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第二章 接触(2)

 しかし、彼女の話を信じるという過程で進めなければ、いつまでたっても平行線。


 何度も言うが俺にはあまり時間が残されていないのだ。


 正確には妹、の方がだが。


 ともかく、俺に残された時間は二年もない。


 今まで内緒にしてきたが、妹の体は―――――――。


 いや、悲しみに暮れるのにはまだ早すぎる、と俺は自身に喝を入れて、エカトリーナから情報を引き出すべく俯いていた顔を上げ、彼女の青い瞳を正面から見据える。


「そうは、言ってない。ただ、そうだな。人間っていうのは目の前で見た事や、実際に体験した事でないと信じられない生き物だ。勿論、俺もその類に漏れない人種だ。根拠がない不可思議な存在を素直に信じられるほど餓鬼でもない」


 アンタもそうだろ? と同意を求めると、


「……そうね。アタシも、つい最近までは信じられなかった。でも、あの日から否応が無しにでも信じなきゃダメになった。ううん、信じなくてはいけなくなった」


「あの日? それは一体どういう?」


「何も疑問に思うことはない。貴方も体験したことがあるでしょ? 実際には起こりえない“奇跡”を、その身に」


 その言葉を聞いて、俺の心臓が痛いくらいに激しく脈打った。その透明な何でも見透かされそうな瞳に見つめられ、俺は息をするのも困難なほど全身が金縛りになるのを感じた。


「――――――“奇跡”。それじゃあ、アンタも?」


「えぇ、貴方と同じ“契約者”よ」


自身が魔女の契約者と明かしたエカトリーナは自嘲するかのように、サクランボのように真っ赤に彩られた綺麗な唇を歪ませて呟く。


「ふん、全くお笑いでしょ。ユートピアや魔女が誕生した原因の一族の末裔が、まさか魔女の餌食になるなんて。情けなくて先祖にも顔向けできやしない」


「でもさ、それはどうしようもない状況だったんだろう? アンタには全然非はないよ。こんなのは不可抗力だ」


「そうね、そうだったらどんなに良かったか。アタシはね、別に貴方のような絶体絶命の状況でも何でもなかったわ。それも、アタシの不注意で起きた事なのよ」


「不注意? それは一体―――――」


 何が何だか分からなかった。


 彼女の言葉を全部聞いていても全くこれっぽっちも理解できなかった。


 今までの彼女の話から推察するに、魔女っていうのは契約する人間の絶体絶命の時に契約を持ち掛け、人の弱みに付け込んで強引にでも契約するはずなのだが、どうもエカトリーナの場合は少し話が違う様子。


 彼女の言う不注意というのはどういう事なのか。それにその口ぶりだと、まるで実際に魔女に会って会話したかのような口ぶりだ。


「――――――アタシのせいで親友が死に、彼女を生き返らせるために、魔女と契約したの、アタシは」


「親友が死んだだって? おいおい、嘘だろ? 死んだ人間も生き返らせるのかよ」


「えぇ、可能よ。というか、それを実際に目の当たりにしたアタシが言うのだから間違いないわ」


 マジかよ、俺は脱力してソファーの背もたれに上半身を預ける。


 そんな俺の様子を気にかける余裕もないのか、エカトリーナは淡々とした口調で会話を続けていた。


「アタシは自分の過失を隠蔽するために魔女と契約した。契約の内容によって、その身に降りかかる呪いもより強力になるの。ふふ、軽蔑するでしょ? 世界でも有名な作家先生がまさか“殺人者”だった、だなんて。これ以上にないスクープだわね」


 何が可笑しいのか。愉快そうに笑みを浮かべて話し続けるエカトリーナ。気でも狂ったのかと思ったがそれは取り越し苦労のようだ。


 彼女は正気だ。


 いっそ気が狂ってしまえばどんなに楽だっただろう。


 俺には彼女の苦しみが痛いほどに理解できた。


「……それで、アンタの呪いはどのくらい」


 強力なんだ? と言いかけて慌てて口を噤んだ。


 聞かれて気分のいいものではないし、俺だって呪いの辛さは嫌という程に味わっている。死人を生き返らせるほどの契約なのだから、その代償は計り知れないほどであろう。


 だがエカトリーナは俺の気配りを察することなく、自らの口でペラペラと語り始めた。

いや、恐らく何か話してないと怖いのだろう。それほどまでに彼女の呪いは強力なのだろうか?


「アタシが契約に対して払った“対価”は、“自分の命”」


「え?」


 俺は思わず耳を疑った。


 命? それって寿命ってこと?


