第五話 悪役令嬢登場
「チートちゃん! アレちゃんから聞いたわよ。文字を読み書きできるようになったんですって! こんなに短期間で読み書き出来るようになるなんて! ひょっとしてアレちゃんみたいな天才なのかしら?」
「ママン。アレックに教えてもらってるから短期間で文字を覚えられたんだよ。僕は天才じゃないよ。前より、少し賢くなっただけだよ」
雷に打たれてから三ヶ月が過ぎた。
僕はママンを真ん中にダレナと三人で手を繋いで城の中を散歩している。
近頃はダレナと新婚気分になっていて、頻繁に手を繋いで城の中や、城の周りを散歩しているのだが、なぜかその度にママンがやって来て僕とダレナの間に割り込む。
城の者達は僕とダレナが手を繋いだり仲良く肩を寄せ合ったりしているのを見て、本当に嬉しそうに笑みを浮かべている。
僕とダレナが夫婦として仲良くしているということは、僕が『神の子』の暴走をしてしまわないという事だと皆解かっているのだ。皆、『神の子』の暴走を心配していたのだ。
ママンも、僕とダレナが仲良くするのは喜んでいるはずなのだが……。
母親の気持ちは複雑な物なのかな。まだまだ子供だと思っていた僕が急激に大人となってダレナとイチャイチャしているのだ。もしかしたら、前世で言うところの新婚旅行に付いて来る母親のような行動なのかもしれない。
ママンにも困ったものだ。
しかし、元々ママンが僕が去勢されてしまう所を止めてくれてダレナと結婚出来きたようなものだ。
ダレナだってママンが大好きなのだ。
ママンを邪険になんて出来ないよね。
「チートちゃんは計算もすぐ出来るようになったのよね。文字の読み書きも出来る。これなら王都大学に入れるかもしれなくてよ。私も一緒に行って王都で生活するのも素敵ね」
アリウス王国の貴族は、家族の一部を王都に置くのが慣わしとなっている。人質のようなものだ。
大貴族で辺境伯であるゲラアリウス家も例外ではない。妻と子を王都に残していた兄ちゃは、二ヶ月程前に王都に戻って行った。
兄ちゃの奥さんも子供も領地で生活せず、新婚の一時期だけ僕らと一緒に生活したそうだ。今世の僕には兄ちゃの奥さんの記憶は無い。
兄ちゃは王都大学に入学し、卒業して長い月日がたった今でも、ほとんどの時間を王都で過ごしている。たまに領地に戻って何かしら仕事を片付けているようではあるが。
僕はゲラアリウス領から一歩も出た事は無い。
僕が生まれてからは、兄ちゃや姉ちゃだけが、大学に通ったりして王都に住んでいたが、パパンとママンは僕の事が心配なのだろう、ずっと領地にいる。
僕は知らず知らずに家族に迷惑を掛けていたことになる。
何とも言い知れない愛情を感じてママンを見る。ママンは微笑み返す。
ダレナも見る。ダレナも微笑み返す。
僕は幸せを感じながら、三人で散歩を続けた。
−−−−
ドッカーン!!
僕が大木にぶつかると、大木は根元から吹っ飛んだ。
大木があった地面には穴が開いている。
「いいかいチート。自分が進む方向をよく見てほんの少しずらすんだ。チートはとても速いんだから、ほんの少しだよ。まずは大きな木や岩だけは避けてみよう」
勉強を早めに切り上げて走る訓練をしている。
練兵場を百周ほど走ってから訓練を始めたので、走る興奮は少しおさまっていた。
走る訓練とは練兵場の先の大森林の中を、木や岩を避けながら走るというものだ。
すでに大木や岩をいくつも粉砕している。
大きな物体にぶつかると僕は止まってしまう。
しかし僕は無傷である。
僕は元々頑丈であり、魔法のおかげもあるのだろう、全力で何かにぶつかっても平気なのだ。
問題は僕が平気でも、ぶつかった物体が粉砕されてしまう事だ。
木や岩ならいいのだが、人間や家にぶつかって粉砕してしまうと非常にまずい。
この走る訓練は領地の中を走れるようにする為の訓練なのだ。
今世の僕は走る方向を細かく制御するような事はまったく出来なかった。
今なら出来るだろうとアレックが言うのだが、なかなか難しい。走る速度が速すぎるのだ。
いくつかの木や岩は躱す事が出来ても、必ずどこかで、ぶつかってしまう。ゆっくり走れば大丈夫なのだが、アレックには全速力で大森林の中を走れるようにする訓練だと言われている。
走る訓練をしている大森林は、ゲラアリウス家の領地の倍位の広さがある。
大森林の先には広大な竜の世界がある。竜の世界では竜のマナしか通用しない。
人間の世界ではマナが使える人間が優位で、竜の世界では竜のマナが使える竜達が優位なのだ。
人間の世界では人間が優位と言っても竜達は強く、竜達に備えてゲラアリウス家の城は大森林の近辺にある。
五刻くらい訓練して漸く大木や岩は避けれるようになった。
