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第三章 いざ、ユートピアへ(3)

 どうやら俺は足を滑らせてしまい、崖の上を滑落している様子……、って!! 落ち着いて状況を自己分析している場合じゃない。


 崖の上から落ちた場合助かる確率は五分五分。全身打撲による内臓破裂による出血死。即死でないぶん苦しみが長引きそうでヤバそうだし。それに助かっても複雑骨折は免れないだろう。そうなれば彼女たちに捕まるのも時間の問題……、あれ? 俺の人生オワタ?


 俺は神様の存在を呪いつつ、これから自分の身に起こる悲運を今か今かと待ち構える、が。いつになってもその瞬間はやってこない。


 可笑しい、と思って恐る恐る目を開けてみると、そこにはさっき俺の頬に触れていた白髪オッドアイの美少女であった。


 確か名前はリラとか呼ばれていたような―――――、って!! 俺の体が宙に浮いているんだけど!? 何これマジック!? 


 さっきも同じように驚いた気もするけど、これは本当に驚愕ものだった。だって人の体が何の機械もなしで宙に浮いているのだ。勿論CGなどの修正もなく、だ。これを驚かずにして何に驚けと言うのだろうか。


 思わぬ状況に焦る俺を意に介さず、リラという名の美少女は自分の頭上より数十センチほどの高さに浮いている俺を見上げ、その完璧すぎる美貌をサディスティックに歪める。


 何だかその表情に嫌なものを感じた俺は、どうにかして彼女から逃れようと身を捩るも不思議な事に体がピクリとも動かない。まるで見えない鎖に体を縛られているように。


 空中でもがく俺をまるで地を這う虫を見るかのように、リラは無慈悲な視線を送り続けていたが、やがて何か思いついたようで見る者をゾッと凍てつかされるような笑みを浮かべる。


 一体何が始まるんだ、と内心ビクついていた俺であったが、リラの取った行動は予想外のものであった。


 彼女は俺の体を地面に下し、その拘束を解いてくれたのだ。


(な、なんだ。意外と優しいところもあるじゃないか)


 と、安堵したのも束の間。


 すっかり油断していた俺へと襲いかかって来たリラは、見事な体さばきであっという間に俺の体の自由を奪う。こんな細身のどこにそんな力があったんだ!? と、驚愕する俺の様子を愉しむようにリラは満面の笑みを浮かべる。


 なんて意地の悪い女だ。


 と、年場もいかない女の子に言いようにあしらわれていることの悔しさから、穴があったら入りたい心境にかられる。


 一方、そんな俺の様子がよほど愉快なのか、金と銀の瞳をキラキラと輝かせていたが、ふと何を思ったのか俺の方へと体をより密着させ、美少女顔が頬に触れるか触れないかの距離まで接近させるものだから堪ったものじゃなかった。


 思春期の男にはこの手の刺激はいささか強烈なものであり、いくら俺が女に興味がないからって、流石に異性に抱き付かれれば意識してしまうのは必然であった。


 ドギマギする俺とは裏腹にリラの方は、赤面する俺の様子が可笑しいのか、ニタニタといやらしい笑みを浮かべてますます体を密着させてきた。


 俺の耳元に唇を寄せて、まるで恋人に囁くように甘い声で、


「ねぇ? どんな気分? 私のような女に手も足も出ない状況は?」


「え? どんな……、って?」


「疎い男ね。いちいち言葉にしないと伝わらないのかしら? それとも、分かっていてワザとはぐらかしているのかしら?」


「はぐらかすもなにも、意味分からねぇよ。大体お前たちは誰なんだよ!! 言っておくけどな、誘拐は犯罪だぞ」


「誘拐? 何言っているの? お前は“望んで”ここに来たじゃない。つまりは、同意の上だから何も問題はないわ」


「同意って、俺は何も……」


 一つ思い当たることがあった。


 しかし、あんなのが同意に当たるのだろうか。


「……魔女の契約には明確な定義はないの。少しでも意思の疎通があったなら、それが“同意”に当たるのよ。お前は、あの時ほんの少しでも“私たち”に心を寄せた。それで十分なのよ。それにお前はヴァネロペ様の“契約者”だから、ここに来るのは必然なの」


 俺の戸惑いを払拭するかのように優しく囁くリラ。冷たく細い指が俺の首筋を撫でさする度にゾワァとした鳥肌が立った。


 鳥肌が立つなんていつ以来だろうか。少なくとも十年は立っていない。


 久しぶりに鳥肌が立つ感触に泡立つのを感じて眉を顰めると、リラは俺の一挙一動が物珍しい様子で飽きもせずに執拗に見つめてきた。


 まるでモルモットのようで気まずいと言ったらない。


 俺は彼女の体を押しのけようとするが、やはりビクともしない。まるで見えない力が働いているようだ。この人ならざる力が“魔法”という代物なのか。


「ねぇ、お前は私たちを見てどう思う?」


「どうって?」


 と、唐突にリラが話題を振って来た。話題の脈絡の無さに懸念を抱くも、ここは気にしたらキリがないのであえて触れないことにして、彼女に付き合うことにした。


「だから第一印象というか、率直に抱いた感想を言ってみて」


「……ちなみに、言わなかった場合は?」


「そうね。その場合は……」


 リラはオッドアイに仄かな殺意の炎を燻らせ、頬を撫でていた指先を首の動脈へとやり、


「生贄の羊の様に、動脈を切って吊るしてあげるわ。そうすれば頭に血が上らず、自分の死に行く様を鮮明に感じることが出来るわよ」


 ペロリ、と舌なめずりをしながら歌うように口にする。


(こ、こえぇぇぇぇぇ!! サイコだ、サイコパスがいる)


