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3話:名前

◆あらすじ

女神は今の世界の状況を知り、水着回には期待できないと悟った。

「神は死んだ!」


 ターミンの町、買い物客で賑わう市場に物々しい僧服姿の団体が押し寄せる。


「天の子らよ、終末の時に備えよ! 聖戦の時は近い!」


 先頭を行く男が仰々しい仕草と共に唱えた。カイに『ケイオス教団』と呼ばれた彼らは開けた場所まで練り歩いた後、陣形でも敷くように整然と場を制圧した。


「二十年以上前に起きた『大災厄』の日、裁きの炎が勇者と魔王を焼き尽くした。同時に空を闇が覆い、海は荒れ狂い、大地には瘴気が溢れた。


 見るがいいこの灰色の世界を! 神はいない! 我らを救う神などいなかったのだ!

 あるのは人類の罪を裁く大いなる意志のみ!

 勇者も魔王も、我ら人類の業を塗り固めたものでしかない。破壊! 破滅だ! 滅びの意志によって世界は終わりを迎えようとしている!


 だが恐れるな弱き者たちよ。世界が終われば我々はこの不完全な肉体から解放され、輝ける魂のみとなる。

 肉体の鎖を解き放てば我ら皆、宇宙において平等になれる! そこに苦しみは無い、悩みも恐れも無い。宇宙の真理にたどり着けるのだ!


 備えよ定命の者たちよ! 皆一人一人にこの世で与えられた役目がある。やがて運命に目覚めるであろう。その時は我らとともに聖なる戦いに加わるのだ!


 そして、我々は来たるべき時に備え寄付を募っている。その熱き血を資源に変えて我らを支えてもらいたい」


 熱い説法に周りの信者たちが唱和する。市場の客たちは取り巻きながら疲れた表情で聞いていた。


「………………なにあれ?」

「ヤケになってるんだよ」


 女神は唖然とし、カイは呆れていた。


「終末思想ってやつさ。“俺たちは苦しんでいる、だけど神は助けてくれない”、“なら世界は終わればいい”って具合に考えてるんだろうよ」

「……カイ」

「何も言わなくていいぞ。何もな」


 女神には、カイが「女神とは名乗らないほうがいい」と忠告した理由がわかった。それは同時に、神が人々からどう思われているかを暗に示してもいる。

 女神は胸が締め付けられるのを感じていた。


「我ら『神は死に世界は終わり魂は解放され皆平等になる恐れず共に歩む教団』はこのターミンの市内にも聖堂を建てるべく尽力している。

 入信しともに戦う者はついて参れ。今は戦えぬ者たちも寄付は受け付けている。ともに魂の解放を目指そうではないか!」


「名前なげぇ」

「長いから誰も覚えていない。いつからか『ケイオス教』とだけ呼ばれている」


 そのうちに信者の数名が、手に鉢を持って市場の客を尋ねて回り、入信勧誘とお布施の回収を始めた。

 カイは女神にそんな様を見せるのもどうかと思い、手を引いてこの場を離れようとした。しかし、直後に場の空気が緊張する。


 ケイオス教団の反対方向から異なる僧服に身を包んだ団体が市場になだれ込んできたのだ。


「マズい、『メサイア教団』だ……」

「えぇっ今度はなに?」


「汚らわしいケイオス教徒共、民衆を惑わすな!」


 その集団は『世界を救うメサイア降臨に備え手を取り合い天に至る使徒の集まり教団』、と称する新興宗教だった。

 巷では『メサイア教団』と略して呼ばれる彼らは、この苦しい時代を乗り越えた先に救世主が現れ、人々を救済するだろうと触れて回っていた。

 その教義を体現するかのように僧服は清潔さを旨とした清冽さに包まれていて、ケイオス教団の清貧、地のままといった出で立ちとは対照的だった。


「このような時代だからこそ皆で手を取り合わねばならぬのだ、破滅だなんだと人々の不安を煽り立てるでない!」

「愚かなっ、神々が我々に何をしてくれたと言うのだ!? 今まで盲目的に信じてきた世界が偽りのものだったと何故気づかない?

