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8話:祝福

◆あらすじ

天から舞い降りた。それは希望の光か、それとも。

 崩された城壁を足場にしながら駆け下り、最後は飛び降りて地面に着地した。衝撃が両脚から頭にまで響く高さだったが、そんな城壁も災獣には簡単に打ち砕かれてしまった。それを思うとスケール感に圧倒されるカイである。


 間近では、一度は地に伏した災獣が起き上がりつつある。すぐに距離をとって、目指す先は地面が燃え立つあの場所だ。


 アッシュの仲間だという天界の住人が、この地上に何かを投下したという。落下地点にはその衝撃で大きなクレーターができ、周囲の草葉が炎上していた。


 ――あの時と同じだ。カイとアッシュが出会った日。大地に穿たれたクレーター。ならばアッシュが空から舞い降りたというのも事実なのか。


 空を見上げれば貫かれた雲に大穴が開き、黒い夜空に点々と小さな星の光が見えた。それはカイが生まれて初めて見た星空だった。とは言っても、ほんの小さな穴から覗くまさに小宇宙であるが。


「あそこか……」


 情緒に浸ってもいられない。火を避けつつクレーターの中心に駆け下り、落ちてきたものが何であるか確かめようとした。まさかなにも無かったらどうしようかと不安もあったが、その懸念はすぐに解消する。


「……棒……?」


 地面に埋もれた金属製の棒。まだ熱を帯びたその物体を引き抜くと、柄の先に禍々しい頭部を備えたメイスが姿を現した。

 言葉を失う。そもそも何を期待していたのかという話だが、このメイスであの災獣を殴り倒せとでも言うのか。


「って、できるかい!」


 期待していた自分が馬鹿らしくなり、思わず声を張り上げた。魔法の杖の十本でも降ってくれば少しは違ったのだろうか。だが現実に落ちてきたのはメイス一本であり、災獣がそんな事情を考慮などしてくれるはずもない。


 ズズンッ


 地鳴りを響かせながら災獣がカイに向けて迫ってきた。


(狙いがこっちに移ったか!)


 それはそれで町が助かるかもしれない。代わりにカイは命の危機であるが。

 急ぎクレーターの坂を駆け上がるカイだが、災獣はすでに間近、その巨大な足でクレーターごと踏みつけようとする。

 そうはさせじ、カイはすり鉢状の坂を登りきり、寸前で圧死を免れた。


 そのとき災い転じてと言うべきか、災獣の前脚がクレーターに沈みバランスが崩れ、一時動きが止まった。


「これでも喰らえ!」


 カイが離れ際にメイスを投げつけ災獣に一矢報いんとする。


 ――ガオンッ!


 すると信じられないことが起きた。直撃したメイスが大きな衝撃音と共に災獣を仰け反らせたのだ。


「なっ――!?」


 思わず目を見開き、逃げる足を止める。

 メイスを投げた彼にそんな大力があるはずはない。ならばこれはメイスが特別な力を持つためであろうか。まるで神話や伝承に出てくる神々の武具だが、かの勇者や古の王も不思議な力を備えていたと伝わる。

 特にあのメイスは天から今まさに送られてきた、らしい曰く付きの武器だ。


 災獣を引きつけようと考えていたが、カイはそれを改める。メイスを拾わねば。この災獣を止められるとすればあれだけが頼りである。


(どこだ?)


 カイは立ち上がろうとする災獣の足下で落ちたメイスを探すという、平時なら発狂しそうな危険に身を投じた。おおよその距離、角度は視界の端で捉えていた。それだけを頼りに暗がりの中、草むらに手を突っ込み探る。


「あった!」


 確かにあのメイスだ。禍々しい造形と精巧な彫り込み。よくよく見れば、天空から高速で地面に激突したにも関わらず傷も歪みもない。やはり天界で造られた神秘の賜物なのだろうか。


「■■■■■■■■■――ッ!」


 咆哮を上げた災獣がカイを踏みつけにかかる。だがカイはメイスと共に勇気まで拾ったようだった。転がって踏みつけを回避しつつ、その脚に一撃見舞う。衝撃――災獣の足下が揺らいだ。


 災獣の体は黒い炎が吹き出していて近づくと熱のような病のような怖気がしてくる。形容し難い不快感を押しのけ、カイは何度も手に握られたメイスを災獣に打ち込んだ。


 ――ガオンッ! バシィッ!


