0.ゲームクリア……?
窓の全てが暗色系のカーテンで閉ざされ、部屋にはどこからも日の光は差し込んでいない。家具もテーブル、ベッド、机、テレビ、クローゼットと、生活に必要最低限の物しか置いていない。そんなどこか物寂しい部屋に、無機質な音が絶えずに聞こえていた。
箸で丼をかき込んでいる音だろうか?…………もちろん否である。
どれだけ時間が経とうとも、音はまだ一向に止まない。不規則なリズムで、時には一定のリズムで、ただひたすら箸をぶつけたような音が鳴り響く。
すると突然テレビから大音量で、その部屋の雰囲気には余りにも似つかわしくない、軽快な音楽と共に
『ゲームクリアっ!! コングラチュレーション!!』
という、何とも明るい声が聞こえて来る。ただ、聞こえてきた声はそれだけではなく、
「……………あ˝あ˝っ、やっと終わったぁ……………」
疲労感満載の、そんなガラガラ声も聞こえて来る。
テレビの前で胡坐を掻いて座っていた彼は両手をコントローラーから放し、大の字に広げて後ろに倒れ込んだ。その顔はどこか痩せこけていて、目の下には大きな隈がある。
余程疲れたのか、彼はそのままゆっくりと静かに目を閉じ、誰にも聞こえないぐらいのか細い声で嘆くように呟く。
「……なんつークソゲーだよ、これ……生まれて初めて体験したわ、『72時間クエスト』………」
彼が今さっきまでプレイしていたゲームは、今や多くの者がプレイする事を諦めた、いわゆる『クソゲー』。発売当初は一から好きな様に設定出来るキャラメイクの良さ、ストーリー性、収集家泣かせのアイテム量、そして運営が随時更新・配布するイベント等、様々なやり込み要素があったお陰で尋常ではない程の人気があった。
そのためゲームはどの店舗でも売り切れ・入荷待ちは当たり前、それに没頭する社会人が爆発的に増えたために職場が大荒れ、社会問題にまで発展した。メディアでは”歴史に名を残すゲーム”として取り上げられた程だった。
ただ、あくまでもそれは”発売当初”の話。先程も述べた様に今ではこのゲームをする人間など、彼を含め一握りの人間だけである。
「……しかし、これがラスボスとかホント有り得ねーよ」
そんなゲームの唯一の欠点、それが『ソロプレイ用のゲームなのにラスボスを倒すのに3日丸々かかる』という事だった。
途中セーブ不可、一時停止も不可、さらにはリタイア不可という一度始めたが最後、クリアするかゲームオーバーするかの二択しかない最低の内容にプレイヤー達が大荒れした。
しかし『こんなのクソゲーだ!!』とプレイヤーの殆どが辞めていったそのゲームを、彼はたった一人でクリアしたのだ。つまりは三徹、苦行でしかない。
確かに複数人で挑めばそこまで苦しくは無いのかもしれない、ローテーションを組んで3日頑張るだけである。だが彼にはそんな事は出来なかった…………そもそも組む相手がいなかった。
「やり切った…………寝よう」
1人満身創痍だった彼はもう意識を手放す寸前だった。
エンドロールは明日見よう、そう心に決め意識を手放そうとするのだが、それを許さないと言わんばかりに聞き覚えの無い音が画面から聞こえて来る。
『テッテレー!!!!
おめでとう!! 君がこのゲームをソロクリアした初めての人だよ!!
特別に何でも一つ願いを叶えてあげよう!!』
突如として聞こえてきた謎の声。一刻も早く深い眠りに落ちたい、それなのにこんな子供だましの様な話が聞こえて来て彼は苛立ちを覚えた。だがそれ以上に、彼には引っかかる事があった。
(…………聞いた事のない声だな、ここに来て新キャラ?
物凄く気になるだけど今は寝たいし……)
睡眠欲と知的好奇心の狭間で揺れ動く彼の心は結局、
「ん……誰だ?」
知的好奇心が勝ってしまった。
彼は顔だけを持ち上げ、閉じていた目を無理やり半目にしてテレビ画面に向ける。しかしそこには彼の望む姿は存在していなかった。
「……………音声キャラ?」
『さぁ!!君の望む物を声に出してみよう!!』
彼の目に映っていたのは某WEBサイトの検索バーの右側にあるモノを思い出させるような、灰色のマイクアイコン。姿の見えない謎の音声が画面から聞こえて来るたびに彼の表情はどんどん訝しくなり、とうとうある結論に達してしまう────これは夢だ、と。
(あぁ、俺の初クリアイベを夢の中で見る事になるとは………
何でも願いを一つだけ叶えてくれるって言ってたっけ、なら────)
夢ならば、と寝惚ける頭をフルに動かし、思うが儘の願いを口にする。
「だったら…………
巨乳でナイスバディで頭もよくて運動神経抜群、性格は穏やかで家事も完璧にこなせるし物凄く気も利く、周囲の者からは愛されててそれでいて引くぐらい裕福、けどちょっと残念な所もあってそれが可愛らしくて。毎朝「おはようございます、旦那様」って言ってくれるし、おやすみのキスもしてくれる。俺の事を溺愛してくれて養ってくれる。しかも俺の言う事は何でも聞いてくれる…………
そんな完璧美少女を嫁にくれっ!!!!!!」
…………まるで思春期真っ盛りの高校一年生が中二病を拗らせた様な、欲望丸出しの発言である。だが彼だって本気でそう言っている訳では無い。
彼の中では今は夢なのだ。夢の中ぐらい欲望に忠実でもいい、そう考えた上での発言である。…………内容は誇れるようなものでは無いが。
『君の願い、確かに聞き受けたよ!!』
だがそんな子供じみた願いを画面の中の音声は承諾してくれたようだ。
『あ、でも地球上に該当する者は居ないから、今から君は別世界にいる”嫁”の所まで飛んでもらうよ!!』
あぁ、飛んで行くのか。睡魔にやられて思考回路の殆どを閉ざしてしまっている彼は画面からの言葉をそのまま受け取る事しか出来ない。声がガラガラな事を考慮すれば最早オウムの方が有能なのでは、と疑われる程度だ。
『じゃあ、楽しい異世界ライフを!!』
大川田蒼汰、20歳で高卒の無職。そんな彼の地球上での人生はここで一度エンディングを迎える事となる。だがそれは新たな始まりを迎えるための準備でしかなかった事を、彼は知る由も無かった。そんな彼の目に最後に映ったのは、テレビに表示されていた『目的地:悠久の塔』という謎の単語であった。