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第二章 接触(1)

 魔女が実在する?


 教会が拵えたデマや、童話などから作られた空想の産物じゃなく?


 魔法と呼ばれる超人的な能力を自在に使うとか――――――、いやいやいや。それはない。そんなチートな存在俺は認めない。


 でも、俺が、俺たちが今置かれている状況はまさに不可思議としかいいようがない。


 あの事故で生き残れたこと自体、ありとあらゆる可能性と照らし合わせてみても“奇跡”としかいいようがない。俺たち非力な子供二人があの凄惨な事故から、あんな手酷い怪我を負っていながら自力でトンネルから脱出など出来るはずないからだ。


 それでも、彼女の言っていることはとてもじゃないが理解しがたいものである。


 俺は心のどこかで彼女に『ユートピアなど存在しない』と言ってもらいたかったのかもしれない。


「なんか、意外ね」


「何が?」


「だから、なんて言ったらいいのかな? もっとこう、取り乱すかな~って。だっていきなり知り合って間もない女に『アンタは魔女の契約者よ』と言われたら、ハァ? 何言っていんだこのアマ。頭いっちゃっているんじゃないの? とか思わないのかなぁ、って」


 つか、アタシなら絶対スルーするね、と自嘲気味に呟くエカトリーナ。


 まぁ、彼女の言い分も分かる。俺も身に覚えがなかったら、彼女の事を華麗にスルーしてこの場から足早に去ると思う。


 というか、今から数分前までは“他人のフリ”をしたくて堪らなかったのは余談ではあるが。


 ともかく彼女の言う事を一から十まで信じるかと言えば、まだ判断材料が足りない。何か確証を見せてもらわないことには、だ。


「……そりゃ、俺だってそんな世迷言を信じるほどお人よしじゃねぇけど、今回ばかりは心当たりがありすぎて、笑い飛ばすことが出来ねぇ状態だ。それに、今の俺たちは今の状況を打破するためには藁にも縋るしかないと思っている」


 妹の足を治すためには、方法や手段を選べない。何せ現代の医術でも無理なのだとしたら、もう方法は一つしかない。


 もう、元凶(魔女)を叩くしか他がないのだ。


「そう、君の悩みは切実のようだね。いいよ、アタシが言っていることが嘘でない事を証明してあげる。でも、その為には場所を変えないとね……、君、アタシについてきてくれるかな?」


 俺の鬼気迫る雰囲気を感じ取ったエカトリーナは一人頷いた後、クイッと顎をしゃくって後をついてくるよう指示してくる。


 今更どこに行くのだろうか、とも思ったが、ここは素直に指示に従った方が良いだろう。ようやくユートピアに辿り着ける唯一の道標を知っているかもしれないのに、俺の感情一つで台無しにするほど餓鬼ではない。


 俺は逸る心臓を鎮めながら、頭二つ分ほど小さいエカトリーナの背中を指針にして歩みだした。


 彼女に連れられてやって来たのは指趾川駅前から1キロ圏内にある五つ星ホテルの玄関口であった。


 70階もの高さを誇る全面ガラス張りの超高層ビルを前にして、俺は改めて横に立つエカトリーナの存在を恐れた。


(一泊するだけで数万するホテルに連泊するとか、やっぱりこいつただの変態じゃないんだな。これが俗に言う馬鹿と天才は紙一重というやつか)


 売れっ子作家というのはよほど稼げるのだろう。才能がある奴がこうやって得をするように世の中はできているのだ。


 まぁ、この世の中に凡人などはいて捨てるほどいるのだから無理もない話だ。要は才能の無い奴は地道に稼げというただそれだけのことだ。今更ない才能を羨むほど度量の低い男ではない。


