第三章 いざ、ユートピアへ(2)
そこには、精巧に出来た西洋人形の様に見目麗しい少女が、垣根を掻き分けながらしゃがみこんだ俺を覗き込むようにして見降ろしていた。
頭の上で軽くまとめた雪のように白い髪と、左右の色が違うオッドアイを冷淡に光らせながら、まるで道端に転がる石ころでも見るかのように俺へと視線を這わす。茂みでよく分からないが着ている衣服も妙に古めかしい。
そう、まるで中世の欧州の人が来ていそうな服――――――、って、うわっ!?
物思いに耽っていた俺の意識は少女の取った行動で一気に引き戻される。
なんとその少女は俺の頬に、白く細い指先をソッと、まるで壊れ物に触れる時の様に這わしてきたのだ。
妹以外の異性に触られたことのない俺は驚きで声も出せず、見ず知らずの少女にされるがままであった。
そんな俺をあざ笑うかのようにしばらく触った後、フッと口角を上げて散々触っていた頬から指先を離すと、徐に指を鳴らす。
すると、俺の体がまるで重力に逆らうかのように宙に浮き、乱暴な動きで地面に放り出された。
ズッシャァアアアア、と盛大に地面を滑る音が響き、濛々とした土煙を上げながら、俺は無様な体制で横たわる。
やるならやるで、もう少し丁寧に扱えよ、と今実際に目の前で起きた超現象の事を忘れて、乱雑な扱いに腹を立てる。
擦りむいた膝を庇いながら俺はゆっくりと態勢を整えて立ち上がろうとするも、今現在自分の置かれた状況に気づき、一旦動きを止めて様子を窺うことにした。
どうやら俺は引きずり出されたようだ。
ズラリ、と俺を取り囲むようにして立つ数人の少女たち。
その中には先ほどの少女もいる。
眠たそうな顔して俺を罠に嵌めるなんて、あの女相当な策士だぜ。
どうやら俺の頬に触ったのは一種のフラグだったようだ。俺に女性免疫がないのを一瞬で判断し、あえて肌を触ることで動揺させ冷静な判断が出来なくなった頃を見計らって、俺を“巣”から強制的に追い出す。
完璧な作戦だな。
(初心なねんねちゃんのような顔して、男の扱いに長けてやがる。ということは、ここは歓楽街とか? まさか、俺は娼婦たちに拉致監禁されたとか……、って、流石にないわな)
歓楽街など今の時代にあるわけないし、そもそも俺は図書館の、しかも鍵のかかる個室にいたわけだから拉致するなど不可能だ。それに金持ちしか相手にしないらしいな、最近の水商売の女たちは。
え? なんでそんなに詳しいって? 別に深い意味はなくて、前に同じクラスの男子たちが『脱童貞!!』とか言って騒いでいたから、なんとなく記憶に残っただけで、特に興味があるわけでは……、うん。
って、俺は一体誰に言い訳しているんだ、と頭を捻っていると。
「――――――ねぇ、貴方がヴァネロペ様の探している“アータ”かしら?」
と、美少女揃いの集団の中でもひときわ目立つ真紅のドレスを着た金髪碧眼の美少女が、半ば呆然とへたり込んでいる俺へとそう話しかけてきた。
「アータ? 一体誰の事だ? それにヴァネロペって誰だよ。そんな奴俺は知らない」
俺はカラカラに乾いた喉を震わせながら、自分の率直な言葉を彼女たちに伝えた。
すると、場の空気が一瞬にして変わり、ザワザワ、と小波のように辺りに浸透し、戸惑いの色が少女たちの顔に浮かんでいく。
「どういうこと? “アータ”じゃないなら、貴方は一体誰なの? 何故ここにいられるの?」
「は? 言っている意味が分からないんだけど」
場の展開について行けず、オロオロする俺に止めを刺すように、
「……ま、いいわ。あくまで白を切るのなら、こちらにも考えがある。リラ! アメーリィア! その男を捕縛しなさい!!」
真紅のドレス美少女が冷笑を浮かべると、左右にいた藍色のドレスと灰色のワンピースを着た少女に命令を下す。
「……了解」
「大人しく捕まる」
二人の少女の片割れは、先ほど俺の頬に手を這わして来ていた少女であり、ニヤリとすまし顔に意地の悪い笑みを浮かべながら、俺を捕縛しようと手を伸ばしてくる。
俺は彼女たちの手が体に届く間一髪のところで身を翻し、ゴロゴロと横向きに転がるようにして茂みへと移動する。
地面に落ちた枯葉や木の枝が転げる際に顔や全身に当たり、ピリリとした鈍い痛みが広がる。血も滲んできたのか、ジンジンと痺れるような痛みがしてきた。
しかし、この程度の痛みなんてことはない。それより一刻も早くこの場から離れなければ、と俺は慌てて態勢を立て直し、彼女たちに背を向けて走り出す。
それを合図に、少女たちの怒号が森の中に響き渡る。
「逃げたわ!!」
「早く追いかけるのよ!!」
「えぇ、分かっているわ!! みんな散開して、一気に追い込むのよ!!」
なんなのこいつら!? なんでこんなに手際が良いというか、団結力が高いというか、っていうかただの凡人の俺を乞う執拗なまでに追い回す!?
