9話:空の青
◆あらすじ
災厄は去り新たな一歩を踏みしめる。
ターミンの町を襲った災獣騒ぎは城壁の一部を破壊し、市外の原野に少なからぬ汚染を残して終わった。
だがこの程度の被害で済んだのなら幸いな方である。数名の死傷者は出たが、町一つ壊滅してもおかしくないのが災獣という脅威である。城壁はまた積み上げられる。汚染は浄化作業をすれば元に戻せる。今はこの町が無事に新しい日を越えられたことに、人々は安堵の表情を浮かべていた。
猫のウルフは被災した町の復旧作業を遠くから眺めていた。ニャーマン族の巡礼者である彼は、偶然この町で滞在中に災獣騒ぎに巻き込まれた。
だがその災獣も何者かによって倒されたと聞く。人々は勇者の再来か、魔法使いが現れた、聖火隊の戦士を見たなどと噂し合ったが、誰も詳しいことがわからない。
農地や草地は掘り返され、ところどころ黒々と侵食されている。災獣が歩んだ跡は黒くただれて変色し、植物の生育などは見込めなくなる。聖火隊が使う聖油などで浄化すればその地は再生するが、ここらの農園の今年の収穫は目減りするだろう。まさに災獣とは災害なのである。
「なにやら厄介事があったみたいだなあ」
男の声がした。振り返ると馬に乗った壮年の男が、ウルフ同様に被災跡をみやっている。ターバン風の被り物に旅装姿。今ちょうどターミンの町を訪れたという様子だ。
「災獣がこの町を襲ったのだよ」
「へえ、こんなところに?」
「本当だとも。いや、猫はこの目で見ていないけれど、悪魔のような唸り声が地下の避難所まで聞こえていたからな」
ウルフの答えに男が怪訝な反応をしたのは、災獣の現れやすい土地が辺境の汚染地帯に多いため、単純に意外だったのだろう。
だが周囲の荒れようは災獣に穢された特徴を示しており、男もすぐに呑み込めたようだった。
「それはまさに災難だったが、町は破壊されずに済んだわけか。災獣は今どこに行ったんだい?」
「あれだよ」
ウルフが指で指し示した先には災獣が果てた場所がある。一際汚染が大きく、災獣が死んでできた灰が小山のように積まれたままだ。
「おいおい猫さんよ、なにを言ってんだ?」
「退治されたんだよ」
「ほう、そりゃあマジかよ」
男が驚いたのも無理はない。例えるなら災獣を撃退したなどと言うのは大型のドラゴンを退治したと言うに等しい。単純に比較するのは難しいが、それほど災獣は人類にとって脅威となっていた。
ちなみにドラゴン種はかつて世界の各地に棲息し、魔物の中でも特に上位にカテゴライズされていた。だが勇者とその仲間たちに素材目当てで狩り尽くされ、今や災獣以上に珍しい存在となってしまっている。
「この田舎町にそこまでの戦力があるとはな」
「いやそれが、町の兵士が太刀打ちできないのを誰かが一人か二人ぐらいで倒してしまったそうだ」
その言葉に男は止まった。動きが、思考が、感情が、傍目で読み取れる情報の一切が一瞬止まったように見えた。
「本当かい、いったいどんな奴が?」
「猫はそこまでは知らない。衛兵に聞いてみたらいい」
「そうしてみよう」
男の気配が少し変わっていることにウルフは気づいている。羽織っていたマントの下にチラリと剣も見えた。
傭兵か賞金稼ぎか……いずれにしても深く関わらないほうが良いと判断したウルフは、そこで男と別れて旅路についた。
ウルフはアッシュとカイを町で探してみたがついに見つけられなかった。やるべきことのためと出ていったあの女性が無事であれば良いと祈りつつ、巡礼の旅は続く。
***
「熱は下がったみたいね」
アッシュが水で濡らした布巾をカイの額に乗せた。寝袋に横たわるカイの表情は冴えないが、昨日の苦しそうな容態からは回復しつつある。
森の狩り小屋で二人は休息していた。ターミンを去ったすぐ後、カイの具合が急速に悪化したために、ハンターの使っていた狩り小屋を急遽借りることにしたのだ。とはいえ鍵がかかっているため納屋にいるだけだが。
アッシュは鍵をこじ開けてでもカイを小屋で休ませようとしたが、カイが違法に侵入はできないと断ったためそうなった。
もっとも家主のハンターは災獣に返り討ちに遭ったため小屋は空き家となった。主を失ったこの場所が今後どうなるかは二人の知るところではない。
「そういえば、あのハンターの人が亡くなったこと、誰かに伝えておいたほうが良かったかな」
