止まった時は動き出す
※今回「春の推理2022」の為に作った短編のお話です。
少し強引な所がありますが、温かい目でお読み頂けると幸いです。
俺たちは喧嘩をした。
喧嘩といっても殴り合いにはならなかった。
けど、俺たちは互いに傷つけ合い、そして、傷ついた。
どうしてそんな事になってしまったのか。
実のところ、俺たちも全てを把握している訳ではない。
いや、把握したくなかったのかもしれない。
真実を知ってしまうのが怖いのだ。
でもある夜、パンドラの箱は開かれたのである。
ある3月の雨の日。
俺たちは共通の友人である、小鳥遊 悠の葬式に出ていた。
今日のような雨が降っている中、バイクで家に帰る途中、滑って崖から落ちて亡くなった。
不慮の事故である。
12年ぶりに見た悠の顔は、白くてとても綺麗だった。
本当に死んでしまったのか、と疑いたくなる程綺麗であった。
悠の母親がずっと泣いており、居た堪れなくなった俺たちは葬儀場を後にした。
葬儀場から離れた俺たちは、近くのコンビニで少し話をすることにした。
「12年ぶりだな、俺たち」
そう言ったのは、高田 慎之助である。
慎之助は高校ではバスケ部でキャプテンをしていただけあり、12年経った今でもその体格はガッチリしていた。
「本当に久しぶりだね、私たち」
今度は、小倉 七海が口を開いた。
七海は帰宅部であるが、弟たちの為にバイトをいくつか掛け持ちして生活していた。
見た目は可愛らしく天然であるが、芯が通っている。
「まさか12年も会わないとは思わなかったわ」
植松 香奈が言った。
香奈は吹奏楽部でトロンボーンを担当していた。
目が狐のようにキッとしていて怖いが、根はとても優しい。
とても頼れる先輩として、ちょっと有名であった。
そして、俺は安藤 弘樹。
高校では帰宅部でそれとなく過ごしていた。
これといった面白い事もなく、浮ついた話もない。
一般的な高校生活を過ごしていた。
…ただ、一つを除いては。
だが、それは皆んな同じであったりする。
「まさかこんな形で皆んなに会うとは思わなかったな」
「ホントにそれな」
「でも、皆んな元気そうで良かったよ〜!」
「そうね」
どことなく、皆んなぎこちない。
歯切れが悪いのだ。
そんな中、慎之助が
「ここで立ち話するのもなんだから、どっか居酒屋にでも行こっか」
すると、
「賛成!その方が良いと思う!」
七海が賛同した。
それに釣られるかの如く、俺と香奈も賛同して4人は近くの居酒屋に行く事にした。
「いらっしゃいませ!何名様ですか?」
「4人です」
「分かりました。空いている奥の席へどうぞ」
そう言われた俺たちは、奥の席へと進んだ。
目的の席まで行くと、男と女で別れて座った。
荷物を置いたりしていると、女性の店員がやってきてお冷やを置いてきた。
「ご注文の方お決まりになりましたら、そちらのベルでお呼び下さい」
そう一言言って去っていった。
俺たちは飲み物や食べ物を決め、ベルを鳴らして店員を呼んだ。
さっきとは違う、男の店員が来た。
俺たちはビールや焼き鳥など、オーソドックスな物ばかりを頼んだ。
注文が終わると、店員は厨房の方に消えていった。
「ふぅ。一服しても良いか?」
「え、何?慎之助、タバコ吸うようになったの?」
「良いだろ?毎日、お役所仕事で疲れてんだ」
「まぁ、うちは特に問題ないけど…」
「私も大丈夫だよ」
「あぁ、大丈夫だ」
全員から許可を貰った慎之助は、金色のジッポライターとタバコ(俺は吸わないから銘柄とか分からない)を取り出し、慣れた手つきでタバコに火を付けた。
火を付けた所からジリジリと焼けていき、そこからタバコ独特の臭いが、辺り一面にブワッと広がっていった。
タバコを口から離し、フゥー、と煙を吐いている慎之助はどこか大人の余裕を感じた。
「そういえば、12年も会ってないからお互い何やってるか知らないなー」
「そうだね〜。てか、慎之助君は役所で働いてるんだ!どんなことやってんの?」
「事務作業だよ。パソコン使うから肩とか凝りまくって…」
慎之助は左手を右肩に置き、右腕をグルグルと回した。
「へぇー、あのバスケ部のキャプテンが今では役所で事務作業とわねー」
「なんだよ、悪いか?」
「いーや、なんだか感慨深いな、と」
香奈が悪戯っぽく言うと、慎之助は少しだけ拗ねた。
「でも、なんで役所なんかで働いてんだ?お前頭良いんだからもっと他に仕事あるだろ」
「理由か…収入が安定してるから」
「え、それだけ!?」
七海は身を乗り出してきた。
慎之助は七海から視線を逸らした。
「あぁ、それだけだ」
「ホントにそれだけ?」
「それだけだ!」
七海はしつこく訊き、慎之助はそれに苛立ちを覚えた。
話題を自分から逸らしたかったのか、慎之助は間髪入れずに質問した。
「そういうお前たちは何やってんだよ」
「私は保育園の先生!」
「うちは薬剤師」
「へぇー、小倉は保育園の先生なんだ」
「へへぇ〜、毎日子供たちと遊んで楽しいよ」
「遊んでんのかよ!」
皆んなが一斉に笑い合った。
なんだか高校生活を思い出す。
「で、植松は薬剤師ね」
「そう。毎日大変だけど、やり甲斐があって良いわよ」
「そういえば、弟さんは…」
俺はしまった、と思った。
香奈の弟は現代の医学では治す事が出来ない病気に犯されていた。
自分の手で救うべく、香奈は医学の道へと進んだのである。
「…うん。まだ、治ってない。でも…」
一度言葉を詰まらせる。
「でも、絶対に治してみせる」
「うん、応援してるよ」
香奈の決心は揺るいでいなかった。
(俺はこの時、心の底から安心していた。)
そして、慎之助は優しく低い声で鼓舞した。
「で、弘樹は何やってんだ?」
「あ、私ちょっと気になるかも」
「そうね、うちも弘樹が何やってるか気になるわ」
何故か三人から期待の目が向かれていた。
期待の目を向かれるのは悪くはないが、恥ずかしい。
「俺は今、作家を目指してるんだ」
「え、作家目指してるの!?」
「高校ではそんな素振り、一回も見せた事ないよな?」
「これはビックリね」
皆んなが驚くのも無理もない。
高校在籍中、作家になりたいなんて一度も思ったことがない。
「なんで作家になりたいと思ったんだ?」
「大学に行ってた時に付き合ってた彼女が文芸部でさ。俺も一緒に入って小説を書いてたら面白くてね。だから、今でも作家を目指してるんだ」
「へぇ〜、てか、その彼女さんは?」
「大学卒業と同時に別れたよ」
「あ…ごめん」
「全然良いよ、もう過ぎた事だし、俺の中では良い思い出だったから」
無神経な事を訊いてしまった七海は、身体を小さくして謝った。
七海が反省している中、香奈が頬杖を突きながら慎之助に向かって、
「そういえば、慎之助の浮ついた話、聞いてみたいなー」
「俺のか?」
丁度、タバコの火を灰皿で消していた慎之助が虚をつかれ、素っ頓狂な声を出した。
「俺は誰かと付き合った事はないな」
「へぇー、無いんだ。かなり意外だわ」
これには俺も驚いた。
頭脳明晰で運動神経抜群、容姿も良くて非の打ち所がない慎之助に、一度も彼女が出来た事が無いとは…。
「う〜ん、なんで出来ないんだろうね?」
「そんなの知らん」
「近づけないのよ、完璧過ぎるから」
「あぁー、それはあるかも。ちょっと近づくのに勇気いるかもな」
「…俺、そんな風に見えてるのか」
言いたい事を言われた慎之助は、ジョッキに半分程残っていたビールを一気に飲んだ。
「まぁ、そんなに落ち込むな。いずれは良い出会いがあると思うぞ」
「それ…慰めてるつもりか?」
そんなこんなで、俺たちは今まで話せなかった分を取り戻すかの様に話し続けた。
1時間位は経っただろうか。
俺たちはまだ喋っていた。
12年という長い年月、積もりに積もっていたんだろう。
話が途切れる事は無かった。
あの話題さえ無ければ…。
話は悠の話題になった。
悠と一緒に遊んだ話や高校での話をしていた。
ある一定の所まで話すと、俺を含め、全員の顔が暗くなった。
重い、重過ぎる。
今まで俺たちはあんなに軽やかに話をしていたのに、こんなに重くなるとは…。
勇気を振り絞って話そうとした時、
「ねぇ、あの話って結局何が真実なの?」
七海が俺よりも一歩早く話を振った。
眉が下がり、口をキュッと結んでいて、顔に不安という2文字が浮かんでいた。
相当、勇気を振り絞って話を振ったのが分かる。
俺は心の中で七海に感謝した。
そして、あの話。
忘れもしない、衝撃的な出来事。
俺たちをバラバラにし、12年間沈黙していた話。
高校生活最後の日、卒業式の日に起こった話である。
卒業式の日
校長の長い話が終わり、生徒代表が賞状を貰い、俺たちは順番に体育館を後にした。
教室に戻った俺たちは、担任の先生が少し話をした後、卒業アルバムを貰った。
自由になった俺たちはアルバムを開き、思い出に浸ったり、最後の白いページに色んな事を書いたり書かれたりした。
そんな事をやっていると、俺の目の前に悠が現れた。
その顔は真剣そのもので、少し怖かった。
「どうした?」
と、俺が訊くと少し低い声で、
「後で桜の木の下まで来い」
それだけ言い残し、悠は消えていった。
何のことかよく分からなかった。
何故呼ばれたのか分からなかった。
その答えを知るため、俺は桜の木の下まで行くことにした。
俺の高校は漢字の部首の一つ、「くにがまえ」の様な構造になっており、真ん中に庭がある。
そこには、一際大きな桜の木が植えられており、春になると綺麗に咲き、新たな新入生たちを歓迎していた。
午後5時。
一度家に帰り、制服から私服に着替え、俺はまた家を出た。
高校に向かう途中、悠に言われた言葉を思い出し、少し身震いした。
…何か嫌な予感がする。
それでも、俺は高校に向かった。
高校に着いた俺は、桜の木に向かう前に自販機でお茶を買った。
この嫌な予感を拭おうとしたが、少しも変わらなかった。
仕方なく、俺はこのまま桜の木まで行くことにした。
卒業式が終わったというのもあるのだろう。
校内は静まり返っていた。
多分、生徒は残っておらず、数人の先生がいるだけなんだろう。
目的地に着くと、そこには慎之助、七海、香奈の3人がいた。
皆んな私服だった。
「よっ、お前らも悠に呼ばれたのか?」
俺は平然とした態度を装いながら話すと、慎之助が答えた。
「あぁ。小倉も植松もそうみたいだ」
七海と香奈を見ると、二人とも頷いていた。
どうやら、この3人は俺と同じ状態らしい。
言葉にはしていないが、何か不安を抱いている。
そんな感じがした。
「悠のやつ、何の話をしたいんだ?」
「分からないわ」
「私…ちょっと怖かった」
「うん、うちもちょっと思った」
「…まさか、あのは…」
俺たちが話をしていると、俺が来た方向から土を蹴る音がした。
その音はどんどん近づいて来た。
その方向に顔を見やると、そこには制服を着て、リュックを背負った悠がいた。
俺が悠に近づいて、
「悠、俺たちを呼び出してどうしたんだ?」
と訊いたが、答えは返って来なかった。
俺の質問を無視した悠は、桜の木の下まで歩くと、急に俺たちの方を向いた。
そして、
「お前ら、一年前、ここで何があったか覚えているか?」
そう一言言い放った。
覚えているか、だと?