小さめの木は吹き飛ばしてしまっているが、コツは大体解かった。跳ぶように走らずに歩幅を小さくして回転数を上げるのだ。地面への接地回数を増やすと進む方向をずらせる可能性が高くなる。速度はほとんど落ちていない。
走りながら避けるという動作も走る事と同様に魔法が使われていると思う。
先の見えない森の中で、いきなり見えた大きな物体を避けるなど人間技では無い。
小さめの木も避けれるようになる為には、徹底的に訓練する必要があるだろう。
徹底的な走る訓練に僕はワクワクしていた。本当に走る事が大好きなんだ。
暫く訓練を続けていると小さめの木も簡単に避けれるようになった……おかしい。速度が遅い。僕はアレックの元に駆け寄った。
「場のマナが枯渇してしまったんだよ。木や岩を吹っ飛ばすのはマナの力を沢山使うんだ。ここは大森林で人間が住んでる所から結構離れているから元々マナが少ないんだよ。マナが復活するまで何日か掛かるよ」
物問いたげな僕に、アレックが答えてくれた。
魔法にも限界があるんだな……。
マナの存在をはっきりとは感じられないが、お腹が空いてへたばっている時と似たような感覚がある。
−−−−
走る速度が遅くなって訓練にならないので城に帰ることにした。城に続く街道に出ると子供達に見つかってしまった。
「あ! チート様だ~!」
「わ~! チート様~!」
キャッキャッと十人くらいの子供の集団が集まって来て僕をペタペタ叩く。
子供達は面白い。僕が走っている時は近寄ってこないが、歩いている時は取り囲んでペタペタ叩くのだ。
しゃがんで子供達の頭を撫でていると、とても大きくて美しい馬車がやって来た。
馬車が僕の目の前で止まる。
馬車の扉の前から僕らの方に赤いカーペットが伸びてきた。
魔法なのか?
どこからともなく花びらが舞っている。
これも魔法か?
いや、いつの間にか従者らしき者が二人、馬車の扉に向かって花びらを撒いていた。
「おーほっほっほっほっほ!!」
馬車の扉が開き、中から甲高い笑い声が聞こえてくる。
いったい何なんだ?
執事と思われる燕尾服を着た白髪の紳士が降りてきて片手を掲げると、その手を握って豪華なドレスを着た貴婦人が笑いながら赤いカーペットに着地した。
「おーほっほっほっほっほ!!」
若く見える綺麗な貴婦人は、鳥の羽根がいっぱい付いた扇子を優雅にユラユラ揺らしながら僕に近づいてくる。
まだ花びらが舞っている。
長い黒髪は縦にロールされていて、王冠にも見える髪飾りは、いかにも高価そうである。
前世の記憶からも高貴なお嬢様と判断できる。前世では高貴なお嬢様になど会った事はないのだが……。
「おーほっほっほっほっほ!!」
僕はあんぐりと口を開けていた。周りを見回すと子供達もあんぐりと口を開けている。アレックだけがいつもの無表情である。だが、アレックが面白がっているのが僕には解かった。
「そこの山の様なお方! ゲラアリウス家のチートリウス殿とお見受けいたしますが、如何?」
立ち上がっていた僕に話しかけてくる。この只者では無い高貴なお嬢様は、僕の事を知ってるようだ。どうも素直に答えたほうが良さそうだ。
「はい。チートリウスで御座います」
続けて高貴なお嬢様の素性を聞こうと思ったらアレックが挨拶した。
「ジュリアネッタ王女様! ようこそゲラアリウス領へお越し下さいました! 王女様が我が領へ足をお運び下さるとは、主のジョージリウス辺境伯も感激に打ち震えられることでしょうぞ!」
王女様だったのか。魔王様の娘と言うことだよね。普通の人族に見える。髪が黒いくらいで領地にいる人族とそんなに変わらない。魔王様は立派な角と牙があるそうなのだが……。
それにしても王女様がやってくるなんて聞いていないぞ。アレックの話ぶりから、アレックも知らなかったようだ。ということはお忍びなのかな? とにかく失礼の無いようにしなくては。
「ジュリアネッタ様。お初にお目に掛かります。改めまして、ゲラアリウス伯爵家次男チートリウス・ゲラアリウスと申します。こちらはゲラアリウス家顧問のアレックです」
僕とアレックは目上の者に対するお辞儀をする。アレックから礼儀作法も教えてもらっていて良かった。
「顧問?」
長命なエルフ族の血が濃いアレックは、美しい少年にしか見えない。貴族の家の顧問となると壮年の経験者というイメージだ。燕尾服の執事がジュリアネッタ様に何事か耳打ちしている。
「まあ! 『天才少年アレック』が其方なのですね。其方の名前は王都大学の教授連中からよく聞きます。自然科学や魔法学で重要な論文を書いたそうですね」
へ~え。アレックは有名なんだな……。僕は嬉しくなった。王国でも数すくない天才だというのは聞いていたが、アレックは王国中でも有名な天才だったんだ。
「はっ。余暇に考えた知見を王都大学に書き送っております。論文というほどの物では御座いません」
