第九章 誘い(8)
楽しんでいただけたら幸いです。
軽い朝食を食べ終えた俺とケティは、道に迷わないようにと、ケティの持つ短剣で木の幹に印を刻みつけて進むように決めた。ここには木の幹に己が縄張りを主張する際に傷をつける動物(熊や猪)はいないため、それらと混同することはないからとケティ。
そのケティの案に賛同した俺は、彼女の代りに印をつける役をかって出た。彼女の体力面を気遣いっての事である(もちろん、ケティの荷物や武器類も俺が持つ事にした)。
「こういうことはあまりしたくはないのだが・・・・・・。下手に迷って無駄な体力と貴重な時間を浪費するのは惜しいからな。それにもう私たちの存在は相手側には伝わっているだろうし、こちらが遠慮する必要性はない」
「そうか。なら印はド~ンと分かりやすい方がいいか?」
「そうだな・・・・・・、あまり小さく刻むと分かりにくいしな。アラタのやりたい様にやればいい」
「りょ~かいっと」
ガリガリガリ、と俺は木の幹に印を刻んでいく。ちなみに相手側から見ても分かりやすい印は避けることにして、今俺が刻んでいるのは平仮名の『さ』であった。これならば中世時代の、しかも西欧圏の人間には読めないであろうと踏んでいたのだが・・・・・・・、どうやら”当たり”のようである。
ケティは俺の刻んだ”さ”の文字を興味深そうに見つめ、
「なぁ、アラタ。これは何と読むんだ?」
「これは俺の国の文字で”さ”って読むんだ。まぁ、これなら魔女連中にも分からないだろう」
「それはそうだが、それでもこれが文字であるということは分かると思うぞ。流石に書いてある意味は分からないと思うけどな」
「それが狙いなんだよ。どうせ俺たちの存在は割れてんだろ? ならそれを逆手にとってワザと文字らしき印をこれ見よがしに残しておく。だけど、この文字の意味は俺にしか分からないから、この文字が一体何の意味を示すのかまではあいつらには分からない。それを利用して俺らにしか分からない”言葉”を印ておくんだ」
「ふむ、なるほどな。アラタの知謀には恐れ入ったよ。それで、一体何の言葉を印すつもりなんだ?」
「そうだな・・・・・・・、俺たちだけに通じる”合言葉”を書こうかなって思ってるんだ」
「合言葉か。それは妙案だな」
そう。もし、あのジャンヌ・ダルクが俺とケティのどちらかに成りすましても、この合言葉さえあれば偽者か否かすぐに分かるというわけだ。合言葉に答えられなかったら、そいつはズバリ”黒”というわけで。
しかし、その為には彼女にも平仮名を覚えてもらわなければいけないわけで。けど今はそんな悠長なことをしている時間も手間もないので、どうにか歩きながらこの”合言葉”の文字だけでも覚えてもらうしかない。
そのことをケティに伝えると、彼女は笑って了承してくれた。
「そのくらいお安い御用だ。昔隊に所属していたころは、数時間おきに変わる作戦や暗号を覚えていたからな。合言葉を覚えるなど私にとったら何の障害でもない」
大きく出たケティ。ならば彼女の言葉に甘えるとするか、と俺はどんな合言葉にしようかと考えつつ、森の最深部へと向かうべく移動を開始する。
落ち葉の道を踏みしめながら、勿論500mごとに印をつけるのも忘れずに先を進んでいく。ちなみに全部の樹に平仮名を印さず、10本に一文字という間隔で印すことにしている(流石に全部の樹に文字を書いていたらキリがないし時間もかかるから)。
ケティは眉根を眉間に寄せた苦悶の表情で、自身の知らない未知なる文字を必死に覚えている真最中であった。荒い紙質の羊皮紙に必死に平仮名を書き写し、俺に平仮名の意味を聞くと自身の分かる文字をその横にちょこっと記していた。
俺はそんなケティの苦戦ぶりに思わずこの合言葉作戦を止めようかと告げるも、
「いや、この作戦は続行する。いや、するべきだ。なに、これくらい何の苦行でもない」
「でもさ・・・・・・」
「でもさもくそもない!! いいか、私はやると言ったらやる女だ!!」