覚えているに決まっている。
あんな衝撃的なシーン、忘れる訳がない。
「…あぁ、覚えてる。俺は一日も忘れた事はない」
慎之助がそう言うと、七海や香奈も「忘れた事がない」と言った。
「弘樹、お前もか?」
悠に名指しで質問された。
高圧的な態度が癪に触ったが、ここは冷静に…
「俺も覚えてるよ。鮮明にな」
時は一年前の入学式まで遡る。
心地良い風と暖かい春の日の光が俺たち在校生と新入生を歓迎した。
これから新たな生活が始まるんだな、と思った。
入学式が滞りなく終了し、教室で先生の話が終わるや否や、部活に入ってるやつらは足早に教室を去った。
部活の勧誘だ。
まぁ、俺は帰宅部だからゆっくり桜でも満喫して帰る事にした。
入学式から約一週間経った頃。
日曜日なのにも関わらず、何故か俺は高校に登校していた。
急に担任の先生に呼び出されたのである。
「俺、なんかやったかな?」と、思いながら教室に荷物を置き、先生の所を尋ねると、一緒にファイルなどを整理して欲しいと頼まれた。
特に用事がなかった俺は快く快諾した。
昼頃
やっと整理が終わった。
何故だか大きなゴミ袋が二つ出来上がった。
どうやら、前任の先生が全くゴミを捨てなかったのが原因らしい。
先生に「ゴミ袋をゴミ捨て場に置いてくれたら、後は帰ってくれて大丈夫だよ」と言われたので、素直にゴミ袋を持ってゴミ捨て場に行く事にした。
ゴミ捨て場に着くと、体育館の中が妙に話し声でうるさかった。
部活をしているのでは?
が、時間を考えると今は12時頃。
昼休憩の時間である。
そうか、だから俺も腹が減ってたのか。
何を食べようかな?
そんな事を考えながら、ゴミ袋をゴミ捨て場に置き、荷物を取りに教室へ向かおうとした時、高校の中央の庭からドサッ!という音が聞こえた気がした。
その時、俺は何故だか特に気にならなかった。
自分の教室に戻り、荷物を持って帰ろうとした時、廊下から大きな声が聞こえた。
「ひ、人が倒れてる!」
俺は血の気が引いた。
あのドサッ!という音は幻聴なんかでは無かった。
実際に飛び降りたやつがいたんだ!
冷や汗が止まらなかった。
廊下から聞こえた大きな声は続けてこう叫んだ。
「桜の木の下で倒れてる!」
俺は荷物を持たず、廊下に出て桜の木が見えるガラスに張り付いた。
確かに桜の木の下に倒れている人がいた。
倒れている人を中心に血が出ており、ジワジワと広がっていた。
手足はあり得ない方向に折れ曲がっており、関節が一つ二つ増えているように見えた。
そして頭はグチャりと潰れており、その目は…
「…!?」
かっ開かれたその目を見た瞬間、俺は戦慄した。
その顔は俺が知っているもので、クラスメイトであり、仲の良い友人の一人であった。
倒れている人の名前は、花巻 凛。
性格はとても活発で、常に誰かの為に動いてる様な人だ。
先生の評判も良く、誰にでも優しく、誰からも好かれる性格である。
特に七海と仲が良く、よく一緒にいる所を見かける。
陸上部に所属しており、男子よりも速いとの噂がある。
凛が、死んだ。
いや、もしかしたら、まだ生きている…。
いや、あれはもう絶対に助からない…。
頭の中で何度も何度も思考を繰り返した。
くずおれながらも思考を止めなかった。
完全にへたり込んでしまった時、倒れている人は本当に凛だったのか?という考えに至った。
俺の知らない別人であるという、最低な希望を抱きながら、生まれたての小鹿の様な足で立ち上がった。
そして、倒れている人の目と俺の目が合った。
凛である
その後、どうやって俺が家に帰り、どうやって一夜を過ごし、どうやって次の日の高校に通ったか覚えていなかった。
気が付いたら体育館に居て、校長が凛の訃報を話していた。
校長が凛が亡くなった事を話している時、俺はある言葉に引っかかった。
「…凛さんは学校の屋上から身を投げて亡くなったそうです」
「えっ…」
俺はつい言葉が出てしまった。
自殺?
凛が自殺、だと?
あいつに限ってそんなことは…。
だが、校長は警察が自殺だと判断したと続けて話した。
馬鹿げている!
そんなはずがない!
俺は頭の中がぐちゃぐちゃになった。
不意に俺は倒れた凛の目を思い出してしまった。
あの悲しく、冷たくなった目。
「はっ…はっ…はっ…」
呼吸が浅くなる。
冷静になろうと息を吸ったが上手く呼吸が出来なかった。
その内、俺はその場から倒れた。
女生徒の悲鳴や騒然となっている音が、いつしか俺の子守唄の様になっていた。
俺が目を覚まし体を起こすと、そこはベッドの上であった。
近くの窓からはオレンジ色の陽光が差していた。
もう日が落ちる時間なのか。
そんな事を考えていると、急に前方から声がした。
「大丈夫かい、安藤君」
そう言ったのは保健室の先生だった。
優しく自分を包んでくれるかの様な、包容力がある声に俺は少し安堵した。
少し間を置いた後、俺は答えた。
「はい、大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました」
そう答えた後、先生が何か言おうとした時、保健室の扉が急に開き、何人かが押し入って来た。
「おいっ、弘樹!大丈夫か!?」
「弘樹君、大丈夫!?」
押しかけてきたのは、慎之助、悠、七海、香奈のいつものメンバーだった。
一人足りないが…。
「こら、保健室では静かに」
「あっ、すいません…」
慎之助と七海が先生に怒られた。
だが、俺の心の中ではこの上ない安心感が込み上げた。
「…皆んな!」
「もう大丈夫なのかい?」
「うん。ごめん、迷惑掛けたな」
「ホント、心配したわよ」
「…ごめん」
本当に心配を掛けてしまったと思い、俺は皆んなの顔を直視出来なかった。
「でも、元気そうで良かった〜」
「そうだな、これなら自分の足で帰れそうだな」
「うん、もう少しだけ休めば大丈夫そう」
そう言うと、すかさず俺は先生に向かって許可を求めた。
「先生、もう少しだけここで休んでも良いですか?」
「うん、休んでいきなさい。あんな事があったんだ。今は休むべきよ。」
安心する声色で一言言った。
すると、先生が急に立ち上がった。
「じゃあ、先生ちょっと用事があるから、ちゃんと体調が良くなってから帰るんだよ」
「はい。先生、ありがとうございます」
そうして、先生は保健室を後にした。
残された俺たちは何をする事もなく、ただひたすらに誰かが口を開くのを待っていた。
話したくないという訳ではない。
むしろ、話してしまった方が楽なのかもしれない。
だが、話すのに勇気が必要なのである。
話してしまったら、それが真実になってしまいそうで怖かったのである。
すると、不意に香奈が一言呟く様に発した。
「本当に…死んじゃったのかな?」
それは誰に訊くでもなく、まるで呟くように話した。
それを聞いた七海は両手を顔で覆い、泣きじゃくり始めた。
慎之助も悠も下を向きながら、顔をしかめていた。
肯定したくないが、凛は死んだ。
確かに俺は凛の死体を見た。
凛の輝きを失い、冷たくなった目を見た。
だが、口には出せなかった。
いや、上手く口を動かす事が出来なかった。
室内は七海の咽び泣く声が木霊していた。
多分、1.2分しか経っていないと思うが、俺には長い時間が流れた気がした。
俺は右手で握り拳を作りながら提案した。
「…なぁ、この話するの、やめないか」
七海が泣くのをやめ、覆っていた両手を外し、驚愕の顔を向けた。
「いや、忘れようって事じゃないんだ。絶対に凛の事は忘れないし忘れたくない。でも、この話をしたらやっぱり悲しいし、凛も俺たちが悲しむ事を望んでいないと思うんだ。」
皆んなの顔を見た時、何を考えているのか全く分からなかった。
それもそのはずか。
不安や悲しいなどのネガティブな感情と、俺の話を聞いたことによるポジティブな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合っているのだ。
すると、慎之助の顔が引き締まり、真剣な顔になった。
「そうだな。凛は俺たちが悲しむ事なんて望んでない。俺たちは前を向かないといけないんだ!」
それは宣言の様な言い方だった。
触発されたのだろう、他の3人も意を決した。
「私、絶対に忘れない!だって、一番の友達だったんだから。だから凛が嫌だって事はしたくない!」
「そうね、だからこそ、うちらは前を向いて進まないとね」
「…うん、だから悲しむのはこれで終わりにしよう」
俺たち5人は凛と過ごした日々を胸に刻み、この話はこれ以降、話さなくなった。
「どうして俺がこの話を出したか分かるか?」
悠は俺たち4人に高圧的に質問をした。
その声は馬鹿にした様な声では無かった。
「分からない」
「そもそもこの話はあの時、話さないって決めなかった?」
香奈の言う通りだ。
俺たち5人はもうこの話はしないと決めたはずなのだ。
今更、何を話そうとしているのだ…。
「確かに話さないと決めた。この話をすると俺たちだけじゃなく、凛も悲しむからな」
「だったら…」
「でも、話さないといけないんだ!」
急に悠が怒鳴った。
悠を中心に、空気の波動が俺たちに伝わった。
俺は一歩後ろに退いた。
「絶対に話さないといけないんだ…」
悠は顔を下に向けながら、小声で同じ事を呟いた。
相当、大切な話なのかもしれない。
俺は悠に訊いた。
「悠、俺たちは一体、何を話さないといけないんだ?」
そう尋ねると、悠は顔を上げ、キッと俺を見た。
その顔を見た時、背筋に冷や汗が垂れた。
「…凛は…自殺なんかじゃない…
…殺されたんだ」
俺たちの間に一陣の風が通り抜けた。
桜の木がザワザワと揺れ、桜の花びらがまるで雨の様に降った。
悠は今、なんて言った?
