オメガと名付けられた男
その男は疲れ切っていた。
毎日毎日続く早出、サービス残業、上司からの怒号、飲めない飲み会、眠れない夜。
家に帰れば誰もいない。
鬱を相談しても薬を出すだけで話を聞いてくれない医者。
友達も恋人もおらず、これといった取り柄もなく。
息の詰まるコンクリートジャングルに憩いの場所はない。
現代社会に眠る闇のほとんどをその身に受けて、男は既に全てを諦めきっていた。
だからだろう。
男のたどたどしい足取りは骨折した怪我人の様で。
駅のホームへ飛び込んできた電車へと身を投げてしまったのは。
どかん、という鈍い音。
時速60キロで駆けてきた鉄のかたまりに身体はひしゃげ、潰れ、ばらばらになる。
赤く染まる視界。
ちかちかとする脳の信号。
遠くに誰かの悲鳴が聞こえる。
男の頭がバラストに落ちると共に途絶える意識。
薄れゆく感覚の中で男が願ったのは、ささやかな願い。
ああ。
この世に生まれ変わりや異世界転生なんてものがあるのなら。
どうか次はもっと、幸せな人生を歩めますように。
そして男の人生は終焉を迎えた。
終わりは始まり、始まりは終わり。
男にとっては命の終わりであり、新たな命の産声。
まぎわの願いは届き、その魂と肉体は異世界へと運ばれることとなる。
だがきっと、男は目覚めたとき思うのだろう。
死ななきゃよかった、と。
異世界転生なんて、願うんじゃなかったと。
※※※※※※
死と転生についてはいまだ理論を確立できていない。
人知を超えた神と呼ばれる存在の意思が介在しているとしか思えない。
ゼロから産まれ直したならともかく、元の年齢のまま転生したとしたら元の世界での肉体はどうなるのか。
新たな世界での肉体はどのようにして構成されるのか。
不明は不明だ。
だが事実として、死をトリガーとした転生は起こり得る現象なのだ。
発生することが分かれば、後はどこでそれが発生するのか突き止めれられれば良い。
すくなくともその老人はそう考えた。
異世界へと転移した人間は、総じて固有スキルという特殊な能力を有している。
その固有スキルというものが千差万別あれど、どれも一口でいえば『チート』なのだ。
他者を圧倒するほどの能力値を得られるものや、特殊能力で自分の世界に引きずり込むもの、元居た世界の道具や能力を用いて環境を一変させるもの。
だから。
そんな人間が降って湧くのなら恰好の実験材料となりうると。
自分の目的のために最大限活用することが出来ると。
一度死んだ人間は死体も同然だと傲慢に語り、老人は今日も異世界転生してきた人間を捕獲する。
その身を削り、植え付け、脳を支配し、己がものとするために。
※※※※※※
嫌な夢を見ていた気がする。
自分の全身を鑢で削られていく夢。
風邪をひいたときに見るような、手術のための麻酔をかけられた時のような。
そんな不安で気色の悪い悪夢から目が覚めた時、男はまだ、現実という悪夢の中にいることに気づく。
ゆっくりと瞼を開けると、目の前には真っ白な無影灯。
四肢と首は手術台に括りつけられているらしく、力を加えても動かすことは出来ない。
どうやら台の上に横たわっている状態であることだけは分かった。
辛うじて動く視線を巡らせると、なにやら一仕事終えた風の老人が煙草を一服吸いながらコーヒーをたしなんでいるのが見えた。
身長は160センチほどだろうか。
白衣に白髪、ゴーグル風のサングラス。
鼻の下から横へ伸びる白髭はほうれい線あたりで鍵括弧のように下へと向いている。
いかにもマッドサイエンティストといった風貌の老人は、男が目覚めたことに気付くと愉快そうに笑いながら手術台の横まで歩み寄ってきた。
「ほっほっほ!もう目覚めたか、さすが我が最高傑作。麻酔がもう切れるとは、薬物耐性が高いのかもしれんのう。さすが異世界転生人」
最高傑作?
薬物?
異世界転生・・・?
