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第一章 始動(2)

「――――――ぁ。――――――雫ぁ」


 誰だろう。俺の名前を遠くから呼ぶ声がする。その声はどんどんと回を増すごとに近づいてくるかのようで―――――――、そして次の瞬間。


 バシン、という重ための効果音と共に俺の後頭部に激痛が走り、俺はあまりの痛みに声にもならない悲鳴を上げて悶絶する。


 すると、頭上から不機嫌なアラサーの女の声が投げかけられた。


「おい、十雫ぁ。俺の授業中に居眠りとはいい度胸じゃねぇか」


 この不機嫌な女は俺のクラスの担任である瀬戸内アキラといい、今は彼女の授業である物理の時間であったのを思い出した俺は、ようやく自分の置かれた立場を理解する。


 どうやら俺は授業中に居眠りをしてしまい、それを彼女に見つかって怒られたというわけだ。それにしてもいくら寝ていた俺が悪いからって出席簿で頭を叩くことはないだろうに、と自分の行いを棚に上げて担任の行いを非難する。


 今の世の中、生徒に手を出したら(性的な意味じゃなく)下手をすればモンペアに重箱の隅をつつくように、些末事を教育委員会に訴えられてクビになるかもしれないのに、この瀬戸内アキラという教師は昭和の教師スタイルを地で行く女であった。


 だからといって別に彼女は学校の鼻つまみ者ではなく、生徒からも教師からも好かれており、その保護者からも「近年稀に見る良い大人」として大変な人気を誇っている。それも単に彼女の人柄から為せる評価であろう。


 瀬戸内という女教師は良くも悪くも大雑把な性格で、細かい事は気にせず何でも猪突猛進で突き進むタイプであるから、十代の生徒とも上手く付き合えるのであろう。


 かくいう俺も彼女の事は嫌いではなく、むしろ好感が持て不思議と怒られても嫌な気分にならない人生の先輩として尊敬できる人物でもある。


 まぁ、今現在も怒られている真最中ではあるが……。


「せ、先生。その、寝ていたことは謝るよ。だけどさ」


「だ・け・ど・さぁ? なんだ? 言い訳か? 言っておくが、『バイトしているから、すげぇ眠い』とかは一切認めないからな。俺を納得させるほどの理由があるなら言ってみろ」


 腕を組んでそう言い放つ姿は、すごく男前である。


 しかし、彼女は気づいているのだろうか。自分自身が授業を中断させていることに。


(はぁ……、俺のせいであまり授業を中断させるのもしのびないし、ここは上手く言い訳しておくか)


 一応先生の立場を鑑みての判断でもある。この学校は曲がりなりにも都内では名が通った進学校であるから、授業の進み具合も他所より断然早いしレベルも高い。だから授業の中断行為を嫌う生徒も多いのも事実。


 現に俺が怒られている傍で迷惑そうにしている生徒もちらほら窺える。

 

これは早く授業を再開させないと、と俺は申し訳なそうな表情を浮かべて、


「その、妹の看病であまり寝る暇がなくて……、なんか、そのスミマセン」


 居眠りの“理由”としてもっともらしい事を述べる。


 すると、目をつり上げて怒り心頭だった瀬戸内先生もハッとした顔つきになり、すまなさそうに頭を下げる。


「妹の看病か。真っ当な理由だな。すまないな、怒ったりして」


「いえ、悪いのは寝ていた俺ですから。先生はどうか気にしないで、授業を再開して下さい」


「あ。あぁ。そうだな。みんな授業を再開するぞ、高田。教科書30Pの問2を黒板に解いてくれ」


 先生は謝罪の言葉を口にすると、中断した授業を再開するべく教壇へと戻っていく。その道すがら問題を当てられた高田は「うへぇ」と蛙が潰れたような悲鳴を挙げていたので、俺はお気の毒に、と心中で合掌したのだった。


 俺は念仏の様に流れる授業の内容を聞き流しながら、ぼんやりと窓に映る雲の流れてゆく光景を眺めていた。


 ゆっくりとした動きで青く塗られたキャンパスを移動する雲を見つめながら、先ほどまで見ていた夢の内容を反芻していた。


 あまり思い出したくないのだが……、最近よくあの夢を見る事が多いのだ。


 もう九年前の出来事なのに意外と人間の記憶は色褪せないものだ。特に嫌な思い出になればなるほど。


 まるで昨日の事の様に、事細かに脳裏に映し出される悪夢を振り払うかのように何度も頭を振るも、一度意識してしまった夢は中々頭の中から離れてくれなかった。


 頭を振り続ける事に疲れた俺は机に突っ伏す。ヒンヤリとした机の感触が心地よく高ぶった心を落ち着かせるには良い特効薬であった。


(……それにしても、もう九年も経つのか。時が経つのは本当に早いな)


 この街で暮らす人間で知らないと言わしめるほどの大事故が、今から約九年前に起き、その事故の犠牲者の一人が俺というわけである。


 その事故の名は“七倉トンネル崩落事故”といい、日本で起きたトンネルの崩落事故の中で5指に入るほどの凄惨かつ犠牲者が多数出たことでも知られ、当時のニュースでも連日連夜特番が組まれたほどだ。


