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第一章 始動(1)

 日常というのは、こんなにもあっけなく壊れるものだと知ったのは、俺が7歳の時だ。普段何気なく過ごしているぶんには、その何気ない日常の大切さというものは分からないものだ。


恥ずかしい話だが、俺もその中の一人であった。


毎日が同じサイクルで回っていき、平坦すぎてつまらないと嘆いていた自分滅びろ、と何度呟いたことか。大まかに数えてみても300は軽く超えるであろう。


大まかに数えて300なのだから、ほぼ1日に1回は呟いている計算になるので、よほど心が病んでいるなと、どこか他人事のように冷静に自己分析する俺。


まぁ、自己判断したところで自分がネガティブな人間であることに変わりはないので、これ以上心の中の闇を除くことは止めにする。


それで話を戻すが、本当に運命というのは残酷である。


俺がそれを味わったのは9年前の8月30日。


 小学1年生の夏休みも終盤に差し掛かった、暑い昼下がりの事であった。


 家族総出で一週間ほど静岡県に住む祖母の家へと遊びに行っていた俺たちは、8月30日の昼下がりに世話になった祖母の家を出て、あまり混雑しないうちに高速道路を走って家路につこうと考えていた、のだが。


 どうやらみんな考える事は同じようで……、上りの高速道路は24キロにも連なる大渋滞であった。なかなか進まないからか苛立ち故にあちこちの車からクラクションが鳴り始め、両隣のサイドガラスから見える運転手の顔は苛立ちに満ちていた。


 勿論、俺の父親も普段の温厚さからは想像できないほどに苛立っており、時折チッと大きく舌打ちを鳴らして、体を小刻みに揺らして苛々を緩和しようとしたが、あの様子だと逆効果なのは目に見えて分かった。


 数時間経っても進む距離はほんの数キロのみ。この様子ではいつ家へと帰れるかは不明であった。


 最初は時間つぶしに妹としりとりやゲームをしていたが、それも次第に飽きてきてしまい、俺と妹は突然やって来た睡魔にその身を委ねるように眠りについたところまで覚えている。


 その時に見た夢の内容は9年経った現在でも鮮明に覚えており、その夢に出てきたのが不思議な雰囲気を纏うあの女の子だ。


 名前も知らない女の子の事を俺はずっと“誰かさん”と呼んでいた。


 “誰かさん”との会話はまるで実際に会話しているかのようにリアルで、ここは夢の世界ではなく現実の世界なのではないかと錯覚するほどだった。


 その感覚ときたら言葉に言い表せないほどで、気を抜いたら俺の全てを持っていかれそうな得体のしれない空間であった。


 禍々しさすら感じるその異空間から逃れる術を探していた俺を見かねたのか、救いの手を差し伸べてくれたのはあの“誰かさん”本人であった。


 彼女は自らが創った空間を己の手で壊して俺を解放してくれたのだ。


 だがその方法は、俺の立っている床を崩壊させて出来た亀裂に落とすという実に荒々しいものであり、とても彼女の優しさを感じられることは出来なかったのだが。


 亀裂の中に落とされるという出来事にも衝撃を受けたが、それより彼女の発した言葉が今でも脳裏に張り付いて離れてくれない。


 真っ逆さまに落ちていく俺は脳内でスパークする幽かな声から、自分の体がもうすぐ眠りから覚めることを薄々だが気づいていたが、今の俺が気になってしょうがない事は彼女の全てを解明する事であった。


 だが、それも願わない様子。


 俺の意識は夢から次第に遠のいていき、瞼の奥で輝く光に導かれるようにして、俺の真上に立つようにして浮かぶ彼女に別れを告げて眠りの世界から脱する。


 再び彼女に会える日を願いながら。



時間にしてほんの数十分であろうか。


俺は浅い眠りから覚めたすぐもあり、あまり意識がはっきりしてなかった。しょぼつく瞼を擦っていた俺が異変に気付いたのはすぐであった。


まず、あれほど鳴り響いていたクラクションの音が止んでおり、一瞬渋滞を抜けたのかと考えたが、それにしても他の音が一切聴こえないのは変である。その証拠に辺りは不気味なほどに静まり返っていた。