「……まあ、そのうち嫌でもわかることだろう」
気だるそうにするカイの症状は単純に言って過労である。女神の祝福を利用して災獣に勝利したが、その代償として甚大な反動を被ったのだった。
「まだ苦しい、カイ?」
「いや、じきに動けるようになる」
「今日一日はここで休もっか」
食料は数日分持っていたし近くに小川もあるためニ、三日なら滞在できる。アッシュもテキパキと世話をしてくれるためカイに不便は無かった。
「この祝福とやら、傷も痛みもすぐに回復していたのに後から反動が来るのか」
「あなたが失ったのは、体力じゃなくて魔力のほうなの。ほら『女神アイ』で見るとマイナス100になってる」
「……その特技、力んで表情がヤバいことになってるぞ」
魔力とは全ての生物が潜在的に持つ力だ。しかし、それを力として行使できるのは訓練された魔法使いぐらいで、一般人には馴染みが薄い。
「……なんでも思い通りとはいかないもんだな」
「でもすごく頑張ったよカイ」
「……最初に会った時」
カイの言葉にアッシュがギクリとした。それは今までなんとなしに踏み込まないできた話題だった。
「俺が怪我をしたというのは……」
「……」
「あんたが天から降ってきたからか」
あの瞬間の出来事を今は朧気に思い出せるようになっていた。女神が天界から落下し、その直下にカイがいたために二人は出会った。と同時に、女神が地面に激突するのに巻き込まれたわけであるが。
あの時カイは思わず手を差し伸べた。落ちてきたのが人だと気づいた時、そうせずにはいられなかった。おかげで右腕が持っていかれて、クレーターの中に腕だけが埋まっていたのだと今ならわかる。
「……カイ、あなたを巻き込んでしまったこと本当にごめんなさい。この祝福もそう。
あなたは瀕死の状態だったけど、私には他人の怪我を治す魔法なんて使えなかったから。祝福を与えて自己の再生力で生き延びてもらう、そんな手段しか取れなくて。
そのせいで、あなたに重いものを背負わせてしまったわ」
「……」
「ごめんなさい」
いつも明るいアッシュが今はカイと目を合わせることもできずにいる。それがカイにはいたたまれなかった。そんなことを言わせたいわけじゃあないのに。気力だけでも振り絞って必要な言葉を探す。
「感謝してるよ」
「え?」
「アッシュがいなかったら、この祝福が無かったら、あの災獣を倒すことはできなかったから。本当に、あんたがいてくれて良かった」
「そ、そう?」
アッシュは眼に涙が滲んだため急いで顔をそらした。
(また泣いちゃったな……)
女神が、アッシュが地上に落ちる前。
厚い雲に覆われた地上世界は天界から観測不能になった。そのため生物たちは死滅してしまったのではないかという危惧まで浮かんだが、その懸念は地上に降りて拭われたのだ。
彼女が初めて出会った地上の生命、カイの存在によって、世界が、生命が、文明が滅んでいなかったのだとわかり、女神は思わず涙を流した――。だがその生命が自分のせいで失われそうになったため、緊急でカイに祝福を施したのが事の顛末である。
しかし天界から神が墜落するなど良い笑いものだった。世界の平穏も保てずこんなところで露頭に迷い、空へ還ることもできずにいる。
酷く惨めな気持ちをしてきたが、地上に来て良かったと思えることもあった。
人々の暮らし、動植物の営み、そこにある悩みも苦しみも、空の上からわかるなどとは言えやしない。この数日に目で見て、肌で得た感触はとても新鮮さに溢れていた。
自分はようやく創造した世界を知るためのスタートを切ったのだと、そうアッシュは思えるようになっていた。
それにしんどい事ばかりでもない。少なくともアッシュは、最初に出会ったのが、祝福を与えた相手がカイで良かったと思っている。
――ガサッ。
物音聞いて二人は顔を合わせる。立ち上がったアッシュが慎重に扉を開けると、足下に兎が二羽転がっていた。いずれも息の根は止まっていて、誰かが狩りで捕った獲物のようだった。
「あ――」
アッシュは森に駆け込む小さな背中を見つけた。あれはゴブリンだろう。森の奥の住処を災獣に荒らされた、あのゴブリンたちかもしれない。
「おすそ分け……てことかな?」
「新鮮な獲物だな。ありがたい」
彼らゴブリンたちは集落の再建を果たせるだろうか。アッシュは彼らの先行きにも希望があればいいと願った。