外人の感性ってわかんねぇ!! というか、拉致された上に追いかけっこプレイとか、俺にはハードルが高すぎて……、正直ついて行けない。
ま、とりあえず今為すべきことは……、こいつらから逃げ切ることだ。この地形を上手く利用すれば大丈夫なはず。
木々の間を掻い潜るようにグネグネとカーブしながら疾走する。気分的には天狗だ。しかし、慣れない山野を走るというのは結構体力を消費する。気を張らないとすぐに足を取られて転倒しそうになる。
そうなると一気に距離を詰められ、一気に形勢逆転な展開に。
それだけは何とかして回避しないと、と俺はより一層気合を入れて森の中を走り抜ける。
ハァ、ハァ、と荒い呼吸音が自分の鼓膜横で鈍く響く。それはまるで自分から発せられているとは思えなく、どこか遠い出来事として認識していた。
今のこの状況を例えるなら、ハンターに追い詰められる獲物というところか。
勿論、俺が獲物で、少女たちがハンターだ。
額から噴き出してきた汗が目に入り、ジンジンとした痛みが俺を苛ませ、その痛みを緩和させようと涙が滲んでくるが、今の状況だと全くの逆効果であり、俺は視界をクリアにするために乱雑に眼を服の袖で拭う。
ツン、とした刺激に無意識に鼻を押さえそうになるが、ここはグッと我慢する。今何よりも優先せねばならないことは―――――――。
「ほらっ!! 何をグズグズしているの!! 相手は一般人よ!!」
「けど……、ヴァネロペ様から魔法は使用するなって言われているし」
「そうだよ。魔法使わなかったら、アタシたち普通の女の子と大差ないし」
「それはそうだけど、でも!! 少なくとも彼より私たちの方がこの地を知っているわ。頭を使って追い詰めるのよ!!」
地獄の鬼も裸足で逃げ出すほどの鬼気迫る表情を浮かべる少女(中にはあまりやる気のない者もいるが)たちからの逃亡である。
さっきから魔法とかなんとか中二病満載な会話を繰り広げている彼女たちを、時折振り返りながら、どう上手く撒けるか考えるもこれが中々いい案が思いつかない。
まぁ、それもそのはず。人間二つ同時に、っていうのはそう簡単にこなせないものだ。特に肉体労働と頭脳労働は相性が悪く、恐らく理由としては脳の処理能力が追い付かないのが挙げられるだろう(疲労すると頭が働かないし、概ねこの理由で合っていると思う)。
となれば、ここは考えるのは止めて、がむしゃらに走り続けたほうがいい。何、相手は女の子だ。体力的には男の自分の方が有利のはず。走っていればいずれは体力が尽きて逃げ切れる、よな? ……多分。
多分と言うのはそれなりに確証があるわけで……、そもそも土地勘のない俺がいくらがむしゃらに走ったところで向こうは数でも優っているし、先回りされて囲まれたら今度こそ逃げる事は不可能であろう。
どうにかして彼女たちの注意を俺から反らして逃げなくては、と俺は走りながら辺りを注意深く見渡す。しかし、視界に移るのは何の変哲もない木々ばかり。
流石にこれでは気も引けないよな、と落胆していると、不意に足の先の感覚が無くなった事に気づき、その理由を知ることには俺の視線ははるか上空に向けられており、次の瞬間には俺の体はすべらかな草の絨毯の上を滑り落ちていた。