 それでも……、やっぱり彼女とは住む世界が違うなぁ。彼女ほど稼げたら、妹の入院先も海外のいい病院に変えられるのに。


 って、またか。


ったく、他人を羨むのは人間の宿命なのかもしれない。


いい加減気分を変えなきゃ、と俺は胸中に渦巻くモヤモヤとした気持ちを追い払うように、カチカチとスマホを器用に片手で操作するエカトリーナに話しかけてみる。


「なぁ、一体何をしているんだ?」


「ん? あぁ、ちょっとね……」


 と、妙に言葉を濁すエカトリーナ。しばらく文字を打ち続けていたがどうやら打ち終わった様子。気だるげにスマホを上着のポケットにしまう。


 ただならぬエカトリーナの様子に何だか聞いてはならない不穏な雰囲気を感じ、「そうか」と短く一言相槌を打って彼女から視線を逸らす。


 こういう場合はあまり深く聞かない方が身のためであると、先人たちの遺した書物などにも書き残されているほどなのだから。


 好奇心は身を亡ぼす。


 今の状況はこの諺に当てはまるであろう。


 俺はなるべく平静を装い無関心でいようと心掛けることにする。勿論、自分の身の安全のためにだ。

 

「それにしても、このホテルと俺たちが会った本屋って案外近所だったんだな。あそこにいたのは読者層の観察のためとか?」


「別に、単なる暇つぶし。ホテルの中に籠っているのも退屈だし、時間の無駄じゃない。それに折角憧れの日本に来たことだし、外に出なきゃ勿体無いじゃない。サイン会だけっていうのもなんだか味気ないしつまらないでしょ」


 そう返すとエカトリーナはサッサッとホテルの玄関を通過し、俺は置いて行かれまいと慌てて彼女の後に続いて玄関の自動ドアを潜ってホテル内へと足を踏み入れた。


 一歩足を踏み入れた瞬間、俺は今まで見たこともない景観を目の当たりにして思わず圧巻の溜め息を漏らす。


 外国の名誉ある大劇場みたいなロビーには、これまた豪奢そうな調度品が品よく配置されていた。極めつけは天井にぶら下がっている巨大なシャンデリアであろう。まるで大粒のダイヤが何層にも重なり合って天井からぶら下がっているように見えた。


 駅前にいくつもあるビジネスホテルのロビーとは違い、たくさんの宿泊客がいるというのに辺りには喧騒という言葉がかけ離れた静寂という世界しかなく、ここは同じ日本なのかと疑ってしまうほどであった。


 靴を履いていてもその柔らかな感触が分かる赤色の絨毯に、俺はこんな汚いスニーカーで踏み歩いてもいいのだろうかと恐縮したものの、ここは変に意識せず堂々と構えた方が目立たなくてすむだろう。


何より隣にいるエカトリーナに合わせなくては余計に怪しまれるかもしれない。


明らかに俺は場違いな人間なのだから、周りに合わせた方が自然と溶け込める。これは俺が大人向けの雑誌を買う時に身に着けたいわゆる一種の処世術でもあった。


スゥ~、ハァ~と大きく深呼吸。


ここで意識を切り替える。


彼女の連れと周りに認識させるような、大人な男の雰囲気を……、って、こいつ見た目が幼女なのに大人の男っていうのはヤバい組み合わせなのではないか? と今更ながら選択を誤ったと後悔する。