 破裂音、衝撃。脚を痛めた災獣は前のめりにうずくまった。確かに効いている。小さな人間の肉体でこの災害に痛打を与えるなど奇跡だが、カイの手にも異常が起きた。

 メイスから返ってくる衝撃が大きすぎるのだ。カイの手は赤く腫れまともに握れない。だが折れない。布切れを噛んで破るとメイスを握る手に巻き付け、両手でしっかりと保持し戦いを続ける。


(長引けば負ける)


 狙うなら頭部。動きが止まっている今が好機、一気に接近してメイスを振りかぶる。


「――ッ!」


 再び災獣の叫び声。だが今度はただの叫びではない。唸りとともに災獣の体中から黒い炎が激しく吹き出し、カイの体を軽々と吹き飛ばした。




 全身に痛みが走る。黒い炎に焼かれた痛み。穢れに染められた苦しみ。肉はただれ黒く染められてしまった。

 彼が絶命するか意識が飛んでいればまだ幸福であったが、なけなしの精神力で意識を保ち、余計苦しみにもがいている。


(無理なのか……)


 多少の時間は稼げたかもしれないが、結局それだけのこと。あの時と同じだ。村が災獣に飲み込まれた昔、家族を全て失ったあの日も自分は無力だった。


 地響きがする。災獣が立ち上がっただろうか。だが体は指一本動かせない。

 再びの地鳴り。地面を伝って聞こえてくる音。今度は連続している。この音はカイにも聞き覚えがあった。


(……蹄の音?)


「カイ!」


 その声に思わず目を見開く。トテモハヤイが駆けてきた。その背にはアッシュが乗る、というよりしがみついていた。


(どうして来たんだ)


 そう思いながらどこか寂しさが紛れる感じがしたカイは、そんな感慨を持つ自分を不思議に思った。

 トテモハヤイから飛び降りたアッシュは足をもつれさせながらもカイの下に駆け寄る。もう動かせなくなったカイの手。握ってくれるアッシュの手の温もりも伝わって来ない。


「カイ、私がわかる? まだ生きてる?」

「……バカだな、はやく……逃げ……」

「諦めちゃダメ。あの災獣を止められないと町の皆がどうなるか、あなたが一番知ってるんでしょう?」


 言われなくともわかっていることだった。これからターミンの町は破壊され、穢され、住民は住み慣れた土地を失い難民となる。カイは幼い頃に体験したあの過酷な日々を忘れたことはない。

 握られる手にかすかな力を込めた。それを感じ取ったようにアッシュの表情にも力が湧く。


「負けないで。なんたってあなたには、この女神がついているんだから!」


 その時、不思議な感覚に襲われた。まるでアッシュがカイの体内に入り込み、中にある何かに触れる、そんなイメージが湧いた。

 熱が湧く。痛みは和らぎ体の感覚が急速に蘇る。カイは自分の体の変化に戸惑いつつ、はっきり回復した視界の中、迫りくる災獣の影を認識した。


「来てる……アッシュ!」

「落ち着いて、立ち上がれる。あなたの中から湧き上がる力を信じて」


 迫る。災獣。痛打を与えてきた障害を取り除かんと、凶悪な前脚で薙ぎ払う。爪で穿たれた地面はいとも容易く弾け飛んだ。羽虫の如き人間など感触も残さない矮小な存在だ。


 だが災獣は視界の端に別の羽虫を見つけた。実際にはさきほどと同じ相手だが今の災獣にはそこまで考えられない。ただそこにいるなら、潰す。再び前脚を振り上げ地面を抉り取った。