 あの日、空が裂け大地が鳴動した『大災厄』の起きたあの時に、全てがまやかしだったと目に焼き付けなかったのか!」


 対立する二つの教団の論争は次第にエスカレートしていき、やがて掴み合い押し合いから乱闘に発展した。騒ぎを聞きつけた衛兵たちが市場に駆けつける一方で、争いから逃れようとする市民が波のように押し寄せたことで混乱に拍車がかかった。


「マズい、あいつどこに行った!?」


 カイは人混みに押し出されて女神とはぐれてしまった。人混みを掻き分けて市場に戻ってみるが、目に入るのは信者たちの乱闘とそれを鎮圧する衛兵たち、あとは野次馬がいるだけで、女神の姿は見当たらない。完全に見失った。


 名前を呼んで探そうにも、仮の名前もまだ決めきっていなかった。判断の遅れを嘆きつつ、カイは町中を回って女神のあの目立つアッシュブロンドの姿を探し始めた。



 ***



「邪教徒は町から出ていけ!」


 拳を握ったメサイア教徒がケイオス教徒を追いかけ、街路を走る。それを陰から見送った住民は「アンタらだって新参じゃないか」とこぼした。

 争いは飛び火するように場所を変え、小規模な取っ組み合いが各所で展開される形となる。その一場面が街の隅で繰り広げられていた。


「破滅が望みなら自分たちだけでするがいい!」


 メサイア教徒のパンチは大ぶりでケイオス教徒の顔を逸れる。反撃にケイオス教徒は相手の体を掴み、地に投げつけた。


「言葉ばかりの偽善者共がっ、お前らの言う救世主はいつになったら現れるのだ!?」


 追い打ちに蹴りつけるケイオス教徒だが、メサイア教徒の仲間がカットに入りまた拮抗状態に陥る。


「猫を崇めよ!」

「終末終末言いながら集めた布施を何に使っているんだ!」

「信者を養うにも金がいる!」


 数人がかりで畳み掛けるメサイア教徒に対し、遊撃の位置にいたケイオス教徒が不意に飛びかかる。それを合図に一転攻勢に出たケイオス教、叩く、蹴るの連続攻撃で袋叩きだ。


「武器でも集めて反乱を企んでいるのだろう、ケイオス教徒は民衆の敵だ!」

「そういう貴様らこそ、難民を集めて何を始める気だ、国でも造るのか!?」

「彼らには救世主の保護がいる!」

「猫を崇めよ!」


「……」

「……」

「ようやく落ち着いたなオマエタチ」


 猫が立っている。僧服を着た猫だ。彼はニャーマン族という種族で二足歩行の喋る猫である。


「争いはなにも生まないぞ。猫を崇めよ。手始めにこの猫をモフっていいぞ、さあ遠慮するな」


 猫は自慢の毛皮を示しながらメサイア、ケイオス両教徒に仲直りを促したのだ。




「すっこんでろ!!!!」


 メサイア教徒とケイオス教徒のツインラリアットで猫は吹き飛ぶ。そんな憐れな猫は放っておいて、再び二つの教徒たちの乱闘が再開された。


「おごごっグハァッ! ゲボッオゲゲゲゲ……。あぁなんて乱暴な奴らなんだ……神々もドン引きしているだろうに」

「大丈夫、猫さん?」


 猫を助け起こす者がいた。厚意に甘えて立ち上がった猫は、相手の女性が持つ不思議な美しさに束の間、目を奪われた。


「……に、にゃあん、ごろにゃぁん」

「大丈夫そうね。あんな危ない人たちを止めようとするなんて、勇気ある人だわ」


 女神は猫に笑いかけた。


「ゆ、勇気だなんてものではない。猫はただニャーマンの教えに従い、奴らの悩みを消してやろうと思って」

「ニャーマンの教え……また別の宗教の話出てきた……」


 女神はなんとも言い難い気持ちを持て余す。


