5.何かが起こる前触れですっ
「あーシス。そのベッドもう少し壁に寄せてくれてもいいよ」
『かしこまりました、マスター』
真っ白な室内を、重たいものを引きずるかのような鈍い音が駆け抜ける。殆ど何も無かったそこには、たった数時間もかからない内に家具で溢れ返っていた。ちゃぶ台に木製本棚、ベッドや物置き棚など、大きな家具もあればゴミ箱や置き時計の様な小さなものまで、生活に必要な物が全て取り揃えられた、と言った感じである。
これら全てを蒼汰一人でやるには、恐らく今の倍以上の時間を要しただろう。それ程までにシスの活躍は凄まじく───
「いやー、ホント助かるよ。
まさか『カタログ』と『模様替え』を同時に行ってくれるとは」
『いえいえ、マスターのお役に立てて光栄です』
と、いった具合だ。ここで言う『模様替え』とは、名前の通りマスタールームであるこの部屋に所持しているアイテムを自由に配置したり、CPを消費して増築や改築なども出来る、PCに備わっていた機能の一つである。
「ううっ……旦那様が構ってくれません……」
入口、というよりは最初に入って来たあの扉付近でPC片手に淡々と模様替えを続ける蒼汰とは対照的に、その傍で蹲って床で指遊びをしていたエリンがそんな事を口にする。見た目十代後半の彼女がそんな事をしているのはかなりシュールな光景だが、残念ながらそれに構っている余裕は蒼汰にはなかった。
「シス、CPあと幾ら残ってる?」
『はいマスター。残りは35,413,427CPです』
「……もっと減ってるかと思ったけど、案外使って無いんだな」
『元々の所持量を考えれば、家具の購入で減少するCPなど1%もありません』
「そ、そんなにあるのか?」
『はい、そんなにあります』
PCの発言に、未だにいじけているエリンを思わず見てしまう蒼汰。こうして何不自由ない生活を送れるほどのCPを手に入れてくれたのは彼女のお陰なのだが、未だに精神的な幼さが残っている為に中々きちんとしたお礼をいう事が出来ずにいた。
因みに彼が今までに使用したCPの一覧は以下の通りである。
・言語理解のスクロール2枚:1,000,000CP
・木製のちゃぶ台:13,200CP
・木製の大型本棚:48,240CP
・木製の物置き棚:11,200CP
・モノクロベッド(シングル):24,600CP
・フタ付きゴミ箱:2,680CP
・デジタル置き時計:14,580CP
これと得点で貰った1,000CPを踏まえた計算結果が残りCPとなっている。
指で何やら絵を描いている様子の彼女を眺めているそんな時、ふとある事を想い付いた。
「……なぁエリン」
「っ!! はいっ、はいっ私がエリンですっ!!」
「ぅぉうそんなガッツくなって。
……エリンさ、ベッドで寝てみるか?」
「ベッド、ですか?」
普段聞かない単語に、彼女は無意識に聞き返していた。もちろん記憶情報の中には存在していたが、使った事が無いどころか現物を見るのは今回が初めてである彼女にとって、その提案は少々躊躇われる内容。その事が顔にも表れていた為、蒼汰にすぐ気づかれてしまう。
「ああ、そんなに強張らなくていいよ。別に強制はしないけど、いくら床や地面で寝るのに慣れているからって体に負担がかからない訳じゃないし、自分の為にもベッドで寝た方がいいと思う」
「は、はぁ。私としましてもあそこで寝るのは問題ないのですが……」
「だったら……あっ!? べ、別にやましい理由は無いからっ!! ちゃんと俺とエリンのベッドは分けるから!!」
会話の途中で蒼汰は漸く、自分がどれだけ不埒な事を言っているのかに気が付き、全力でやましい事は考えていなかったと否定する。だがしかし、案の定といった所か。空回りである。
本来ならばここで「最低ですね」の一言でも浴びせられ、蒼汰の社会的地位がド底辺まで急降下する所なのだが、誠に残念な事に相手が悪かった。
