5_死
夜中に肉くいてーなって思いながら書きました
続く
エヌは目の前に広げた討伐チケットを満足げに眺めた。
討伐チケットは真っ赤に染まっている。つまり、討伐クエストが完了したということだ。あとはギルドで換金して温かくて旨いメシを食べる。話で聞いたことしかないが、エヌにはそれがとても上等な行為だと確信できた。
『めでたしめでたしみたいな顔をしているようだけど、本番はこれからよ。分かったらそのだらしない顔をやめて気持ちを引き締めなさい』
悦に浸っていたことは認める。しかし、そのようにきつく当たられる理由もない。エヌは不服気に頬を膨らませてアライメントに顔を向ける。
しかし、アライメントは無敵だった。
『あら、こんなところに私の指示に素直に従わないモルモット君がいるわね。そんなに私のちゅーが欲しいのかしら? さっきだって二回分、無駄打ちしてたのにまだまだ足りないらしいわね、どすけべエヌくん』
「ぐ、卑怯だぞ」
そんな風に言われてはエヌも引き下がるしかなかった。たった一度の過ちをこうもいじり倒してくるとは、なんて性格が悪いと、エヌは心の中だけで毒づく。口に出せばフルボッコにされるからだ。
『……さて、本日のミッションを言いますね』
「あとは報酬でたらふく食べるだけでは?」
『ミッションを言いますね!』
「はい……」
アライメントに圧迫面接を仕掛けるが如く、三白眼のジト目を維持したまま鼻がくっつきそうな距離に迫られては、エヌも反抗する気力も失う。というか、無意識に好みの顔なので直視が出来ない。
『よろしい。本日のミッションは1、ウサギを捌いてお肉にする。2、火を熾す。3、焼肉でエヌのおなかを満たす。サイドミッションはバーベキューコンロを作成する。以上』
してやったとドヤ顔を披露するアライメントとは対照的に、エヌの反応は薄い。と言うよりも、アライメントが何を言ったのかまるで理解出来ていないと評するのが一番近い。
『不思議そうな顔をしない。足元のお肉、じゃなかった仕留めた磨製ラビットも拾う』
「え? 何かに使うのか?」
『さっき言ったじゃない、食べるのよ。キミのランチはウサギ肉の焼肉よ』
「え? たべ? え? これを?」
『キミは粉砕ワームを食べれるか聞いてたくらいじゃない。今更モンスターだから食べられないなんて繊細な事をいうわけじゃあないわよね?』
「……こんな毛むくじゃらは食べたことない。変な匂いもする。人間と同じ赤い血も流してる。アライメントの事は信じているけど、恐ろしいことに加担する気持ちになる」
エヌはアライメントとウサギを交互に見ながら、空恐ろしいものでも見るかのように頬を引きつらせている。そして、アライメントの心変わりを願うように彼女の言葉を待つ。
けれど、彼女は非情である。
『四の五の言わず、拾いなさい。キミのランチは焼肉よ。これは決定事項で覆らないわ。何故なら、私はキミに満腹感もそうだけど、美味しいものを食べて幸せを感じてほしいと思っている。これを満たす条件はハンターギルドの報酬では足りないし、これからミッションで体験する過程も不可欠だもの』
「はい」
エヌは交渉する余地がないことを察すると、ハイライトを失いがちな眼で返事した。
▼
エヌはよたよたと危なっかしい足取りで、工場跡地の隅に建てられた作業小屋にたどり着いた。
視界もままらないほど山積みになった荷物を両手に抱えているはずなのに、ピタリと足を止めたのはコンクリートで舗装された整地済みの場所だった。
「重かった」
どさどさと抱えた荷物が地面に放り出された。
その中でも鉄板、ペットボトルに紙束やビン類が一際大きな音をたてる。
『お疲れ様。いよいよ、お待ちかねの磨製ラビットの解体よ』
アライメントが苦笑しつつ慰労の言葉をかけた。
しかし、継ぐ言葉は次の作業である。疲労の蓄積で震える指先を慰めながら、エヌは地面に投げ出された荷物から磨製ラビットの死骸を拾い上げる。
