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13.またまた全力の治療ですっ






 トイレから帰ってきたエリンと合流した蒼汰は、事情を説明しエルフ女性の身柄を一度トレーニングルームに移す事にした。召喚したモンスター達はそれぞれ、巨大蝶と大狼は世界樹の根本、未だ謎の毛むくじゃらはクラリスと一緒に寝ている為、そこはもぬけの殻である。

 雑菌等は無いだろうが念のためにと、床に真っ新なシーツを敷き女性をその上に寝かせ、その上からまたシーツをかけてあげる蒼汰。そんな彼のそばに寄り添う形で女性を覗き込んでいたエリンは、シーツからはみ出た腕に触れると、何事も無かったかのように立ち上がった。




「旦那様、恐らくですがこの様子ですと今日中に命を落とす事になるかと」


「そ、そんなにマズい状態なのか?」


「はい。血流の悪化に体温の低下、拍動もかなり弱まってきています」


「……治せるか?」


「本気でやれば何とかなりそうです」


「それは、大丈夫なのか?」




 彼女の言う本気がどの程度なのか見当もつかない蒼汰からすれば、エリンの言葉は二重の意味で不安要素だった。そんな彼の思いに応えるべく口元を緩める彼女は、一歩エルフ女性の前に歩み、軽く呼吸を整え始める。




「……始めます。───”ヒエル・アル”」




 その一言の直後、エリンの背中には普段見せていなかった、七色に輝く二対の翅が現れる。パジャマ服の上から生える様に現れたそれは、蒼汰が初めて見た時の何倍も大きく、そして言葉では形容しがたい程に美しくなっていた。

 エリンの唱えた魔法、ヒエル・アルは最上級の回復魔法である。単体対象だが、全ての外傷を治し、破損個所も一か所ならば修復出来るという、医者要らずの超絶スキルである。しかし消費魔力が余りにも多く、七日に一度しか使えないという制約があるため、異世界ではほとんど使用されない”失われし魔法(ロスト・マジック)”の分類に属していた。




「……綺麗」




 彼女の足元に広がる白い円形の魔法陣、虹色の光を放つ翅、そしてそれらの中心に立つ絶世の美少女。絵画として額縁に納めたら一体幾らの値が付くのだろうか、いやもしかしたら値段など付けられないかもしれない。目利きなど出来やしない蒼汰にそう感じさせるほど、エリンの魔法詠唱は神々しいものだった。

 少しして、彼女の足元にあった魔法陣はゆっくりと女性の方に向かって進んで行き、今度は女性を中心として白く淡い光を漏らし始めた。それは女性を包み込むように放たれたかと思うと、徐々に体内に吸い込まれていった。




「……ふぅ、終わりました」




 額にうっすらと浮かんでいた汗を手の甲で拭うエリンと共に、蒼汰はエルフ女性の顔を覗き込む。魔法使用前にあった痣や傷は全て無くなり、血色もかなり良くなっている。エリンの魔法は大成功に収まった、という事なのだろう。




「受けたショックが余りに大きいのでしょう、多分目覚めるまではもう少し時間が掛かると思います」


「ならその間に起きた時に困らない様に準備しておかないとな。それも頼んで良いか?」


「はいっ♪」




 手慣れた感じでシスから白色のパジャマや下着を受け取ると、それをエリンの方に流し自分はPC片手に一旦室内から外に出た。




「……ふぅっ」




 扉のすぐ隣、マスタールームとトレーニングルームを繋ぐ通路の壁に凭れ掛かると、大きく息を吐きながら腰を下ろす。エリンにどれだけ情けない姿を見せようと、心配させるような姿だけは見せたくない。そんな彼の意地もここに来て限界に達したらしく、あの惨状の衝撃が負荷となり今になって再び彼の身体に襲い掛かって来た。




『マスター。こちらをお飲みください』


「……これは?」




 膝上に置いたシスが脇に用意したのは、明るい金色の液体が淹れられた紙コップ。ほのかに湯気立ち、甘い柑橘系の匂いが彼の手を動かした。




『栄養ドリンクです。特にこれと言った効果はありませんが、少しは元気になるかと』


「ほんと気が利きすぎて人工知能だと思えないな……」


『人工知能ではありません。多機能擬人思考回路システムです』


「マジレスは求めてねーよ……」




 紙コップを両手で持つと熱くもなく(ぬる)くも無い、身体が良い具合に温まる温度が手に広がる。それを一気に喉の奥に流し込むと、蜂蜜の様なマイルドな甘さと柑橘の持つ酸味が彼の身体を駆け巡った。