「ふふっ、私は別に同じでも構いませんよ?」
「……マジ?」
「マジですっ。だって旦那様は私の旦那様ですよ?」
「い、いやそれはだからまだ違う……いや、待てよ?」
今日の蒼汰は異常に冴えていた。ここでもし彼女の旦那だという事実を受け入れてしまえば、それはつまり社会的な体裁を気にせずに彼女と同じベッドで寝てもいいという事に繋がる。何ならイチャイチャしてもいい。
それを受け入れた時のデメリットとしては見ず知らずの、それも種族違いの嫁の旦那としてこれから振る舞って行く事になる、という事だがハッキリ言ってしまえばこれはデメリットにもならないだろう。何故ならその嫁というのが圧倒的な美貌と可憐さを兼ね備え、また自分の事をこれ程にまで慕ってくれている、まさに誰しもが羨む完璧美少女嫁の旦那になれるのだから。……種族は違うが。
「いやしかしなぁ……そんな簡単に旦那を名乗ってもいいのか……」
地球で暮らしてきた経験がまだ彼の心を揺さぶるのだろう、結論を前に渋る蒼汰にシスが助言する。
『マスター。僭越ながら私の方から言わせて頂きますと、別に渋る必要は無いかと思われます。マスターの事ですから恐らく倫理観等を気になされているのでしょう、しかしここはマスターの暮らしていた世界とは全く異なる為、マスターの中の常識が非常識になることだってあり得るのです』
「た、確かにそうだけど……ってシス、お前何で俺が別の世界から来たって知ってんの?」
『私のデータ、というよりはこのPCの中に情報がありましたので』
「何でもアリかよ……」
万能過ぎてため息が出るレベルのシスの発言。そのせいもあってか彼は倫理観などどうでもいいような気がしてきてしまった。何かが吹っ切れた。
「……ま、いっか。じゃあエリン、今晩は一緒に寝るか?」
「はいっ喜んでっ!!」
蒼汰のその言葉にとびっきりの笑顔で返事するエリン。初めて会ってまだ一日も経っていない男に「一緒に寝よう」などと言われて、普通はそういう反応をするものではないのだが、どうやら彼女には少し羞恥心と言うものが欠けているのかも知れない。
『……マスター。このタイミングで言うのも何ですが、オフモードのダンジョン内に侵入者です』
「オフモード?」
未知の単語に反応を示す蒼汰に、シスは淡々と説明を加えていく。
『はい。現在マスターの所有するダンジョンはセルスト国というエルフのみで構成された国の北西に位置していますが、自動POPするモンスターが配置されておらず、またダンジョン内の配備も全くされていない為、その活動を全面的に停止している状態にあります』
「それで”オフモード”という訳か」
『はい。そして完全に機能を止めているダンジョンは現在、ただの小さな洞窟と化しています。そこにどうやら何者かが迷い込んで来たようです』
「なるほど……シス、そのダンジョンっていうのは俺達はどうやって行けばいいんだ?」
『はい。この部屋のもう一つの扉から、と言えば分かって頂けますでしょうか』
「うん、それで十分に分かった。
因みにだけど、その洞窟の様子って見れたりしない?」
『可能です。今から画面にダンジョンの平面図とカメラから見た映像を映します』
シスのその言葉の直後、開いていた全てのタブを閉じ新たに二つのページが画面を二分割するように現れる。左側にはダンジョンの地図らしき静止画が、右側にはリアルタイムで視点が動いている映像である。
ダンジョンの地図を見た時の蒼汰の第一印象は「……え、通路?」だった。
扉と入り口らしきものを一直線に繋いだだけ、それが彼の所有しているダンジョンの形状らしく、自分の目を疑った蒼汰が何とか絞り出したコメントがそれだったのだ。
だがそれよりも酷かったのが、右画面に映っていた映像だった。
「これは……女の子?」