『何か要領を得ない表情をしているけれど、ウサギはこのまま食べる訳じゃないわよ? きちんと内臓を取って、皮を剥いで、食べやすいように切り分けるの』
拾い上げたウサギを抱えたまま立ち尽くすエヌにアライメントが作業内容の説明を始める。最初は不安の色が濃かったエヌの顔も、それのおかげで僅かに薄らいだ。
「解体って言うから、運びやすいように小さくするだけだと思ってた。なんか違うみたいだな」
『エヌの身近にある解体の意味が恐ろしいわね。処理なんかも使用は控えた方がいいかしら』
エヌの安堵する方向性に、得も言われぬ恐怖を覚えるアライメントだった。
「それで、アライメント」
『分かってるわ。エヌはウサギを捌くことが出来ない。きちんと私がフォローしてあげる。手取り足取りとはいかなけれど、視界にガイドを表示させるわね』
「助かる」
エヌは視界に映るガイドラインに安堵した。ガイドにはナイフの差し込み位置まで表示されていたからだ。もし口頭や文言のみであったならば途方に暮れているところだった。
エヌは指示に従い、ウサギの腹にナイフを差し込む。
『あっ』
「え?」
エヌが驚いて肩を強張らせた。
アライメントの視線の先はナイフの差し込まれたウサギの腹部。刃を伝ってどす黒い血がこぼれてきていた。なんとも毒々しい雰囲気にエヌは作業をいったん止める。
『エヌ。その有様だと、お肉に血が回っておいしくなくなったみたい。具体的に言うと食べるとすっごい悪臭があるわ。このまま作業を進めるのは得策じゃあない』
エヌはアライメントの顔とウサギを交互に見る。彼女の言葉通り受け取るならば、このウサギは捌いてお肉にしても食用には適しないということになる。
『元々は一羽もあれば食べきれないくらいの量だから、仮にそれを廃棄してもキミの願い事は十分に叶うと思うの。その上で、私はキミに満腹感もそうだけど、美味しいものを食べて幸せを感じてほしいと思っている。だから、それは失敗作。次を頑張りましょう』
「アライメントがそういうなら」
ぺいと首なしウサギを地面に打ち捨てると、エヌは残りのもう一匹に手を伸ばす。
「ちなみに、こっちも失敗したらどうするんだ?」
『私はキミに美味しいものを食べてほしいと思っている。となれば、妥協はないわ。新しいのを取ってくるしかないわね。もちろん、エヌが同じ失敗をするような愚かな真似をすればの場合だけど』
手を伸ばす途中、ふとした懸念が浮かび口にするエヌ。アライメントはエヌの懸念の先にあるものを、耳元で囁いた。その声音は優しげだが、内容自体は普通におっかない。
『まさか、私の完璧なフォローを受けて、そのような失敗をするとは思えないけれど。失敗をするとは思わないけれど、もしも失敗をするようなら、エヌもそれ相応の罰があって当然よね。それはお互いが納得できると思っているのだけど、どうかしら? 私の完璧なフォローを台無しにしてバリアのエネルギーを消費させた前科のあるエヌ。その時は同じ轍は踏まなかったでしょ。だから今度だってきっと大丈夫。エヌが同じ失敗を二度もするようなマヌケではないと信じてるわ。私の信頼にこたえてね、エヌ』
エヌはすきっ腹の胃がズンと重くなるのを自覚した。普段から人との関りがなく、期待されるということを知らなかった彼である。期待に込められた負の部分に晒されて、からだが不調を訴えるのも無理はなかった。
『それじゃあ、もう一度ガイドラインを表示させるわ。今度は成功させてね。もう一度、磨製ラビットを狩りに行くのは手間だもの』
そんな精神状態のエヌに、アライメントは彼好みの姿態、彼好みの表情、彼好みの声音で、甘く強請る。そんな致命の一撃にエヌは、
「はい」
なんかもう、アライメントが怖かったので二つ返事だった。
さておき、エヌは美味しい食事をするために命を危険に晒しに行くのは嫌だったので、ナイフを握りなおして精神を落ち着かせた。脳内では磨製ラビットの解体失敗が、狩りに行く正当な理由にはならないとアライメントの言葉に反感を抱く部分もあるが、深みにはまりそうだったので思考は放棄した。
