世界を超える理由
あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
家族で囲む食卓。
母が作ってくれた料理の味。家族との団欒を楽しむ父の声。二人の間で花のように笑う妹『トワ』。
本当に嫌というほど覚えている。
『あらあらあなた、家に帰ってもその話? 全くしょうがないんだから』
『いいだろう? 世界の壁を超える技術。それを人の英知が成し遂げたんだぞ。同じ研究者としてうれしいんだよ? 見てみろ、お前たち!! 父さんの友人だ、異世界に言って写真を撮って来たらしい!! いやぁ、羨ましい限りだ』
『わーい!! すごく幻想的!! 夢の世界みたい!! お父さんの友達すごいね!! 兄さんもそう思うでしょ?』
『あぁ、そうだな』
はしゃぐ妹に、俺はいつも微笑みながら相槌を打っていたっけな。
俺の名前は『クオン』。少々目つきが悪いが、至って平凡な男だ。
そして食卓を囲んでいるのは俺の家族。父、母、そして妹。
テーブルの向こう側に座っているのは、厳格に見えて実は楽観的な研究家の父と、いつもニコニコしている優しい母……いや、たまに怒るとおっかなかったな。
そして俺の隣に座っているのが、妹の『トワ』だ。俺と同じく目つきが悪いのがたまに瑕だが、それは父の遺伝のせいだ。それでも十分にかわいく、美しい。
そう、あの頃の俺はごく普通の学生で、当たり前の毎日を過ごしていた。朝起きて学校に行き、連れとたわいもない話をして、適当に授業を受けて、帰ったら勉強しろと親に怒られて、夜には家族と団欒の時を過ごす。ごくありきたりだが、そんな日々が本当の幸せだったと、今になって思う。
だが父がその時偶然、話していた『次元を超えるという技術』は、そんな俺達の平凡でかけがえのない幸せを、実にあっさりと打ち砕いてしまったのだ。
それは突然の出来事だった。いつものように家族で夕飯を食べていた、その時。
『……こいつはっ!!』
『あなた、これなんなの!?』
突如として空間に出願したもの。それは奇妙な『渦』だった。そして啞然とする俺達の目の前で、渦の中から見たこともない虎のような怪物が現れたのだ。
『ひ、なんだこれ!?』
『に、兄さん!?』
俺とトワ、父と母が、それぞれ部屋の反対側の壁に張り付く。気が付くと体がガタガタと震え、全身から汗が噴き出していた。
父の方を見ると、真っ青な顔でぶつぶつと呟いている。
『な、なぜあれがここに……』
父がそう言いかけた時、虎の化け物は父の隣にいた母に飛び掛かった。
「あ!?」
あまりに短い断末魔の声。化け物の腕の一振りで母の腹は引き裂かれ、母はそのまま動かなくなった。
『う、うああああ!!』
『い、いやぁああああ!!』
トワと俺が悲鳴を上げる中、父は俺達をかばうためなのか、すぐさまその虎へと飛び掛かった。
『お、お、お前達逃げろ!! 早く!! 早く!! がぁああああ!!?』
身を盾にして俺達に言葉を叫んだ瞬間、その虎に頭部を切り裂かれる。
『父さん!!?』
『いけ、早く早く!!』
既に頭からは大量の血が溢れているのにもかかわらず、父はそれでも俺達に逃げるように訴えかける。
『い、嫌だよ。お父さんも一緒に!!』
トワは必死に父に向かって泣き叫ぶが、父の決意は依然として変わらない。そして涙を流しながら、言葉を漏らしていた。
『おそらく俺達なんだ、すまない、すまないぃ……。はやく、はや……がかぁふ!?』
父はその謝罪を最後に、化け物の爪でざっくりと首を引き裂かれ、崩れ落ちた。
『お、お父さん!!』
『あぁああああぁおおおああお!!!?』
喉から勝手に声が迸る。俺は無我夢中でトワの手を掴み、家から逃げ出した。ぼりぼりと両親の体を貪る、怪物の咀嚼の音を聞きながら。
『兄さん!! お母さんが!! お父さんがぁぁ!!』
『トワ、振り返るな!! 早く逃げるんだぁぁぁ!!』
飛び出した家の外もまた、酷い有様だった。
家の壁が崩れ、電柱はへし折れ、車は木っ端みじんに破壊されている。肉塊になった人々が至るところに血溜めを作り、断末魔の叫びが絶え間なく聞こえている。
『ひぃ、やめ、がごぉ!?』
『ぎぃがやあああ!?』
『きゃきゃきゃかや!!』
『ォォオオオオオオ!!』
まさに地獄絵図と化した街。その空間のあちらこちらに、奇妙な『渦』があった。異形の怪物達が、次から次へとその渦から這い出して来ている。
『な、なんだこれは!? なんなんだよ!!?』
ドラゴン、悪魔、吸血鬼、不死鳥、エルフ、ドワーフ。創造上の生物であるはずの様々な異形が現れて、人を襲い、あるいは喰らっているのだ。
頭と心がまるでついて行けず、ただ茫然としてしまう。現実離れし過ぎたこの光景は何だ? こんな出来損ないのダークファンタジーみたいな世界で、俺の両親が殺された? そんなこと信じろって言うのか?
