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3_特訓

 エヌは痛む体に鞭打って、どうにか自分の寝床まで戻ってきた。

 幸い、お構いなしに蹴られたダメージは打撲までに収まっていた。骨にも異常はなく、数日もすれば行動に支障はきたさない程度には持ち直せそうだ。


 エヌの寝床は、裏路地の行き止まりに端材と布切れで周囲から視線を遮るだけの粗末なものだった。屋根代わりに吊るした薄布も夜露を防ぐ程度の効果しかない。


 エヌが布きれを潜って中へと転がり込む。僅かな資材が地面との間に挟まっているが、クッションを期待できるほどではない。地べたよりはマシ程度の寝床で横になると、人心地ついたように大きく息を吐いた。


「アライメント。いくつか質問がある」

『答えるわ。でも、先にキズの処置をしましょう。ギルドでもらった回復薬を全部飲みなさい。深い傷は無さそうだから、明日にはそれで治るでしょう』

「……わかった」


 ズボンのポケットから回復薬の包みを取り出すと、エヌは包みを破いて中の錠剤をすべて口の中に含んだ。特別な味はしないが、ミントの爽やかな香りが鼻を抜ける。


 ザマに殴られた時に口内を切っていたらしく、舌を動かすと痛みが走った。だが、このくらいなら十分に我慢できると、エヌは気を取り直す。


『副作用として、お腹がとてもとても減ると思うの。また明日、討伐クエストを受けた後にブランチを兼ねたモンスター退治と洒落込みましょうか』

「あのな……」

『わかってるわ。そうね、最初はナイフを使わさなかった件からにしましょう。エヌが私に不信感を抱いている大きな要因はそこでしょうから』


 アライメントはあの場でエヌにナイフを使わせなかった理由を語る。


 あの場にはエヌの前に姿を現していた3人以外に、まだ二人、物影に隠れて様子を窺っていた。相手は全員刃物を所持し、中には拳銃を所持している者もいた。仮にエヌがナイフを見せていれば、それに応じるように相手も刃物を抜いていた。そうなれば命に関わるような怪我を負う可能性もあった。


 確かにナイフの性能は高いが、エヌが先制して一人を殺せたとしても、すぐに残りの人間に抑えつけられていた。その場合は正当な報復として、間違いなく命を落としていた。ナイフへの形状変化を拒否したのも、エヌの命を救うために止む無くとった手段だった。


 そう説明されてもエヌの表情は浮かない。

 エヌの脳裏に浮かぶのは、ゴミ集積所で見せた探知能力、工場跡地でアライメントが見せた索敵能力だった。あの領域であれば、事前に察知して襲撃を回避することだって可能だったとエヌは考える。


 だから、疑問は自然と口からでた。


「でも、そこまで分かるなら、襲ってくるのだって分かったはずだろ? アライメントになら」


『それを言われると辛いわね。ただ、言い訳をさせてもらうのなら、モンスター討伐を成功させたハンターをスラムの人間風情が襲うとは思わなかったのよ。それに、事前にその可能性を示唆したとしても、エヌが自然に振舞えるとは思わなかったし、その態度から相手を変に刺激すると、相手が短慮に走る可能性もあったからね。まあ、結局は短慮に走ったのだけれど』


