17.隊長の涙、ですっ♪
「王妃様! 分かれ道です!」
「それぐらい私にも見えているわ。索敵に反応は?」
「左に進んだ先にモンスターと思われる反応が二つあります!」
「そう、なら先に右に進みましょう。総員警戒しつつ右折しなさい」
「はっ!!」
(……どうしてここまで言わなければならないのかしら。自分で考えればすぐに分かるでしょうに)
漆黒のローブに身を包む女性・アリシアは周囲で警戒網を張る私兵達に指示を出しつつ、内心では愚痴をこぼしていた。兵達が秘密裏に集めて来た情報、最も信頼に足る兵隊長のギースが新たに出来たダンジョン内に捨てられた、という内容の真偽を確認するため、王妃という身分でありながら自らこうして出向いていた。
「王妃様! どうやら右側は休憩スペースのようです!」
「休憩スペース? その先に何か怪しい物は?」
「特に何もありません! 行き止まりです!」
「そう。なら左に進むわ。モンスターを蹴散らしながら捜索を続けて」
「はっ!」
アリシアの声を受け、兵達は武器を構えなおし先へ進んで行く。ダンジョン創作者の親切心が働いたのか内壁には松明が等間隔で並べられており、入って来た者が内部を探索しやすい様に隅々まで照らされている。そのため兵達は皆自分の目を頼りに行動していた。
「王妃様! ゴブリンが二体いました! 棍棒が握られている以外不自然な点はありません!
また、奥に怪しげな階段と左に続く通路が見えます!」
「見えているわ。細心の注意を払って撃退、そのまま階段の先に何があるのか確認するように皆に伝えなさい。マルサとロイは私の警護を」
「「「はっ!」」」
逐一報告に来る兵に命令を出し、自分の下に兵を二人だけ残したアリシアは視界に映るゴブリン共が屠られていくのを確認する。人が減った事により周囲の温度が少し下がる中、アリシアは近くにいる二人でさえやっと気付けるぐらいに小さく口を動かした。
「……もうダメね」
「アリシア様? 今何か仰られましたか?」
「何も言って無いわ。それよりもしギースが見つからなかった場合、次の隊長はロイ、貴方がやりなさい」
「わ、私ですか!?」
「何、不満でもあるの?」
「い、いえそういう訳では……」
彼女の言葉に、右側に立っていたエルフ男性のロイが目を大きく見開いた。大した実績を上げた訳でもなく、ただギースに言われるがままに行動していただけの自分がどうして。そう問いたかったが、アリシアの鋭い物言いに怖気づき喉に突っかかってしまった。そのまま胃の中に落ちて溶けていったそれは、もう二度と彼の口から吐き出される事は無い。
「なら問題ないわね。恐らく彼女はもう見つからないでしょう、この遠征から戻ったら急いで引き継ぎの儀を行うからそのつもりでいて」
「は、はっ!」
終始圧倒され続けた彼は、張り切った返事の後もう一人の仲間の方に目をやる。だがマルサは首を左右に振るだけで何も口にはしなかった。「俺にはどうすることも出来ない」とでも言いたいのだろうか。
この後の自分の事を考え暗い顔付きになるロイの横に、颯爽と連絡兵がやって来た。
「報告致します! 階段の先には小さな部屋が一つあるだけで、それ以外は何も無く行き止まりでした! 魔法による罠探知を行った所、床一面に入り口に転移する魔法陣が組み込まれていました!」