『エヌはやれば出来る子よ。出来なくても出来る子になるまで面倒を見てあげるから心配しないでね』
いっそ病的な、とも思えるほど冷ややかなアライメントの声音に怖気を抱きながら、エヌはナイフを振るった。
腹部を切り裂き、内臓を取り出し、四肢を手先を切り落とし、おしりの方から毛皮を剥いでいく。
時折、にじむ血を洗い流しながら作業を進める。エヌが作業がひと段落したと気炎を吐いた時、彼の目の前には綺麗なピンク色をした枝肉が佇んでいた。
『一応、部位ごとに分けましょうか。胸肉とモモ肉と肩肉、それから背中のロース。胸骨周りは処置が大変だから今回はパス。部位を分ければ食感や火の通りが異なるから調理し易くなるし、食べ比べも出来て楽しめるからオススメよ』
「ここまでやったんだ。最後までやるよ」
枝肉に浮かび上がるラインにナイフの切っ先をあてる。切れ味は衰えることなく、骨も肉も脂肪も、どれも同じように切れてしまう。程なくして、アライメントのいう理想通りのカタチに切り分け終わった。
エヌは切り分けた肉片の汚れを洗い流すと、よく濡らしたコンクリートブロックの上に並べた。
「終わったよ、アライメント。これで完成?」
『エヌ。特に疑問も抱かず生肉を食べるような真似はよしなさい。最初に私が言ったように、焼肉パーティをするんだから、火を熾して焼く準備をしましょうか』
▼
『そんな顔をしても私のエヌフォルダが充実するだけよ?』
「……」
エヌは一度地べたに降ろした腰を再度持ち上げた。
『エヌが運んできた荷物の中に紙束と拳銃のマガジンがあるわね。まずはそれを使って火種を作るわ。さっきのウサギを捌いたのと同じよ。指示通りにやれば上手くいくわ』
素直に頷いて荷物を取り出すエヌだったが、ふと思い当たることがあって動きを止める。
「これ、ライターあればいらない工程なんじゃ」
『ライターはなかった』
「え、いや、油とか拾ってたところに置いてあったような」
『なかった』
これ言っても無駄な奴だ。と短い付き合いで悟ったエヌは追求をやめて大人しく作業を開始しようとしたところで、いきなり行き詰った。
銃のマガジンを手に取ったはいいが、エヌにはこれにどう手を加えて火種にするのか見当もつかず、こてりと首を傾げた。
『銃弾を分解して火薬と雷管を取り出すのよ』
「なるほど?」
『作業の前に、エヌが着ている上着は脱いだ方がいいわね。ビニールは静電気を溜めやすいから火薬が暴発する恐れがあるもの』
マガジンから取り出した銃弾にナイフを向けていたエヌは、驚き慌てふためきながら銃弾を手放した。
「先に言ってくれ」
『すこし火傷をするくらいよ。指が吹き飛んだりはしないわ。9ミリの装薬なんて知れたものだし、密閉された空間でもないからね』
くすくすと忍び笑いをするアライメントを睨みながら、エヌは言われた通りに上着を脱ぐとタンクトップ姿になった。外気に晒された体を一度大きく震わせると、大きく息を吐いて体を落ち着かせる。
「さてと、これ以上は何もないよな?」
無言のまま、にまあと笑みを深めるアライメントをしばらく睨むエヌだったが、一向に埒が明かないので諦めて銃弾と向かい合うことにした。
銃弾を中ほどで真っ二つに切ると、中からは黒い粒が零れ落ちる。
『実は装薬って静電気で発火しないようにコーティングされてるのよ』
「先に言って欲しかった」
『言ったらエヌのタンクトップ姿を見損ねてたじゃない。必要なことだったと思うわ。それよりも火種を熾す作業を進めましょう。まずは紙束を敷いて』
エヌが苦い表情を浮かべて愚痴をこぼすが、アライメントは飄々としたものだった。不服そうなエヌをまるで意に介さず、口元に笑みを浮かべたまま次の工程の作業指示へとつなげる。
「そ。上手ね。次は起爆させやすいように雷管を傷つけるの。精緻な作業になるからこっちでガイドを出すわ。大丈夫、そのマガジンにはあと11発も弾が残ってるわ」