その次に違和感を覚えたのは周りの景色が一つも見えないという事であった。夜でもないに景色が見えないというのはおかしい。


尋常ではない雰囲気に寝ぼけていた俺の意識はハッキリとし、俺は車から降りようとシートベルトを外してドアノブに手を伸ばす、が。


何度やってもドアは開かない。鍵がかかっているのかと思ったが、確認してみると鍵はかかってはいなかった。


単に加減の問題かと思って再挑戦してみるも、ドアはうんともすんともしない。


『なんで開かないんだよ』と、腹立たしげにドアをけっ飛ばすが、子供の力ではビクともしなかった。


しかし、よくよく見ると、窓の外から何かの物体がドアの下半分にもたれ掛っているのが分かり、これさえ除ければドアが開けられると理解した俺はドアを蹴る作業を再開する。


 何回も諦めずに蹴っていると、ドアにもたれかかっていた物が倒れたのか、俺はドアノブを引いて全体重を乗せるようにしてドアを押し開ける。

 

すると、ドアはなんの躊躇いもなく勢いよく開き、俺は重力に導かれるままに車外へと転がり落ちた。

 

 お尻をしこたま打ち付けた俺は痛みにしばらく呻いていたが、そうこうしているうちに目が慣れてきたのか、視界が徐々にクリアになってきたので、今自分が置かれている状況を判断するために辺りを見回してみる、が。


 眼前に広がる光景を目の当たりにして、俺は愕然とした。


 そこは一言で言い表すとするならば“地獄”であった。


 少し大げさな表現だったかもしれないが、当時の俺にとっては目の前に広がる凄惨過ぎる光景を的確に表現するにはこの言葉しか出てこなかったのだ。


まるで悪魔がやってのけたかというようなショッキングな出来事に、俺は強烈な吐き気が喉の奥からせり上がってくるのを感じ、立っているのもままならなくなってゲホゲホッ、と激しくむせながら地面に跪く。


 焼けたコンクーリートの臭いに、せっかく治まりかけた吐き気が再び襲いかかって来て、あまりの苦しさに喉を掻きむしりながら悶える。


 さんざん吐いて、さんざん苦しみぬいて、体中の液体がカラカラになる頃になって、ようやく俺の体を蝕む吐き気は収束していった。


 肺に溜まった息を数回に分けて吐き出しながら、地面へと蹲っていた四肢へと力を込めて立ち上がる。足腰は覚束なかったが、“家族の事が気がかり”という強固なる精神力でどうにか立ち上がれることが出来た。


 車のボディーに手を置いてふらつく体の支えるも、脱力した体はとても重く著しく体力を消耗したせいかとても支えきれず、ズルズルと重力に誘われるようにへたり込んでしまう。


 それでも上半身は辛うじて動けたので、ズリズリと地面を這う芋虫の様にみっともなく這いずって開いたままの後部座席へと辿りつき、疲れた体をそこに預けて掠れた喉を震わせて息を吐き続ける。


 試行錯誤してどうにかシートの上に体を乗せ、隣に座るまず妹の安全を確かめるべく声をかける。

 

 しかし、呼びかけても応答がない。悪い予感が胸をよぎる。


 俺は我を失って体の疲労などどこ吹く風と妹へと飛びつく勢いで近寄る。


『おい! 大丈夫か!?』


 何度も何度も妹の体を揺さぶるも、妹は微かな息を漏らすばかりで俺の呼びかけに応じる事はなかった。そんな妹の様子に錯乱状態になった俺は運転席と助手席に座る両親へと助けを求めて身を乗り出し―――――――、絶句した。


 そこにいたのはさっきまで健康そのものであった両親ではなく、全身血まみれで息絶える物言わぬ2体の死体であった。


 愛すべき両親の遺体を目の前にして俺の脳内は情報を整理できず、しばらく状況を受け入れられずに呆然と立ち尽くしていた。

 

