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 意識が戻ると俺は飲食店で椅子に座っていた。周囲を見渡すと逆さに吊られたワイングラスやイタリアの国旗がみえたので、ここはマンションの近くにあるイタリアンバルだとわかった。


 正面に座っているのは長い茶髪を巻き、薄手のニットを着て上品な雰囲気の芝山さんだ。


「帰ってきましたね」


「うん……うまくいったのかな?」


「おそらくは。二人で飲んで――おや……婚約までしてしまいましたか。学生結婚ですね」


 芝山さんは淡々と状況を理解し、自分の左手の薬指に嵌められた指輪を見せてくる。


「え……お、俺の手には無いけど……」


 俺は何もついていない自分の左手をあげて芝山さんに見せる。その瞬間、芝山さんはギョッとした顔をした。


 これはひょっとするとこれまでで最悪な未来にしてしまったんじゃないだろうか。


 嫌な予感に同時に顔を歪ませたその時、店のドアが勢いよく開いて花束を持ってスーツを着た人が入ってきた。


 おしゃれなパーマをかけた髪型は見覚えはないが、その顔は灰田そのもの。


「なっ……」


 俺達は灰田を見て固まる。この世界では遂に灰田と芝山さんが結婚してしまうのか?


「……嘘です……こんなの……」


 芝山さんはテーブルにあったレモンサワーを片手に店を飛び出す。


「あ……待って!」


 俺も慌てて店を飛びだす。


 マンションは目と鼻の先。非常階段を登り、レモンサワーを飲めばまた元通りだ。一回最初の世界に帰って冷静になったほうがいいのかもしれない。


 そんなことを考えながら全速力で走る芝山さんを追いかける。


 芝山さんは夜の街を駆け抜け、とある金網の前で立ち止まった。


「はぁ……はぁ……し、芝山さん……早いって……」


「栗原さん。ここですよね? 私達が住んでいたマンションがあった場所」


「え? ここってただの更地……いや……本当だ……な、なくなってる!?」


 両隣のマンションは見覚えがある。その間に建っているはずの俺達が住んでいたマンションだけがないのだ。


「はァ……はァ……お前ら! なんでおいていくんだよ!」


 スーツを着た灰田が追いついてきた。


 俺達はわけも分からずにマンションがあるはずの更地を指差す。


「こ、ここってマンションが建ってましたよね?」


「はぁ? そりゃいつの話だよ。芝山の親父さんが設計したんだろ? んで芝山に彼氏ができたショックで設計ミスって取り壊し。散々笑いながら話してくれたじゃねぇかよ」


「なっ……」


 芝山さんのお父さんは建築士。まさかとは思うが過去に戻ったあの日の報告が影響を与えているんじゃないだろうか。


 芝山さんと目を合わせる。芝山さんは苦し紛れにレモンサワーを口にするが、喉が動くだけで一向に何かが変わる気配はない。俺も芝山さんからグラスを受け取って飲んでみるが、ただのレモンサワーだ。何も変化は起きない。


「やはり……あの建物が……非常階段が必要なんですね」


「芝山さん……」


「栗原さん。すみません。ここまでのようです」


 芝山さんは俺に向かって頭を下げると一人で灰田の方へと向かっていく。


 灰田と向かい合った芝山さんは俺の時よりも深く頭を下げた。


「その……申し訳ありません。灰田さん。婚約については破棄させてください」


 芝山さんは指輪を抜き取って灰田に握らせる。


 これまでのパターンだと灰田が逆上することは必至。俺は芝山さんを守るために駆け寄る。


 だが、灰田はポカンとした表情を見せた後、「ぶはは!」と豪快に笑った。


「何言ってんだよ! 芝山が俺と婚約したフリをして未来を驚かせるってドッキリを仕掛けたんだろ? 大学生と違って社会人は忙しいんだからな。ドッキリはもういいのか? 俺は帰るぞ」