「うぉおおおおお」と、頭を抱えって悶絶している俺に気づいたエカトリーナは、


「ちょっと、アンタ何やっているのよ。ほら、早くこっちに来なさい。アンタの今の格好すごく目立つわよ、勿論悪い意味でね」


 と、半ば呆れ顔でそう忠言してきた。


 よくよく見てみると周りにいた宿泊客の多くが変人を見るかのような、訝しげな視線をこちらへと無遠慮に向けていたが俺と目が合うと慌てて視線を逸らす。


 う~ん、どうやら彼女の言う通りのようだ。


 俺は気恥ずかしさから全身がカァーと熱くなるのを感じ、そそくさとその場から離れてエカトリーナの傍へと向かう。


「……全く注意力散漫ね。子供じゃないのだからもう少しシャンとしなさいよ」


「悪かったよ。正直な話、こんな敷居の高いホテルなんて来たことがなかったから、普段よりテンションが上がっちゃって……」


「そ。まぁ、いいわ。それよりほら。アタシの後についてきて。ゆっくり話が出来る場所に案内するわ」


 憮然とした面持ちで手招きするエカトリーナに、


「え? アンタの部屋に行って話したらいいんじゃ?」


 キョトンとしてそう言うと、エカトリーナはジロリと鋭い眼光でこちらを睨みつけてきた。


「……アンタ馬鹿ね。アタシがいくらオタで腐女子だからって、さっき会ったばかりの男を部屋に案内するはずないでしょう」


 それに、と意味深に言葉を濁すエカトリーナ。

「アタシみたいな大作家が男連れ込んでいるって、担当にバレたら大騒ぎになるのは目に見えているしね」


 そういうものなのか? まぁ、世界的に有名な作家ともなれば注目もされるだろうし、衆人観衆の目も気にしなくてはいけない。


 それこそ異国でのサイン会で若い男を連れ込んでいる、との噂をマスコミに嗅ぎ付けられて記事に書かれたら最後、エカトリーナの作家人生は終わりを迎える事になるかもしれない。


 特にエカトリーナのような若くて美少女かつ、ぽっと出の成り上がり作家は、世間的にも同業者にも厳しい目で見られているはずだ。


 だからその様なデマが出ればあっという間に拡散し、エカトリーナは非難の目で見られることは確定だ。それを危惧してくれるのだから、彼女の担当はいい人だと俺は率直にそう思った。


「分かった。俺もそういう事なら反対はしないよ。それによく知らない女の部屋に入るほど神経図太くないし」


「そう、そう言ってくれると助かるわ。まぁ、安心して。昨日打合せする時に使用した場所があるから。あそこなら誰にも聞かれないし、じっくり話し合う時間はあるわ」


「そうか。にしてもずいぶん歩くな。ここホテルのロビーから、だいぶ離れているけど大丈夫なのか?」


 内心怖気づきながらエカトリーナにそう尋ねる。


 たくさんの宿泊客で埋め尽くされていたエントランス兼ロビーからだいぶん歩かされ、気づくとそこはカーテンで太陽の光を遮断した薄暗い一本の廊下であった。廊下を照らす光は壁に掛けられたランプのみで、なんだかホラーゲーによくある景観だな、と辺りを見回す。


 そう言えば話しながら歩いて来たから道順とか覚えてなかった。


 これは帰る時にヤバいんじゃないかと、エカトリーナに視線だけでそう訴えると、

彼女は俺の視線に気づいたのかこそばゆそうに体を捩り、器用に首だけこちらへと振り向かせて口を開いた。


「あぁ、大丈夫よ。帰りは従業員に頼んでホテルのエントランスまで送って行ってもらうから、貴方は心配しなくてもいいわ」


 それを聞いて安心した俺は大人しく彼女の背中を追うことにした。


 エカトリーナに連れられて歩くこと数十分。


 俺たちは廊下の一番奥にある扉の前に立っていた。その扉の端には執事服を着た壮年の男性が佇んでおり、エカトリーナに気づくと恭しく腰を折り曲げた。


「これは、これは、エカトリーナ様。ようこそ、お越しくださいました。本日はどのようなご用件でしょうか?」


「……とても重要な事よ。察しの良い貴方なら分かるはずだけど」


 含みを孕んだ彼女の言葉に執事は表情を変えはしなかったが、身の内の動揺を示すように綺麗に整えられた眉毛が僅かにだが跳ね上がる。


「……そうですか、その少年が“あの”」


「そう、ようやく見つけた、ユートピアの謎を解く“鍵”よ、彼は」


 鍵? 俺が? なんの事だ?


 彼女たちの会話について行けず、頭上に疑問符を浮かべて立ち尽くす俺。


 その間にも彼女と執事の間で話はどんどん進んでいく。


「――――――で、しばらくこの部屋には誰にも入れないで。彼には、真実を知ってもらう必要がある。これは、アタシが背負う“業”だから」


「かしこまりました。それでは、お二人とも中へお入りくださいませ」


 執事は後ろ手で器用にドアノブを回すとドアを開けて、もう一度深々とお辞儀しながら俺たちが通れるように場所を譲る。


 執事の肩越しに見える室内は薄暗くて、部屋の中央に机と椅子らしき物が置かれているのを目視できただけであった。


(なんでこの辺りはこんなに暗いのだろう? 電気通ってないのか?)


