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1話:降臨

 男はふと空を見上げた。

 代わり映えしない曇天の空だ。時々雲間から日差しがこぼれ落ちることもあるが、一年のほとんどは曇り空である。

 古い言い回しに“青空”とか“快晴”なんて言葉があるが、今の若い世代はそんなもの拝んだことがないだろう。それはこの男にしても同様だ。


 二十年以上前の『大災厄』で世界は一変してしまった。あれは人類と魔族の戦いが最終局面を迎えた時期だ。

 男はその時まだ生まれておらず、人から伝え聞いた程度のことしか知らない。だがそれぞれの勢力を代表した『勇者』と『魔王』の戦いは凄まじく、地を割り空を灼く勢いだったという。


 長きに渡った戦いは破滅的な終わりを迎えた。

 魔王の居城に攻め込んだ勇者、迎え撃った魔王。二人の最後は詳しく伝わっていない。ただ魔王城を中心とした大爆発によりあらゆるものが破壊されたこと。それが厳然たる事実だった。

 その影響は世界中に波及し、ほぼ全ての国と民、魔物も魔族も区別なく地上の生命全てが被災することとなった。


 あれ以来、世界は夏を迎えていない。舞い上がった粉塵が空で厚い雲を作り日差しを遮っている。

 特に冬は長く過酷さを増し、一年の半分は雪が降るようになった。

 否応なく生命活動は後退し、人々は無慈悲な雪に晒されながら時折、星も見えない空を見上げては恨み言を呟く。



 

 男は空を見上げていた。

 雲以外何もない空だが、別に何かを探したわけではなかった。ただ頭上からかすかに光が照らしてくれた気がしたので、不意に顔を上げただけのことだ。

 よく見ると、真上の雲にぽっかりと丸い穴が空いていて、そこには確かに空の青が覗いていた。


(空って本当に青いのか)


 不思議な光景だった。原野の一箇所だけが生気を取り戻したように明るい。その中程に男は立っていた。


(……?)


 男は何かに気づいた。直上に小さな黒い点が見える。鳥かと思ったが動きが違う。

 その点はすぐに大きさを増し、男は嫌な予感がした。


(何かが落ちてくる?)


 咄嗟に身構えた。石か何かだろうか。何故こんなところで――考えている時間は無い、激突はもうすぐだ。男は逃げようと脚を動かした。

 落下点。速度。危険。駆け出す刹那、男の目はその落下物の輪郭を捉えた。


(……人か!?)


 そう思った瞬間、腕を伸ばしていた。

 ――直後、衝撃が全身を容赦なく殴りつけ男の意識は瞬時に弾け飛んだ。



 ***



 ……朦朧とする意識の中、男はもがくように手を伸ばした。

 白濁した視界に誰かがいる。

 女性のようだが何者か、ここは何処かなどといったことは忘れ、男はその顔を見つめた。


(……泣いている)


 涙を流しているがそれは悲しみによるものではないとわかる。何故ならその女性は泣きながら微笑んでいたからだ。

 男はなにか言おうとしたが声は出ない。せめて手を伸ばし涙を拭おうとしたが、どうしてかそこまで届かない。

 その代わり手には柔らかな弾力が返ってくる。


(なんだこの……)