凛は自殺ではなく、殺された?
誰に?
俺は頭の中で整理しようとした。
だが、整理する為のピースがあまりにも少なすぎて完成しなかった。
「な、何言ってるの、悠君!?」
七海が動揺しながら悠に訊いた。
その声は今にも泣きそうな、震えながらの声だった。
「誰かに殺されたなんて…嘘よ…」
「そ、そうよ。警察も自殺だって言ってたじゃない!」
「警察なんか信用出来ない!」
悠はピシャリと言った。
それは平手打ちをされたような感覚だった。
「警察は…何も調べなかったんだ。状況判断だけで自殺ってことにしたんだ」
悠は左手を強く握った。
その拳は強い力で握られているのだろう、フルフルと震えていた。
「どうしてお前がそんな事を知ってるんだ?」
慎之助が当然の疑問を悠にぶつけた。
確かにそうだ。
警察の関係者じゃない悠がどうしてそんな事を知っているんだ?
疑問をぶつけられた悠は、今までの勢いが一気に失われたかの様に、少し下を向いてから話し始めた。
「…俺が警察に自殺ではなく他殺だって言ってた時だ…」
「凛は自殺なんかじゃない!誰かに殺されたんだ!」
俺は無我夢中で主張した。
校長から凛が自殺だったと聞かされた日、俺は警察署に行った。
あの明るく、天真爛漫な凛が自ら命を絶つ訳がない!
絶対に…絶対に誰かに突き落とされたんだ!
「落ち着いてください」
目の前の警官が、右手を前に出して上下に動かし俺を宥めた。
「どうして自殺ではないと言えるんだい?」
警官が落ち着いた口調で訊いてきた。
「凛はいつも明るいやつだった!自殺なんてするやつじゃない!絶対に誰かに殺されたんだ!」
自分でも無茶苦茶な事を言ってるのは理解していた。
だが、自殺だった、では嫌なのである。
だって…だって…俺は…
「…君は凛さんの死が自殺ではなく、他殺である、と言いたい事は分かった」
目の前の警官は、俺の目を真っ直ぐと見た。
何故だか、吸い込まれそうな感覚を覚えた。
「だがな、他殺である証拠が何一つ残っていない」
俺は下唇を噛んだ。
「遺体の傷や足跡など、犯人に繋がる証拠が何一つ見つからなかったのだ」
「…クッ…」
俺はなおも下唇を噛むしかなかった。
分かっていた…頭では分かっていたのだ。
それでも…
「でも、誰か凛を殺す動機がっ!」
「それも調べた。だが、他殺に繋がる話は誰一人居なかった」
「嘘を言ってるやつがいるかもしれません!」
「分かっている。だが、我々はこれ以上探っても無駄と判断したのだ。分かってくれ…」
目の前の警官は、さっきと打って変わって悲しげな目をしていた。
さすがの俺もその目を見て理解した。
色々と調べた結果が自殺だったのだ。
俺はなくなく諦めた。
「さぁ、今日はもう遅い。早く帰った方がいい。入り口まで送ってあげよう」
目の前の警官は、俺の肩に手を優しく置き、警察署の入り口まで送ってくれた。
送ってもらおうとした時、何処からか話す声が聞こえた。
(なんだ、あのガキ?)
(仕事を増やすんじゃねーよ)
(他の事件で手一杯だから、自殺ってことにしたのに)
(てか、他殺なんて一度も考えた事なかった。あの状況からして絶対自殺だろ。証拠を集めるだけ無駄だろ)
…は?
一体、どう言う事だ?
証拠を集めた結果、自殺という話になったのでないのか?
じゃあ、本当は証拠なんて集めてなかった?
警察は最初から自殺と決めつけていた?
…分からない。
送ってくれた警官の顔を見上げた時、少しニヤッとした嫌な笑みを浮かべていた。
「と、言う事だ」
なんということだ…。
警察がこんなにも無能だったなんて。
こんなの…凛が浮かばれない。
もし、これが他殺なのであれば…。
「分かった。話してくれてありがとう」
慎之助がゆっくりと悠に礼を言った。
悠はどこかホッとした表情をしていた。
「だが、どうして俺たちをここに呼び出したんだ?」
慎之助が俺たちの代弁をしてくれた。
そう、悠の話を聞いてもなお、何故俺たち4人が集められたのか分からない。
暫く、誰も口を発しなかった。
少し冷たい風が吹き、桜の木がサワサワと揺れていた。
慎之助の質問から10秒程してから、悠の重く閉ざされていた口が開いた。
「…単刀直入に言うよ」
俺は生唾を飲んだ。
嫌な予感がしたからだ。
そして、
「凛を殺したやつが、この中にいると思う」
5人の間に戦慄が走った。
俺の嫌な予感は当たった。
この中の誰かが凛を殺したかもしれない、ということが。
「ちょ、ちょっと待って!」
悠の発言に七海が叫ぶ。
「凛ちゃんが自殺じゃなくて他殺だった、て事は分かったよ。でも、殺した人が私たちの中にいるって…」
「そ、そうよ!あの日は私たち以外にも人は居たはずよ」
香奈も七海に同調して、自分たち以外にも殺人犯が居るのではないかと話した。
しかし、悠の顔には余裕があった。
「いや、君たち4人の中に犯人がいる」
悠はキッパリと言った。
俺たち4人は余命宣告を言い渡されたかの様な感覚に見舞われた。
仲のいい友人に、こうも言われるとショックである。
俺は他の3人の顔を見た。
慎之助の顔は悠を見ていた。
威嚇する様なキッとした眼を向けていた。
次に七海の顔を見てみた。
今にも泣きそうな顔をやっぱりしていた。
そして、恐怖や不安で呼吸がかなり乱れていた。
最後に香奈の顔を見た。
かなり混乱している感じがした。
目の焦点が定まってなく、口がワナワナと震えていた。
3人の顔を見終えた俺は、悠に顔を向け質問した。
「どうして俺たちの中に殺した人がいるって言い切れるんだ?」
「簡単な事だ。お前たち4人にはアリバイが無いんだよ」
「アリバイが無い?」
アリバイ、か。
確かに思い返すと、その時、俺の周りに人は居なかった。
これでは殺人犯と疑われても仕方ない…。
だが、自分の事は自分が知っている。
「確かに、その時俺の周りに人は居なかった」
俺は「ここは」素直に認める。
「だが、ここにいる4人以外にもアリバイが無い人がいるんじゃないのか?」
俺が問いただすと、悠はまるでその答えを待っていたかのような、フフンと鼻を鳴らした。
「いや、その時アリバイが無いのは君たち4人だけだ。他の人は皆んなアリバイがあった」
悠は自信たっぷりに言った。
何故、そこまで言い切れるんだ…?