 などという不躾な疑問はひとまず置いておき、俺はサッサッと部屋の中へと入ったエカトリーナの後に続いて室内へと足を踏み入れると、ヒヤッとした冷たい空気が頬を弄るのを感じ思わず身震いしてしまった。


 空調が効いているわけではないのに、部屋全体が涼しさを感じるほどであった。思えばここへ来る道中から空気が変わっていたことに漸く気づいた俺は、ここはあのホテルとは別の場所に位置するのだという事を悟った。


 いつから場所が変わったのだろうか。廊下を延々と歩かされたのは場所を悟らせないため? 何故そこまで厳重にする必要があるのか。


 まぁ、その謎も今から彼女が話してくれるのだろう。考えるのは時間の無駄だ。


「それじゃあ、そろそろ始めましょうか」


 彼女の鶴の一声で執事は丁寧にドアを閉め、それと同時に室内に仄かな明かりが灯る。光源はこれまた壁に掛けられた蝋燭であり、俺の眼には自動で蝋燭の火が灯ったように見えた。


 一体これはどういった仕組みなのだろう? 手品なのか?


 突然の出来事に驚きを隠せない俺に、


「ねぇ、座りなさいよ。これから話すことはとても長いから立って聞くのはキツイと思う」


 先にソファーに腰かけたエカトリーナがそう促す。


 別に断る理由もなかった俺は彼女の指示通りソファーに腰を下ろす。するとフワフワとした柔らかな感触が俺の尻全体に広がるのを感じ、思わず顔をほころばす。


 こんな高級なソファーはそうそうお目にかかれないだろう。俺の生活ではそうそう座る経験など訪れるはずもないとさえ思えてくるほどだ。


「……すごく座り心地がいいな。こんなソファーに中々座る機会ないから得した気分だよ」


「そう。それは良かったわね。さて、話を変えるけど―――――、さっきの話全部理解できた?」


 と、エカトリーナは強引に話を切り替え、いやに真摯な表情を浮かべて俺に尋ねてきた。もちろん、さっき路地裏で展開されていた会話のことだ。


「全部は理解できてないけど、あの話が作り話じゃないってことくらいはね」


「……もっと反論するかと思ったけど、適応能力高いわねアンタ。そう他人から言われたことない?」


「あぁ、嫌という程にね。周りから『子供のくせに物分りが良すぎて気味が悪い』って、よく白い目で見られていたのを覚えている。それは事故のせいなのか俺にもよく分からないけど」


 今思えば、大人の顔色を窺うことによって、自分たちの立場をよくしようとしていたのかもしれない。親なしの子供(しかも下半身不随の妹がいる状況)など、親戚連中からしてみたら厄介事でしかない。


 だから、せめて俺が中学を卒業するまでは面倒を見てもらうため、俺は親戚たちに“手のかからない良い子”を演じる必要があったのだ。


 その為に必要なのは、“大人の顔色を窺うこと”と、“どんな環境にも適応すること”であった。


 俺は自分たちの暮らしを守る為ならば、大人たちに気味悪がれようが陰口を叩かれようが一向に構わなかった。


 それに俺はそれしか方法を知らなかった。


 滔々と呟く俺を見かねたのか、パンパンと手のひらを数回打ち鳴らし、陰鬱とした雰囲気を吹き飛ばすエカトリーナ。


「はいはい、アンタの過去話はそのくらいにして、いいかしら?」


「あぁ、悪い。それで、俺の、いや俺たちの“呪い”は解けるのか? そのユートピアに行けたとしたら」


「そうね。ただユートピアに行っただけだと解けないわ。契約した魔女を倒すなり話し合いをして和解するなりしないとね」


「魔女……、本当にそんなの存在するのか?」


「何? ユートピアの存在は信じるのに、魔女の存在は信じられないと?」


 あからさまに機嫌が悪くなった声質に、俺はゴクリと緊張からか無意識に唾を嚥下する。だってどう考えても魔女なんて、そんなおとぎ話みたいな存在を信じろ、って言う方が無理というか、そもそもユートピアという異世界的なのだってだいぶ譲歩しての話なのだ。



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