訳の分からないことを述べる老人へと、しかし男が尋ねたのは現状把握のためであった。
「ここは・・・どこだ。あんた、誰だ?」
「ワシか?ワシはおまえの創造主にして神!」
老人は大仰なリアクションで白衣を翻し、コーヒーを飲み干すとカップをどこかへと投げ捨ててから、電子タバコをひと吸いして煙をうまそうに吐き出した。
「天才科学者、ハルトマン・ウェスター・グーリッシュ!まァ気軽にウェスタ―博士と呼ぶがよい」
ウェスタ―と名乗った老人に、一瞬呆気に取られてしまう男。
そんな男の様子にかまわずウェスタ―博士は続ける。
「ここはワシの数ある研究所の一つ、おまえのようなサイボーグを作り出すための改造手術室じゃ」
「か、改造?手術って・・・」
どうにか自身の姿を確認しようとするも首から下が見下ろせない。
そんな男の様子に気付いたのか、ウェスター博士はパチンと指を鳴らした。
「そうかそうか、そのままでは見えんか。なら見せてやろう、今のおまえの姿を」
意地の悪そうな笑みを浮かべた博士は手術台横の端末を操作して無影灯をどかして男の目の前に大きな鏡を設置する―――。
そこに映っていたのは。
筋肉繊維を丸出しにした、まるで青白い人体模型のような―――。
「う、うわあああああっ!!うわあああああっ!!!」
頭の上から足の指先まですべて、青と白の人工筋肉によって嵩増しされた繊維。
ところどころ露出している金属ケーブルと骨を強化させるべく捲かれたセラミック。
これほどに醜い姿が自分であると、認めることが出来ずに。
男は発狂するかのように喚き、叫んだ。
それを愉快そうに、まるで酒の肴であるかのように楽し気に笑うウェスター博士は、瞳孔を大きく開いて指示棒で鏡を指していく。
「視ろ、この筋肉繊維の並びの美しいこと!脳改造の傷跡すら見えんだろう!?これほどの技術を投入してもらえるなんておまえは本当に幸せだなァ!」
「うぎゃ、ああああ!!!見せるな、見せるなああああああ!!!」
「全身に施されたナノマシン修復によってどれだけ傷を負ってもすぐに回復する!そしてこの足は昆虫を参考に改良を加え、常人の10倍以上のジャンプ力を発揮できるのだ!」
興奮した博士はついには設計図まで持ち出し、男の瞼を無理やり開いてペラペラ解説していくが、男の耳にはほとんど届いていなかった。
ひとしきり語りつくしたウェスタ―博士は満足げに電子タバコをもう一本ふかし、放心状態の男へと語る。
「ああ愉しいわい。こうやって嫌がる者へ今の姿を見せつけてやるとすぐ発狂しよる。その悲鳴が、断末魔が、ワシの乾いた心を潤してくれる。これがおなごであれば更に格別の味わいがある」
この時点でこの博士の性格を察することが出来よう、悪辣かつサイコパスな物言いといい、ろくでもない人間であることは確かである。
博士は煙草へ何度目かの口をつけた後、男へ突然名を告げる。
「おまえの名は今日からオメガだ。この世界を終わらせるための名だ、有難く拝命せい」
「な・・・にを、言ってる。ふざけんな」
男にも勿論名前はあった。
生前の名ではあるが。
「既におまえの部下である六星騎士は完成してある。ゼータ、タウ、シグマ、ファイ、ラムダ、ミュー。これらを指揮し、人類を滅ぼすのがおまえの役目だ、オメガ」
「バカ、言ってんじゃねぇ・・・!オレは―――」
「あー、いい、いい、そういうの。どうせこの世界に転生してきた時点で経歴など知れておる」
男はオメガと呼んでくる男へ噛みつくように言い返すも、手であしらうようにシッシッと振られてしまう。
ウェスタ―博士は、異世界転生者共通の死因を知っていたからだ。
「て、転生・・・?」
「そう、おまえは別世界で死んで、そしてこの世界に来た。ようこそこのクソッタレのパラダイスへ!」
異世界転生に成功した、と一瞬だけ喜んだのもつかの間、こんなマッドドクターに捕まっている異常事態に頭を振る。
「残念ながらここはおまえの望むような剣と魔法の世界ではない。科学と人とロボットが溢れるディストピアよ。オメガ、おまえはそのうちの人を駆逐するのだ」
「だからオレはオメガじゃねぇ!それに、そんなことするために死んだんじゃない!」
「くだらん」
ウェスタ―博士は、煙を吐くと男の顔へ顔を近づけて言った。
「どうせおまえも、死にたくて死んだのだろう」
思わず息をのむ男。
まったくもってその通りで、咄嗟に言い返す言葉が出てこない。