 最近の中二病でも言わないような発言を平然と口にしてのけるリラ。その瞳は感情の色が消え去っていて、ずっと見続けていると正気を保っていられる自信すら吸い込まれそうであった。


 俺の沈黙を先ほどの質問の肯定と見なしたのか、無言で俺の首筋に手を這わせるリラ。その首筋に触れる感触は生暖かい手ではなく、ヒンヤリと固い無機質な物であった。


 斬られる!! と本能的に身の危険を察した俺は脳内処理より早く口を開き、命乞いとも取れる言葉を発した。


 その言葉が彼女の琴線に触れるかは定かではなかったが、このまま何もしないで死ぬよりはマシだと思ったからだ。


「ま、待ってくれ!! 言う、言うよ。え~、と、その」


「グズグズしている男は嫌いよ」


 食い込む刃の感触。心臓が口から飛び出るかと錯覚するほどの恐怖が全身を襲う。


「わ、分かった。言うよ、その……、お前たちは全然怖くない。少なくとも俺から見たら普通の女の子に見えるよ」


 ありのまま、自分の思ったことを素直に述べた。もしこれでも駄目なら抵抗せずに死のう。多分首の動脈を斬られたら出血過多で即死だろう。苦しみながら死ぬよか幾分マシだろうし。


 目を瞑って相手の出方を待つ。死か生か。この沈黙が今の俺にとってどれほど気が気でないか、言葉で説明するのはとても難しい。


 というより、いくらなんでも反応がなさすぎじゃないか?


 俺は恐る恐る瞼を開け、リラの様子を窺ってみる事にした。すると、リラは先ほどの鉄面皮とは打って変わって、まるで初めて異性を意識したような初心な幼子のように顔を真っ赤に染めて、呆然と俺の腹の上に跨るようにして座り込んでいた。


 俺もそうだが、リラ当人も自身に起きた急展開について行けないらしい。確認するように自身の頬に手を添えて、どんなに頬に熱がこもっているかを、手のひら全体を使って味わうように確かめていた。


 何が何だかついて行けずに戸惑う俺であったが、時間が経つにつれてどうやら自分の命の危機からは脱したようだ。


 ったく、あれだけサイコっていたのに、割と簡単に正気に戻るなんて幾らなんでもチョロすぎないか? 


 まぁ、あまり五月蝿くは言うまい。折角助かったのに余計な一言を発して彼女の怒りの琴線を刺激したら元も子もないからな。


 とりあえず今俺が成すべきことは、ここから五体満足で離れる事だ。女を放って逃げるなどクソ男の所業だが、ここは言うなれば彼女たちの庭だ。放っておいても大丈夫であろうし、今は昼間だ。暗くもないから一人でも帰れるだろうし、そもそも人を誘拐した奴の心配をするほど俺は出来た人間ではない。


 しかし、逃げるという行為も難しそうだ。何せ俺の腹の上にはリラが堂々と腰を下ろしており、いくら軽い少女だといっても人間一人が乗っかっているのだ。強硬手段を講じればいけないこともないが、それでもリラには気づかれるであろう。


 そうなれば、いくら呆けている彼女でも俺のしている行為に気づくだろうし、その後の事は想像に難くない。


 と、なれば何か上手いことを言ってお茶を濁すしかない。


 俺はスゥーと静かに息を吸って、なるべく平静を保つよう意識しながら、未だ腹の上で呆けているリラに声をかけた。


「あのさ……、呆けているところ悪いんだけど、そろそろ上からどいてくれないかな?」


 反応なし。


 クソゥ、シカトかよ。


 こうなりゃ、強引に――――――、と唯一自由の利く上半身(腕)を使い、彼女の体に触れて抗議する事にした。触る場所といっても胸とかじゃなく、腹とか、腕くらいにしようかと考えていた。


 そこならばもし訴えられても「下心はなく、はずみで触ってしまった」と弁解が出来ると直感で思ったからだ(一応言っていくが、俺に痴漢の前科はない)。


 痴漢野郎もそこを念頭に置いて犯罪行為を行っているのだろうか、などとどうでもいいことを思いつつ、ついに俺はリラの柔らかそうな二の腕を掴もうと腕を動かした。


 ほんの数㎝程度の距離―――――――、ではあるものの、今の俺にしてみれば地平線よりも遠い距離感があった。中々最初の一歩というか、出だし方がつかめず二の足を踏んでいたが、ここは怖気づいている場合ではないと喝を入れてみることにした。


 すると不思議な事にあれほど躊躇っていたのが嘘のように、俺の手は自然な動作でリラの腕を掴んでいた。ヒヤリ、と血の気がない冷たさが手のひらにじんわりと広がる。


 その冷たさときたらまるで死んでいるのかと錯覚してしまうほどで、俺は思わず彼女の腕から手を離しそうになった。


(つめたっ!! 何だ、この冷たさは、こんなの生きている人の体温なのか?)


 この感覚にかつての嫌な記憶が再び呼び起されそうになるが、彼女は生きている人間ではないかと必死に自分自身に自己暗示をかける。


 

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