼の言葉を聞き歓迎されていないと理解していても、やるべきことはやらなければと苦言を放つ。カイアスさまの態度は戦場から戻ってきて一変した。出立前は貴族として、婚約者として月一回のお茶会や贈り物を受け取っていたし、私も精一杯できること――令嬢として刺繍したハンカチを贈ったり、手紙のやり取りをしていた――を行いカイアスさまへ気持ちを伝えていたつもりなのだが……。
お互いに口数が多い方ではなく、ゆっくりと二人の距離を詰めていたはずなのに。
昔から黒髪黒目の容姿が令嬢として地味で華がないと言われ続けており、自分の容姿には自信が持てなかった。美丈夫のカイアスさまを婚約者として宛てがわれ、十年の月日が経過している。今、カイアスさまの隣に侍る女性は、私とは正反対で華のある随分とお綺麗な方だ。
彼の好みは彼女のような人なのだろうと、ちくりと胸に痛みを覚えながらカイアスさまの瞳を覗き込む。彼の瞳の奥には『うっとおしい女だ』という意思がはっきりと映っていた。それでも婚約者同士なのだから。家と家との契約なのだから、務めを果たさなければならない。付き合いのある家の方々とのご挨拶もあるし、疎かにしてしまっては家の名に泥を被せてしまうのだから。戦場が彼を変えてしまったと言えば簡単であるが、貴族の契約として婚約しているのだからおろそかにする訳にはいかなかった。
「はあ……俺はあの戦いで功績を上げた。同じ場に立っていたというのに、碌に武功を上げていないエレアノーラにとやかく言われる筋合いはない。女は黙って男に従っていれば良い。今夜の俺のパートナーはアナベラだ、お前ではない。理解したなら俺の前から今すぐ去れ、目障りだ」
ありありと溜息を吐いたカイアスさまは腕に手を絡めていたアナベラという女性を抱き寄せて、そっと彼女の頬へ口づけを落とした。彼女は彼のソレを嬉しそうに受け取り、私に視線をくれてふっと口元を伸ばしたのだった。
家族や婚約者以外に口づけを落とすということは好意を表しているのだが、婚約者を前にして知らない女性とその行動を取ると言うことは、お前を認めていないと言われたも同然だった。ただ彼の言葉に従う訳にはいかず、私にも立場と意地があるのだから。
「ですが……!」
「いい加減、お前の馬鹿真面目な態度も、地味な容姿も飽きた。功績を上げた俺はもっと良い相手を選んでも父は文句を言わないし、アナベラはラーフレンシア侯爵家の者だ。俺のハイドラジア侯爵家とも釣り合いが取れる。無名でさして功績も上げていないナーシサス伯爵家とは天と地ほどの差があろう」
カイアスさまは言いたいことを溜め込んでいたのだろうか。いつも以上に饒舌な彼を見上げながら、先の戦いが彼を変えてしまったのかと悲観しそうになるが、ハイドラジア侯爵家である彼の立場と尊厳を婚約者として守らなければ。
「お待ちください、カイアスさま! それ以上は……」
周囲に他の方々がいらっしゃる場でこれ以上の発言は問題がある。止めなければと言葉を出した時には、もう既に……なにもかもが遅かったのかもしれない。
――貴様との婚約を白紙に戻す。
口角を上げて彼が続けて言葉を放つと、周りの方々の視線が集まった。衆目の中で婚約を白紙に戻すという、貴族として大問題を抱えている発言に頭を抱えたくなる。
ずっと我慢していたのかカイアスさまは、白紙に戻す理由を長々と告げていた。武勲を盾にハイドラジア侯爵閣下に進言すれば受け入れてくれるだろうと。ナーシサス伯爵家よりラーフレンシア侯爵家との婚姻に旨味があるから、問題なく執り行われるだろうと、カイアスさまとアナベラ嬢が私の下から颯爽と去って行くのだった。
GW中に連載を止めてこの話を考えさせて頂きました。さっくり読めるはず……! ブクマ・評価・感想お待ちしております!