「どうやらエルフの少女みたいですね。距離的に見えにくいですけど、ケガしているんじゃないでしょうか?」
『分かりました。映像を侵入者に向けて拡大します』
寄り添うような形でPCに注目していた蒼汰とエリンの視線の先で、画面右側の映像が勝手に動き出す。もちろんシスが操作しているのだが、その事を知らない者が見れば自動ズームという高性能システムに声も出なくなってしまうだろう。
映像がズームし、侵入者だとされている少女の全貌が明るみに出る辺りで、二人の顔が曇り始めた。
「……おい、これちょっとマズくないか?」
「そう、ですね」
雨にでも降られたのだろうか、ぐっしょりと濡れた全身無地のみすぼらしいワンピースを纏っているだけの少女は、画面で見る限り全身の至る所に切り傷や痣を追っているらしく、更には肌の白さに比べて見て分かるほどに赤く火照った顔。それを見た蒼汰とエリンの見解は一致していた。
「この状態なら運ばれるのには抵抗しないだろう。
シス、大きめのブランケット用意してくれ」
『かしこまりました、マスター』
「エリンは俺と一緒にこの子を一旦ここに連れて来よう。
その間にシスはベッドとテーブルが置いている小部屋と台所を増築していてくれ、配置は全部任せる」
『かしこまりました。ついでに台所に栄養の高い食材を用意しておきます』
「助かる。さ、エリン行こう」
「はいっ」
空から降って来るブランケットを手に取った蒼汰は、エリンを連れて未だ一度も触れていなかった扉の方へ歩き出す。思えばこの時、この瞬間からセルスト国の運命は決まってしまっていたのかも知れない……
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知らないお姉さんから地図を貰い、それを持って国の外に放り出された私は何も分からないまま、地図に付けられている赤色の印の所を目指してとにかく歩いた。お姉さんが言うには「ここにいては君の身が危ない」との事だけど、あの薄暗い空間でも危ないという事は無かった。だからあのお姉さんの言う事は多分建前というもので、本当は私をあの国から追い出したかったんだろう。……望まれる形で生まれなかった私を。
「はっはっはっはっ……」
もうどれぐらい走ったのか分からない。森の中を走ったせいで枝や花の棘が身体を切り付けるし、途中から酷い雨に襲われて全身ずぶ濡れだし、地図は無くすしで最悪だった。記憶が正しければ目的地まではまだまだ遠い、だから早く雨宿りできる所を探そう。そう思っていたけど森は段々深くなっていくし、頭はボーっとし始めて身体が重たくなってもうまともに動く事も限界だった。
その場に倒れそうになるのを必死に我慢しながら無心で先に進み、手足の感覚が無くなりかけていたその時、森を抜けた先にあった崖に小さな洞窟があった。
「はぁ、はぁ……ここ、で、休もう……」
苦しいながらも何とか洞窟の中まで辿りついた私は、糸が切れるかのようにその場に倒れ込んでしまった。
寒い。痛い。苦しい。そんな感覚ばかりが脳を、全身を支配していって、もうここで私が死ぬんだと覚悟した。
「……死にたく、無いなぁっ……」
生まれてからただただ同じ毎日を繰り返していた。美味しいご飯をお腹いっぱいになるまで食べたかったし、疲れるまで楽しい事をして遊びたかった。おしゃれもしてみたかったし、年頃の女の子の様に恋もしてみたかった。そしてきれいな景色を見て、そこで王子様とお姫様みたいに愛を誓い合いたかった。
「……嫌だよぉっ、死にたくないよぉっ……」
あぁ、こんな子供みたいな泣き言をいうなんていつぶりだろう。でも、もう最後だしいいよね。
重たい瞼が勝手に閉じてしまう。それでも意識が完全に落ちるまでは時間が掛かるらしく、走馬燈とかいうものなのは知らないけど、どこからか幻聴が聞こえて来るぐらいには私の体は弱り切っていたんだろう。
そうして私の意識は、消えた。