11発全部失敗したらどうなるの? と口に出しそうになったエヌだったが、ついさっき、ウサギを捌く際にやったやり取りの焼き直しだと気づいて、何とか思いとどまった。
都合、7発。エヌの足元には失敗した薬莢が転がった。
『これだけ失敗すれば雷管の構造把握も出来たでしょ。これから自分で銃弾を作るようなことがあるなら、その経験を生かせるわ。前向きにいきましょう』
「アライメント。そんな状況を無理にでも作りそうなアライメント。お願いだからやめてくれ。自家製の弾丸を使うだなんて、トリガーを引く度に頭がおかしくなる」
『そういう理解を得たのもひとつの成果だと思うわ』
「アライメントが無敵すぎて辛い」
冗談を交わしながら、エヌは紙束の上に適量の装薬をばらまき、その中心に細工した雷管を据える。
『大きな音がするからびっくりし過ぎないでね』
「アライメントより驚くことは無いから大丈夫だ」
エヌが手に持った程よい大きさの石を振り上げ、僅かの躊躇いを振り切るように勢いよく振り下ろす。
がつりと雷管を捉えた一撃が一瞬で周囲の装薬と反応し、ぱぁんという発破音と共に紙片を黒染めながら白煙を上げた。
「顔を近づけるのはよしなさい。残った装薬が爆発したら怪我するだけじゃすまないわ」
キーンと耳鳴りのする中、不思議と明瞭に届くアライメントの制止の声に、白煙へ顔を近づけるのをやめたエヌは、焦れったそうになかなか火の上がらない紙片を見つめる。
『心配しなくても、火は問題なく点くわ。次は木切れを言う通りに並べて。風向きなんかも考慮に入れて放っておいても火が熾るようにしてあるから』
「わかった」
表情は浮かないが、視界には既に次の作業のガイドが表示されている。後ろ髪を引かれながらもエヌは作業へ戻る。
作業と言っても、アライメントが先ほど口頭で述べた通り、持ってきた木材を指示された場所に置くだけ。神経を使うようなものは無く、先ほどまでに比べれば、グッと気持ちが楽である。
『これで、2、火を熾すのミッションはおしまいね。3に移る前にサイドミッションでもやろうかと思ったのだけれど……』
チロチロと火が見え隠れし始めた紙束に安堵しつつ、アライメントの言葉の続きを待つ。ただ、いつになく言葉の切れが悪いのが気にかかり、エヌは知らず内に拳を硬く握った。
『サイドミッションは中止です。意外とエヌの体力がないことが分かりました』
アライメントがエヌの頬に手を添え、整った眉をハの字にゆがめて彼の瞳を覗き込む。そして気恥ずかしくなったエヌが耐えきれず視線を外したところで満足したように解放した。
『ふふ、エネルギー注入。ちなみにどのくらい食べてないの? 朝からキミを引きずり回してる身としては無理をさせてる自覚はあるわ』
「……二日くらい」
エヌが言いづらそうにしていると、アライメントの手が再び伸びてきたので、不承不承と言った様子で答える。
『そのコンディションで焼肉は……。いや、焼肉ならきっと』
「アライメント?」
『エヌ、キミを信じるわ。肉を焼きましょう』
「すごく嫌な信頼を感じたぞ!?」
『さておき、四隅にコンクリートブロックを置いて鉄板を設置しましょう。ミッション達成までもう少しよ!』
▼
エヌは鉄板の上でパチパチと音をたてて弾ける脂の音から目を放せずにいた。
十分に温まった鉄板の上に捌いたモモ肉を削ぎながら並べていく。ピンク色がすぐに変色して白くなり、脂が溶けだして表面を焦がしていく。
その匂いは通りに並ぶ屋台から漂うものに近かった。
エヌが通りに顔を出すことは少なかった。匂いに釣られて通りに出たスラムの子供が青あざをつくって戻ってくる姿を見ていたからだ。
『そんな風に緊張する必要はないのだけど。その辺もおいおいね。目の前にあるものは全部キミの物だから、そんな風に周囲に遠慮して我慢するような真似はしなくていいのよ』
記憶の井戸の底から呼び戻すのはアライメントの優し気な声だ。
エヌは作った二本の木の棒を強く握りこむ。