「そう。魔法陣の解除は?」
「も、申し訳ありません! 強力な保護魔法によって阻まれ、不可能でした!」
「ならいいわ。その階段を使わなければいいだけの話だもの。左の通路へ向かいなさい、索敵を使って常に敵の数を把握、ゴブリンならその場で切り捨てなさい。それ以外なら一旦退避しなさい」
「はっ!」
「マルサ、ロイ。貴方達も戦闘に加わって来なさい。ゴブリンだけなら私一人でも大丈夫だから」
「「はっ!」」
体格は違えど同じ鎧を纏っている三人は、それぞれ槍や剣を構え先へ進んでいる同僚の下へ駆けて行く。一人になったアリシアは索敵魔法を発動し、周囲に敵の姿が無い事を確認すると大きく息を吐いた。
「はぁ……どいつもこいつも使えない。どうしてもっと考えて行動出来ないのかしら。全部命令していたらキリが無いじゃない、それならまだモンスターを雇った方がマシよ。
……ギースがいなくなった分の穴埋めをしなくちゃ。代わりは沢山いる、でも時間が無いわ。取り敢えず適当に彼女の補佐をしていたロイを指名したけど、後でもう一度人選し直した方が良さそうね」
誰も聞いていないと油断し切って一気に毒を吐くアリシア。これが本来の彼女の姿なのだろう、一度全て吐き出した彼女はどこか吹っ切れた様子で、自分の命令に忠実に動いているだろう僕の下に足を進めていった。
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「「「「…………」」」」
モニターの向こう会話の一部始終を聞き終えた四人のいる空間は、一気に氷点下まで達してしまった。気まずい、気まず過ぎる。そんな思いが当事者除く三人の心中で一致してしまう。
「……はは。親友だと思っていたのは私だけだったのか……っ!!」
「ギースさん!?」
誰が悪いとか、何が悪いとか、恐らくそういう次元の話では無いのだろう。たまたま運悪く聞いてはいけない会話を聞いてしまっただけなのである。
目を背けたくなるような現実と直面してしまい、ギースはその場から逃げるように何処かへと走っていってしまった。エリンの叫びは届かなかったらしく、彼女が出て行った扉をエリンは悲しそうに見つめる。
「……お母さんがあんな人だったなんて」
ギースが走り去った後も、そこにはまだ一人ショックを受けているものが残っていた。クラリスである。
「クラリスちゃん?」
「分かってます、分かってますけどっ。
……やっぱり自分の親があんなクズだって知ったらどうしようもないじゃないですかっ!!」
「そ、それはそうですけど……」
声を荒げる少女の目には悲しみ、ではなく苛立ちが込められていた。自分の親が他人を侮辱するなどという光景を見せられれば、憤慨したくなるのも無理はない。社会に出て妥協性を身に着けていない子供など尚更だろう。
剥き出しの感情に触れて困窮するエリン。親という概念が無い彼女にとっては、それがどれ程の苦しみなのか知る事など出来るはずもなく、余計に掛ける言葉を見失ってしまう。だからエリンは同じ人類種として理解できると信じ、蒼汰に助けを求めようとする。
「だ、旦那様───」
「悪いエリン、クラリスを頼んだわ」
「───ええっ!? そんなぁ!?