「それにしても『神の子から降りたチート』と『天才少年アレック』というゲラアリウス領の二人の有名人が私が通りかかった時にたまたま歩いているとは。私達に友になれとの神様の思し召しかもしれませんわね。おーほっほっほっほっほ!!」
まだ花びらが舞っている。従者の人も大変だな……。それにしても僕は『神の子から降りたチート』と言われているのか? まあその通りなのだが堕落したみたいに聞こえるな。
「チートリウス殿。其方の先ほどの挨拶は以前に『神の子』だったとは思われぬ、しっかりした物でした。其方は雷に打たれて大変物覚えが良くなったそうですね。そのような事が誠にあるのですね」
何故だろうジュリアネッタ様は僕の目をじっと見ている。まるで尋問でもしているかのようだ。
「雷に打たれて憑き物でも憑いたのかしら?」
僕の目を見ている。僕はアレックの様に表情を変えない……変えていないはずだ。
「某の見解では、雷の一撃でチートリウス様の頭脳に活気が与えられたのでしょう。憑き物のたぐいでは御座いません」
アレックが『チートリウス様』とか言って何とも面映い。
ジュリアネッタ様は僕から目を逸らさない。
「まあいいでしょう。もし憑き物でも憑いているのなら……もし何者かが取り憑いているのなら……」
ジュリアネッタ様はふっと視線を逸らした。そしてグッと僕の目を見つめ直して見得を切った。
「この悪役令嬢たる私の目は誤魔化せないと知っておきなさい!!」
何なんだこの人は? 僕に前世の記憶があることを知っているのか? だいたい悪役令嬢ってのは何だ? 悪役の令嬢って事か? 何で自分を悪役って言うんだ? 悪役令嬢っていうのは何らかの称号なのか?
僕は無表情で答えた。
「はい。何も誤魔化しはいたしません。悪役令嬢様」
なにやら、ぐっと圧力が減った。ジュリアネッタ様の大きく見開いていた目は細められる。
「んっ……どうやら思い違いのようですね。……それから悪役令嬢などとは呼ばないで下さい。私の事はジュリアとお呼び下さい」
自分で言ったのに悪役令嬢と呼んではいけないのか? 不思議な人だ。
「それではジュリア様。僕の事もチートとお呼び下さい。そしてジュリア様、どうか我が城にお越し下さい。つたないながらも我が家に持てなさせて頂ますようお願いいたします」
アレックに合図されたのだろう、様子を伺っていた衛兵が城に走っていったのを僕は目の端に止めていた。
「そうですの。お招きをお受けいたしますわ。セバスチャン、あの城に参りますわよ。おーほっほっほっほっほ!!」
僕とアレック、それに口を開けっ放しで見つめている子供達に優雅に会釈するとジュリア様は馬車に乗り込んだ。燕尾服の執事も深くお辞儀をすると馬車に乗り込む。二人の従者はやっと花びらを撒くのを止めた。まだ撒いていたのか……。
そのまま馬車は走り去る。花びらの山が残っている。
赤いカーペットはいつの間にか無くなっている。
僕は城に向かう馬車を見送っていた。
何だか非常に疲れた。
見回すと子供達も口を開けたまま馬車を見送っている。初めて見た王女様に衝撃を受けたのだろう。僕らのやり取りを遠巻きに見守っていた城下町の人々も無言で馬車を見送っていた。
「おいチート。俺達も城に戻るぞ」
アレックが城へ駆け出す。
僕は風に舞う花びらを暫く見つめてから、ゆっくりと城へと走った。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
三日後。
「おーほっほっほっほっほ!! お世話になりましたわ。皆様方もたまには王都に遊びにいらして下さいな。それでは皆様ごきげんよう。おーほっほっほっほっほ!!」
ジュリア様が今日は花びら無しで馬車に乗り込んだ。
パパン、ママン、姉ちゃ、僕、ダレナ、アレックで見送っている。
僕らの後ろにはゲラアリウス領の重臣や代官たちがずらりと並んでいる。
ゲラアリウス領は広大だが、来れる範囲の代官たちはジュリア様に顔を見せるためにやって来ていた。
普段は城下町に居る衛兵たちも道沿いにずらりと並んでいる。
ジュリア様はママン、姉ちゃ、ダレナと大変仲良くなって王都のおしゃれについてや文学、演劇の話など熱心に話していた。
パパン、アレック、僕とは、それほど話さなかったが、それでも仲良くなれた気がする。
それにしてもジュリア様は結局何をしに来たのだろう?
ゲラアリウス家の城は有力貴族の中では王都から一番遠いのだ。
パパンやママンが王都をほとんど訪れないから会いたかったのか?
『神の子』だった僕が賢くなったのが見たかったのか?
天才少年のアレックに会いたかったのか?
領地内も観光しないで三日間城に居ただけのジュリア様は、本当に何をしに来たのだろう。
ジュリア様が馬車の窓から扇子をだして優雅に振っている。
馬車は去っていく。
「おーほっほっほっほっほ!!」