視線の先にはよく焼けたウサギのモモ肉のスライスがある。食べたことは無く、見たこともない未知の物体。けれど、エヌの本能が報せる。食べ物だ。旨い、と。
エヌがあごに感じた違和感で口元を拭うと、べったりとよだれがついていた。無意識のうちに口の周りがよだれでべとべとになっていた。限界だった。
「た『食べていいわよ』べ」
確認する言葉を塗りつぶすように、満面の笑みでアライメントが答える。
それまでのにまあとか、にまにまとか侮るような感情を含まない、きっと一番最初に見た横顔。あれと同じ表情だったはずだ。
ともかく。
エヌは木の棒で掬うように肉を持ち上げて口へと運んだ。
口中を熱が支配する。記憶にある食事と異なる、口に含むだけでエネルギーを摂取したような錯覚。あまりの衝撃に目を見開く。
記憶が飛んで、次に気付いた時には口の中が確かな満足であふれていた。
『もうないわよ。次を焼かないとね』
無意識に鉄板に伸ばした右手が空を切った。
その行為を嘲笑うようなアライメントの表情はにまにまだ。
「アライメント!」
『ん?』
「アライメント!」
『ん』
エヌは言葉が浮かばず、けれどこの感情をどうにか目の前の恩人に伝えたくて口を開く。チャレンジはしたが結果は散々だった。しかし、アライメントの得意げな表情、その目尻がさらに緩んだので、エヌは伝わったと判断した。
『モモ肉はもう一つあるし、次は肩肉にしましょうか。調味料も使いましょう。脂が少ない分、素材の味だけだと刺激が足りないと思うし』
「肩肉、どれ!?」
エヌは指示されたそれを引っ掴むと、ナイフを使って肉を削ぐ。その作業に落ち着くは無く、先ほどよりも不揃いな厚さで鉄板に並べられていく。
そして、その上から瓶詰めされていた白い粉を振りかける。塩だ。
熱せられた鉄板の上で焦げ目のつくウサギ肉を、弾けて鼻腔をくすぐる脂の誘うような香りを、エヌは待ちきれない様子で凝視する。
「まだ!?」
『食べられなくはないけれど、あっ』
エヌが手を伸ばして肉を口へ運ぶ。選んだのは特別厚めに切ってあったもので、明らかに火は通っていない。
アライメントの制止よりも先に口の中で噛みしめたぐにゅりとした感触と、生臭さにエヌが顔を顰める。それでも吐き出さずに飲み込むのは、体中の全細胞が欲しているからに違いなかった。
『おいしく食べてほしいのだけど』
「おいしい!」
少なくとも、砂を噛むようなシリアルバーや味のしない粉っぽいゼリーよりは、と枕詞はつくけれど、エヌにとっては熱をもった食べ物で歯ごたえもあるので極上だった。
『私としては結果は満足なの。エヌの価値観にドロップキックをくれてあげた達成感があるもの。でも、そのリアクションがどうにも納得いかない気持ちになるわ。漫画みたいに片頬を地面にこすりつけながら建物に衝突して、その壁に埋まるような漫画的表現を期待したのに、キミは受け身に失敗して後頭部からもろに地面に衝突してピクリともしない、笑えない受け方をするのだもの』
頬杖をついて納得いかないと、アライメントは無心で肉を食べるエヌにぼやく。もちろんそれに彼が反応するほどの余裕はないし、そのことがアライメントの機嫌を害するわけでもない。
『……次はロースいってみましょうか。一番脂身が少なくてあっさりしてると思うから、するすると入っちゃうんじゃないかしら。そろそろ肉本来の臭みが気になる頃だろうし、香辛料を加えるとよりおいしく頂けると思うわ』
「りょーはい」
むぐむぐと忙しなく口を動かしながら、エヌが赤身の目立つ肉塊を手に取った。
▼
エヌは仰向けに地面に倒れて空を見上げていた。
「旨かった……」
エヌは先ほどまでの体験を反芻するように喉を鳴らした。
『食べてすぐ横になるのは行儀がよろしくないわ』
「アライメント……」
顔を横に向ければ、アライメントの両膝が突きつけられていて、彼女のからだに沿って視線を移動させれば、微笑を浮かべている彼女の顔に行きついた。
『それでどう? 願い事は無事に叶えられたかしら』