と、てこでも動かないケティに、俺はこれ以上何も言えなくなり、彼女の気が済むまで好きにさせようと決意した。それに俺自身としてもこの作戦を投げ出すのはあまりも惜しい。
他にこれ以上の有効な案を思いつかないからだ。恐らくケティも俺と同じ考えだからこそ、あれほどまでに激高したのであろう。
ならば彼女が満足するまで、もうできないと音を上げるまで、この作戦を続行することにした。
しばらく道なりに歩くこと数時間。
何やら微かに水の匂いがしたのに気付き、俺はすぐ真後ろを歩くケティへと確認を取る。
「なぁ、微かにだが水の匂いがしないか?」
「? そうか、私には匂ってこないが・・・・・・」
カリカリとまだメモを取っているケティ。視線はずっと羊皮紙に注がれたままだ。
俺はケティの鼻が詰まっているんじゃないかと思わず口に出しそうになるが、寸前のところでどうにか思い止まり、俺は話半分のケティを放っておいて注意深く周囲へと意識を配る。
聴覚、嗅覚、視覚をフルに活用して、俺は水の出所を突き止めようと試みる、と。
北西の方からほんの微かにだが水がチョロチョロと流れ出る音が聞こえ、もしやと思い俺はケティを置いてその場所へと急行する。
生い茂る木々を掻き分け、何度も枯葉に足を取られそうになるも、どうにか開けた場所へと出ることが出来た。
開けた先には俺たちが求めてやまない”水”が豊富に蓄えた湖があった。この森の規模を考えると少し小さい湖であったが、今の俺たちにはこの湖が宝の山に見えた。
俺はあまりの嬉しさに気が動転するのを感じながら、それでもこの一大ニューズをケティに伝えるべく彼女の元へ帰る。
戻る道すがら何度も転んだが、そんな些細な事も気にならないほど俺の感情は昂っており、この舞い上がった感情をケティと早く共感したかった。
ケティの元へ戻ると、まだ彼女は羊皮紙と睨めっこしていて、俺の報告も話半分に聞いていてその場から動こうとしない。そんなケティに痺れを切らした俺は無理やりにでも彼女を連れて行こうと、ケティの手を強引に掴むとそのまま引きずっていく。
別にその間もケティは文句を言うわけでもなく、俺に引きずられるままであった。そしてその間でも必死に羊皮紙を見て暗記しているのだから、彼女の集中力はハンパないことも知ることが出来た。
しかし、あの光景を見てもそんな態度を取れるのかな、と俺はあの湖を見た際のケティの驚く様を思い浮かべほくそ笑む。
きっとすごく驚くはずだ。
まさかこうも簡単に見つかるなんて露ほども思ってないだろうからな。
その瞬間はもうすぐやってくる。
あと一歩踏み出したら先ほど見つけた湖の場所に出る。そしてその時は訪れる。
俺はケティの手を握りながら湖がある場所へと到達し、流石のケティも羊皮紙から視線を移して、目の前に広がる湖を視界に入れた瞬間、あまりにも突然の事に動揺したのか手にした羊皮紙を地面へと落としてしまう。
「ま、まさかこうも簡単に見つかってしまうとは・・・・・・・、少々”予想外”だったな」
「うん? そうだろそうだろ。自分でも不思議なくらいあっさりと見つけられてさ。けれど、これで飲料水の心配はないだろ?」
「・・・・・・そうだな。”流石だよ”」
俺はケティの手放しの誉め言葉にすっかり気を良くして、だいぶ少なくなっていた水筒に新しい水を補充しようと、背負った荷物の中から水筒を取り出すべく一度荷物を地面の上に降ろす。
呑気に鼻歌を歌いながら水筒を探す俺は知らなかった。
まさか、ここにいるケティが―――――――――――――、すでに”偽者”であることなど。
―――――――――――――黄昏の森の滞在期日まで、残り30時間。
一難去ってまた一難。
この章もそろそろ佳境に差し掛かってきました。
あと二話ほどでこの章は終わる予定ですが、まだまだ”ジャンヌ・ダルク編”は続きますので、
どうぞよろしくお願いいたします。
では、次回に。