 どれだけ伸ばしても跳ね返されるため手先の感覚で探りを入れる。柔らかでそして温かい。

 その生な触感が徐々に男の意識を覚醒させていく。


「あふん……」

「……」


 意識がはっきりとした。さっきとは打って変わり、陽は落ちて薄闇の中である。

 そして男の眼前、息が当たるほど近くに女の寝顔がある。


「夢か?」


 男は呟いてみたが、何が現実でどこから夢なのかもうわからない。それを確かめるように手を動かす。


「ん……えっちぃ」

「……」


 瞬間、男は体を跳ね上げ布団も吹っ飛んだ。粗末な毛皮製の寝袋は男の持ち物である。

 問題はその中で“見知らぬ女性と一緒に寝ていた”ということだった。


「何がどうなって?」


 追い打ちをかけるように気づいてしまうのは“二人ともほとんど服を着ていない”という状況だ。男は急速に血の気が引くのを感じた。


「ううん、布団持ってくなぁ……」


 トドメと言わんばかりに女が目覚めた。

 暗がりの中で女の肢体が起き上がるのが見える。キレイだなと、男は場違いな感想を懐きつつ、自分はこれから死ぬのだと決めた。


「寒っ!」


 言うが早いか、女は蹴飛ばされた寝袋に飛びつき包まった。夏が来なくなったこの世界では夜になれば相当な寒さになる。ましてや服無しでは耐えられるはずがない。


「うぅぅぅ冷える……あっ目が醒めたんだ、良かった!」

「……」


 女の明るい声には応えず、男は近くにあった荷物を開けて短刀を取り出す。


「セップクする」

「……はい?」

「アンタを辱めてしまったので、死んで詫びることにする」

「ハァッ!?」


 男は座り込むと腹に刃を据え、今まさに腹を掻っ捌かんと精神を集中し始めた。


「待って待って待って何もしてないから! せっかく助けたのに死なないでー!」

「飛びつくな刺さる!」



 ***



 枯れた草や枝を集め、男が火打ち石で火を起こす。河原で野営の支度が途中だったことが幸いし、すぐに焚き火の熱が周囲を温め始めた。


「ん~~~暖かい……。私こういうので火点けたことなくってさ」

「まさか暖を取るために、その、一緒に……?」

「いや私も迷ったのよ。乙女がはしたないと思ったけど、焚き火も無しじゃ凍え死にしそうだからご一緒させてもらおうかなーって感じにね?」

「乙女ね……」


 女が焚き火にあたってくつろぐのを見届けてから、男は半端にしていた衣服を整える。

 が、その服はところどころ破れ、袖は片方無くなっていた。おまけに汚れて湿っている。


「この汚れは血の跡か?」

「ゴメンねお兄さん、上手く洗いきれなくて……」


 話を聞くと、男が大怪我をしたところを女が手当してくれたようだった。

 その間の出来事を男はまったく記憶していないが、よほどの怪我であったのか。服の汚れ具合から見てもだいぶ出血した様子だが、体に傷跡は残っていないのが不思議だった。


「まさかアンタ魔法使い? 治癒魔法でもかけてくれたのか?」

「ん~まあ、そんなところ?」

「はっきりしないんだな。まあいいか」


 男は女のそばで両膝を付き深く頭を下げた。東方に伝わる礼儀作法の流れが見て取れる。


「アンタには命を助けてもらったようだ、感謝する。俺の名はカイという」

「あ、あんまり気にしないで。名前か……私はね」


 女は少し言いよどんでから一つ咳払いして名乗る。


「私は女神ディーヤ」

「メガミ……ディーヤ?」

「この世界を創った女神のディーヤ。様はつけなくていいよ」

「へえ女神……へえ……」

「あぁー信じてない!」


 女神を自称した女は子供っぽくいじけた。言葉や仕草はやや幼い。だがその容姿は控えめに言っても非常に整っていた。

 瞳は炎を照り返して不思議な輝きを放っている。色素の薄い髪は豊かに絹のようなしとやかさで、思わず手を伸ばしたくなるほどだった。


(夢の中で泣いていた人に似ている……)


 カイは先刻見た夢のような時間を思い出す。


「ん、惚れたかな?」

「……」


 目をそらしたカイは強いて思考を巡らせた。まだ記憶がつながりきっていないので整理しようとする。


 職務の途上であったカイは近くの町に向かっていたがまだ遠く、日が落ちる前に野営の支度をすることにした。

 荷物は河原にまとめ焚き火に使えそうな枯れ木などを探したが、これが中々見つからないのだ。空が雲に覆われ植物が全体的に生育が悪く、森を離れると手頃な樹木は見つけにくくなる。

 少し足を伸ばしながら薪を集めていた、そんな時だった。カイを陽の光が照らし、見上げるとそこでは……。


(……どうしたんだっけ?)