「何故、そこまでいいきれるんだ?」
慎之助が俺と一言一句違わず、同じ事を言った。
すると、悠は背負っていたリュックを下ろし、中から一冊のノートを取り出した。
「調べたからだよ」
とっても単純な話さ、みたいな感じで悠は言った。
「調べた?どうやって?」
「色んな人に訊いたんだよ。あの日…凛が死んだ時間に誰が何処にいた、何をやってた…。全て調べたんだよ!」
悠が叫ぶと、また、悠を中心に空気の波動が伝わった。
今度は退くことはなかった。
「俺はこの1年間、誰が凛を殺したのか…ありとあらゆる情報をかき集めた。そして、全部の情報が集まった!」
悠の声は子供の様な無邪気な声を出していた。
そして、桜の方を向いた。
まるで演劇でもしているかの様に、両手を桜の枝に伸ばしていた。
「でも、集まった情報をまとめた時、愕然としたよ。だって、殺したかもしれない人が全員友達だったんだから」
悠の声は低くなり、そして、俺たちの方を向いた。
その目は細めていた。
「ちょっと待て」
慎之助が待ったをかける。
「本当にお前の情報は正しいのか?確かその時間、俺は部活をやってたはずだぞ」
慎之助の言葉に香奈も同調した。
「そ、そうよ!うちもその時間は部活をやってたはずだわ」
しかし、悠の表情は変わらなかった。
「いや、俺の情報は正しい。何故なら、凛が死んだ時間は昼休憩の時だったからな」
昼休憩の時だと聞いた時、慎之助と香奈は口籠った。
そうだ、凛が死んだと思われる時間、体育館では話し声で賑わっていた。
俺も腹が減っていた事を思い出した。
悠は慎之助の方へ歩き始めた。
「慎之助、お前、あの時間何やってた?」
「部活で忙しかった」
「嘘を吐くな!」
悠がいきなり怒鳴りだした。
さすがに俺もビビった。
「その時間、お前は体育館には居なかった。一体、何処にいたんだ?」
悠が質問をすると、慎之助の顔から血の気が引くのがはっきり分かった。
何か…隠している。
「答えられない…か。まぁ良い、後でちゃんと話してもらおう。」
そう言うと、悠は香奈の方を向いた。
「植松さん、君もその時間、音楽室には居ない事は知ってる。君も一体何処に居たんだい?」
香奈が悠に詰め寄られる。
香奈も顔が白くなり、口が凄く震えていた。
「一体何処に居たんだ!」
悠がもう一度、大きな声で詰め寄った。
香奈の目から涙が溢れていて、首を横に小刻みに震えていた。
さすがにこれは…。
「悠、一回落ち着け。植松さんが可哀そ…」
俺が悠を一度、冷静にさせようと努めた。
しかし、俺が最後まで言い終わる前に、悠が俺に怒鳴った。
「うるさい!」
悠がピシャリと言った。
そして、続け様に叫んだ。
「弘樹、お前だってそうだ!あの時、お前も高校に居て先生の手伝いをしていたのは知ってるぞ!その後、お前は一人だった事も知ってる!」
悠がヒートアップしていった。
これはマズイ。
どうにかして止めないと。
慎之助も香奈も、さっき悠に詰め寄られてから棒立ちしているばかりだ。
七海は既に泣いており、地面にくずおれていた。
尚も悠からの詰問がヒートアップしていると、何処からともなく違う大きな声が響いた。
「お前ら何をやっているんだ!」
その声は先生だった。
怒鳴る声が聞こえて駆けつけたそうだ。
その後、俺たちは高校を卒業したにも関わらず、先生にこっ酷く叱られた。
20分…いや、30分位説教をされたと思う。
しかし、その時の俺たちはその説教が救いであった。
先生の説教が終わった後、俺たちは一言も喋らず、それぞれ自分の家に帰った。
それが12年後までお互い話さない事も知らず…。
店では時間が経つにつれ、ドンドンと騒々しくなっていった。
店員の声、乾杯の声や音…。
そんな中、一つの卓だけ静かであった。
「ねぇ、あの話って結局何が真実なの?」
七海の一言が俺たちの空気を重くした。
4人とも顔を俯かせたまま、動かなくなってしまった。
それもそうだ。
12年も話さなくなる程、禁忌な話であるからだ。
しかし、七海が勇気を振り絞って振った話を無下にはしたくない。
いや、違うな。
12年前に中途半端で終わってしまったこの話をちゃんと終わらせなくてはならない。
俺はジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。
その時、皆んなが俺を見ていた気がした。
空のジョッキを机に置き、アーッと声を漏らした。
そして、俺は一つ提案した。
「なぁ、これから高校に行ってみないか?」
俺たちは居酒屋を出た。
時刻は20時を過ぎていた。
雨は降っていたが、さっきと比べると小雨になっていた。
「ねぇ、弘樹君。本当に高校に行くの?」
「うん、俺が行きたい」
「弘樹にしては随分じゃない?」
「良いじゃん。行こうぜ、弘樹」
慎之助が俺の肩に手を置いてきた。
しかし、
「すまん、その前に行かないといけない所があるから先に行ってて」
「え?あ、うん、分かった」
慎之助が少し狼狽えていたが、俺は構わず高校とは逆の方向…葬儀場の方に歩みを進めた。
少し寄り道をした俺は、遅れて高校に着いた。
12年経った高校は何も変わっていなかった。
まるで、あの時から時間が止まっていたかの様…。
俺はあの時の様に、皆んなの所に行く前に自販機でお茶を買った。
意外と鮮明に覚えているもんだな。
それ程までに衝撃的な出来事だった事を再認識した。
しかし、あの時と違うのは嫌な予感はしなかった事である。
「よっ、待たせたな」
俺は軽口をたたく様な言い方で3人に言った。
「いや、そこまで待ってないな」
「うん、待ってないね」
「そうね、待ってないわ」
「そっか」
それなら良かった。
高校の中央の庭も特に変わった所は無かった。
名前の知らない植物や花が植えられていた。
これも管理してくれている人の賜物だろう。
そして、一際大きな桜の木。
3月である為、満開とまでは行ってないが、俺たちを感動させるには十分であった。
なるほど、ライトアップはされていないが、雨の夜桜も悪くない。
「あれ?」
正面の桜ではなく、後ろの桜を見に行った七海が声を漏らす。
「どうしたの?」
「ここだけ桜の枝が伸びてない」
七海の言う通り、確かにある部分だけポッカリ穴が空いたように枝が伸びていなかった。
まるで何かが落ちて折れたような…。
「まさか!?」
俺は一度、桜の木を離れて見てみた。
案の定、その部分は…
「そこ、凛が落ちてきた所だ…」
息を飲む音が聞こえた。
桜の木は凛が落ちた事を鮮明に記憶していたというのか。
そんな馬鹿な…。
俺たち4人は黙り込んでしまった。
小雨のサーサーという音だけが、俺たちが生きている事を証明していた。
すると、慎之助が口を開いた。
「弘樹、お前さっき何処に行ってたんだ?」
ボーッとしていた頭が、慎之助に呼ばれた事で覚醒した。
そして、俺はカバンから一冊のノートを取り出した。
「なっ、お前それ!」
慎之助だけじゃなく、七海も香奈も驚いていた。
「さっき、悠の実家まで行ってきた」
俺が取り出したノート。
そのノートの表紙には『凛 殺人犯 レポート』と書かれていた。
12年前、悠が俺たちを呼び出した時、持っていたノートである。
「悠の弟がちゃんと保管してくれてて良かったよ」
そう言って俺は傘をたたみ、雨が降らない渡り廊下に行った。
他の3人も俺に倣って渡り廊下に来た。
「…悠、本当に凛が他殺だと思ってたみたい」
俺はノートをパラパラと捲った。
どのページも文字や図がびっしりと書かれていた。
本気で他殺だと思っていたし、本気で殺人犯を探していたのが一目で分かった。
「パラパラっと見ただけなんだけど、この日、確かに俺たちだけアリバイが無い事が分かった」
「…本当に俺たちだけか?」
「うん」
一応、作家を目指している為、速読には自信があった。
そして、俺は一つ語る事にした。
「俺、あの日先生に呼ばれたんだよ。一緒に前任の先生の机とか棚を整理に。だから高校に居たんだ」
3人は黙って俺の話を聴いてくれていた。
「で、整理が終わってゴミ袋が二つ出来たんだよ。どんだけゴミがあったんだよ、て思ったな。で、そのゴミ袋をゴミ捨て場に持っていった時に、庭の方からドサッ!ていう音がしたのは分かったんだ。でも、その時は全く気にしなかった」
俺が話せば話すほど3人の表情が曇った。
俺も話せば話すほど心が痛くなった。
「教室に行って荷物を取ろうとした時に叫び声がしたんだ。『人が倒れてる』て。で、見に行ったら…」
俺はこの後の話を躊躇った。
正直、言いたくない。
たが、言わなければこの先に進めない。
俺たちはもう先に進まなければいけない。
「凛が倒れてた…」
言い切った。
これで良いんだ。
「その後、俺がどうやって帰ったのか、どうやって次の日を越したのか、俺自身も実はわかってないんだ。あの光景があまりにもショックで…」
いつの間にか、俺は大粒の涙を流していた。
俺のトラウマが、今、ちゃんと浄化されていくみたいだった。
それを見兼ねた慎之助が、俺の背中に手を置いてくれた。
大きくて優しく、そして、暖かかった。
そして、一言言い添えた。
「弘樹。話してくれて、ありがとう」
心に沁みた。
こんなにも慎之助の言葉に心が沁みたのは初めてかもしれない。
よし、俺はこれで先に進める。
あとは他の3人も先に進めてあげないと。
俺は涙を袖で拭った。
「さぁ、俺は話した。後は3人だけだよ」
そう言って、俺は他の3人に話を促した。
しかし、誰も口を開こうとしなかった。
3人もこの話はトラウマになっているに違いない。
…なんとかしてあげたい。
たとえそれが、お節介であっても。
だから俺は、ここに来る前に一つ作戦を立てててきた。
「誰も話せないみたいです。
助けて下さい。
……先生」
3人はさぞかし驚いたであろう。
俺が助けを呼び、そして、教室棟から現れた人。
その人は俺たちが3年の時に担任であった徳永 静子先生であった。
「高田君、小倉さん、植松さん、お久しぶりです」
先生の声は柔らかく、落ち着く声だった。
昔と何も変わらず、安心する声だ。
「せ…先生、どうしてここに…」
一番驚いていたのは香奈だった。
無理もない。
徳永先生は吹奏楽部の顧問を受け持っていたからである。
「安藤君に呼ばれたのよ」
徳永先生はそう言って俺の方を向いた。
「先生、こんな夜分遅くに申し訳ございません」
「良いのよ。また、皆んなに会えて嬉しいわ」
俺は安堵した。
本当に先生が優しくて良かった。
「…弘樹君、どうして先生を呼べたの?」
七海が当然の疑問をぶつけた。
答えは簡単だ。
「悠のノートに先生の番号が書いてあったんだ。もしかして、と思って電話を掛けたら繋がったんだ」
俺は悠のノートを胸の所に持って行った。
「そ、それじゃあ、どうして先生を呼んだの?」
香奈が訊いてくる。
しかし、答えたのは俺ではなかった。
「私が自分の意思でここに来たのよ」
徳永先生が俺の代わりに答えた。
そう…俺は電話をして、ある事を一つ訊きたかっただけである。
しかし、徳永先生はそうしなかった。
自らの意思で真実を知りに来たのである。
さすがの俺も電話越しではあったが驚いた。
3人も驚きの表情を隠せなかった。
「先生が…」
慎之助かそれだけ言い、固まってしまった。
俺は徳永先生に質問する事にした。
「先生、俺は一つ先生にお聞きしたい事があります」
「そうだったわね。何かしら」
「それは…
屋上への上り下りの足音の数です」
慎之助、七海、香奈はポカンとしていた。
一体こいつは何を訊いているんだ?