ってちょっと待って下さい旦那様っ!?」
彼女の頼みの綱は、残念ながらどこかへと走り去っていったようだ。
「……私にどうしろって言うんですか~っ!!」
「声が大きいですよエリンさんっ!! 私の話聞いてますかっ!!」
「はいっ!! 聞いてます、聞いてますよクラリスちゃんっ!!」
何倍も年下の少女に理不尽に怒鳴られ、その気迫に思わず委縮してしまうエリンはこの後、何故か逆らえない少女の、愚痴とも取れる怒りの叫びを延々と浴びせられ続けるのだった。
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木の板を二回軽くノックする音が、冷たい廊下に響き渡っていく。
「ギース? いるか?」
「…………」
木製の扉の前で蒼汰がそう呼びかけるも、中からは全く反応が無い。誰も居ないのでは、と疑いたくなるその様子に内心少し焦りつつも、彼は少し汗の滲み始めていた手でドアノブを捻り、そのまま前に押し込む。元々この扉には鍵が付いていないので、簡単に開いてしまう。開くと分かっていても入る前に声を掛けるのは、蒼汰の中の常識がそうさせたからである。
「何だ、やっぱいるじゃん」
「…………」
彼の視線の先には、ベッドの上で体を丸める様に三角座りをするギースの姿。顔を体の中に押し込めるその様子は、外の世界の一切を受け付けないという心の現れに見えた。
だがそんな彼女の気など知った事じゃないと言わんばかりに、蒼汰はベッドまで歩んで豪快に腰を下ろした。
「いやー、やっぱりこのベッドいいね。フカフカで気持ちが良い!」
「……何をしに来た」
あまりにも厚かましい態度を取る彼に、さすがのギースも反応してしまう。しかし、顔を上げずに発されるその声はやはりどこか重々しく、同時に弱々しくあった。
どうせ同情でもしに来たのだろう、慰めようと思ってきたのだろう、そんな簡単な話ではないのに。そう思っていたギースにとって、彼の口から出た言葉は予想外過ぎた。
「いや? ただ来ただけだけど?」
「…………」
その発言にギースは言葉を返さなかった。いや、返せなかった。未だ俯く彼女には彼の意図が全く読めなかったのだ。そのため少しの間彼女のプライベートルームに沈黙が流れる。
このままどちらも言葉を発しないと思われた。だがそんな沈黙を破ったのは、蒼汰ではなく落ち込んでいる筈の彼女の方だった。
「……私がアリシア様と出会ったのは今から何十年も前、ただの一衛兵として日々過ごしていた時だった。国王様が入れ替わり、あの悪魔のような粛清が国内で行われている頃、私はアリシア様の警護の任に当たっていた。その時だ、アリシア様に”国を国王から取り返さないか”と呼びかけられたのは」
ずっと閉ざしていた顔を少し持ち上げ、懐かしむように呟き始めたギースの目元は、肌の色と合わないぐらいに赤くなっていた。
「本当に嬉しかったんだ、王妃であるアリシア様が自分と同じ思いだったと知った時は。それからアリシア様は多くの同志を衛兵の中から掻き集め、国王様の秘密裏に動く私兵組織の様なものを作り上げ、私はそこの隊長に選ばれた。私は充実感に満たされていた。信頼出来るアリシア様のために働けることに、一種の麻薬のような幸福感さえ感じていた」
瞳に薄っすらと浮かべる涙は懐古からか失望からか。過去を語るギースの顔は、彼にはそのどちらにも見えていた。
「……思えばその時からアリシア様にとって、私はただの使いやすい”駒”でしかなかった、という訳だ。
ははっ、何とも滑稽な話だ」
蒼汰に向けて乾いた笑みを浮かべるギースのその顔は、余りにも辛そうだった。見るに堪えなかった。無理をしている様にしか見えなかった。
だから、だからこそ、彼の言葉は彼女の心に重く響く。
「……笑わねぇよ」
「え……?」
「たとえ”滑稽だ、愉快だ、痛快だ”とか言ってギースを笑う奴がいたとしても。俺は絶対に笑わない」
「っ……!!」
「一体何を笑えって言うんだよ。仲間を見つけて、そいつの為に自分の時間を大量に費やして、どれだけ辛い事があっても、ただそれだけを信じてがむしゃらに頑張って、切り捨てられるその最後まで突っ走って」
「……や、やめろ」
「そんなもん滑稽でも何でもない」