 そこから自称女神と寝ているのに気づくまでの記憶が無い。数時間ほどの空白だが、その間に負った大きな怪我が関係しているのだろうか。

 

「なんだかまだ夢の中にいるみたいだ……」

「大丈夫、あなたはちゃんと生きているし異世界にも飛ばされてないから」

「異世界ってなんだ……」


 ブルルと小さないななきが聞こえた。焚き火から少し離れたところに馬が一頭座っている。カイが共に旅をしてきた仲間だ。


「あの子がカイを運ぶの手伝ってくれたんだよ」

「そうか。男一人運ぶにはアンタじゃ荷が重そうだものな」


 そばに寄ってその背中をなでてやるカイ。馬は人の友として古くから大事にされてきたが、大災厄以降は家畜の飼育、維持も一層困難な環境となっており、馬一頭が持つ意味も重さを増している。


「なんていう名前の馬なの?」

「『トテモハヤイ』と呼んでいる」

「…………『トテモハヤイ』?」


 女神は怪訝な顔でオウム返しに聞いた。


「俺の血筋は遠く東の国から渡ってきたそうでな。行ったことはないが、趣きを感じられる名前をつけたつもりなんだが」

「へえ……イイ名前ナンジャナイ?」


 二人の会話はどこかすれ違いをはらむが、警戒感はすでに無く打ち解けられそうだった。


「それで……ディーヤ? 聞きにくいことだが」

「ん、なぁに?」

「どうしてその、服を着ていないんだ?」

「あーそれは……」


 こんな荒野の只中を、服も道具も無しの手ぶらな女が一人歩くなど、ただ事ではなかった。あるいは何処かに囚われ、身一つで逃げ出したのか、と非常事態も想定したカイだったが、やはり女の答えは鮮明さを欠く。


「衣服だけを溶かすスライムに出くわして」

「……」

「ごめんなさい冗談です」

「そんなスライムがいるのか……」

「冗談だって、服は燃えちゃったの」

「服だけが?」


 こんな調子である。降って湧いたかのような謎の女だった。


(降って……)


 頭の辺りが痛むのを男は感じた。頭の奥で何かが引っかかっているようなもどかしい感覚だ。


「お兄さん、まだどこか痛いの?」

「いや、なんでもないよ」


 カイは身支度を進めた。ベルトには小物を詰めたバッグを下げ、東方風の反りがある刀を履く。革の胸当ても身につけたが手袋は片方失われていた。これも怪我をしたときにどこかへ行ったのだろう。


「お兄さん、その格好で寝るの?」

「アンタは先に寝てていいぞ」


 カイの目は真剣な眼差しに変わっていた。


「――夜は“魔”の時間だからな」


 また馬がいななくのが聞こえる。少し不安そうな響きだ。

 カイは小瓶を一つ取り出すと、中の液体を少量だけ焚き火に垂らした。火は勢いを増しバチバチと音を立て、辺りに不思議な香りが漂う。

 女神はその整った眉を若干しかめた。


「んん、なにこの匂い?」

「『聖油』だけど知らないか?」

「私はこの世界の細かいことまでは――」


 言いかけて、咄嗟に女神は周囲に目をやる。


(この女、なかなか鋭いな)


 周囲は奇妙なまでの静寂に包まれていた。闇は一層濃くなり空気が重く、冷たくなって感じられる。


「――イ、――ク――」


 霧とも煙ともつかない何かが闇の中に浮かぶ。その数は一つ二つと増え、カイと女神とトテモハヤイを取り囲んでいた。


「ニ、ク、イ」

「クル、シ、イ」


「え、えええ、なになに?」

「死霊の群れさ。アンタはトテモハヤイと一緒にいてくれ」


 女神はトテモハヤイが馬の名前だと理解するのに一瞬、二瞬の間を要したが、言われたとおり手綱をたぐって握りしめた。


 それは人の命の成れの果て、肉体を失ってなおこの世を彷徨う死者の群れである。

 この地がかつて古戦場だったのか処刑場だったのか、あるいは流民が野垂れ死んだ場所なのか。そんなことわかりやしないが、大災厄以降、各地でこのように死者が彷徨い歩くことは珍しくもない。死人には困らない時代だ。