 アライメントが珍しく疲れたような表情を浮かべていた。エヌもその表情で色々察したのか、毒気を抜かれたように苦笑を浮かべた。


『さ、回復薬を飲んだのなら横になりなさい。その方がずっと効果があるからね。私はプランを考える必要があるから席を外すわね』

「プラン?」


 エヌは勧められるがままに横になり、気になる言葉を口にするアライメントを見上げる。彼女は慈しむような手の動きでエヌの髪を撫でつけた。


『キミが願ったのよ。彼らをその手で殺したいって』


 アライメントは慈愛に満ち溢れた表情を浮かべていた。





 翌日、エヌは日の出と共にねぐらを抜け出すと、昨日と同じように討伐チケットを受け取り、再び工場跡地へとやってきていた。


 昨日のキズはすっかり治っており、回復薬の効果には驚かされるばかりだった。

 ただ、アライメントが服用の際に指摘していたように空腹感は無視できないレベルだ。例えるなら三日くらい食事にありつけなかった飢餓感によく似ている。


 その問題も解決のめどは立っている。既に磨製ラビットは討伐済みで、捌き終わって枝肉と化していたからだ。あとは熱した鉄板で焼けばこの飢餓感からは解放される状態だ。


『何度も試行したのだけど、すぐに復讐することは難しい。この私の神の如き力をもってしても、エヌだけの力で復讐を果たすことは無理という判断になりました』


 エヌが一心不乱に肉を食らい、ようやく人心地つけ、しゃぶっていた肋骨を吐き捨てたタイミングだった。アライメントが困り眉で言った。いつものような煽るような物言いでもなく、抑揚があまりなく、淡々とした物言いだ。


『一人一人、個別に復讐する場合でも二人が限界。それ以上は相手に気取られた結果、より強力な武装、もしくは上位の暴力装置が参入してくるので勝ち目が無くなっちゃう。悪手です、詰みね』


 アライメントが腰に手をあてて首を振る。

 けれど、エヌにしてみれば実感のわかないシチュエーションである。一方的にダメだ、難しいと言われても、やってみなくちゃ分からないだろうという気持ちがある。


『だから時間をかけるわ。まずは一週間、キミを鍛える。これは飢餓モードになっているキミのからだを通常の状態に戻すまでに必要な時間でもあるわ。ちなみに飢餓モードっていうのは熊で言うところの冬眠みたいなものね。燃費が良くなる代わりに色んなデバフが付いた状態よ。只でさえ低いエヌの身体能力が激減しているわ。この状態で格上の実力者を複数相手取るっていうのは自殺行為よ』


「ふーん。アライメントでも無理なんだ」

『無理だったわ。既に8万回試行をしたけれど力及ばなかったわ。ちなみに、エヌがそうやって私の事を煽るからその勢いで死亡したパターンは367回あるわ。口には気を付けなさい』


 数字が大きすぎて説得力に結びつかない、そういう感想を抱いたがエヌは口にはしない。言えば、アライメントの口から、そのせいで死んだ回数を言われるような気がしたからだ。


 エヌはそっとアライメントの顔を窺う。いつものような、にまあとした表情を浮かべていない。眉間に皺を寄せて難しい問題を考えているような表情だった。こちらの視線にすら気付いていないのは、余裕がないからかもしれない。


 与えられてるだけではダメなのかもしれない、とエヌは思う。


「……わかった。何をすればいい?」


 その言葉にアライメントが目を見開く。そしていつものように、にまあと笑みを浮かべる。


『随分物分かりがいいのね。このままエヌの心を砕いて前衛アートに組み立て直す気概で説得を考えていたのに』

「恐ろしいことをさらっというな。いいよ、アライメントのことは信じるから」


 エヌが笑う。内心はアライメントの物騒な物言いにドン引きしていたし、なんなら表情もちょっと引きつっていたが、笑って見せた。


『ふ、うん』


 アライメントの視線がエヌの頭から足のつま先までなめる。


『まずは我慢して。最大で3回、キミは討伐クエストの報酬を奴らに奪われることを許容しなさい』


「……わかった」

『……よし。そのタイミングはこちらで支持するわ。でも、討伐クエストは毎日受けて。換金しない討伐チケットはそこの小屋に置いていきなさい。盗られる心配は無いわ。今日の分も早速置いていきましょうか』

「アライメントがそう言うなら……。うう、二万ジャッジ」


 エヌはぼやきながら、それでも一度口にしたことだと己に言い聞かせて、アライメントの指示通りに赤く染まった討伐チケットを指定の場所へ隠す。念入りに隠す。


『それから午後からは反射実行の特訓をするわ。私の指示を素早くこなす練習ね。一般的に見て反応するまでにかかる時間は平均で0.2秒と言われているの。まずはこれを目指して』

「平均でいいの?」

『平均でいいわ。その代わり正確であることが重要だからね』

「簡単そう……!」


【挙げろ】


 エヌが台詞を途中で切って、右手をしゅっと挙げる。


『1秒。まだまだね』

「さ、最初だったから……」


 エヌはまだ理解していない。

 確かにアライメントの指示は拡張された視界に浮かんでいた。しかし、文字を満足に読むことの出来ないエヌがそれを理解し、行動に移せたという事実を。


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