第四話 チートが走る
僕が雷に打たれてから一ヶ月が過ぎた。
この世界でも一週間は七日で、三十日か三十一日で一ヶ月である。曜日は前世と同じ。
今日は六月十一日、日曜日である。
この世界の天文学は進んでいるのか一月一日が必ず日曜日で夏至に近い日に始まるように調整されている。
暦は世界で共通のようで、今年は地暦八千七百五十二年というから歴史は古い。
アレックとの勉強は続いている。アレックから地理を教えてもらっている時にびっくりした事がある。地図が前世の地球とほぼ同じなのだ。
一年の日数が違うので、その点をアレックに聞いてみると……。
「チートの前世の世界は、一年が三百六十五日、四年に一度一日増えるのだろう。この世界では一年が三百六十四日、五年もしくは六年に一度一週間増えるんだ。まったく同じだよ。月も似ていて、チートが覚えている星座もこの世界にあるのなら天体は同じ構造だと思うよ」
この地球が、前世の地球とほぼ同じ物だという事は解かった。
魔法が前世には無かった事から、姿形は似ていても違う地球だとは思う。
この世界の科学技術は前世と比べても進んでいる部分もある。
科学技術の発展は世界全てで、数の扱いや時間や長さ重さの単位が統一されている事が大きいのだろう。
数は十進法であり、簡素な表し方で桁を表す単位は十、百、千しかなく、時間を表す刻を千倍、同じく脈を千分の一とする。
長さの単位は杖でメートルとほとんど同じ。
重さの単位は鐘、これも一トンと同じ。前世の同じ感覚で長さや重さを計れるので非常に解かりやすい。
一キロメートルなら一刻杖。一グラムなら脈を二つ並べて百万分の一を表し、一脈脈鐘となる。数の桁、時間、長さ、重さの単位や表し方が数と七つの単語、十、百、千、刻、脈、杖、鐘、で済むので便利だ。
長さや重さには精密な定義もあるようなのだが、測定に使える魔法が存在するので、精密な測定が必要な場合には魔法が使われる。
僕達の住む王国は、前世の世界では北アフリカにある。
前世の世界での北アフリカには大きな砂漠があったはずなのだが、この世界には無いようだ。
ゲラアリウス家が治めるのは王国の南の辺境である広大な地域だ。
王国の名はアリウス。通称、魔王の王国とも呼ばれている。代々の王が人族ではなく、角を持っていて魔族の血が濃いらしい。
魔王様と呼ばれている今の王様はバロアリウス様で、立派な角と牙を持っていて見るからに恐ろしいそうだ。
この世界では、人族は多数派なのだが、アリウス王国では違う。獣族や魔族と呼ばれる種族が多く、アレックやダレナのような人族に近いエルフと呼ばれる種族の血が濃い者も多い。人族でも他の種族でも、混血して子供を作ることが可能な種族を全て『人間』と呼んでいる。この世界では『人間』と呼ばれる範囲は非常に広いのだ。
「ねえチート。大分勉強も進んだから、今日は休みにして外に出ようか。雷に打たれてから城の周りを散歩するくらいしか運動してないよね。そろそろ走りたくなっただろう?」
走る……ものすごくウキウキしてきた。走る……なんていい言葉だ。走る……前世の知識も吹っ飛ぶほどの強烈な喜び。うぉ~!! 走りたい!! 走りたい!!
アレックの言っている走るというのは、その辺を駆け回る程度のことでは無い。僕が小さい頃からやっていた走り遊びの事だ。城の周りでは城下の建物もあって本気での走り遊びは出来ない。はぁ! はぁ! はぁ! 息が荒くなってきた。一刻も早く走り遊びがしたい。
アレックが首輪を取り出した。僕はアレックから首輪をひったくるように取って首に着ける。はぁ! はぁ! はぁ!
「いつもの所までは、ゆっくり行くんだよ!」
アレックが毎回する注意だ。僕は城外まで走らないように気を付けて歩き、ゆっくりゆっくり走り出した。
ゆっくり、ゆっくり……んっ! 首輪が引かれる感触がある。おっといけない。僕は振り返ってアレックを見る。城から城下町への道を走って降りてきている。僕は城下町を抜けて、雷で打たれた空き地までに半分の所まで来ていた。アレックから離れ過ぎると首輪が引っ張られる。
僕はアレックが待ちきれなくて、ピョンピョンと飛び跳ね始めた。
「あっ! チート様だ! チート様が飛び跳ねてる!」
「チート様は雷で怪我をしたって聞いたけど、治ったんだね!」
「すっかり治ったみたいだね。 お城より高いくらいに飛んでるよ!」
子供達の一団が近くで遊んでいたのだろう。僕を見つけて近寄ってくる。ある程度近づくと、それ以上僕のそばには近寄らずに僕がピョンピョン飛び跳ねているのを眺めていた。
アレックが近づいてきたので、また空き地の方へ進む。また、首輪が引っ張られる。ピョンピョン飛び跳ねて待つ。また進む。何回か繰り返してやっと空き地に着いた。アレックが走ってこちらに向かっている。その後ろには子供達の一団が懸命に走って付いて来る。
「チート。ちょっと待って。子供達がチートが走るのを見たいようだよ」
アレックが空き地の、アレックがいつも居る位置に来てそう言った。僕はまた飛び跳ねる。
「アレック様~。チート様が走るのを見ていていいですか?」
十人くらいの子供達の中で一番背の高い子がアレックに許可を求めた。子供達はみんな息が上がってるようだ。
「あぁ。いいよ。俺の近くに来なさい。チートが走ってる間はじっとしているんだよ」
僕が走り遊びをしている時に子供達が見ている今世の記憶を思い出す。しかし、僕は走りたくて走りたくて記憶を思い出すということが、上手く出来なくなってきた。考えることも出来ない。
あ~走りたい。
「いいよチート! 思いっきり走っていいよ!」
「ひゃっほ~!!」
つい声に出てしまった。僕は全力で走り出す。いつものように空き地の端まで来ると軽く首輪が引っ張られる感覚がある。Uターンしてアレックに向かって走る。アレックは空き地の入り口付近にいつも居る。アレックを中心にして、ぐるっとUターンする。
「わ~!! すごい!! 速い!! 」
「すごい風音だね! 速すぎてチート様の姿がはっきり見えないよ!」
子供達がきゃっきゃっと騒ぐ。僕は得意になってアレックの周りを何週も何週も駆け回る。
ガッ!! ドゴッ!!
