ゴルディオスの結び目の事実 数学と歴史トリビア仮説
古代マケドニアから進軍したアレクサンドロスは
一刀両断にたとえられるように紀元前333年に
古代フリギアにて
ゴルディオスの結び目、解ける人はアジアの王となれるそれを
剣で切り落とした (斧で、との異説あり)
そしてアレクサンドロスはアジアの王となったが夭逝した。
しかし。結び目?
ほどけなくするなんて簡単だ。単に堅結びにするだけで、たいていはもうほどけない。
そんなものをいくら複雑にしたからって、なにが自慢だ。すると?
(それに、藁の縄にせよ皮革の縄にせよ、ただ放置しては腐食して数十年数百年で自然に切れてしまうのではないか。
もし劣化しないとしたら縄になんらかの防腐処置が。
縄を塩で煮る、油で堅革に、とか。あったかもしれないが。)
仮説だが。
ゴルディオスの結び目とは、数学的に応用できる結び目、つまりほどくことではなく、その答えを見極められる人間こそアジアの王とされた。……とすれば?
解いたひとはいないが。結論から言うと、結び目はほどけない。それを読み解くものこそが真理を知る王、ではないか?
しかし結び目は安直に剣によって絶たれ。この話も伝説として忘れられる。
しかしここにいま、あらたな結び目を……それこそが世界をまとめる、変える。
こうした科学は、局地的にガラパゴス的進化してもおかしくない。地理的・時代的に。
例としては金属器文明の発展しなかった(つまり石器レベル)中南米の古代文明の群れ。ただし数学と天文学はとても進んでいた。
遺跡から察するに、同じ時代であれば暗黒の中世を体験したヨーロッパ(古代ギリシアやローマより劣っていた)のレベルをはるかに抜いていた。
大航海時代にスペインに滅ぼされたが。
十五世紀ころの南米インカ帝国は、キープと呼ばれる結縄が用いられていた。
結縄はそのはるか数千年の古来より世界中で見受けられる。縄の結び目で数や文字といった情報を記す文化だ。
このように数学なら発想一つ。後世に残らないケースも無数にありうる。
数学的には太古、ひとは数を知る以前から縄をつかって数を数えていた。縄に結び目をつけて数え計算もしていた。応用するとメモリにもなる。
ポイントは、数学(というか記号論かな)をこなすものがアジアの王たれ、とされたこと。
[すると完全数のような特殊な数……それから象形文字に謎を解く公式があるとか。
あるいは2進法で結び目が、とか。情報のメモリとしてとかが可能。
結び目はたとえばゼロの概念を示していた……ケタ上がりを、などとしたら?
歴史的にはインドで発明されたときのゼロは、五世紀ころらしいから。
するとさかのぼって千年ほども昔に。しかし、忘れ去られ失われたとすれば?
たとえばそれらには数式としての結び目があったとしたら?
かりに7ビット ハミング符号 情報は4ビット計算。3ビットは保守。
現行の8ビット=1バイトでないから見落とされていたのか、などと裏設定。
パリティビットとしての保安まで付加してあったとは! なんてね。
おかげで数値は検出できた すべてがパリティチェック済なら、間違いはまずないから
結論から言うと堅結びだった。単なる堅結び。これはほどけないよ。糸でも難しいのに、
荒縄とかでは。しかし、かりに結び目は何個もあった。ならば?]
この紐は戦車のくびきとながえを結んでいたとされるが、単なる一台の戦車か?
アレクサンドロス大王は剣で切ったとされるが。
戦車は千両以上あったのではないか? 古代中国で言う万乗の国、天子の軍隊なら。
結び目は無数、縄も数千あったのでは?
それらを全部切られては困るが、切るだけなら千両でも容易い。
結び目で数(というか文字的なデータも)を記すのは、当時はその国にとってはふつうのこと。
しかし、それを異国のひとが見てもなにもわからない。
解け、といわれて剣で切るわけだ。いかに大王とされる英雄でも。
なにが記されていたかは、いまでは知りようもない。
しかし数学的に役に立つことが結ばれていたと憶測できる。フィクションな歴史ものSFとしては面白い。
とうじのスケールではせいぜいキロバイト。大きく見積もってもメガバイトは不可能な限界だろう。ならば現代のマシンならそのメガ倍を超える処理をこなしてくれる。
古代フリギアが何語だったか知らないが。ラテン語系なのか? サンスクリット語? 紀元前1000年ほどに移り住んできたインド・ヨーロッパ語族とだけしか調べられなかった。
数式を解くのも結び目を解くのも同じ解くで。英語でも、ソルブはその意味だし。
数学のカンフル剤として。(大学入試試験、前年は数学の平均点が激減したらしいが)。
数学の歴史トリビアとして。(あるいは新たなデータとしての結び目を作れ、とか)。
余談だが、アンクの存在も気にかかる。アンクとは古代エジプトのサンダルの結び目とされる聖なるお守り。時代と地理がかなりかぶる。
中国の古典によると、いまから2500年前とされる 『老子』 の、27章に。
善く行くものは轍迹なし とある (轍とは馬車の車輪の跡)
善く結ぶものは縄を使わずともほどけない とある するとゆえん性は?
時代的には老子とゴルディオスの結び目の逸話は、ほぼ同じくらいに並ぶ。
老子は実在を疑われているから、時代は前後するが。道教の始祖太上老君。
どちらが先であれ、神話的な逸話は重なって伝説となる。
時代を下るとヨーロッパ。中世騎士物語、アーサー王伝説。暗黒の中世だから、西暦七世紀から十三世紀あたりのいずれかなどとされるとも聞いたが。
聖剣エクスカリバー。岩に食い込んでいて、抜けるものが王になるとされた。
これはゴルディオスの結び目となにか写し的に逆手に取ったような、似た話であり。
単に吟遊詩人が謳った伝説であれ、かれらは歴史の事実として語ったのだろうし。
すると結び目とはなんだったのか?
戦車に使われ、そしてアジアの王となれる。なんらかの意図があったなら?
単純に結び目を解く、これに仮説が多々生じる。
なんらかのデータ・コード・サイファー。情報や通信にもかかわるものかも。
戦略や戦術にも応用できる。
時系列なら、時計、カレンダー、スケジュール管理のシステム手帳のような伝令のメモとか、司令の伝達にも有用なはず。モールス信号、点字、狼煙。他、伝書。
しかし馬車による戦車戦は、歴史的にはすぐにすたれている。
それに必ずしも軍事と限らない。
整理すると。……戦車は牛車だったとの伝えもある。仮に、牛を車から解き放て、との意だったとすると? 社会的な意味は? 寓意もあるだろうし。
宗教的にフリギアは?
イスラムでは牛は神聖視される。ヒンズー教では豚は蔑視される。
むしろ荷車、牛引きの貨物用。それが伝説のゴルディオス。
フリギアの神殿に車で来たものを王とせよ、との神託で現れ王とされ。
そしてゴルディオス王は車を神殿に留めて結び、ほどいたものがアジアの王となる、と言い残した。
……これが(史実かはわからない)神話だ。この結び目の神話はいつできた?
過去からフリギアにあったものか。それともアレクサンドロスが来た時にでっち上げられたのか? ねつ造の可能性がないことはない。
かりに車と結び目の秘密が農・工・商用の場合、意味合いは(平和的なものに)一変する。それを暴力的に剣で切り落とされたとしたら? もし黒幕的なバックボーンがあれば憤激ものだろう。
するとあまりにできすぎた若き英雄、アレクサンドロス大王の夭逝は、歴史ミステリー的な色合いすら見せてくる。〆
ありがとうございました。
(^-^ゞ
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