そんな顔が滲み出ていた。
しかし、一人だけ、徳永先生だけ表情が変わらなかった。
「なるほど、そう言うことね」
徳永先生は一言発した。
「ちょ、ちょっとどう言うこと?」
香奈が狼狽している。
そりゃそうだ。
足音の数を訊いてどうするというのだ。
だが、これがこのお話の大切のピース、大切なキーであるのだ。
「足音の数なんて聞いて何になるんだ?」
慎之助が疑問を発する。
「そもそも、先生のお手伝いをしていたなら、弘樹君もわかるんじゃないの?」
七海が鋭い質問をする。
「いや、俺は先生とは違う場所を整理してたんだ」
「何処を整理してたの?」
「職員室だ」
職員室は2階である為、色んな生徒が歩く。
これでは足音は何の役にも立たない。
しかし、徳永先生は…。
「そう、安藤君には職員室で前任の先生、田所先生の机周りのお掃除をお願いしたんです」
「それじゃあ、先生は…」
「私は音楽準備室、吹奏楽部顧問の部屋を掃除していたの」
徳永先生の言っている部屋は、屋上の一つ下の階、4階にある。
そして、屋上へと繋がる階段に一番近い部屋でもあった。
徳永先生が一度、深呼吸した。
「香奈さん、確かあの日は吹奏楽部の練習は無く、ミーティングをしていましたよね?」
「え…あっ、は、はい」
「私は皆さんを信頼して、自分のお部屋を整理していたんです」
徳永先生は一度そこで話を切った。
先生も思い出しながら話しているのだろう。
たっぷり時間を取ってから続きを話した。
「ミーティングが終わった、と報告されたのが大体11時50分頃だったわ。そこから階段を降りて帰っていく足音が多くなり、やがて一つも足音が聴こえなくなった」
「皆んな帰ったんですね」
俺が一度、確認も含めて話に割り込んだ。
徳永先生は俺の方を向き、一度頷いた。
「そう。でも、私はお部屋がまだ片付いていなかったから引き続き整理していたの。暫く整理している時に、一人の足音がしたの。私はいつもの先生がタバコを吸いに屋上に登ったと思ったの。」
原則として、校内での喫煙は禁止であったが、守らない先生も居た。
色んな先生が注意をしたが、全く辞めなかったらしい。
だから、徳永先生も見て見ぬ振りをしたのだろう。
「でも、今考えると少し変な事があったわ」
「どんな事ですか?」
「降りる時の足音が速かったの。なんだか慌ててるみたいだったわ。」
慌てた足音…か。
これはヒントになりそうだ。
俺は直感ではあるが、そう感じた。
一度、たっぷり間を空けてから、再び徳永先生が話し始めた。
「そこから10分位してから、一つ足音が聞こえ、また更に5分程してから一つ足音が聞こえたわ」
「それはどちらも上る足音でしたか?」
「えぇ、そうよ。他にタバコを吸う方って居たかしら?ていう疑問を持ったのを覚えているわ」
そう、タバコを吸う先生は俺も一人しか知らない。
でも、屋上へと上がる足音が最後に二つある。
どう言う事か…。
一度、整理してみよう。
その日の吹奏楽部は練習は無く、ミーティングのみ行われた。
そして、そのミーティングが終わった時間は11時50分頃だと徳永先生は言った。
部員の皆んなが帰り、静まり返った後、暫くしてから一つの足音が聞こえた。
この足音はタバコを吸いに来た先生だと思い、特に気にはしなかった。
が、階段を降りる足音はやけに早かったらしい。
ここは気になるが、今は一旦、置いておこう。
次に10分、更に5分と屋上へと上がる足音がしたと言う。
うん、整理するとこんなもんだろう。
しかし、これだけでは…。
俺は先生に質問してみた。
「先生はその後、二つの足音が下に降りる足音を聞きましたか?」
「聞いてないわ。二つの足音が降りてくる前にあの騒動が起こったから…」
徳永先生の顔がとても暗くなった。
「私も誰かの叫び声を聞いて部屋を飛び出し、駆けつけていたわ」
徳永先生の声が震え始めた。
「あの光景は一生忘れないわ」
そして、とうとう呼吸を荒くし、泣き始めた。
徳永先生はポケットからハンカチを取り出し、涙を吹いた。
そこに七海が側まで駆けつけ、先生の手を取り、まるで手の体温を分け与えるように見えた。
先生は少し安心したのか、呼吸が安定し始めた。
流石、保育園の先生をしているだけあるなと、改めて感心した。
「先生、ありがとうございます」
これ以上、先生に負担を掛けられないと考えた俺は、一度先生に感謝をした。
さて、どうするものか。
悠のノートには屋上に関する情報が一つもなく、唯一あるとすれば徳永先生の話のみだ。
もう少し情報が欲しい。
俺は手元にある、悠のノートを見てみる事にした。
ノートには本当に色々な事が書かれていた。
警察の事、その時居た先生の事、部活動の事…。
自分がちゃんと読めていなかった事が分かった。
何が速読が得意だ…。
パラパラと捲っていった時、ある一つの文章に目が止まった。
『部活が終わった後、凛を誘ったが「ごめん、先約があるから」と断られた』
先約?
一体誰と?
…分からない。
仕方なく、俺は違うページも見てみる事にした。
すると、そこに書かれている事は、俺が知らない事ばかりであった。
『慎之助は12時から12時25分まで体育館に帰って来なかった』
『七海は何をしに高校に来たか分からない』
『香奈は「ちょっと用事があるから」と言って、皆んなと一緒に帰らなかった』
そして、最後のページには…
『凛と香奈は…』
凛と香奈は…なんだ?
重要な所が塗り潰されていて分からない。
香奈にこの事を訊くか?
いや、3人は何も話したくないんだよな。
だったら、自分で考えるしかない。
もう一度、悠のノートを読み返してみよう。
『凛が最近ボーッとするようになった』
『誰かを見ている?』
『桜の木を見てる?』
『慎之助?』
『香奈が凛と七海に怒ってた』
『凛が死んだ後、香奈がずっと変』
『慎之助は最近、部活に集中出来てないらしい』
『慎之助もずっと一人で悩んでいる』
色んなページからキーワードを掻い摘んでみたが、これは…。
その時、俺の中で最後のピースが完成した。
そして、後はこれを組み込むだけである。
アリバイが無いのは俺たち4人。
悠の残したノート。
ポッカリ空いた桜の枝。
屋上へ上った足音は3人。
その内、一人が足早に降りた。
先約があった、凛。
用事があるという、香奈。
香奈に怒られる、七海。
何やら相当悩んでいた、慎之助。
もしかしたら、これは…
俺の中で最後に完全したピースがカチリと当てはまった。
そして、俺はこのパズルを皆んなに見せなければいけない。
「…皆んな…頼みたい事がある」
「どうした、弘樹?改まって」
「私は大丈夫だよ」
「えぇ、うちも」
俺は徳永先生の方を向いた。
既に先生の目に涙はなかった。
そして、
「はい、大丈夫ですよ。頼みたい事とは何ですか?」
「ありがとうございます。
では、
…屋上に行きたいです」
俺たちは屋上までノンストップで上った。
俺たちももう30。
さすがに上るのが大変だった。
七海は徳永先生と一緒に上った為、少しだけ時間が掛かった。
ヘトヘトになりながらも、俺は屋上の扉を開けた。
すると、ブォーッと風がなびいて押し返されそうになった。
さっきまでそんなに風なんて吹いてなかっただろ。
そんな事を考えながら屋上に出た。
雨は既に上がっていて、空気は少し湿気を含んでいた。
床には小さな水溜まりが出来ており、避けながら屋上の手すりまで歩いた。
手すりは俺の胸くらいの高さがある。
俺はその手すりに腕を置き、桜の木を見下ろして見た。
…うん、桜は下から見る方が良いな。
「弘樹、屋上に来てどうするんだ?」
慎之助が俺に質問する。
俺はその質問を暫く無視した。
この夜風をもう少しだけ感じたかった。
俺は後ろを…皆んなの方を向き、手すりにもたれかかった。
「これから、皆んなに質問をする」
俺はキッパリと言った。
「質問をする?」
慎之助が同じ事を言う。
まだ状況を飲み込めていないのか。
それとも…。
「質問をするってことは、何か分かった事があるのかしら?」
香奈は疑っているようだ。
「あぁ。だけど、俺が立てた仮説が合っているか分からない。だから質問する。さて…」
そう言った俺は、一度カバンの中に入れた悠のノートを取り出した。
「俺はこの悠のノートと先生が証言した足音の数で一つの仮説を思い付いた。まずは悠のノートから話していこう」
俺は悠のノートをパラパラと捲っていった。
「悠のノートを見た限り、確かにあの時、アリバイが無いのは俺たち4人だけだ。そして、俺たちに関して色んな事が書かれていた」
そして、俺はあるページで捲るのをやめた。
「例えば、『部活が終わった後、凛を誘ったが「ごめん、先約があるから」と断られた』、とか…」
皆んなの表情を確認した。
特にこれといって変わった人はいなかった。
俺はノートを閉じた。
「とにかく、細かく色んな事が書かれていたよ。それでだ…正直に話して欲しい」
俺がそう言うと、他の皆んなはそれぞれ頷いた。
「ありがとう。では、初めに慎之助」
俺が慎之助を呼ぶと、慎之助の表情が引き締まった。
「あの時、お前には悩み事があったな?」
「…」
「内容までは話さなくて良い。あったな?」
「…あぁ、あったよ」
意外とあっさり認めたな。
「ありがとう。次に植松」
植松は背筋が少しピンとなった。
緊張し始めたのか?