「事故にあった?死んでもいいと思っていたから注意散漫だったのだろう。
恋人に振られたから、出世に失敗したから自殺した。くだらん。
死にたいと思う理由に貴賤などない。
何もかも失っただの、自分のせいじゃないだの、死を決意したのは自分だろう。
そんな奴らが身勝手に捨てた命を、ワシが拾って何が悪い?」
息が苦しい。
胸が張り裂けそうだ。
だって、仕方ないじゃないか。
死は、救いだと思ったんだから。
死ねば、すべて終わってくれると思っていたのに―――。
こんな姿にされるために死んだんじゃ、ないのに。
「どのみちおまえに決定権などない。既に脳改造は終わっているからな。おまえはスイッチ一つで記憶と知識、能力だけを残して人格は消去される」
と、言いながらウェスタ―博士はリモコン状のスイッチを手にして、男へ見せびらかせるように振りながらにやにやと笑う。
それを聞いて男はかちかちと歯を鳴らした。
冗談じゃない。
文字通り死を賭して異世界へと転生してきたというのに。
こんな形で、こんな雑にまた死んで、今度は社会ではなく個人の操り人形となるのか。
生前から良いことなんてなかった。
産まれてからすぐ両親が離婚して、祖母に預けられた。
髪の色のことでいじめられて丸刈りにしていた時期もあった。
学生の時は空手で県大会を優勝したことがあったが、事故で再起不能となった。
それでも高校を卒業してから営業の仕事を始めて、毎日働いて働いて。
アルツハイマーの祖母を介護しながら働いて働いて金を払って働いて金を払って。
やがて祖母が亡くなってからは忙しい仕事が倍になって。
何も無かった。
味方もいなかった。
いつも、どこか遠くへと行きたかった。
もっと良い環境に生まれ変わりたかった。
異世界に行きたかった。
なのに。
ずっと願っていた異世界まで、オレを切り捨てるのか―――。
気付けば男は、ほろほろと涙を流していた。
哀しかった。ただひたすらに哀しかった。
本当に、オレは誰からも必要とされていないと、分かってしまったから。
そんな男をげらげら嘲笑いながら、ウェスタ―博士は手にしたスイッチに力を込める。
「ぎゃっははは!そう!そんな顔が見たかったのだ!ああ愉しい!ああ満足した!じゃあさよならだ名も知らぬ異世界人、ようこそオメガ!共に破滅へと邁進しようじゃないか!!」
かちり、と。
眼を閉じた男の目の前で、無常にスイッチの押し込まれる音が響いた。
―――しかし。
男がいくら待っても、自分の自我は失われない。
不思議に思い目を開くと、同様に首を捻るウェスタ―博士の姿があった。
「ん?なんだ、プログラムは起動しているのに、なぜ人格除去できない?」
わけもわからず背を向けてPCへと向かう博士をよそに、男は先ほどの会話を反芻した。
”記憶と知識、能力だけを残して人格は消去される”
能力。能力?
そうだ、異世界転生につきものの能力、固有スキル。
もし、もしも自分に洗脳や人格排除に抵抗できるスキルがあるのなら。
「・・・ステータス!」
よもやと思いそう口にすると、ぼうっとした四角のビジョンが眼前に展開され、その中には自分自身の状態が細かく記載されていた。
【名前:登録してください
称号:改造人間オメガ
固有スキル:武芸百般
精神異常無効
アイテムボックス】
―――精神異常無効。
おそらくは、いや多分。
このスキルが人格排除をせき止めているに違いない。
「こういうスキルって地味で役に立ちにくいと思ってたけどな・・・!」
パッと見、自分の固有スキルが地味であることだけは分かる、が。
同時に、このスキルを持っていることをウェスタ―博士が知らなかったということは、彼が鑑定といった他者の能力を垣間見るスキルを持っていないという証明ではないか。
ならば。
「うおおおおおおっ・・・!!」
みし、べき、ぼきんっ、と、手術台が音を立てて歪んでいく。
改造人間と化した男の膂力によって、固定された箇所が壊れてきているのだ。
全力を出せばこの台の破壊は可能であるようだ。
その音にぎくりとして振り返った博士は、どこか不満げに電子タバコの吸殻をそこらへ捨てると、わりと素早い動きで手術室のドアへと駆けた。
「ふん、計算ではおまえがその手術台を破壊して自由になるには5分はかかる。勿体ないがオメガは破棄するとしよう。ゼータ!!」
「ラジャ」