 灰田はそう言って芝山さんに花束を渡すと一人で立ち去っていく。


 その後ろ姿を見送った芝山さんは地面にへたりこむ。


「やっ……やった……本当に……」


 まだ現実を受け入れられないようで芝山さんはポツリと呟いて下を向く。


「とりあえず店に戻る? お金も払ってないし」


「そうですね。立たせてください」


 芝山さんが伸ばしてきた手を取って引っ張る。


 芝山さんは立ち上がった勢いで俺に抱きついてきた。


「あ……その……」


 俺が戸惑っていると芝山さんは俺の頬にキスをして離れていった。


「栗原さん、ありがとうございます」


「良かったね」


「その……では改めて交際関係は解消ということで……」


「そもそもまだ付き合ってるのか分からなくない?」


「ふむ……それもそうですね」


 二人でスマートフォンを開く。カメラロールに保存された写真は几帳面にフォルダ分けされていた。『花恋:8745枚』と顔認識で芝山さんと分類された写真の数はとんでもないことになっていることがわかる。


「めっちゃ写真あるんだけど……」


「わ、私もです」


 芝山さんが見せて『未来くん:9780枚』というのも同じ。


 中身を見ると、二人でイルミネーションを見たり、水族館に行ったりと楽しそうなデート中の写真が大量に保存されていた。


「どうやら本当に付き合ってしまったようですね」


「本当だね……」


 自分たちが写っているのに自分たちが全く知らない思い出達。まるで親戚の子供の恋模様を追いかけているようなほっこりした気分だ。


 芝山さんは住所を確認するためか、提げていた鞄から財布を取り出す。そこから取り出した学生証は見慣れないもの。


「おや……K大になってます」


 俺も自分の財布を取り出して確認。K大の学生証だ。最初の世界で通っていたA大に比べると遥かに偏差値の高い大学だ。どうやら受験もかなり気合を入れたらしい。


「栗原さん、私は浪人したようですね」


「本当だね」


 二人の学生証を見比べると芝山さんは一年遅れで入学していた。


 片方だけが合格してなんとも言えない気まずさを抱えている二人。それを乗り越えて一年後に合格をもぎ取った芝山さんの努力。そんなものを想像してしまう。


「なんか……申し訳なくなるね。俺達じゃない人が頑張ってくれてたんだ」


「きっかけを作ったのは私達です。胸を張りましょう。それにしても可愛らしい人ですね。彼氏と同じ大学に行くために浪人するだなんて」


 芝山さんは初めて見る自分の学生証の顔写真を愛おしそうに見つめながら呟く。


「……別れていいの?」


 俺達は付き合っている認識ではない。だけど世間的にはそう認識されているはず。未来で交際していたら交際関係を破棄する約束だった。


 そんなこと出来るわけがない。この世界で、唯一俺のすべてを知っている人なのだから。


 芝山さんは俯いたまま黙り込む。そしてしばらくして首を横に振った。


「嫌です。このまま継続――」


「もちろん!」


「ふぎゃっ!」


 俺はそう叫んで芝山さんを抱きしめる。


「あ……栗原さん」


 芝山さんが耳元で思い出したように俺の名前を呼ぶ。


「何?」


「今思うとジョンは生き返ったのではなく、ジョンが生きていると妄執している人がwikipediaを書き換えていたんじゃないでしょうか」


「あー……絶対そうだよね。過去まで変わるなんてやっぱりおかしいよ」


「そうですよね」


 芝山さんは抱きしめられたまま鞄をガサガサと漁って何かを取り出した。


 それはボロボロになったヤシの木のキーホルダー。


 俺も芝山さんから離れてポケットから同じものを取り出す。先についた部屋の鍵と思しきものも同じ形状をしていた。


「これ、まだ使ってくれていたんですね」


「ダサいのにね」


「気にしませんよ」


「そういえば……家、どこなんだろうね」


「身分証を見れば――へっくし!」


「あ……店戻ろうか」


「はい」


 芝山さんは鼻をこすりながら俺の隣にやってきた。


 店に戻ると店長から5周年記念のプレートがプレゼントされた。


 どうやら今日は俺たちが付き合って5年目に突入する記念日だったらしい。

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[気になる点] 婚約のドッキリ仕掛ける意味が分からない? [一言] 5年自分達とは違う自分が付き合っていた記憶が無いのは辛いかもだけど最後のキーホルダーは二人の思い出だから残っていて同棲している感じだ…
[一言] 記憶の吹っ飛んだちゃんと付きあってここまできた二人が可哀想すぎる! 徐々に記憶の融合が起きて思い出してくる、とかの設定があったら良かった気がしました。 あと本当の初体験時はどういうことになっ…
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