アライメントがドヤ顔を披露する。エヌの返答がどうだかなんて、分かりきっていると言わんばかりだ。エヌも返答を渋るつもりはない。まぁ、この顔に素直に答えるのは癪だが。
「たぶん、生まれて初めて美味しいでお腹が満たされた。願いは叶ったと思う」
『そ』
「てっきり、おがくずで割増しされた雑炊の出る配給場所を紹介されておしまいだと思ってた」
だらけた表情でけらけらとエヌが笑う。
アライメントは遠い目のまま回答を拒否した。
「こんなものが、この世界にあるなんて想像もしなかった」
エヌは目を閉じて大きく息を吐いた。
「アライメント。アンタに会えてよかった。
生まれてからずっと一人で、これからもずっとあのゴミ捨て場で屑拾いをする人生だと思ってた。
あったかいものなんて、空想の産物で縁遠いものだって勝手に決め込んでいた。
今日、そいつが叶った。
想像していたよりずっとあったかいものだった。自分の中にこんなものを感じ取れる余白が残ってるとは思いもしなかったよ。
アライメント、アンタがいてくれてよかった。
あのゴミ捨て場で、一番深い夜のあの時にアンタに出会えてよかった。
ありがとう、アライメント」
エヌは思うままに気持ちを吐露して、からだが一気に脱力していくのを感じた。瞼を開ける余力すら残っておらず、お腹に温かいものを抱えたまま力尽きていくのだと悟った。
(アライメントの返事はない)
(願い事が叶ったからいなくなったのかもしれない)
(嘘をついてずっといて貰えばよかった)
(もったいなかったかな。でも、あんなものをプレゼントされたら何も言えない)
(ああ、もう一度焼肉食べたいな)(アライメントにもちゃんとさよならって言いたか……)
エヌが意識を手放すまでの間、その場の静謐は保たれた。
――数時間後。
エヌが目を覚まし上体を起こすと、黙祷し穏やかで満ち足りた表情を浮かべ佇むアライメントが傍に座っていた。胸元に手を置いて、動悸を押さえているようにも見えたが、幸せそうな表情だったので深く追求するのは無粋だろう。
エヌはアライメントの姿に安堵すると、彼女が声をかけてくるのを待った。
いつものように人を食ったような態度で話しかけてくるだろうと高を括っていたのだが、一向にそれは来ない。いよいよ、しびれを切らしてエヌは自分から声をかけることにした。
「おーい」
何度目かの呼びかけで、アライメントがカッと目を見開く。心配げにアライメントの顔を覗き込むエヌに彼女は何とも気まずげに愛想笑いを浮かべるのだ。
「さっき返事がなかったからアライメントがいなくなっちゃったのかと思ったよ。ほら、願い事を叶えちゃったからさ」
『別に……、叶える願い事をひとつに限定した覚えはないわ。けれど、私がいなくなることを残念に思ってくれてたのね。フフ、キミの情緒が想像以上に育っていてお姉さんは嬉しいわ』
「や、それは……」
調子を取り戻したらしいアライメントの圧に押されてエヌが言葉を濁す。
「それより、いったい何をやってたんだ? 声をかけても反応なかったし、寝てたのか?」
『いいえ』
ふるふると首を振るアライメントに、エヌは継ぐ言葉はなくじっと彼女の言葉を待つ。
すると、アライメントはまた最初のように気まずげに俯く。
『……そうですね。キミとの間に秘め事など無粋かもしれませんね。白状しますと、キミが寝落ちする前に喋った迫真の告白にですね、経験したことのないレベルの純然たる感謝をですね。その未知の体験を反芻しておりました。外界の情報を一切遮断していたので、人にとっては死に近い状態に身をやつしておりました』
「え」
『いわゆる尊死ね』
うへへと下衆な笑みを浮かべて恍惚としているアライメントに、エヌは引き気味で「そうなんだ」と、どうにか相槌を打つと、ゆっくりと彼女から目を逸らした。
続き
セルフ拷問でした。
ともあれ、一章はこれにて簡潔です。
簡単な幕間を明日投下したら書きために入ります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