 時間にして数分くらいであったが、とても長く時間が過ぎたように感じたものの、ここで両親の死を悼むより、俺の横で重傷であったがまだ息のある妹をどこか安全な場所まで避難させて助けを呼ぶ方が先決だと即断した。


 俺はグッと唇を噛み締め、もう一度だけありったけの力を四肢に込めて、ぐったりと脱力している妹の体を背に背負い、ゆっくりと慎重に車体から脱出した。


 車の外に出た俺は背負った妹の体がずり落ちない様に腕を使って固定して、ガラスや車の破片が散らばる地面をゆっくりと進んでいく。地面を踏みしめる度にジャリ、ジャリと不快な音が断続的に響く。


 それらを無視して無言で進んでいくうちに、混乱していた頭も冷静さを取り戻してきたのか、今自分たちが置かれている状況が把握できてきた。


 どうやら俺たちはトンネルの崩落事故に巻き込まれたらしく、周りが薄暗いのはトンネルの中に閉じ込められているからだと判明した。


 崩落の原因は定かではないが、この七倉トンネルはだいぶ老朽化が進んでいたという噂を聞いていたので、おそらく事故の原因はそれによるものだと確信した俺は、点検会社の不手際さと己の運の無さを呪う。


 なんで自分たちが通る時に崩落するんだ。なんでよりによって今日なんだ、と。


 こういう言い方をすると、自分がすごく酷い奴に見えるかもしれないが、でも俺に限った話ではないと思う。人間誰しもの自分が可愛いのだから。


 汗と涙で滲む顔をグイッと腕で拭い、ずり落ちかけた妹を背負い直して歩き続ける。助けてくれる人がいる所に辿りつくまで、俺は決して弱音を吐かない、諦めないと心に誓った。


だってここで俺が折れたら、誰が妹を助けてやれるんだ。俺しかいないじゃないか。俺は他でもないこいつの兄貴なのだから。俺には、妹には、俺たちしか頼れる人間がいないのだから。


 俺は亡き両親の代わりに妹を守るんだ、と車の中で息絶えた両親を目に焼き付けようと、最後にと後方へと振り返ろうと歩みを止めた瞬間、頭上で何かが崩れ落ちる音が聞こえ、間髪入れず俺の頭に握りこぶし大の瓦礫が直撃した。


 まるで稲妻が全身に走ったかのような激しい痛みに俺は呼吸困難に陥った。瞼の裏でチカチカと閃光が弾け飛び、爆竹が爆ぜたような音が鼓膜の奥で鳴り続ける。


 身体中の内臓がひっくり返りそうな感触に、俺はまともに立つことも出来ずに妹を背負った態勢でうつ伏せに倒れてしまう。


 最後の気力で妹の体を地面に放り出さずに倒れることが出来たのが救いであった。だが、このままでは二人とも暗いトンネル内で誰にも看取られることなく息絶えてしまう。


 そのような悲惨な結末だけは避けなければ。


 俺は風前の灯火になりつつあった気力を奮い立たせ、少しでも前に進もうと背中に妹をおぶさりながら腕の力だけで這っていく。


 しかし、腕の力だけではすぐ限界がきてしまい、俺は荒い息を吐き出しながら再び地面へと突っ伏してしまう。ビリビリと痺れる腕をなだめながら俺はもう一度腕に力を込めるが、脳内の奥にピリッとした痛みが走り、思わず変に力が入ってしまってバランスを上手く取れずに倒れてしまう。


 倒れた拍子に地面に薄く積もった土埃が舞い上がり、俺は激しく咳き込んでしまう。


 咳き込むだけ咳くとようやく咳が治まりホッとしたのも束の間、額から何やら生暖かい液体が伝い落ちてくるのが分かり、唇にその液体が触れるとその液体の正体は己の血だということに気づいた。