『ね、ねぇ兄さん。これって夢だよね? さっき、お父さんとお母さんが……ねえ!! 夢だよねっ? 兄さん!!』
俺の手をギュッと握り締めながら、トワも涙をボロボロと流して、俺が思っていた通りの言葉で問いかける。
『あぁ……あぁ。こ、こんなのが、現実であってたまるかよ!』
そう吐き捨てた瞬間、上空から翼を生やした蛇のような怪物が、俺とトワに襲いかかってきた。
『ぐあ!?』
『あぁ!?』
俺の頭に蛇の牙が食い込む。出血で赤く濁った視界の先に、足を噛まれているトワの姿があった。
『う、うわあああ!?』
俺は必死で怪物を薙ぎ払い、トワに噛みついた蛇を踏み殺した。
『だ、大丈夫か!? トワ!』
『足が、う、動かない。あぁ』
へなへなとその場に座り込んだトワの足の噛み傷から、ドロリと血が流れる。そして目からはまた大粒の涙をボロボロとこぼれた。
『あ、あたし死んじゃうのかな。うふふ、父さんと母さんみたいに、食べられちゃって、あははは』
『そんなことさせるか!! お、俺が背負ってやる!! 行くぞ!!』
そうだ。絶対にそんなことはさせない。ありえない。これ以上の悪夢を、俺とトワに見せられてたまるか!
俺は座り込むトワを抱え、思い切りダッシュした。
『うぐぁ、ああああ!!』
痛みと恐怖と混乱と、怒りと悲しみと絶望の中、それでも俺は、懸命に足だけは動かし続ける。
汚らしく涙を流し、苦渋の顔を浮かべながらも、ただひたすらに走った。
前方から襲い来る化け物達を避けながら、攻撃を喰らいながら、血反吐を吐きながらも、走った。
父と母の食われた瞬間が何度もフラッシュバックしながらも、走った。
走った。走った。走った。
このまま走り続けていれば、どこかに必ず安全な場所が、トワを助けられる場所があるはずだ。
『い、いやぁあああ!?』
しかし背中に違和感を覚え、その走りが止まる。がくんと背中が重くなったかと思うと途端に軽くなり、俺は慌てて後ろを振り返った。見ると、妹が翼竜に文字通り鷲掴みにされている。
『てめぇ!! トワをはなせ!! このやろうぉぉぉ!!』
俺は翼竜の足に掴まってぶら下がり、死に物狂いでトワを取り返そうとした。だが体力を消耗していた上に、この翼竜の力はあまりにすさまじい。抵抗するも、10mほど飛んだ場所で翼竜に振り落とされてしまった。
『がはぁあああ!!?』
そしてそのまま落ちていた瓦礫がぶつかり、そのまま俺の脇腹をえぐった。落下の衝撃も相まって、全身が割れるように痛む。
『兄さん!!』
その言葉にハッとなり、目を開けると、泣きじゃくった顔で俺を見つめるトワの姿が小さく見えた。だが、そこまでだった。
『ト……ワ……あぁ』
打ち所が悪すぎたのか、体が動かせず、もはや手を空に向けるだけで精一杯だ。そしてまたあの『渦』が、今度はトワと翼竜の前に出現する。
『がおぉおお!!??』
『兄さん!! 兄さん!!』
それが最後だった。
その声を最後に、トワと翼竜を巻き込んで、渦は消え去った。そしてそれを起点とするように、周りにいた怪異達は周辺に現れた渦に飲み込まれ、そのまま消えていった。
『く、くぅ、がぁああ』
『がぁあああああああああああ!!!!!!!!』
そして俺はそのまま声にならない声で叫んでいた。悲しみ、虚しさ、怒り、恐怖。あらゆる感情がこんがらがり、俺は咆哮をあげていたのだ。
後々分かったことだが、俺が住んでいた町で起こった事件は、次元トンネルという空間転移システムの誤作動が招いた悲劇だった。
その事件で多くの人が死に、多くの人が消え去り、多くの人が嘆き、絶望した。俺もその犠牲者の一人だったのだ。
「ニャハハ、絶望に喘ぐ少年か。なかなかの悲劇を味わったようだね」
声がかすれたころ、そして意識が薄れいく、最後の瞬間。今でも覚えている耳障りな声が聞こえた。そしてそれと同時に防護服を被ったような人の影が視界を遮っていく。
「今、我々は救助の名目で、いきのいい人材を探している。君は果たしてどうなるかな?」
「あ、……あ」
俺はそれを最後に意識を完全に失った。
ま、その後は、目覚めると病院の中だったよ。俺はその時に駆け付けた妙な組織に助けられたようだった。
当然ながら父も母も、そして渦の中に消えたトワの姿も無かったが。
そして俺は紆余曲折を経て、トワを探すためにその妙な組織へと入ることになった。次元トンネルにより起こる弊害を解決する組織にな。
まぁその後、その組織を裏切り、開発されていた武器も奪い去ることになるのだが、それはまた別の話だ。
今、語ったのは、俺の身に起こったどうしようもなく理不尽でマヌケな昔話さ。