 この七倉トンネルは東名高速道にあるトンネルの一つであり、俺が暮らす七倉町の名前が付けられている。何でもこのトンネルを建設する際に多額の寄付をしたのが、七倉町の名家である七倉家らしく、国が感謝の気持ちを込めて七倉という名前を付けてくれたのだ。


 その功績のお陰か、日本全国に点在する片田舎の一つに過ぎない七倉町の名前が全国に知られるようになった(まぁ、今は悪い意味で有名だが)。


 それで話を戻すが、その事故の犠牲者は死者や負傷者を合わせると57人ほどで、生き残ったのは俺と妹の二人だけである。


 当時生存者は絶望的だと言われていたのに、子供二人も生きていたと皆が口を揃えて『奇跡』と口にしていたのを子供心に記憶している。


 しかし、当事者にとっては全然“奇跡”でもなんでもなかった。そんなのは所詮“第三者側”の意見にしか過ぎない。


 奇跡なんて本当はないことを、俺はよく知っている。


 生きていたのは、ただ“運が良かった”だけ。


 そう、ただそれだけのことなのだ。


「う~し、それじゃあ。本日はここまで。週明けには小テストすっから。今までの事をよく復習しておけよ」

 

瀬戸内先生の気だるげな声が終了のチャイムと同時に教室に響き渡る。


 物思いに耽って居る内にもう授業は終わっていたようだ。クラスメイトの大半が帰宅の準備に取りかかっている。


(あ~、もう終わったのか。ほとんど聞いてなかったけど、まぁ、いいか。それより早く帰らないと)


 先生が先ほど退出際に口にした“小テスト”という単語を綺麗さっぱり忘れていた為、俺はカバンの中に教科書などを入れないで帰ろうと席を立ったその時。


「あ、あの、十雫君!! 少しいいかな?」


 と、緊張を伴った少女の声が斜め右辺りから聞こえてきたので、俺は彼女に聞こえないように「チッ」と軽く舌打ちを打ちながら振り向くと、そこに立っていたのは同級生の田辺幸那であった。


 彼女はこの学校でも五指に入るほどの麗しい美貌を持つ美少女であり、肩過ぎまで伸びた艶やかな茶髪を右サイドに花柄のシュシュで留め、猫のついたイヤリングを片耳にぶら下げた、今時よく見る派手なスタイルの女子高校生でもある。


 学校だからかいつもより控えめの化粧顔を不安と緊張に彩らせ、両手を胸の前で忙しなくクロスさせている。いつもは自信に満ち溢れた顔を俯きがちに、気のせいか呼吸も早いようだ。


 一体何だろうと首を傾げて訝しんでいると、周りから浴びせられる剣呑とした視線に気づき、この視線の発信源はどこからだろうと探ってみると、なんとクラス中の男子たちによるものであったことが判明する。


 ものすごい形相で俺を睨んでくる様は、獲物をハイエナに横取りされた獅子そのもので……(まぁ、彼女は誰のものではないから、その例えは間違いなのかもしれないけど)。


 恐らく憧れの田辺幸那に話しかけられたのが羨ましいのだろう。そんなに羨ましいのなら今すぐにでも立場を代ってやるよ。俺は、別にこの女には何の感情も抱いていないし、正直言って話す時間も惜しいくらいなのだから。


 だが……、ここで無碍にするのは後々面倒くさいことになるし、と俺はお得意の営業スマイルを浮かべて彼女に話しかける。


「え~っと、田辺さんだっけ? 俺に何か用かな?」


「あ、う、うん!! 実は、放課後に他所のクラスの子たちと遊びに行くんだけど、十雫くんもどうかなって。も、もちろん、男子も何人かいるから安心して!!」


 話を聞くまでもなかったな……。


 いわゆる合コンというやつか。いや、合コンとは違うのか? 少なくとも、ろくな集まりではないのは確かだ。


 行く価値すらないな、と俺は考えるまでもなく即断する、が、それでも相手に角が立たないようにやんわりと断ることにする。


「あ~、折角のお誘いだけどゴメンね。この後も妹の看病しに病院行かなきゃいけないからさ」


「そ、そう。それじゃあ、仕方、ないね」


 田辺は明らかに残念そうな表情を浮かべるも、理由が理由なので強くも言えない様子で大人しく引き下がった。


 こんなことに妹をダシにするのは嫌で仕方ないのだが、こうでも言わないと断れないことを俺は嫌でも理解していた。それほどまでに、彼女たちは一度目を付けた男に対して“貪欲”なのだ。


 それでも、気に入った男から悪印象を抱かれたくないのか、“こういった”理由を挙げると追撃の手を緩める(別に諦めたわけではない)。


 毎回毎回こういった手合いを退けるのは骨が折れるし、相手にするも時間の無駄なのだが、俺の教室での評判を落とすわけにもいかないので、彼女たちにキチンと対応するのは必要措置なのだ。


 しかし、もうそろそろ『妹の看病』を理由に断るのは限界がきたかな、と、俺はある種の悟りを開きながら、帰りの支度を完了している通学カバンを肩にかけ、未だ俺の発した言葉に呆然自失している田辺に一言、


「それじゃ」


 と、それだけ声をかけると、俺は彼女を見る事もなく教室を後にした。




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[気になる点] >この街で暮らす人間で知らないと言わしめるほどの大事故 →知らない者は無いと言わしめるほどの大事故 ではないかと。
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