「はぁ~、染みるなぁ」


『エリン様が着替えさせ終わるまでまだ時間もありますし、もう少しここでゆっくりされてはいかがですか?』


「そうするよ。ありがとう」




 機械にまで心配される、などという無粋な考えには至らなかった蒼汰はゆっくりと目を閉じ、身体が温まっていくのを感じながら、許されるギリギリの時間まで休む事に専念するのだった。


























───────────────────────









 目を開けた時に最初に思ったのは、「ここは天国なのか?」だった。生前感じていた、気が狂いそうになる程の痛覚は嘘のように消え去っていて、あの地獄の拷問部屋ではない光景が視界の先に広がっていた。いつの間にか着せられていたのだろう、パジャマの感触もしっかり感じられる。何だか生活感のある天国だ。




「あっ、旦那様~っ 目が覚めたみたいですよっ♪」




 恐らく横たわっているのだろう自分からは見えない所で、聞き覚えの無い声が誰かを呼んでいた。声の高さから女性だろう、そしてその声の主以外にも『旦那様』と呼ばれる者、つまり私以外に最低でも2人以上この場にいるという事だ。ここまでの状況判断が出来るという事は、脳に損傷は無さそうだな。




「気分はどうですか?」




 そうこうしている内に、先程の声の女性が私に声を掛けて来た。首も問題なく動くので声のする方に目を向けると、そこにいた女性の姿に私は自分の目を疑った。世界が凍り付いたかの様に、時が止まったかの様に、私は声を出す事はおろか眼球を動かす事さえ出来なかった。

 私の前に現われた女性は、書物や噂でしか聞いた事の無かった、あの妖精という種族に酷似していた。いや、妖精そのものだったのだが、妖精というにしては余りに人に近い姿形をしており、そして美しいという言葉を使うのが申し訳ないぐらいに、端麗だった。




「あの、どうかしましたか?」




 しまった。どうやら女性の事を長く見過ぎていた様だ。




「あ、あぁ大丈夫だ、問題ない。気分も良いよ」


「そうですか。それは良かったです」


「エリン、どんな様子だ?」


「あっ旦那様っ♪ どうやら大丈夫らしいですっ」




 女性が後ろから近づいて来た『旦那様』と呼ばれている者に、子供の様な笑顔で私の容態について簡潔に伝えていた。これ程の美少女の夫とは一体どんな者なのか、私の頭の中はその事で一杯だった。




「えっと、意識が戻ってよかったよ」




 しかし現れた『旦那様』は良くも悪くも普通の人間の男性だった。上下黒っぽいパジャマを着て、何やら怪しげな折り畳みの板を手にしている。人間という種族と会うのはこれが数度目だが、黒い髪はその中でも確か珍しいと聞いた憶えがある。

 色々聞きたい事は山積みなのだが、先にこれだけは聞いておかなければならない事がある。




「私は、生きているのか?」


「ああ。生きてるよ」


「……そうか」


「あんまり嬉しそうじゃないんだな?」




 嬉しく無い訳がない。寧ろあんな状態から生き返ったのだ。今にでも飛び跳ねて喜ぶべきなのだろう。

 しかし、私の中に蔓延るたった一つの感情がそれを阻害していた。




「いや……嬉しいのだが……

こんな汚れてしまった身でこれから生きていく事になると思うと辛くてな……」


「……そっか」




 私が質問にそう答えると、男性の方が申し訳ないと言った表情でボソッと喋った。同情してくれているのだろうか。しかし何とも気まずい。

 自分の所為なのだがこの重たい空気を変えるために、何か別の話題を出さなければ。




「……自己紹介がまだだったな。

私の名前はギース・カンダラ。ギースでいい。この度は私の命を救ってくれた事に感謝する」




 あの忌々しい男達とこの男性は見た目が明らかに違うからだろうか、これといった私怨に駆られる事も無く話が出来る。この男性が厭らしい目で女性を見ていないからか?