「命って、それじゃあ―――――、近いうちに死ぬのか?」


「そうね。アタシの命はもう幾ばくも無い。このサイン会が、恐らくアタシの最後の晴れ舞台になるかしら」


 そうあっけらかんと口にするエカトリーナに、俺はカッと自分の中で激しい怒りの炎が燃え上がるのを感じた。


 なんで、そんな風に事も無げに自分の死を口にする。


 なんで、なん、で―――――――。


 グッと唇を噛み締めながら、俺は目の前が赤く染まるのを誤魔化すように目を瞑った。


「どうして、魔女との契約を選んだ。事故なら、大した罪にもならないだろ」


「……自分の命を天秤にかける価値があったからよ。アタシは、彼女無しの生活は考えられなかった。貴方にだって家族以外で、そう思える人がいるはず」

 

そんな人間いない。


 俺にとって家族以外の他人なんて、そこらへんに転がっている石ころほどの価値しかない。友達どころか親友すら俺にとって不必要な存在だ。


 そんな存在に命をかける彼女を、俺は異質な者を見るかのように見つめ続けた。


 俺のことをしばらく見続けていたエカトリーナは、やがて可哀想な者を見たかのように、もの悲しげに首を振った。


「……可哀想。貴方、人間にとって大切なものを“魔女”に奪われたのね」


 それはある意味、死ぬよりも辛い事ね、と同情するように呟くエカトリーナ。


 その同情は憐れみからくるものか、それとも馴れ合いからくるものなのか。


 俺は恐らく前者の方だと思った。馴れ合いなんてする性格じゃないことは、この短い時間ながらも理解していたから。


「可哀想、か。そうかも、しれないな。俺は、あの事故から心が空っぽで、他の事はどうでもよくて。でも何故か妹の事だけはずっと大切に思ってきた、思えてこられた。俺がまだ人間でいられるのは妹のお陰なんだ」


 怒る気も起らなかった。だって彼女の言っていることは紛れもない事実だから反論しようもない。


「そう、ならもう言う事はないわ。だけど、貴方が“貴方自身”に戻りたいと願うのなら、これからアタシのいう事をよく聞いて」


 別に無理強いするつもりもない。でも、これが最後のチャンスだと思って、とエカトリーナは矢継ぎ早にそう言うと、ソファーの横に備えられたサイドテーブルの引き出しを開け、ある数枚ほど束になった洋紙を取り出した。


「この洋紙にはアタシの一族が長年かけて調べ上げた、ユートピアに行ける方法を記してあるわ。もし“本当に”現状を打破したいと思っているのなら……」


 スッ、と俺の眼前に洋紙を差し出すエカトリーナ。


 俺は洋紙とエカトリーナを逡巡するかのように交互に見やり、


「……アンタは、エカトリーナはいいのか?」


「アタシ? アタシは良いの。アタシは十分に自分の人生を生きたわ。アタシが死んでも、エカトリーナ・F・カルティーンの書き残した物語は後世に語り継がれる。それだけでアタシがアタシであることの証明になり、生きた証にもなるの」


 己の胸の内を吐露したからか、彼女は晴れ晴れとした顔で笑った、笑っていた。


 まるで、そう。もう思い残すことはないという風に。


 その表情を見ていると、もうこれ以上何も言えなくなり、俺は彼女の意思を無駄にしないように、神妙な面持ちで洋紙を受け取った。


 受け取った洋紙をザッと目を通すと、驚いた。てっきりフランス語で書かれていると思いきや、英語で書かれていたのだ。これならインターネット翻訳サイトでそのまま打ち込めばあっという間に日本語訳に変換できる。


 早速家に帰って翻訳作業に当たることにしよう。即決した俺は洋紙を小さく折ってショルダーバックに丁寧に仕舞うと、佇まいを直してエカトリーナに向き直った。


「ありがとう。エカトリーナのお陰で俺が進むべき道が見えた気がする。この恩は絶対忘れない」


「改まって気持ち悪いわね。いいのよ、これ以上アタシたちみたいな人間を出すわけにはいかないから」


 フッと柔らかな微笑でそう答えると、彼女はもう話すことはないという風にテーブルの上に置いてあったベルを手に取り、それを数回ほど小さく鳴らした。


 チリン、チリンと軽やかなベルの音が室内に響くのと同時に、先ほど扉を開けてくれた執事の男性が再び扉を開けて入室してきた。


「お呼びでしょうか、エカトリーナ様」


 恭しく一礼。


 エカトリーナは執事を一瞥すると、涼やかな声音で命令を下す。あまりに自然な流れだったので、俺は特別違和感を抱かなったほど彼女の姿は様になっていた。


「えぇ、お帰りの様よ。エントランスまで送り届けてあげて」


「……よろしいのですか?」


「これ以上話すことはないわ。あとは彼自身が見て、聞いて、感じて、判断すべき。アタシの役目はもう終わったのだから」


「左様ですか。では、お送りいたします。どうぞ、こちらへ」


 彼女の真意を言葉の端々から推察した執事は終始表情を崩さず、エカトリーナの命に大人しく従い、俺へと見事な体運びで向き直り、深々と腰を折り曲げ一礼し、後ろ手で扉を開けて丁寧な口調で扉を通るように促す。