博士の呼びかけと共に、10メートル四方とそこそこの広さがある深緑の壁をした手術室の天井を破って、大きな衝撃音と共に大柄な男のロボット―――否、サイボーグ・ゼータが姿を現した。
下半身はキャタピラと化しており、ごつごつと角がいくつもついた肩アーマーに太い腕。
巨大なハンマーを両手に持ち、赤いボディと黄色のヘッドギアが印象的なパワータイプのサイボーグであるように見受けられる。
「うそだろ・・・!?」
縦に5メートルほどの大きさがあるゼータを相手に、どうにか片腕を手術台から外した男であったが、五輪キャタピラによって駆動する巨体が繰り出すハンマーを避けることは出来そうにない。
片手で受け止めるほかない、だが、きっと致命傷になる。
そう予感し、万事休すと思いながらも歯を食いしばる男―――そこへ。
男の背後の壁が突然爆発音とともに吹き飛ばされ、そこに出来た穴からグレネード弾が2発、ゼータへ向けて射出された。
「!」
咄嗟にウェスタ―博士を庇って防御態勢に入るゼータのハンマーにグレネードが直撃し、大きな爆発がまたもふたつ発生する。
その爆風の中、男は手術台から辛うじてもう片手を外し、最後に残った両足と腰のベルトを捩じり切ると、背後からグレネードを発射してきたのが誰なのか確認すべく振り返る。
「伏せて!」
間髪入れず、反射的に床へ伏せた男の頭上をサブマシンガンの弾が流星群のように飛んでゼータの装甲に弾かれて四方へと跳弾する。
ちらりと男が頭をもたげると、穴から現れたのは銀髪ロングの女性。
肩口から胸周りを頑強なジャケットアーマ―で覆いつつ、ハイレグのボディスーツとニ―ハイソックスの上から装着したボトムアーマーが際立つ。
アンテナ付きのサングラスの下には決意を秘めた銀眼。
男は産まれて初めて、その女性が自分の味方であると理解した。
「ちィっ!ハンターどもが嗅ぎ付けてきよったか!!」
博士が忌々し気にゼータの陰に隠れながら吐き捨てるように言う。
ハンター。ハンターといった。
つまりウェスタ―博士のような存在を追う組織がいるのだと理解した男は、その女性へ確認の意味を込めて言った。
「オレは敵じゃない!」
「洗脳されなかったのね?」
「そうだ!」
「鑑定は後でするわ!今は・・・ドクター・ウェスター!クリミナルハンター本部からデッドオアアライブの逮捕状が出ています!大人しく出てこなければ射殺も辞さないわ!」
銀色の女性はマシンガンの掃射に加え、手榴弾のピンを口で抜いて放り投げる。
その爆風をハンマーで防ぎながら、ゼータは背後の博士へと確認を取る。
「戦闘を継続しますか?」
「当たり前だ!あんな女の一人や二人、さっさと片付けてしまえ!ワシは脱出の準備をする!オメガは戦闘不能にして連れてこい!」
「ラジャ」
子供のように舌をべ~ッと出して、ウェスタ―博士は手術室のドアを開けて退避する。
そのドアを塞ぐように立ったゼータは、女性の放った攻撃をものともせずに両手のハンマーを構えて言った。
「ここは、通さない。偉大なるドクターのために」
「・・・!」
男は背筋が凍る思いがした。
自分だって一歩間違えれば、このゼータのようなことを言って、女性のハンターへ襲い掛かっていたのだろう。
そして気付く。
自分とゼータでは外見に違いがありすぎる事に。
”その顔が見たかった”
確かにあの博士はそう言った。
ならば、男の絶望する顔が見たかったがゆえに、ゼータのような武装フォーマットを行っていない状態が、今の男の姿なのではないかと。
状況からそう推理した男は、目の前のという女性がマシンガンのマガジンを取り換えるタイミングで立ち上がり、ゼータへ向き直りながら言った。
「逃げろ、あんたじゃ勝てない」
彼女の攻撃がまるで通じていないことを察し、男は避難を勧める。
「・・・それはあなたも同じでしょう?」
「いや・・・引き分けくらいには持ち込める」
「なら手伝うわ」
「・・・・・・」
「その方がお互い、生き残る可能性が高くない?」
「確かに」
二人は、ゆっくりと近づいてくるゼータへ対峙し、真剣な面持ちで名乗り合った。
「コトーニャ・ステラチカよ。あなたは?」
「オレは」
男は、かつて品木裕也という名前だった男は。
今度こそ自分の人生を生きるという決意を込めて、この世界においても、同様の名前を名乗ることにした。
「シナキ・ユーヤだ」
そして男のステータスに、シナキ・ユーヤという名前が登録されたのであった。