足を踏ん張って止まると、地面に足がめり込んだ。今度は逆回転だ。
アレックの周りを駆け回って一刻(十四分二十四秒)ほど。やっと走ることの興奮が収まってきた。
走る速度は落とさないが、この空き地を見回す。今世の記憶から、騎士たちが馬に乗って訓練していた様子を思い出す。この空き地は練兵場だな。
練兵場は長方形でだだっ広い。前世の記憶にある競馬場よりちょっと大きい。
長方形の練兵場だが長い辺が一刻杖(一キロメートル)短い辺が四百杖(四百メートル)位かな。
それにしても僕は速いぞ! この練兵場の端から端まで十脈(八秒六四)位だ。速すぎる。前世の記憶から人間、いや動物の中でも、こんなに速い者はいなかったはずだ。暗算してみると時速四百キロを越えているじゃないか。新幹線よりも速いのか! 何かしらの魔法は使っているのかもしれない。いや魔法がなければ、こんなに速く走れないだろう。意識して魔法を使っている訳では無い。そもそも魔法の使い方が解からない。
それにしても走るのは何と気持ちがいい事なのだろう。前世でもスポーツは好きだったが、走るのはこんなに楽しかっただろうか。
さらに一刻ほど、もう百周位はアレックの周りを回っている。子供達も首をぐるぐる回しながら僕の走りを楽しんでるようだ。僕の体はすごい。こんなに全速力で走っても、ほとんど疲れていない。
前世の記憶が出来るまでは、当たり前に走っていたが、ものすごい事だ。
ありえないほどすごい事だ。
この走る速度は奇跡だ。
僕速えぇ~!!
更に五十周走ってから僕は速度を落としてアレックの所に近づいた。
「わ~! チート様~」
「チート様は本当に足が速いな~!」
子供達が僕の体をペタペタ叩いたり抱きついたりする。ほとんどの子供は僕の太ももくらいの身長だ。一番大きい子でも僕の腰くらいの高さだ。僕は嬉しくなって、しゃがんで子供達の頭を撫でてやる。
僕は子供達に好かれているようだ。今世の記憶では子供達はじゃれついてくる存在くらいにしか認識していなかった。
「ねえチート様。賢くなったって本当?」
「しっ!! 母さんに、聞いたらだめって言われたでしょ!」
僕に賢くなったか聞いた一番小さな男の子を、姉なのだろう少し大きい女の子が止める。賢くなったか聞くと言うのは、それまでは賢くなかったという事になるので、親が聞くなと言ったのだろうな。
僕はアレックをちらりと見る。アレックは小さく頷く。隠さなくてもいいのだろう。
「そうだよ。ここで走ってる時に雷に打たれたら、賢くなっちゃったんだよ。ほんの少しね。それからはアレックに勉強を教えてもらってるんだよ」
「まあ! すごーい! 噂は本当だったんだ! 」
弟を止めていた女の子が驚いて、他の子供達とワイワイ騒ぐ。本当は僕が賢くなったのかどうか知りたかったのだろう。ぼんやりさんだった僕が、この頃は城の周囲を歩く時に会った人達に挨拶などしているので噂になっていたのだろう。でもいいのか? これで領地中に知れ渡るぞ。まあアレックがいいと言うのだから、いいのだろう。
ひとしきり子供達とじゃれあった後、城に戻る道すがらアレックに尋ねた。
「ねえアレック。僕は走ってる時に魔法を使っているの?」
「使っているよ。でもチートは意識していないだろう。魔法というのは周囲にあるマナに対して命令しなければ使えない物なんだ。マナへの命令の仕方はほとんどが魔法語と言われる言葉だ。まれに瞬きや目の動きなど体の色々な箇所の筋肉の動きでマナへの命令を伝える達人がいる。チートは意識せずに体を使ってマナへ命令しているんだと思う。走っている体を更に加速させるような命令をね」
「ふ~ん。それとさ、子供達に僕が賢くなった事を認めちゃったけど良かったの?」
「心配ない。お館様が王国への報告はすでに済ませているよ。チートは王国では結構重要な存在なんだよ」
たしかにゲラアリウス家の領地は王国の四分の一程もある。魔王様の直轄領と、大きさは同じ程の土地だ。間違いなく王国で一番大きな貴族なのだ。次男といえども重要な存在なのだろう。
僕は久しぶりに思いっきり走って、すっきりした気持ちで城へと帰っていった。