 どうやら咳き込んだ反動で傷口が広がって血が流れてしまったようだ。このままで俺も血液不足で意識が無くなってしまう。そうなってはそれこそ終わりだ。


 こんなところでくたばってたまるか、と最期の力を振り絞ってなんとか妹だけでも助けようと試みるも、もう力が入らない。


 俺は自分の無力さに嫌気が差し、目尻にうっすらと涙が滲むのを感じた。


 やがて訪れる死の恐怖を噛み締めながら、俺は遠のく意識の中でほぼ無意識に命乞いの言葉を口にしていた。


『―――――――僕の全てをやるから、妹の命だけは助けてくれ』と。


 勿論、応えるものなど誰もいないのだが、その言葉を発するだけでも救われるような気がしたのだ。


 言い終えると同時に体から力が抜け始め、背に乗せた妹の感触や温もりも感じなくなり、あとは意識が途絶えるのを待つ身であった俺の脳内であの声が響いた。


『―――――――本当に、貴方の全てを捧げることが出来る?』


 この声はどこかで聞き覚えがあったが、瀕死状態の俺には考える力は残っていらず、この声の主に頼るしかなかった俺はその声に一言だけ伝えた。


『―――――――うん、いいよ』


 たった、その一言だけ。


 その言葉だけを呟き終えると、俺の意識は深い闇の中に沈んでいった。


 そして、沈みゆく意識の途中で、愉しそうに笑う声が響いた。


『……契約完了。これで、貴方は私のモノよ』


 その声は、どこまでも、いつまでも俺の耳元で響き続けた。



 目が覚めると、俺が横たわっていた場所は暗くジメジメしたトンネルではなく、救急車の中であり、俺が横たわる診察台に設置された隣の診察台には妹の姿もあった。


 身体中にたくさんの医療ケーブルが付けられた俺と妹であったが、俺の傷の方が比較的軽傷のようで、徐々に意識もはっきりとしてきたのを感じた。


 あの時はもう死を覚悟したのに、どうやら大袈裟に捉えすぎていたようだ。


 ともかく助かったのだからよしとしなければ、と前向きに考えるようにし、俺は妹の手当てをしている救急隊の人に声をかけた。


『あの……、僕』


『ん? おぉ! 目を覚ましたんだね!! あぁ、良かった。君たちがトンネルの入り口に倒れた姿を見た時はもう駄目だと思ったよ。どうだい? 意識はハッキリしているかい?』


 と、人の良さそうな笑みを浮かべる救急隊員であったが、俺が気がかりなのは妹の容体であった。


『僕の事はどうでもいいんです。あの、妹は? 妹は無事ですか!?』


 痛む体に鞭を打って、俺は隣に立つ救急隊員の腕を掴んで、矢継ぎ早に妹の安否を確認する。とても怪我人ではない鬼気迫るほどの俺の、明らかに自分より年下の子供の放つ迫力に怯んだ隊員は目を真ん丸にさせる。


『き、君!! 動いたら危ないじゃないか。頭を損傷しているのだから、しばらくは安静にしてないと』


『安静になんてしていられません。お願いです、妹は。妹が無事なら、僕は……』


 お決まりの台詞で言葉を濁す隊員に俺は気が気でなかった。もしかしたら妹は命を落としているのかもしれないと。あの怪我の酷さだ。素人目でも危険な状態なのは一目瞭然であった。


 それでも、と俺は一抹の希望に縋る気持ちで隊員に何度も何度も尋ねた。


 俺の懇願にとうとう痺れが切れたのか、ハァと大きい溜息を一つ吐くと、キョロキョロと他の隊員がいないことを目視で確認し、診察台に俺の体を横たえさせると、ゆっくりと顔を近づけてソッと耳打ちしてくれた。


 俺は隊員の言葉を聞くうちに安心からか肩の力が抜けるのが分かる。こんなにも自分は肩を張っていたのかと苦笑するものの、俺は安堵したのも束の間。


 すぐに地獄という名の深くて暗い闇に突き落とされるのであった。




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