「植松も悩み事があっただろ?それを小倉や凛に相談してた。そうだろ?」
「……えぇ、そうよ。確かに悩んでいたし、七海たちに相談したわよ」
「そうか、ありがとう」
そして、俺は七海の方を向いた。
「小倉、植松と凛から同じ悩み事を相談されていただろ?」
これを聞いた七海と香奈は同時に驚いた。
「えっ…あ、えっ!?」
七海は相当動揺していた。
口が上手く回らず、言葉になっていなかった。
「…その反応だけで分かったよ。さて…」
俺は一度ここで深呼吸をした。
「これから少しだけ答え合わせをする」
そう言うと、皆んなの顔が更に引き締まった。
…かなり警戒されてるな。
だが、ここまで来たんだ。
俺はもう一歩も引かない。
だから、言ってやる。
「植松、君は慎之助の事、好きだっただろ」
「えっ、あっ…」
やはり、そうだった。
この物語は恋愛模様が描かれた悲しい物語だったか。
「次に慎之助。お前が悩んでたのは、『香奈から告白された』ことだろ」
「なっ…なんでお前がその事を…」
「そして、小倉。君は植松と凛から『慎之助が好きだ』という事を聞かされ、相談されていたんだろ?」
「……うん」
慎之助は俺の突然の話に驚きを隠せず、七海は全てを諦めたかの様に認めた。
「…弘樹君、どうして分かったの?」
「悠のノートだよ」
「えっ…?」
俺はもう一度、悠のノートを胸の辺りまで持ち上げた。
「悠のノートには散り散りになったキーワードが沢山あったんだ。それをピックアップしただけ」
そして、俺は香奈に顔を向ける。
「そして、俺は一つ、植松に鎌をかけたんだ、『慎之助の事が好きだろ』って」
「…てことは…」
「そう、実は植松が慎之助の事を好きだ、てことはちゃんとは書いてなかったんだ。当てずっぽうだったんだ。でも、そうだろうな、という確信はあった」
香奈は少し俯いた。
過去を蒸し返されたんだからそうなるだろう。
俺でもなる。
「でも、俺としては当たってて良かった」
「いや、私が良くない!」
香奈が顔を真っ赤にして叫んだ。
「まあまあ、落ち着けって」
俺は香奈を宥めた。
「そこからはトントン拍子さ。慎之助が植松に告白されていた事。七海が植松と凛に慎之助が好きだ、という相談をされていた事。細かく書かれてはいなかったが、間接的、遠回しに書いてあったんだ」
言い終えると、誰も話さなくなった。
呼吸の音さえを聞こえない。
唯一聞こえるのは風の音だけであった。
そして、3人は下を向いたままであった。
「さて、問題はここからだ」
俺が次の話を始めると、3人はまた顔を上げた。
まだ、ちゃんと正気を保ったままで良かった。
「先生が聴いた足音とは一体誰の事なのか」
これには徳永先生も目を細めた。
いや、睨んだのか?
分からない。
…先に進もう。
「吹奏楽部の部活が終わり、部員が帰った後に現れた足音、あれは…」
俺はある一人の顔を見た。
「……慎之助、お前だろ?」
慎之助は静かに目を瞑った。
瞑りながら、
「どうして俺なんだ?」
「消去法だよ」
そう、消去法なのである。
あの時間帯に凛たちが屋上に行く理由が無いし、降りる理由も無いのだ。
「それは他の皆んなもそうだろ?」
そう、これだけでは慎之助も上る理由も降りる理由も無い。
「あぁ、そうだ。だがその前に一つ、小倉に訊いておきたい」
俺は七海の方を向いた。
「小倉は陸上部の練習を見てたかい?」
「え…あ、うん。そうだよ」
「てことは、小倉と凛は一緒に来るはずだった」
「でも、先生が言うにはどの足音も同時に聞いてないわよ」
「そう、小倉と凛は一緒に行ってない。それぞれが屋上に行ったのさ。凛は着替える必要があるからね」
「…なるほどな」
慎之助が納得した。
本来であれば凛と七海は一緒に屋上に行くはずだった。
か、部活が終わった後である為、凛は着替えたかったはずである。
待たせるのは申し訳ないと思い、凛は七海を先に行かせる様に促したのだ。
七海を屋上に行かせた後、部活仲間が凛と一緒に帰るか遊ぼうとしたのか分からないが誘った結果、『先約があるから』と断られた、ということだろう。
「そういうことで、二つ目と三つ目の上る足音は小倉と凛だ。小倉、合ってるか?」
「…うん、合ってる」
「そして、一つ目の足音は慎之助、消去法で君になるんだ」
「…」
慎之助は何も言わなかったが、何も言わないという事は肯定である証拠である。
「待って!」
香奈がいきなり叫んだ。
「私の可能性もあるんじゃないの?」
「いや、植松の可能性は0だよ」
「なんですって?」
香奈は険しい表情をした。
…どうしてお前はそんなに自分を追い込むんだ。
「何故なら、君は最初からずっと屋上に居たからだよ。
そうですよね…
…先生」
俺は徳永先生の方を向いた。
先生の顔はもちろん驚いていた。
突然の事で呆気に取られていたのだろう。
「どうして先生が絡むんだ?」
慎之助が純粋に訊いてきた。
「慎之助…どうして君たちが屋上に行けたか分かるかい?」
「え、それは……あっ!」
慎之助も分かったみたいだな。
「生徒は原則として屋上に入る事が禁止されている。どうして先生は止めなかったのか」
「…」
徳永先生は黙ったままであった。
「タバコを吸う先生だと思ったからじゃない?」
「それは一人目だけ。二人目からは先生だとは思わないはずだよ」
七海の質問に俺はすかさず答えた。
そして、俺はもう一つ付け加えた。
「それに、タバコを吸う先生は来てなかったはずだよ。そうだよな、慎之助?」
「あぁ、そうだ」
タバコを吸う先生とは、バスケ部の顧問の先生なのだ。
「まぁ、一人目が先生でも問題はない。問題なのは二人目からだ」
「どうして?」
七海の顔は段々複雑になっていった。
訳が分からなくなっているんだろう。
「タバコを吸う人がいないからだ」
「えっ?」
七海が素っ頓狂な声を出す。
「タバコを吸う人がもう一人居れば、俺は答えに辿り着かなかったかもしれない。だけど、この学校でタバコを吸う人は一人しかいないんだよ」
「…実は他に吸っている人を知ってるかもしれませんよ?」
徳永先生が反論してきた。
「それは無いでしょう。さっき先生は『他にタバコを吸う方って居たかしら?』と言ったんですから」
「…」
辺りは静かになった。
「だから、先生は他にタバコを吸う人を知らない。そうなると、二人目以降、何故注意しに行かなかったのか…」
俺は香奈に向かって、
「それは、植松。君が屋上に行く事を先生に頼み込んだんだよな?」
また、辺りは静かになった。
「でも弘樹、生徒は屋上に入る事は出来ないんじゃなかったのか?」
「あぁ、そうだ。だけど一つ、例外がある。
吹奏楽部の部員は顧問の許可を得れば屋上に入る事が出来る」
これは、悠のノートに書かれてあった事である。
だが、俺は一度先生に質問してみた。
「そうですよね、先生?」
「…はい、そうですよ」
一瞬、躊躇いがあったが正直に認めた。
「先生…」
香奈が悲しい声で、ギリギリ聞こえる大きさで呟いた。
「弘樹君、『吹奏楽部の部員は』て事は私たちは入れないんじゃない?」
「確かにそうだな。部員限定の言い方だな」
七海や慎之助の言いたい事は分かる。
確かにこの文言では部員以外は屋上に入れない。
「…先生がそれを分かった上で通しているとしたら、どうかな?」
「どういう…こと…?」
七海が恐る恐る訊いてきた。
「そのままの意味さ。先生は植松に友達を屋上に呼びたいと頼まれたんだよ。それをただ許可しただけ」
「でも、それって…」
「あぁ…完全に違反さ」
俺は言ってて悲しくなった。
「でも、それだけじゃ理由にならなくないか?」
慎之助がすかさず鋭い質問をする。
「そうだな、それだけでは理由にならない。だが、植松には他の人より多く持っていた物がある。それは…
…信頼さ」
「……はぁ?」
慎之助が明らかに不満を漏らした。
しかし、俺は気にせず続けた。
「先生は植松にとてつもない信頼を置いていたはずなんだ。なにせ、植松は色んな人に頼られていたからな」
「確かにそうだな」
「うんうん、だって香奈ちゃん、人助けとかしょっちゅうしてたもんね」
「あ、あれは偶々居合わせただけよ…」
香奈は少し照れていた。
「先生も植松を一目置いていたはすだ。だから、慎之助たちを屋上に呼べたんだ」
…正直、これが理由で良いのか?とは思ったがな。
「はぁー…」
徳永先生が大きなため息を吐いた。
そして、香奈に顔を向けた。
「植松さん、ごめんなさい。全てを言うわ」
そして、俺の方を向いた。
「安藤君、天晴だわ」
徳永先生はニコリと微笑んだ。
「何度か植松さんから屋上を使用したいと頼まれた事があります。私はその都度、許可していました。あの日も植松さんから『屋上に友達を呼びたい』と頼まれました。私は絶大な信頼を置いていましたので、その日も許可しました。でも、まさか…」
徳永先生が涙ぐんだ。
「まさか、花巻さんが…」
涙腺が決壊した。
徳永先生はボロボロと泣き始めた。
「先生、悠のノートには先生の事は書かれていませんでした。もしかしてですが、悠には何も言わなかったのですか?」
「…えぇ、そうよ。…小鳥遊君は花巻さんが誰かに殺されたと考えていたからね。だから、私はあの子に嘘を吐いたの。屋上には誰も行っていないと…」
嗚咽混じりではあるが、徳永先生ははっきりと言った。
またハンカチで目元を拭った。
「そうしないと…植松さんが真っ先に疑われてしまう。そう思ったの…」
「先生…」
香奈の目にも涙がボロボロと落ちていた。
「私は…教師として失格よ」
俺は…いや、俺たちは何も言えなかった。