 であるのにその羽虫は潰れなかった。災獣の攻撃を飛んでかわし、今は空中に逃れている。その姿が災獣の目にもはっきり捉えられた。


「飛んでる!?」


 そのことに一番驚いているのはカイ自身だった。片腕にアッシュを抱えながら人間業とは思えない大跳躍で危険を回避していた。


「着地着地!」

「んなこと言っても……!」


 勢いよく地面に降下。両手はメイスとアッシュで塞がっているため着地姿勢は諦め、脚だけで接地する。

 衝撃。10ナガシス(約10メートル)近い高さからの着地は屋根から飛び降りるような反動があったが、カイの脚はこれに耐えた。


 すぐに災獣から距離を取り体勢を立て直す。脚は酷く痛んだがそれもすぐ和らぐ。凄惨だった火傷もすでに回復し体は本調子に戻ってしまった。


「どうして?」

「語彙が無くなってるよカイ!」

「なんで?」

「最初に会った時、あなたの怪我を治した力なの。私があげた“祝福”で、あなた自身の生命の力を呼び起こしたの!」


 言われてカイの頭の中がにわかに線となって繋がる。血で汚れた衣服。地面にできたクレーター。雲に空いた穴。――舞い降りてきた女神。


「いや、舞い降りてきたって感じじゃなかったよな……あれは転落、墜落?」

「なんか癇に障る」


 怒りを増した災獣の咆哮が轟いたが、今のカイは揺さぶられる気がしなかった。

 抱えていたアッシュを地面に下ろすと、カイは再び災獣に向き合う。全身に不思議な力が漲る。手には天界のメイス。戦える。


「ありがとう。もう諦めない。だから離れて見ていてくれ」

「うん、信じてるよ。ガッツだぜ」


 親指を立てて見送るアッシュ。戦いの邪魔にならぬよう安全な距離まで離れ、トテモハヤイと共に行末を見守る。




 カイは腰に下げたランタンに火を灯し、聖句を唱える。火は柔らかい青に変わり、その炎をメイスにも宿らせた。災獣。来た。黒々とした災異が迫る。

 災獣は小生意気な羽虫を潰さんと前脚を繰り出した。飛び退ってかわすカイだが大きさが違う。次の一歩で後退した距離が容易く縮められてしまう。

 続けて叩きつけが来る。これも後ろに飛んでかわすが、今度は同時に災獣の黒い炎が飛び散り辺りを燃やす。


「逃げ場が……」


 気づけば周囲を火で囲まれた。そこに追い打ちをかけるように災獣が覆いかぶさる。


「カイ!」


 アッシュが心配して叫んだが一方のカイは冷静だった。災獣の攻撃を避けてばかりでは勝てない。


(前へ――!)


 災獣が地を叩くのと入れ替わりにその懐へ飛び込んだ。体中が燃えている災獣の周囲は滾るような熱さだが、今はもうどうでもいい。

 打つ! 討つ! 聖火を宿した天界のメイスを突き上げるようにして叩き込んだ。

 これまでで最大級の衝撃が災獣の腹部を破壊する。カイの体にも強烈な反動が返ってきたが、確かな手応えがあった。


「■■■……ッ!」


 災獣がうめいた。明らかに苦しみ悶えている。懐から脱したカイが見上げると、あの巨大な災獣が身体を傾け今にも倒れそうだった。

 だがまだ斃れない。むしろその憤怒の激情は増したようにすら感じられる。


 急速に災獣が動いた。これまでより疾く、激しく。咄嗟のことに驚いたカイはギリギリで薙ぎ払いを避けたが、猛り狂った連撃が襲う。それと同時に黒炎が振りまかれ平原を焼き払った。

 カイも激しい炎に呑み込まれた。穢をまとった黒炎に身を包まれ消し炭となる、かに思われた。


「 魔を祓う 光となれ! 」


 突如、青い聖火が立ち上った。カイの体を護るように聖火が広がり黒炎を退けていく。

 その炎に災獣までも一瞬怯んだが、それでも災獣は止まらなかった。元の魔獣ゲキグマの肉体はすでにズタズタだろう。瘴気と淀みを吸い続けて肥大化した体は内と外から圧迫され臓器などは機能していない。