「やめてくれっ……」
「寧ろそれはさ、”誇り”、だろ?」
「っ!!」
蒼汰が全て言い切る頃には、ギースの涙腺は完全に崩壊していた。しかしそれを拭おうとも止めようともせず、近くにあった枕を乱雑に掴んでベッドから飛び退いた彼女は、不格好にもそれを蒼汰に投げつけた。
「同情なんか求めてないっ!! 貴様に私の一体何が分かるというのだっ!!」
「分かるよ。少なくともあの場にいた誰よりも一番、俺がお前の事を分かってる」
「っ!! う、嘘をつくな!! だ、大体貴様が分かっているという根────」
激しく反抗し責め立てるギースを、温もりが包み込んだ。彼女は知らず知らずの内に近付いていた蒼汰に抱き締められていた。背丈が丁度同じぐらいなため、彼の肩に顔を埋める様な体勢になってしまう彼女の耳もとで、蒼汰は宥める様に囁く。
「苦しかったよな、辛かったよな、寂しかったよな」
「う、あぁぁ…………」
「ギースは許せないんだよな、自分を切り捨てた王妃様も、元凶である国王も国自体も、そして何より……こうやって叫んで喚く事しか出来ない、”弱い”自分自身も」
「あ、あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!!」
顔を彼の肩に押し付けたままのギースは、それこそ無邪気にはしゃいでいた子供の頃の様に、ただただ泣きじゃくった。自分でもどうしたら止まるのか分からない悲しみが体の内から留まる事無く押し寄せてくる。いつの間にか自分から彼の身体に回していた腕を手繰り寄せるように抱き締め、まるで子が親にするように縋り泣いていた。
蒼汰からもより強く抱きしめ、頭を軽く叩くように撫でてやると泣き声は徐々に収まり、鼻をすする音が残った。もうしばらくその体勢でいると、彼女の方から身体を少しだけ離し、お互いの顔が確認できる位置まで持ってくる。
「……すまない。こんなみっともない姿を、晒してしまって……」
出来るだけ平静を装うつもりなのだろうか、普段通りの口調で話そうとするギースに彼から溢れんばかりの優しさが掛けられる。
「無理するなよ。吐き出せるもんは全部出しとけ」
「っ……」
抱き締め合っている手はどちらも離そうとはしない。それだけの距離感だからこそ、蒼汰には彼女の心の内側をしっかりと読み取れていた。
「……地位も、名声も、富さえも。全てを捨ててアリシア様に付き従ったというのに。それなのにその唯一の心の拠り所を切り捨てられた私は一体っ、一体っ、これからどうしろと言うのだっ!!
教えてくれ、教えてくれアオタ殿っ……!!」
心身共に鎧を纏い続けて来た彼女らしい荒々しい心の叫びは、いつしか少女のような悲痛な叫びに変わっていた。自分の内に空いてしまった巨大な穴を塞ぐために、彼にその全てを求めていた。
「だったら教えてやるよ」
止まりかけていた涙の筋が再び広がりそうになるギースの為に、蒼汰は自分の持つ道しるべを差し出してやる。
「一生ここにいろ。それがお前のするべき事だ」
「そ、それは……」
そう、彼が差し出したのはあの時下した罰だった。華奢とは言えないが細身の身体を抱き留めていた両手を肩に乗せ、言い聞かせるように言葉を放つ。
「ここには俺も、エリンも、シスも、クラリスもいる。お前の事を心配してくれる”仲間”がここにはいるんだ。何も恐れる必要は無いし、何も心配する必要なんかない」
「……ううっ……」
蒼汰の言葉を受け、ギースの両腕はだらんと垂れ下がる。思うように力が入らなくなっているらしい。そんな状態の彼女に、蒼汰がとどめを刺した。
「一緒に来いよ。俺達と毎日バカやって騒いで、美味いもん食べて、毎日”幸せだ”って感じて、そんで…………見返してやろうぜ? 自分を切り捨てた奴らを、さ」
「あぁっ……!!! ありがとう、ありがとうっ……!!!」
あれ程泣いたのに再び涙を流すギースを、再び蒼汰は抱きしめてやる。されるがままの彼女は天を仰いでわんわん泣き続け、泣き疲れて眠りに落ちるまで、自分に居場所を与えてくれた青年の温もりを噛み締め続けるのだった。
この日、漸くにしてギースが供給者としてダンジョンに迎えられる事となったのだが、それに気が付くのはもう少し先の話。