「おおおお化け、どうするの!?」


 狼狽する女神を尻目に、カイは黙って刀を焚き火の炎にかざす。そして静かに言葉を紡いだ。




「 魔を祓う 光となれ 」



 

 それは聖句。祝福を受けたものが力を行使するための合図だ。その言葉に応じるように刀が炎に包まれ青白く輝いた。

 男は駆け出すと一閃、炎の剣が死霊たちを薙ぎ払いその体を焼き払う。


「ッッッッ――――!」


 死霊は言葉にならない叫びを上げながら雲散霧消していった。


「イィヤーこっちにも来るぅ!?」


 女神の悲鳴である。反対側からにじり寄った死霊が焚き火の近くまで達していた。

 だがどうだろう、死霊たちは戸惑うようにして立ち止まり動けずにいる。


「あっこの匂いか……」


 女は気づいた。聖油の揮発した焚き火周辺は魔物や霊を遠ざける安全地帯となっていたのだ。

 その間にカイが再び剣を振るうと、炎が鞭のように跳ねて死霊を打ち払った。

 焚き火を中心にして右に左に炎が踊る。そのうちに死霊の姿は消えて、後には木の焼ける匂いと香が立ち込めるだけとなった。


「聖油の香が広まって、弱い魔性はもう近づいてこないだろう」

「……」


 女神は呆けた顔で事の顛末を見ていた。


「なんていうか、すごいね。あなた魔法戦士とかっていうやつ?」

「魔法なんて大げさなものじゃないさ。『聖火隊』といって、俺はそこのレンジャーだ」


 『聖火隊』とは、炎に聖なる力を与え魔を祓う戦闘部隊であり、カイはそのレンジャー、つまり斥候や巡回を任務とする戦士である。


「夜の間は俺が見張っているから、アンタは眠るといい」




 ***




 ゆっくりと夜が明けて、ささやかな温もりと明るさが地上に蘇る。

 カイは夜通し見張りをしていたが、レンジャーという役割上慣れたものだ。今は灰だらけになった焚き火を今一度燃やし、携帯食の干し肉を炙っている。

 一方女神は手足を放り出したまま眠っていた。


「寝相の悪い女神だ……」


 そもそも本当に女神なるものか疑わしいが。

 最寄りの町へはまだ少し距離があるため時間を無駄にできない。カイは女神を慎重にゆすって起こしにかかる。


「うぅんあと一時間寝させて……」

「肉が焼けているぞ」

「起きた」


 腹ごなしを済ませ野営を片付け、二人は出発した。

 女性を裸で歩かせるわけにもいかないため、女神はカイのマントをまとっている。早くこの格好もなんとかしたいが、街道を外れて“あること”を確認すべく寄り道した。

 丘を越えたすぐそこに“それ”はあった。


「何だこりゃ……」


 巨大なクレーターである。直径50ナガシス(約50メートル)はあろうかというボウル状の穴が荒野にぽっかりと空いていた。

 無論人為的に掘れる規模ではなく、巨躯で知られる巨人族が掘ってもこうはならないだろう。


「ここで俺は怪我をしていたのか?」

「う、うん。いやぁ死ぬところだったよ」

「まったくだよ……」

「いやその、ごめんね私のせいで……」


 女神の言い方に引っかかるものを覚えつつ、カイはクレーターの内部に降りてみる。地面がすっかり掘り返されていて粘土や岩が露出するほどだ。

 ふと土に埋もれた物体が目に留まった。

 近づいて引っ張り出してみるとそれは腕だった。千切れた人間の腕だ。ボロボロの手袋をしているが見覚えがある。間違いなくカイの失くした一方の手袋だった。


 これはカイの腕だ。本人はそれを確信して背筋が凍るのを感じた。

 ――ごめんね私のせいで――女神の言葉が反響して記憶が刺激されたのか、カイは昨日のことを思い返す。空から何かが落ちて来て……。


 振り返るとそこにはすでに女神が佇んでいる。


「……アンタいったい何者なんだ? 俺にいったい何をした?」


 女神の瞳は不思議な輝きを宿したままカイを真っ直ぐ見据えていた。

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