 それでも災獣は止まらなかった。カイもいよいよ決意を固め駆け出す。


 疾駆したカイは勢いのまま跳躍、突き出された災獣の前脚に乗り、また走った。駆けて災獣の体を登る。災獣は体を振って敵を落とそうとするが、その前にカイはまた跳躍し災獣の背に降りる。ついに背後を取った。


 だがカイの位置、そしてその危険性に災獣の側でも気づき、反応も早かった。災獣の体中からまた黒炎が吹き出し火山のように咆哮した。

 勢いで吹き上げられるカイ。高く、高く舞い上がった。だが今度は意識を保っている。はっきりとその目に眼下の災獣を捉える。

 空中を自由落下しながら災獣めがけ、メイスを握る手に力と、そして祈りを込めた。


「――すまない」




 打ったのは災獣の頭部だった。全霊をかけた一撃は災獣の大きな頭蓋を打ち砕き四散させた。災獣の動きが止まる。


 その様子を離れて見ていたアッシュに最後の激情が流れてきた。怒り痛み悲しみ苦しみ。


「ごめん……」


 女神は受け止めることもできずただ涙を流した。届かないと知りつつ謝った。

 災厄の塊はその場に崩れ落ち、黒い炎も勢いを失った。トテモハヤイと一緒に歩み寄る。

 辺りはいつの間にか明るくなってきていた。


「カイ……」


 カイが黙したまま見ていたのは災獣だったものの残骸だ。巨大な災異の跡とは思えないほど、その遺骸は小さかった。あるのは灰とその中心に獣の骨らしきもの。


「災獣は死ぬとそのまま灰になる」


 灰まみれの骨に手を突っ込んだカイは何やら棒を拾い上げる。ボロボロだが先端に突起物が付いているため槍にも見える。

 それはゲキグマを駆除しようとハンターが放った大きな太矢だった。


「これが始まり……」


 ハンターに落ち度は無い。町の住民を護るために役目を全うしようとしたのだ。だがそれに激した魔獣を責める気にもなれない。たまたま瘴気が立ち込め、たまたま淀みが溜まり、たまたま災獣に堕ちた。そういうことだった。

 アッシュは言葉を探して沈黙している。


「アッシュすまない」

「どうしてカイが謝るの?」

「殺して止めることしかできなかった」


 大敵たる災獣に打ち勝ったカイだが表情に喜びは無い。彼は災獣の間近でその怒りに晒される一方、この世界を生み出した女神の心情にも想いを至らせてくれていた。その気持がアッシュには温かった。

 まだ焼け跡の残るカイの頬に手を添え、優しく微笑む。


「お疲れ様」




「いたぞ、無事なようだ!」

「おぉい!」


 遠くからカイとアッシュを呼ぶ声がした。見れば町から出てきた衛兵数名と隊長まで一緒になって駆け寄ってくるところだ。災獣が倒されたのを見て大慌てといった様子である。


「……マズいなこれは」

「どうしたのカイ?」

「災獣を一人で倒したなんてどう説明したら良いんだ……」

「あー……」


 カイ自身まだ現実感が薄いこの事態を他人にどう話せばいいのか。きっとあれこれ質問されることになるだろう。


「“祝福”がどうとか、空からメイスが、なんて言っても信じてもらえないぞ」

「ん~頭がおかしくなったと思われるかもね」

「アッシュのこともなんて話せばいいか……」


 信じてもらえなくとも仕方ないし、イカれたと思われるならまだマシだった。問題は女神がここにいるという唐突な話を“信じてしまった”場合で、どのような反応が返ってくるか。最悪異端として火炙りもあり得るという懸念がカイにはあった。


「……」

「……」




「逃げよっか」


 アッシュがトテモハヤイの手綱をカイに握らせる。


「逃げるか」




 二人を乗せてトテモハヤイが駆け出す。遠くで衛兵たちの狼狽する声が聞こえたが構わなかった。


 燻った臭いが風に乗って運ばれてくる。それは何とも言えず寂しい臭いだった。

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