「人は猫を愛でると嫌なことを忘れるという。だからニャーマン族は、他種族の悩みを解消してやるため、多くの者が世界を渡り歩く巡礼を行っている」

「皆の苦しみを減らすために旅をしているってこと? それはいいことだわ」

「に、にゃあ、我々ニャーマンは知性と精神の生き物だから」


 照れる猫を見ていると実際にモフってみたくなる女神だったが、今はその衝動は抑え、暴徒と化した信者たちに向き直る。


「私も自分にできることをやってみないとね」

「にゃ? ななな、アンタまさか……」

「あなたたち、争いはやめなさい!」


 女神の凛とした声が響き渡る。だが興奮した信者たちには中々届かない。まだ殴り合いを続けていた。

 だが衛兵もこちらまでは手が回らないだろう。この騒ぎをどうにか終わらせたい女神は、もう一度腹に力を込めて呼ばわった。


「メサイア教とケイオス教とかいう人たち、ケンカはそこまでー! 一回落ち着きなさいってーの!」

「ウラァ!」

「殴れ殴れ!」

「聞けーーーー!」


 乱闘は一向に止まらない。女神は額に青筋を浮かべ拳を握りしめると、群衆の中に勢いよく進み出た。


「お嬢さん危ないよ!」


 猫の声もすでに聞こえない。今からここは女神のリングだ。


「テメェらなぁーっ!!」

「ごふぅっ!?」


 女神のダブルラリアット! メサイア教徒とケイオス教徒が一人ずつ跳ね跳んでいきダウン!


「こんなザマ見せられたらなぁーっ!!」


 ケイオス教徒にジャーマンスープレックス! ケイオス教徒が断末魔も上げずにノックアウト!


「神様だってなぁーっ!!」


 メサイア教徒を持ち上げボディスラム! メサイア教徒は複数の信者を巻き込みながらリングアウト!


「悲しくなるだろーがぁーっ!!」


 無慈悲なローリングソバットでケイオス教徒が縦回転し頭から落下! 首が嫌な方向に曲がった!


「立てオラァ!!」



 ***



「お前の名前は?」

「めが……な、なまえは……」


 ターミンの町、監獄内の取調室にて女神は尋問されていた。石壁に囲まれた寒々とした空気が身に染みる場所だ。


「出身はどこだ?」

「しゅっし……しゅっしんは、ですねぇ……」


 町中での乱闘騒ぎはようやく収束し多数の逮捕者を出した。女神もその一人だ。

 別の取調室ではメサイア教、ケイオス教の信者も尋問を受けている。両者の言い分を聞いているらしく、時々罵り合いの再燃が聞こえてくる。


「向こうは時間がかかりそうだな。こちらは早く終わらせたいのだが」

「は、はひぇ……」


 尋問官のウンザリしたような声がまとわりつくが、女神はしどろもどろで答えにならない。


「いや本当にね、このお嬢さんは私を助けてくれただけでして」


 共に連れてこられたニャーマンの猫が女神を擁護する。女神はこの猫にまたたびをあげたいと思った。


「だから解放してあげてもいいのでは?」

「この件は宗教団体同士のケンカだ。直接関係が無いことはわかっている。……十人も打ち倒したのはやりすぎだがね」


 この手の事件は初めてではないのだろう。尋問官も呆れた風であるが、それとは別の問題がある。


「注意で済ませたいところだが、名前も出身もわからないでは処遇に困るのだよ」


 尋問官は頭を悩ませた。女神も悩んだ。名を名乗るとして、“女神ディーヤ”などと言える空気ではない。偽名も結局まだ考えておらず、そもそも偽証がバレれば問題がこじれる。女神は細かい地名も把握していないためすぐ露見するだろう。自然、黙秘して粘るしかなくなっていた。