 別に断る理由もないので俺は大人しく執事が開けてくれた扉の方へと向かう。


 すると、去り際に抑揚のない声でエカトリーナが語りかけてきた。


「――――――気を付けて。ユートピアでは、自分の本名とか弱音や本音を決して口にしないで。これが、アタシが贈る最初で最期のアドバイスよ」


「……分かった。重ね重ね礼を言う様であれだけど、もう一度。どうも、ありがとう」


 振り返らずに感謝の言葉を述べ、部屋を後にする。


 今振り返って彼女の顔を見る勇気がなかったのだ。声で聴く限りは平静そのものだったが、もしかしたら――――――、泣いているかもしれない。


 強がってはいるが、死が怖くない人間などいるはずないのを、俺は痛いほどその身で理解しているから。

 

 ここは気づかぬふりで立ち去るのが吉と判断し、俺は一度も振り返ることはなくエカトリーナに別れの言葉を告げようと口を開く、が。その前に一言だけ。



「――――――生きろよ、絶対」



 なるべくぶっきらぼうにそう告げ、間髪入れず「じゃあな」と別れの言葉を述べ、執事に導かれるまま俺は部屋から退出した。


 扉が閉まる直前、涙声で「……ありがとう」とエカトリーナの本心が聞けただけで、俺の空っぽの心が少しだけ癒されるような気がした。


 ――――――言って、良かった。



 俺は清々しい気分で、エカトリーナに連れられて通った廊下を、彼女が遣わした執事と共に歩くのであった。



 その日の夜。


 ホテルを後にした俺は、妹の見舞いを手短に済ませると、寄り道をせずに真っ直ぐ家へと帰宅する。その理由は肩から提げているショルダーバックの中にあった。


 一刻も早くこの紙に書かれた内容を隅々まで把握したい。


 そんな衝動にかられた俺は晩飯を食べる事も忘れて、僅かな明かりが灯る自室の机にかじり付くようにして、洋紙の翻訳作業に没頭していた。


 パソコンを起動させるのも面倒だったので、今回はスマホで翻訳サイトを検索し、一心不乱に文字を打ち込んでは、日本語に訳された文章をノートに書き記すということを繰り返す。


 こんなに必死になったのはいつ以来だろうか? 少なくともテスト前しか記憶にないな、勉強したのは。


 無駄な事は一切しない主義だったのに――――――、どうやら俺も彼女に毒されてきているのかもしれない。


 まぁ、少なくとも“今回ばかり”は、無駄と言い切ることは出来ない。


 俺と、妹にとって、これは――――――、“始まりの終わり。終わりの始まり”。


 翻訳作業を開始してから一時間ほど経過する頃、ようやく俺の作業も終わりを迎えようとしていた。


 見開いたノートの半ページにはみっちりと文字が埋め尽くされており、日本語に書き直された文章を改めて目の当たりにすると、俺の体内で得も言われぬ高揚感と達成感が湧き起こった。


 震える手で俺はノートを手に取ると、自分が書いた文章に目を通してみた。やはり母国語というのは有難いものだ。内容がスラスラと入って来る。


 書く時間の半分以上の時間で文章を読み終えた俺は、あまりにも現実離れした記述に思わず目を疑った。


(翻訳したものの、これはどう解釈したらいいのだろうか)


 俺は「う~ん」と低く唸り声を上げつつ、緊張の糸が解かれたように一気に机の上に突っ伏した。


 内容は流石大作家だと感心する文章力で書かれていたが、しかしどれも空想じみているというか、はっきり言って彼女が拵えた“物語”でしかない。


「……ユートピアに行くには、“魔女の依代”である者の体液が必要。それを媒介にして、この図の通りに魔法陣を地面の上に書き、そこに6つの材料を並べ、自身の血を数滴ほど垂らし――――――、って、どこのゲームの主人公だよ」


 こんなテンプレなの今時誰も真に受けないってーの。


 でも……、好奇心が鎌首を擡げる。

 エカトリーナの言う通りなら、相手は数世紀以上前の魔女であるはず。ならば、この方法とやらはなんら間違いでもおふざけでもないのかもしれない。


 こういうのをテレビの特番で見たことがある。


 魔女がよく行う儀式のようなもので、この魔方陣は別世界に行くためのテレポーション的な代物かもしれない。


 ならば、一回だけやってみても罰は当たらないのでは。それに折角俺たちのためにエカトリーナがくれたチャンスを潰すのも忍びない。


 あんな腐女子オタクの言う事だが、あのホテルで話した内容は信じるに足るものであった(それ以外は実に聞くに堪えない内容であったが)。


 とりあえず俺は気を取り直して、ここに書いてある物を揃えてみようと決断し、少し早いがこの日は大人しく就寝することにした。


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