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深雪、積もりて。

作者: 丘野羊鳴

 朝、私は決まってコースケの気配で目を覚ます。正確にはずっと前から起きているのだが、それまではじっと布団にくるまっているのが私のルーティンなのだ。


 「ユキ、おはよう」コースケが私に優しく声を掛けてくれて初めて、私はまさしく、むくり、といった具合に体を起こす。

 あぁ、今日は一段と冷える。


 コースケが出掛ける準備を進めているのを見て、私も渋々腹を括ることにした。何も一日で一番冷える早朝からわざわざ外に出ることもないだろうにといつも思うが、私の健康を慮ってしてくれている事なので文句も言えない。


 外に出ると案の定、師走の寒さが私の体を包み込んだ。凍てついた空気が、鼻を抜けて肺に刺さる。体の内側から氷のいばらが根を張り、血管という血管を貫いていくような錯覚すら覚えた。空をちらちらと舞う雪も、かつては自分の名前と同じだと喜んでいたが、もうそんな歳でもない。いつからだろうか、冬がこんなに苦手になったのは。



 今からちょうど十年前、コースケが私に別れを告げたのも、こんな寒い冬の日だった。


 当時も私たちは毎日のように連れ立って歩いてこそいたが、心持ちは今と随分と違っていたのを覚えている。当たり前の話だが私は今より十歳も若かったし、彼と出掛けられる事を年齢なりに素直に喜べていた。彼の方も当時はまだ十五歳で、雪が降ればはしゃぐ私と一緒になって新雪のベッドに飛び込んだりしていた程だ。


 その日、私はいつものように彼の少し前を歩いていた。当時の私は彼より先に進んで、彼がどれくらいの距離感で私に着いてきているのかをたまに振り返るのが好きだったのだ。そろそろ彼と離れ過ぎていないか確認しなければ、と思っていたところ、私の後頭部に突然彼が呼びかけた。


 「ユキ」


 彼の方から私に話しかけてくるのは珍しい事だったので、私は少し驚きながら半身振り返って彼の顔を見上げた。神妙な様でいて、どこかおどけた気配を残した少年らしい表情が、降雪の中に見え隠れする。私は眼前を漂う小さな結晶に眼を細めながら、彼が続きを話すのを待った。


「オレ実は、市内の高校に行こうと思ってるんだよね」


 もったいぶった間の割に、なんということでもないとう風な口振りで彼はそう言い、再び歩き始めた。私も並んで、歩を進める。


 彼の言う市内というのが、私たちが今住んでいる市という意味でないことは、ぼんやりと分かっていた。県庁所在地のある市。ここからバスと電車を乗り継いで、およそ五時間はかかる方の「市内」だ。


「でも同じ県内なんだからさ、帰ってくるタイミングはいっぱいあるだろうし。父さんと母さんにも心配かけたくないしね。だからユキもオレにちょっと会えないからって、寂しがってちゃダメだぞ」私が何を言うでもないのに、はにかみながらそう語る彼は、むしろ自分自身に言い聞かせている様にも見えた。



 春になると彼は驚くほどあっさりと行ってしまった。学生寮のような所に入るらしく、荷物もこれといって必要な物は無いらしかった。私は引越しというものはもっと大掛かりなイベントだと思っていたのだが、感慨に浸る間もなくすっぽりと彼の存在が無くなってしまったので、正直拍子抜けだった。


 彼がいなくなったからといって私の日々の過ごし方はこれっぽっちも変わらなかった。しかしその一方で、不思議と目に映る景色からは彩りが失われて行き、季節を追うごとに私はモノクロの世界に閉じ込められていった。春の頭上を覆う桜、夏に草木や昆虫から溢れる生命の鼓動、秋に踏みしめる落ち葉のメロディー、そして冬になると降り注ぐ、私と同じ名前の儚げな結晶たち。


 私の日々を飾り付けていた大好きな美しいものたちは、彼と一緒に見ていたから美しく感じられたのだ。しかしそう気付いたのは、それらを彼と一緒に見られなくなってしまってからだった。


 見るからに生気を失ってしまった私を心配してくれる人は大勢いたが、その原因が近くにいないのだから手の施しようもない。高校を卒業した後も彼が出戻ってくることはなく、たまに彼が帰ってくるのは決まって夏休みの少しの期間だけで、それが一層私の心を締め付けた。こんな気持ちにさせるならもういっそ帰ってこないでくれとさえ思った事もあったが、あえてそれを口にすることだけは絶対にしなかった。しかしそういう時彼は決まって、私の心を見透かしたように、バツの悪そうな微笑を私に向けるのだった。



 そして十年もの年月が過ぎ去り、やっと彼と再び毎日を共に過ごせるようになった。今年の夏、彼が例年通りの帰省の後、向こうに戻らないと言った時は開いた口が塞がらぬ程驚いたものだ。しかし同時に、私から失われた十年の償いを絶対にさせてやろうと固く心に誓ったのだった。


 十年という月日は実に色々なものを変えてしまっており、私たちの歩様も例に漏れずであった。彼の一歩が大きくなったのか、私の歩みが遅くなってしまったのか。かつての私たちとは反対に、いつしか彼が私の少し先を歩くのが私たちのお決まりとなっていった。



 止めどなく降り積もり、足に纏わりつく柔らかな新雪は、今の私にとってはただただ重たい足枷だ。息をする毎に入り込む冷気に心臓がキュッと縮み上がる。分厚い雲で辺りがどんよりと薄暗いのも相まって、コースケの背中はどんどんと遠ざかって行くように感じる。


 時折コースケはこちらを振り返り、優しい眼差しで私が追い付くのを待ってくれる。そんな時私は、急かされなくともすぐに追いつきますよ、と心の中で悪態をつきながら、あえて少しゆっくりと歩み寄る。


 ずっとずっと追い求めていたあなたが今、やっと私に振り向いてくれている事が、嬉しくって、おかしくって。

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