 ふいに扉がノックされ、衛兵が入ってきた。


「おい、もういいそうだ」

「なに?」

「身元引受人が来た」


 衛兵の後から部屋に入ってきたのはカイだった。その姿に女神は心のなかでガッツポーズをする。


「聖火隊の者です。東方への調査任務の帰りにこの町へ寄っていたのですが」


 カイは証明となるよう隊の紋章と命令書を尋問官に見せた。


「この女は“アッシュ”という名で、任務中に自分が保護した者です」

「名はアッシュ……と。どこの出の者だ?」

「それはわかりません」


 わからない、という回答に尋問官は怪訝な顔をするが、カイはかまわず説明を続ける。


「わからないのです。この女は故郷が襲撃されたか、幼い頃にさらわれたかして、戸籍が見つけられないのですよ」

「あぁ……」


 その瞬間、尋問官の頭の中で様々なイメージが流れストーリーが構築され、女神に対し哀れみを浮かべた視線を見せる。「大変苦労したんだね」という想いがその目から伺えた。


(違うねん……)


 いたたまれなくなった女神は早くこの尋問が終わってほしいとただ願った。


「事情は承知した。聖火隊の者が身元を引き受けるというのなら、そちらに任せよう。上官とも話をつけてくるから少し待っていろ」


 尋問官が部屋から出ていくと、女神とカイの間に微妙な空気が流れる。


「……ずいぶん探したんだぞ」

「……ごめんなさい」

「……」


「怪我は」

「え?」

「怪我はしてないか?」

「大丈夫……怪我させちゃった人はいるけど」

「あいつらのことだろう、あまり気にするな」


 別室の宗教家たちの調べはまだ続いているようだった。そこに担当の尋問官が戻ってきて釈放を告げる。


「話は済んだので、この二人を聖火隊にお任せする。連れて行ってくれ」

「ご迷惑をおかけしました」


 頭を下げたカイは、尋問官の言った「二人」という言葉に違和感を覚える。

 振り返って取調室を見渡すと、そこにはにこやかな笑顔が眩しい二足歩行の猫がいた。



 ***



「おかげで猫も早く出られた、礼を言うよ」

「いや、こちらの連れが世話になったみたいで」


 カイと女神、そして猫の三人は監獄を出て町中に戻ってきた。時刻はすでに夕方を過ぎ、夜の帳が降りかかっている。


「猫の名はウルフという」

「狼じゃん」

「こうして出会えたのも神々のお導きだろう。お礼に渡せる物といえばこのニャーマンの教典ぐらいしかない。受け取ってくれるだろうか?」


 手渡された本はニャーマン族に伝わる神話や教義が挿絵付きで書かれたものだが、女神にはパッと見で猫画集にしか見えなかった。


「あ、ありがとう。後でじっくり読んでみるね」

「それじゃ猫はここらでサヨナラするよ。あんたたちの道行きに猫が通りかかりますように」

「じゃあね猫ちゃん」


 謎ばかり残して猫のウルフは夜の闇に消えていった。


「よくわからん猫だったが……俺達もさっさと宿に行こう。部屋を取る暇もなかったから空きがあればいいが」

「ところでさあ、カイ?」

「なんだ?」

「さっき“アッシュ”て言ったの私の名前?」

「あぁ……咄嗟に髪の色を見て呼んだだけだ。後でもっといい名前に変えていいぞ」


 カイは女神の豊かなアッシュブロンドの髪を見ながらそんなことを言った。


「アッシュかぁ……今の私にはお似合いかもね」

「いいのか?」

「うん、これからは“冒険者アッシュ”! これね!」

「いつから冒険者になったんだ」


 多少呆れながらカイが歩き出すと、アッシュもそれに肩を並べる。

 肌寒い夜、松明の灯りに照らされながら二人の影も闇に溶け込んでいった。

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