「ありがとー! 元気でねー!」
アッシュの声が森に木霊し吸い込まれていく。木々の枝葉が返事をするようにざわめいていた。
カイが兎を捌いてその日の夜に食べることにした。手持ちの食料は保存食が多いため、生の食材は鮮度が良いうちに味わう。兎は無駄なく食べるため内蔵や軟骨まで細かく刻んで煮込んだ。
「キノコも採っておいたよ、これも食べる?」
「それは毒キノコだな」
「あっはい」
「地上に長居するのなら食べられるキノコや山菜も教えようか」
出来上がった兎肉のスープは塩と香草だけの質素な味付けだったが、アッシュ自身も手伝った料理は十分に味わえた。
「そういえば、私こうして食材から自分で手を加えて食べるの初めてかも……」
「天界ではどんなものを食べてたんだ?」
「んんっと簡単なものが多いかな。最近は面倒だしエナ……栄養だけ摂る感じの……」
「楽園で豪勢なものを食べてるわけでもないんだな」
カイのイメージする天界の食事風景はというと、澄み渡る空の下、草木や花が咲き誇る庭先で優雅に果実を口に運ぶ、そんな絵画的なものを想像していた。
それを聞いたアッシュは思わず笑ってしまったが、実際の食事風景は寂しくなるので黙っておいた。地上の様子を睨みながらデータを打ち込み、栄養があるだけのドリンクをかっこむ女神の姿など知られたくはない。
「そういえば天界には他にも人がいるんだったよな」
思い出したカイは一つ尋ねてみた。災獣襲来の最中で聞かされた話だけでは掴みようがなく気になっていたのだ。カイたち災獣に打ち勝つことができたのは、天から贈り物となった謎のメイスのおかげでもある。
「いつか機会があれば礼でも言いたいところだが」
「そうだね、会えればね……」
だが帰る術は今のところ無い。遠くへ来たものだと焚き火を見ながら思い耽る。
***
翌日、カイの容態も持ち直したため狩り小屋を発った二人だが、晴れやかな再出発とは行かなかった。
「これ、雪?」
「いや、灰が降ってるんだよ」
灰色の空から細かな灰が舞い散り、大地に、森にしんしんと降り積もる。ほどなく原野は灰色に滲み外套にもこびりついてきた。
「これも大災厄の影響なの?」
「だと言われているな。ここから北の大陸、魔王の城跡は今も火山の噴火口のように灰を吐き出しているって噂だ」
その灰が魔力を帯び、世界中の魔物の活発化に影響していると言う者もいる。
音もなく灰が降り続ける景色は静かだが物悲しく、今の世界情勢を象徴するかのようだった。
「なあアッシュ。この空は本当はどこまでも青く広がっているそうたけど、本当なのか?」
「え? うん、空は青いものよ」
「そうか……。俺が生まれた頃すでに空はこのザマだ。青空なんてのは言葉だけの過去のものになってしまった」
アッシュは青空を見たことがない人がいるという事実に軽く衝撃を受けたが、考えてみれば無理もないことだ。大災厄が作り出した厚い雲は、生命活動だけでなく文化をも蝕んでいるようだった。
「……そうね、この雲さえ無ければ澄んだ青が気持ち良いでしょうね。夜になれば月と星が優しく輝いて、天の川が広がるの。時々星が流れたりして、星に願い事をすると叶うなんて言ったりしたんでしょ?」
「ああ、聞いたことあるなそういうの」
ロマンのある話をしてみたつもりのアッシュだったが、つい先日に自分も流れ星になったことを思い出し、一人なんとも言えない気持ちになる。
「天の川と言えば聞いたことがある。愛し合った男女が天の川で隔てられて、年に一度しか会うことができない、なんて話があったっけ」
「あぁ~切ないねぇ」
「青い空、星々の夜……この目で見てみたいな」
「……見れるよ、きっと」
否、きっと見れるではない。自分が多くの人々に見せてあげなくてはいけないのだ。
「私、この世界を元の美しい世界に戻したい」
「天界に戻れればそれができるのか?」
「ええ、全てはそれからね」
「なら帰る方法をなんとしても見つけないとな」
冷たい風が吹き抜けた。灰色の大地を。空を。
二人の旅はまだ始まったばかりである。
これにて第一章終了となります。ここまで読んでいただきありがとうございます。
物語はまだ続きますので、興味を持っていただけたなら今後もお付き合いくださるとありがたいです。