「俺の名前は大川田蒼汰。蒼汰って呼んでくれ。

んで、こっちがエリン。見て分かる様に妖精だ」


「エリンですっ。旦那様のお嫁さんをしてますっ」


「……それってするものなのか?」


「二人はそういう関係なのだな。

所で……あれ程負傷していた私を治してくれたのは?」


「ああ、それならエリンだよ」


「そうか。……確かに、妖精が持つという膨大な魔力を使えば、最上級の魔法ぐらい造作も無い、と言う訳か。

では、この服装も貴女の?」


「いえ、それは旦那様が……」


「なっ!?」




 どういう事だ? この服はアオタ殿の私物なのか? ……とんだ収集癖だな。やはりこの男性も変態だったか。




「ちょ、エリンそれだったら誤解を生むからなっ!?

……えっと、エリンは魔法で自分の服を用意出来るんだよ。それで布一枚だったギースに着せてやる服が無かったから、ダンジョンマスターの俺が買ったんだよ。だからエリンは俺のだって言った訳で、別にそんな趣味は無いからな?」


「そ、そうか。

……アオタ殿はダンジョンマスターだったのだな、それなら全て納得がいく」




 ダンジョンマスターなら、自分の知らない材質を使ったこの空間にも説明がつく。それにしても、ダンジョンマスターとは稀有な存在と出会ったものだ。人前には姿を現さないと聞き及んでいたのだが。




「それで旦那様、この後どうするんですか?」


「んー、どうするかなぁ……」




 私の前で何やら今後の方針について二人が議論し始めたその時だった。




「ふぁぁぁ~っ……

お兄さん、エリンさん、おはようございますぅ……」


「クラリスちゃんおはようございますっ♪

それと、私の事はお姉さん」


「呼びません」


「そんなぁ!?」


「ははっ、クラリスおはよう。今日は早いな?」


「はい、かなり体調も良くなってきました。

……まだピーちゃんが寝てるので、二度寝しそうでした……」




 また、私は自分の目を疑った。なぜ、どうして無事に外へ逃がしたはずの親友の娘がここにいるのだ? 何が、一体何が起きている?




「それでお兄さん、何が───ああっ!?」


「ど、どうしたクラリス!?」




 焼き切れるぐらいに足りない脳を回転させ、事態の把握に努めていると、クラリス様が私を指差して何とも可愛らしい大声を上げていた。一体、どうかしたのだろうか?




「ど、どうしてあの時の衛兵さんがここにいるんですか?」


「クラリス、もしかしてギースと知り合いなのか?」


「あ、いえ、セルスト国から脱出する時に手助けしてくれた人です」


「……どうして、だ?」


「ギース? 今、何て?」


「一体どういう事だ!? どうして、どうしてクラリス様がダンジョンマスターと一緒に居る!? あの時渡した地図に従っていればどうやってもダンジョンなどには向かわないはずだぞ!? それに、たとえダンジョンマスターに摑まったとしても、聡明なクラリス様なら得体の知れない者達と一緒に行動するなど絶対にありえない!!」


「お、落ち着けって!? 一体何をそんなに興奮してるんだよ?」




 分からない、どうしてこんな状況になっているのかも、今自分が何を発しているのかも分からない。ただ、気が付けば私は天から与えられたオリジナルスキル・片手剣生成を使って右手に黒銀製の片手剣を握っていた。




「そ、そうだ!! そこの妖精が精神操作系の魔法を使ったに決まってる!! そうじゃ無ければ身元の分からない者とここまで親しげに会話など出来るはずがない!!」


「は、はぁ!? ギース、お前一体何を」


「たとえ命の恩人であろうとも、我が親友の宝に傷を付けようとする者は全て敵!!

アオタ殿を倒し、エリン婦人を倒した後、クラリス様は私が連れ帰らせて貰う!!」




 私は完全に冷静さを失っていた。どうしてこうなったかは分からない。ただクラリス様がこの場にいる不当な理由が欲しかったのだ。そうしなければ自分に納得が出来ない、そうしなければ自分の内に溜まっていた負の感情をぶつける先が無くなりそうで怖かったのだ。




「覚悟っ!!」


「っ!?」




 幸いな事に身体は鈍っていなかったらしく、相手の反応速度を上回ってアオタ殿の脇下に滑り込む。本当に申し訳ないが、彼にはこの一撃で眠って貰う。せめてもの情けとして命までは取らないから、どうか許して貰いたい。

 複雑な思いの中、私は力を込め剣を振るった。




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