3.ここがスタートですっ♪
「えっと……ごめんなさい。みっともない所を見せてしまって」
「あ、いや俺の方こそごめん。大人げなかったと思うよ……」
長い間泣いていた彼女は、内に溜め込んでいた涙を全て流し切ると蒼汰から一度距離を取り、気恥しそうに俯いていた。そしてそこからの第一声が謝罪。すかさず蒼汰も謝り返していた。何とも息苦しいやり取りである。
「それで、聞きたい事があるんだけど一つ聞いてもいい?」
「え、は、はいどうぞ?」
このまま気まずい空気が続くのかと内心冷や冷やしていたエリンだったが、意外な事に目の前の彼がすぐに声を上げてくれた。目元に残る雫を手の甲でグイっと拭うと、彼女はどもりながらも質問を促す。
「答えたくなければ答えなくていいけど、エリンがどんな生活を送って来たか聞かせてくれないか?」
「それは……良いですけど、面白くないですよ?」
「それでも、知っておきたいんだよ」
「……一人でした。もう何回太陽が昇ったかもわからないぐらい、長い間この場所で一人生きていました。何もせず、ただ茫然と景色を眺めるだけの毎日を送っていました」
「……それは」
今までの彼女の生活は、一言で言ってしまえば地獄そのものだった。何か為すべき事を与えられるでもなく、興じる様な娯楽も無い。魔力を基にして形成されている彼女達妖精は、魔力の供給さえ怠らなければどんな怪我でも瞬時に治り、病気にもかからず、死ぬ事すら無い。……いや、”死ぬ事すら出来ない”のである。
彼女の話を聞いた蒼汰は、先程の自分の発言がいかに無責任な事なのかを思い知った。そしてそれは拭えない罪悪感として彼の中に留まり続ける。
「そんな顔をなさらないで下さい。今こうして旦那様と会え、お話ししているだけで私は十分に救われているんです。
……ですから、ここからは私のワガママです」
そこで言葉を止め、エリンは一度立ち上がると蒼汰に向かって深く頭を下げた。
「お願いします。私を一人にしないで下さい」
「っ……」
その言葉には、ただ純粋な思いだけが込められていた。彼にはもちろん、彼女がどれほどまで壮絶な生を歩んできたのか知る由もない。だが、それでも、彼女の想いを無下になど出来るはずもなかった。
「……言っておくけど、俺はそんなに出来た人間じゃないぞ?」
「そんな事気にしませんし、私はまだ旦那様の事を良く知りません」
「さっきみたいに、酷い事を言ってしまうかもしれないぞ?」
「構いません。ずっと傍にいてくれるのであれば」
「いきなりお嫁がどうのこうのとか、ダンジョンがどうのこうのとか言われても……」
「分かっています。私が勝手にお嫁さんだって言ってるだけですから、気にしないで下さい。ダンジョンの方は私もお手伝いしますから」
「……こんな取り柄のない俺なんかで、いいのか?」
「はい。寧ろ旦那様が良いです」
「……そっか」
「そうですよ。ふふっ、もうお終いですか?」
沈んだ感情はどこへやら、幼い少女の様に心から楽しいと言った笑みを浮かべるエリンに、蒼汰の心は確実に奪われていく。そもそも、この会話の流れになった以上彼に勝ち目などある筈も無いのだが。
「……分かったよ、俺の負けだよ。ここにいればいいんだろ?」
「っ!!有難うございますっ!!」
「で、でも!!流石にまだ嫁とか旦那とかそう言うのはちょっと……」
「分かってます、ゆっくり私の事を好きになっていって下されば十分ですからっ」
屈託なく笑う彼女に終始圧倒され続けている蒼汰。だがそんな彼でも一つ、心に決めた事があった。
(……こんな事考えるなんて、俺もこの子に毒され始めているなぁ。
しかし、それでもエリンはもう少し幸せになってもいい筈だろ。もう寂しい思いはさせない。
だからその為に─────)
「───ハーレムを作ろう」
「えっ?何か言いましたか?旦那様」
「……いや、何も言って無い」
彼女の為の仲間達を作ろう、蒼汰は胸の中のどこかにその想いをそっと仕舞い込む。不思議そうな顔をするエリンの顔を見て、蒼汰は優しく微笑みかけた。
「これからよろしくな、エリン」
「はいっ。不束者ですがどうぞよろしくお願いしますっ」
「……それ使い方間違ってないか?いや、でも嫁宣言したから間違って無いのか……」
嫌なわだかまりはいつしか雲と共に消え去り、世界樹の隙間から差し込む陽光は二人を祝福するかのように燦燦と照り付けていた。
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「ここですよ」
ややテンション高めな彼女に手を引っ張られながら、蒼汰は先程いた場所から見て丁度真逆に位置する、言うなれば世界樹の裏側の所まで来ていた。「ダンジョンマスターのするべき事を説明する前に見て欲しいモノがあるんです」という、彼女の言葉を受け入れたのだ。因みにだが「これから行くところでは不便になる」との理由で虹色の翅は消している。
「これは……」