先生の中では、誰よりも優しく、誰よりも親身になって相談に乗ってくれる、安心して信頼出来る先生が…こんな…。
その時、突然激しい風が俺たちを襲った。
俺たちは目を閉じ、腕を顔の前まで持ってきて風を防いだ。
腕を下ろし目を開けた時、俺の目の前には一面桜の花びらが宙を舞っていた。
いつの間にか月が雲から出ていて、とても綺麗だった。
そして、俺は一つ思い出した。
『桜の木を見てる?』
「小倉、一つ凛について質問して良いか?」
「…うん、良いよ」
「凛、桜好きだったか?」
「うん、好きだったよ。昔、私が桜の枝を折った時、めちゃくちゃ怒られたよ。その時に桜が好きだって言ってたよ」
「…そうなんだ。教えてくれてありがとう」
「どういたしまして…」
俺は宙に舞う桜から視線を逸らし、今度は香奈を見た。
「植松…正直に教えてくれ。
凛は自殺でもなく他殺でもない。
事故死なんだろ?」
香奈は目を丸く見開いた。
「…ど、どうして…」
「さっき小倉は『凛は桜が好きだった』て言ってたよな」
「…うん」
「なら、どうして桜の木に落ちたんだ?」
「……!?」
香奈の目は更に大きくなった。
誰かの息を吸う音が聞こえた。
誰かがザザッと後退りする音がした。
「…そう、桜が好きな凛は絶対にそこには落ちない。仮に落ちようとするなら桜がない所に落ちるはずだ」
「…安藤君、自殺じゃない事は分かったわ。でも、他殺でも無いってどういうこと?」
徳永先生が訊いてきた。
「それは……」
俺は少し言い淀んだ。
決定的な理由が無いからだ。
でも、これだけは…絶対的な理由はある。
「それはあり得ません。なぜなら……
…俺たちは凛の事が好きだからです」
サワサワと風が優しく吹きつける。
なんだか暖かかったような…。
「…凛を殺す動機も無いな」
俺の理由に慎之助が付け加えた。
そうだ、殺す動機も無い。
あったとしても、それは殺すまでに至らない。
暫く誰も口を開かなかったし、誰も動かなかった。
まるで全員、石化してしまったかと思う程に。
だが、俺は無理矢理口を開いた。
「植松……もう本当の事を話してくれないか?ここまで答え合わせをしたんだ。良いだろ?」
俺は香奈に全て話す様に促した。
「……」
明らかに躊躇っていた。
口に出すのが怖いのだろう。
それはそうだ。
これから真実を話さなければいけないのだから…。
「香奈ちゃん」
七海が香奈に駆け寄る。
そして、香奈の右手を両手で掴んだ。
お互い目を見合っていた。
「香奈ちゃん…もう話そう」
七海がもう一度話した。
「…分かったわ」
香奈が観念したのか、話すことを決めた。
香奈は七海の手を解き、俺の隣まで来た。
そして、両腕を折りたたみ、手すりに寄りかかった。
「あの日、死ぬのは私の方だったの」
吹奏楽部のミーティングが終わり、皆んなは掃除をしてから帰ろうとした。
「香奈、一緒に帰ろ〜」
仲のいい子が一緒に帰ろうと誘ってくれたけど、うちにはやらないといけない事があった。
「ごめん、今日はちょっと用事あるんだ」
スマホを取り出し、昨日私が送ったメッセージを確認する。
『明日のお昼、高校の屋上に来て』
メッセージは返って来ていなかったが、既読は付いていた。
良かった、見てはくれてるみたい。
屋上の使用許可は事前に貰っている。
ちょっと怪しまれてはいたけど…。
『先生…明後日、屋上を使いたいのですが…』
『植松さん…分かりました、使って大丈夫ですよ』
『…あの…友達も呼びたいのですが…』
「……分かりました。許可しましょう』
『…!ありがとうございます!』
とにかく、今日こそ…今日こそは…!
…慎之助、来てくれるかしら。
取り敢えず、屋上に行こう。
屋上に来たうちは手すりまで歩いた。
風が気持ちいいわね。
なんだか心が浄化される感じがする。
…でも、やっぱり胸騒ぎがするわ。
それはそうよね。
だって…これから慎之助に告白するんだから。
もう覚悟を決めて、何回目かしら…。
ガチャ…
「すまん、少し遅くなった」
「ううん、大丈夫。私も今来た所だから」
二人の間に一陣の風が通る。
「…えーっと、それで何の用だ?」
慎之助は頭を掻いた。
なんだか気まずい…。
けど、今日こそは!
「し、慎之助…あの、伝えたい事があるの!」
「お、おぅ…」
顔がカッと熱くなる。
うちの顔は真っ赤になってると思う。
今すぐ逃げ出したい!
でも、伝えなくちゃ!
「あ、あの、ね…」
上手く口が回らない…どうして?
だんだん周りの音が聞こえなくなってきた。
「植松…一回、深呼吸」
慎之助の優しい声が聞こえた。
その声がうちの体に染み込んで行った。
そうだ、深呼吸…。
スーハー、と2回深呼吸してみた。
頭の中にあったモヤモヤが晴れた。
うちは心の中でヨシっと気合いを入れた。
「慎之助、好きです…わ、私と付き合ってください!」
やっと、やっと言えた…!
てか、『私』とか似合わないわね…。
「…」
慎之助はとても驚いていた。
が、それと同時に困っている様にも見えた。
「植松、気持ちを伝えてくれてありがとう。嬉しいよ」
慎之助が素直な気持ちを伝えてくれた。
「…でも、その気持ちに応えることは出来ない」
…えっ?
それって…
「俺、他に好きな人がいるんだ」
…やっぱり…そうなんだ…。
「…ごめん」
「ううん、慎之助が謝ることないわ」
二人は黙り込んでしまった。
部活が休憩中だからだろうか、生徒の声が聞こえた。
叫ぶ声、笑う声…。
悲しい…凄く悲しい。
ちょっと立ち直れないかも。
うちはその場に座り込んでしまった。
「…う、植松!?」
慎之助がうちに駆け寄ろうとした。
だけど、うちは手を前に出して拒んだ。
「だ、大丈夫…」
目から勝手に涙が溢れていた。
あ、あれ…?
なんで泣いてるんだ?
あぁ、そうだ…フラれたんだ。
うちは袖で涙を拭った。
「ごめん…慎之助、忙しかったのに呼び出して」
「いや、それについては大丈夫だ」
「もうお昼休み終わっちゃうでしょ?行って」
「いや…」
「良いから行って!」
何故かうちは慎之助に当たっていた。
何やってるのよ、うち…。
慎之助は驚いていたが、素直にうちに従ってくれた。
慎之助が屋上のドアを開いて、
「植松、本当にごめん…」
一言放って屋上を後にした。
ポケットからスマホを取り出し、凛と七海が入っているグループチャットにメッセージを送った。
『終わった、屋上に来て』
打ち終わったうちは立ち上がり、手すりまで歩いた。
心が痛い。
だけど、清々しい気持ちもあった。
暫く待っていると、屋上のドアが開く音がした。
七海がやってきた。
「香奈ちゃん…大丈夫?」
「…うん」
正直、大丈夫ではなかった。
一体今までの覚悟はなんだったんだろうか。
馬鹿馬鹿しく思えてならない。
何分経ったかわからなかったが、再び屋上のドアが開いた。
「ごめん、遅くなっちゃった!」
凛が勢いよく入ってきた。
今日も部活を頑張ったみたいね。
「大丈夫…お疲れ様」
うちはさっき慎之助に告白をしてフラれた事を二人に話した。
二人は何も言わず、最後まで聞いてくれた。
「そっか、そうだったんだね」
「辛かったね」
二人はうちを励ましてくれた。
その励ましは嬉しかったが、同時に辛かった。
「…ねぇ、やっぱり慎之助は凛の事が好きなんじゃない?」
うちは凛の顔を見ながら話した。
すると、凛の顔が急に真っ赤になった。
「えっ!?い、いや、そんなことないよ!」
凛は恋愛をあまりしたことがない。
それに、いつもポジティブな凛が恋愛の時だけネガティブになるのだ。
「どうして?」
「だ、だって…私、男っぽいし恋愛なんてしたことないし…」
何を言っているんだか…。
凛、あなたモテてるのよ。
「そんな事ないよ!凛ちゃん、とっても可愛いよ!」
七海が声を大にして言った。
「七海ちゃん、お世辞は良いよ」
「お世辞じゃないよ!」
二人とも、頑固なんだから。
暫く二人がぶつかっていた。
うちはただそれを傍観するだけだった。
すると、いきなり
「ねぇ、香奈ちゃんはどう思う!」
七海がうちに振ってきた。
え、うちがどう思う?
「香奈ちゃん、私ってそんな可愛くないよね」
凛も振ってきた。
いや、何を言ってるのよ。
「凛、あなたはもっと自信を持った方がいいわ」
「香奈ちゃんも何言ってるの!?」
凛はとても動揺していた。
手をあたふたさせていた。
うちは皆んなから視線を逸らし、手すりに両腕を折りたたんで寄りかかった。
あーあ、うちも凛みたいにな人なれてたらな。
「香奈ちゃんは香奈ちゃんのままで良いよ…」
えっ…
うちは顔だけを凛に向けた。
…もしかして、口に出てた?
「香奈ちゃんのままで良いよ」
凛がもう一度言った。
心が痛くなった。
「……良くないよ」
小さく呟いていた。
それは自分の意志で言ってない感じであった。
「だって、うちすごくネガティブだし、頭だってそんなに良い訳じゃないし…」
「でも、誰よりも優しいよ」
「そんなの皆んなだって同じだよ!」
優しいなんて殆どの皆んながそうだ。
何も秀でていない人に対して言う、唯一のセリフである。
…なんだか、どうでも良くなってきた。
急に頭の中にネガティブな思考が現れた。
ネガティブな思考はどんどん蝕んでいった。
白い盤面のオセロが全て黒になっていくような、そんな感覚…。
そして、意識が飛んで行くような…。
「香奈ちゃん!?何やってるの!?」
七海の声で頭が覚醒する。
自分の置かれてる状況を確認する。
さっきまで手すりに寄りかかってたはずなのに、今はその手すりよりも前に立っていた。
…一体どうして。
うちが動揺していると、急に隣に凛が手すりを飛び越えてやってきた。
り、凛…!?