こうして彼が驚くのも至極当然、なぜなら彼の視線の先には世界樹の幹に立て付けられている石製の扉があったのだ。常識的に考えて余りにも不自然すぎる光景なのだが、何故か蒼汰はその扉から妙な親近感を感じ取ってしまい、思わず言葉に詰まってしまう。
「ささ、中に入ってしまいましょう?」
催促するエリンはドアノブに手を掛けると、その扉をグイっと奥に開いた。
「……何、ここ」
扉の奥に広がっていた世界は、蒼汰の予想を全て塗り替えるような白さだった。立方体状の箱の中、それが彼の第一印象だった。家具も無ければ窓も無い、あるとすれば部屋全体を照らす円形の照明器具が天井にある事と奥にもう一つ石製の扉がある程度である。
終始ハテナマークを浮かべ続けている蒼汰をよそに裸足でその道の空間に踏み込んでいくエリン。ペタペタという何とも愛らしい音を奏でながら中央に当たる場所まで歩いて行くと、立ち止まって振り返り、満面の笑みで彼を手招きした。
「旦那様、ここですよここっ」
「お、おうちょっと待って……」
何とも愛らしい彼女の仕草にどぎまぎしながらも、蒼汰はその足を地面から床へと移動させる。床は予想以上にヒンヤリとしていて、彼の足裏をいい具合に刺激していた。
「お待たせ。で、何があるの?」
「これですっ」
辿り着くと同時に彼女が指差した先に視線を向けると、そこには────
「……ノートパソコン?」
その空間と同化する色合いの、一台のノートパソコンが床に閉じて置かれていた。それに添えられるようにしておかれていたワイヤレスマウスも真っ白、まるで発見されない様に置かれているとしか思えない状況だった。
「つい先日に現れたんですけど、私にはこれが何なのか分からなくて……」
「そりゃそうだろう、これは俺の世界にある物だし」
「えっ、そうなんですか?」
「ああ。ちょっと待ってて……」
手に取った重さや触り心地からも地球に存在するノートパソコンだろうと確信した彼は、それを一度床に置き開いてみる。中も画面以外は白一色ではあったが、キーボードや電源ボタン、タッチパッドなどはしっかりと備わっていた。
その場で胡坐をかいた蒼汰は何の躊躇いもなく電源ボタンを押し、起動してみる。するとPCならではの機械音を響かせ、画面から明るい光が漏れ始めた。
「す、すごいですっ!!」
「おわっ!?」
初めて見る光景に興奮してしまったエリンは、蒼汰の肩からひょっこり顔を出して声を上げていた。彼女の様な美麗な者にそんな行動をされれば、大抵の男は驚き身を引いてしまうだろう。ましてや今回は女性に抵抗のない蒼汰。耳元から彼女の声が聞こえてきたと同時に逆方向にずっ転げていた。
「あ……えっと、ごめんなさい」
「あ、あぁいや。こっちこそゴメン、大げさだった」
こんな行動を取られれば流石のエリンも距離感を間違えたと気付いたらしく、上を向いていた耳を垂らしてシュンとしてしまう。その姿もやはり愛らしいと言えば愛らしいのだが、それよりも彼女に対する罪悪感が上回ってしまった。
何となくまたぎこちない空気になりつつも、蒼汰は彼女を手招きして今度は真横に座らせ、そろそろロック画面が現れるはずのPCに目を集中させる。
「えっと……あれ?」
「どうしたんですか? 旦那様」
PCに表示されていたのは、パスワードを入力するロック画面ではなく、日本語で”名前入力”と書かれたテキストボックスがあるだけの画面だった。もちろんそれ以外のマークも無く、カーソルは出ているが反応するのはそのボックスだけである。
「いや、大丈夫何でもないよ。……取り敢えず”ソータ”で打ち込んでおくか」
ボックス内にキーボードで”ソータ”と素早く打ち込む。因みにソータというのはゲームやSNSで良く使う彼のニックネームで、ここに来る前にやっていたあのゲームでもこの名前を使っていた。
エンターキーを押すと、今度はボックスが消えると同時に”認証完了”の文字が浮かび上がって来、それもまた消えると別の文章が浮かび上がってくる。その文章に、蒼汰は凍り付いた。
「……え?」
「旦那様? どうかしたんですか?」
───”平凡な人間と孤独な妖精姫に幸あれ”。
画面に映った文字、それはどう見ても二人に宛てられたメッセージだった。日本語の読めないエリンが不思議そうに首を傾げる中、彼は”祝福されている”という事実に少し心を温かくしていた。
しばらくその余韻に浸っていると、さらに画面は切り替わる。どうやら次はホーム画面らしく、白い背景にアイコンが六つ、順番に『模様替え』、『ダンジョン』、『CP管理』、『持ち物』、『カタログ』、『ガチャ』という名前である。他には謎のプレゼントボックスアイコンやツールバーが存在し、日付と時刻が右下端に書かれていた。
「……これは、思っていたより俺好みの設定だな」
彼らが行うのは、言うなれば様々な資源を投入して自分の領地を敵から守るという、タワーディフェンス型のゲームに近い事。そう悟った蒼汰の口角はつり上がり、そしてまずはカーソルを『CP管理』に合わせた。