あなたも何やってるの!?
口にしたかったが、何故か声にならなかった。
「香奈ちゃん、これで対等だね」
「……」
だんだん頭の中がこんがらがってきた。
どうしてうちが手すりよりも前にいるのか分からないし、凛と対等なのかも分からなかった。
「香奈ちゃん、戻ろう?」
凛が手を差し伸べる。
その手を取りたかった。
だけど、うちの暗い考えがそれを阻止する。
「香奈ちゃん、戻ろうよ!」
七海が背中を優しく掴んだ。
七海は恐怖からなのか泣いていた。
あぁ、二人とも優しいな。
どうしてうちなんかを…。
そう、うちなんか…。
あぁ、やっぱりうちは死んだ方が良い。
そうに決まってる。
「香奈!」
ネガティブという闇の中に飲み込まれていたうちを、凛が引っ張り上げようとする声だった。
それと同時に凛の手がうちの腕を掴んだ。
嬉しかった、けど…
「離してっ!」
うちはそれに抵抗していた。
理由は分かっていた。
うちはもうこの世には必要ないと考えてしまったからだ。
…頑固なのは3人だったんだね。
「香奈ちゃん!暴れないで!」
七海も掴むだけでなく、腕を胴に巻き付けてきた。
七海も必死なのが分かる。
だけど、うちは抵抗した。
「もう良いから離してっ!」
凛に掴まれた腕をバッと上にあげた。
凛の手は離れた。
しかし、次の瞬間、何故か凛の体が横になっていた。
バランスを崩したのだ。
えっ…?
凛と一瞬目が合った。
凛も驚いていた。
そのまま、凛が離れていった。
ドンドン離れていく。
……………グジャ……………
本当に一瞬の事であった。
何が起こったか理解するのに時間が掛かった。
理解したと同時に、うちや七海以外の人が悲鳴をあげていた。
「香奈ちゃん……香奈ちゃん……」
七海がうちの名前を呼んでいた。
尚も七海はうちに巻き付いていた。
うちはその腕を解き、手すりを飛び越え屋上に戻った。
七海を見ると、その目は焦点が合っていなく、体がずっと震えていた。
七海に触れようとした時、自分自身の手が見えた。
その手は七海の物よりも震えていた。
うちは立っていられなくなった。
もしかして…もしかして…
うちが…
殺してしまった………
俺たちは香奈の話を聞きながら、高校の庭に戻っていた。
戻る最中、香奈以外は誰も話さなかった。
いや、話せる訳がなかった。
「その後、うちはその場で気を失ったの。で、気づいたら音楽室にいて…。先生と七海が運んでくれたの。そうですよね?」
香奈が徳永先生と七海に訊いた。
「はい…」
「…うん」
二人は肯定した。
「本当はその後、自首しようと思ったんだけど…怖くなったの…。自分の身が可愛かったの。だから、七海と先生に自分がやった事を話さないで欲しいって頼んだの」
香奈の声が震えて始めた。
それと同時に俺たちは桜の木の下に着いた。
「……本当に……最低だわ……一番死なないといけないのはうちなのに…」
「いいや、そんな事ない」
慎之助が香奈の言葉を遮った。
「そんな事、絶対ない。誰かが死なないといけないなんて…許されない事だ!」
慎之助がいきなり叫んだ。
確かにそうだ。
誰かが死なないといけないなんておかしい。
不公平も良い所だ。
「でも、うちが死んでいれば凛は…!」
「だから香奈ちゃんが死んでも意味がないでしょ!」
今度は七海が叫んだ。
「誰かが死なないといけないなんて…おかしいよ」
「そうです…植松さん。誰かが死なないといけないなんてありませんよ」
徳永先生も香奈に諭した。
もうここにいる全員が涙を流していた。
俺自身もとても辛かった。
果たして、この話を蒸し返す必要があったのだろうか?
そんな疑念すら浮かぶ。
「もしかしたら、あの時、誰が好きだったか言えば変わっていたかもしれない」
急に慎之助が話し始める。
「あの時、俺は小倉の事が好きだったんだ」
「…えっ」
七海が声を漏らす。
これは俺にとっても衝撃的だった。
慎之助が七海の事を…。
「そう…だったんだ…」
香奈もそれしか言えなかった。
「俺が言っていれば…」
慎之助は歯を食いしばった。
これ以降はもう、たらればでしか話せない。
過ぎてしまった事…凛はもう死んでしまった事。
それはもう、変えることが出来ない事実。
だったら今出来ることは、
「植松…
自首しに行こう。
過去の自分の為、そして、今の自分の為。
そして、凛の為に出来る、唯一の贖罪だ」
俺たちは香奈を連れて警察署に行った。
13年前、香奈が犯した事を全て警察の人に話す為に。
香奈は多少涙ぐむ場面はあったが、最後まで嘘偽り無く話した。
警察官も最後までちゃんと聴いていてくれた。
この人なら大丈夫…根拠は全く無いが、第六感が大丈夫だと思った。
…これで、全て浄化出来たであろうか。
それとも…。
俺はそんな事を考えながら帰路に着いた。
翌日、香奈を除く俺、慎之助、七海は凛のお墓参りの為に仕事を休んだ。
お墓参りの時期では無いが、どうしても俺たちは行きたかった。
徳永先生はどうしても休めないとの事だ。
俺は凛のお墓参りに行く前に悠の家に寄った。
ノートを届ける為に。
チャイムを鳴らすと悠の弟が出てくれた。
昨日の事を話すと、
「そうですか。とても悲しいお話でしたが、兄のこのノートが役に立って良かったです」
と言ってもらえた。
だが、その顔はどこか複雑だった。
それはそうだろう。
俺自身、複雑な心境だからな。
午前11時
俺は二人と合流した。
七海はお供えする為の花を持っていた。
カーネーションや百合…七海曰く、凛が好きな花を持ってきたとの事だ。
凛のお墓まで行くと、そこには既に花がお供えされており、お墓自体もとても綺麗に掃除されていた。
「…凛の家族が来たんだな」
俺はボソッと言った。
そういえば、凛の母親はよく凛のお墓に来てるとか、誰かが言ってたような…。
「取り敢えず、出来る事はやろ」
七海が一番初めに取り掛かった。
一通りの事を済まし、お線香をあげ、合掌。
今まで来れなかった事の謝罪と、俺たちの今の現状を話した。
そして、今ここに居ない香奈の事も…。
お墓参りを終えた俺たちは、これからどうするか話し合う事にした。
が、話し合う必要なんてなかった。
気持ちは全員、同じであったからだ。
俺たちは高校へ向かった。
高校に着いた俺たちは事務室に行き、通行許可証を貰った。
12年経っている為、知っている先生は誰一人居なかった。
だが、校舎は全く変わっていなかった。
昨日も思ったが、本当に何も変わっていなかった。
目的の場所に移動している最中、七海は走って先に行ってしまった。
残された俺は慎之助に一つ質問をした。
「慎之助、そういえば植松から告白された後、何処にいたんだ?」
そう、これだけはどんなに考えても分からなかった。
慎之助には誰も分からない、空白の時間があったのだ。
「俺、ずっと教員用のトイレに篭っていたんだ」
なるほど、教員用のトイレに居たのか。
だから慎之助の姿を見た人が居なかったのか。
「そうだったんだ。でも、どうして篭っていたんだ?」
「…俺も、泣いていたから。植松を悲しませてしまったという罪悪感からね」
そうか。
慎之助、そこまで思い悩んでたのか。
「それに俺はバスケ部のキャプテンだ。他の奴らにはみっともない所見せたくなかったんだ」
慎之助は無理矢理ではなく、ごく自然な笑顔を俺に向けた。
「そっか。いかにもお前らしい理由だな」
「そうだろ?」
俺と慎之助は心の底から笑い合った。
…ちゃんと乗り越えたんだな。
良かった。
「二人とも!早く早く!」
七海が俺たちを呼んでいた。
目的の場所である桜の木の下に俺たちは着いた。
昨日の夜桜とは違い、元気な桜がそこには咲いていた。
うん、夜桜も良いがやっぱり昼見た方が俺は好きだな。
「ねぇ、私たちって本当にこれで良かったのかな?」
唐突に七海が訊く。
それは俺がずっと考えている事と合致した。
本当に全てを解き明かして良かったのか…。
正直、分からない…。
「多分、良かったんじゃないかな」
慎之助が応える。
「植松、ずっと苦しんでたと思うんだ。自分の手で凛を殺めてしまったんだから。それが昨日解き明かされ、浄化された。凛もそれを望んだはずだよ」
慎之助が桜の木を見上げながら言った。
「ただ、俺が言える立場では無いし、本当の事は分からないけどな」
フフッと苦笑いをした。
それなら良いんだけどな。
すると、七海が桜の木まで歩き、桜の樹皮に触れた。
「…凛ちゃん、今までごめんね。私も香奈ちゃんと同じ、逃げてたんだ。これからはどんな事があっても逃げない。ちゃんと現実と向き合うよ」
凛に宣言をした。
そうだ、俺も凛から色んな事を学んだ。
正直になること、現実から目を離さないこと…色々ある。
だから、凛、俺からも言わせてくれ。
ありがとう…!
俺が心の中で凛に感謝した時、今まで吹いていなかった風がブワッと吹いた。
それによって桜の木が大きく揺れ、桜の花びらがいっぱい舞い散った。
そんな中、風と一緒に一つの声が聞こえた気がした。
俺は一瞬、耳を疑った。
それは俄には信じられなかった。
ここには居ないはずなのに…。
だが、耳が覚えている。
あの元気な声を。
しかし、その言葉の意味はどういう意味なのだろう。
全てを解き明かした事に対してなのか、香奈を救った事に対してなのか。
いや、あいつの事だ、「全ての事に」という意味なんだろう。
俺はそう思う事にした。
『ありがとう』
最後までお読み頂き、ありがとうございます。