第十九話 短距離競走
観覧席の一角にある貴賓席には、後ろの大きなサロンが設えてある。
僕らがそこに入っていくと拍手が起こった。
王国から貴族や、お金持ちの商人達が集まって来ているのだ。
僕は会釈で応えた。パパンも会釈している。
僕らは魔王様の席に行く。
「魔王様。いよいよ運動会でございます。チートの走る姿、力を使う姿を見てやって下され。そして……賭けも楽しんで下され。ハッハッハッ!」
「おうジョージよ。観覧席をちらりと見たが、凄い観衆よの。チートよ、力の限りを見せよ! 楽しみにしておるぞ!」
「はい魔王様! がんばります!」
「チート殿。私も楽しみにしていますのよ」
「有難うございます。ソフィア様」
そろそろ開会の時間だ。貴賓席へ向かう。
貴賓席に魔王様が見えると、観衆の大歓声が起こった。
僕ら家族の姿も見えて、一層歓声が大きくなる。
魔王様家族も、僕らの家族も手を振って歓声に応える。
ひとしきり歓声に応えて手を振る。
「これより! 運動会を始める!」
いつもながらパパンの声は良く通る。
大歓声の中でもはっきりと聞こえた。すごい大声だ。
「第一の競技は~短距離競走~準決勝~」
魔法機器の拡声器で、美しい声の女性が知らせている。
観覧席の上に掲示板があり、出場選手の情報が載せてある。
この世界には電気はないのだが、どういう魔法なのか刻刻と情報は変化している。
胴元達が出している賭け率も一緒に掲示板に表示されている。
短距離競走の準決勝は全七組あり、すでに予選で勝ちあがった者が出場しているのだ。
十人ずつが走り、一位と二位の十四人と僕の十五人が決勝を走る事になる。
最初の組は一刻後(十四分二十四秒後)に選手達が位置に付いた。
賭ける時間を取っていたのだろう。胴元達の部下は観覧席に沢山いて、常に賭けを売っているのだ。
競技場は鉄火場と化している。子供達も多く見ているので教育上どうなのだろう。
「アレック、こんなに堂々と賭け事しているけど、子供達の教育に悪いんじゃないの?」
「意味が解からない。なぜ賭け事が、子供達の教育に悪いんだ。適正な事へ見定めて賭けるというのは、貴族だけでなく、商人でも農民としても重要な能力だよ。むしろ、子供達の教育にいい事だ」
「……」
前世の世界と、この世界では、考え方も違う物だな。
よく観覧席を見てみると、子供達も賭けを買っているようだ。前世の記憶がある僕には釈然としない光景である。
−−−−
短距離競走の準決勝は終わった。昼になる前に決勝を行なうのだ。
僕はルールーを連れて選手の控え室に入る。すでに十四人の選手がいて、僕に会釈する。
どの選手も集中している。
選手達は集中が強くてルールーを見ても怖がるどころか気にもしていないようだ。
どの選手も言葉で体に魔法を掛けている。僕やルールーのように自然に筋肉の動きで、マナを制御できる者はいないようだ。
僕達選手は競技場に出る。競技場から見る観覧席は壮観だ。
人、人、人で埋め尽くされている。どこを向いても人々の波なのだ。
貴賓席から見る光景とまた違って迫力がある。
僕は少し緊張している。
僕が圧倒的に勝つのは解かっている。
準決勝でも僕より速いかもしれない選手は一人もいなかった。
それでも緊張している。
去年以前は、アレックに指図されて、合図したら、アレックの居る所まで走れと言われたような気がする。緊張などしなかったと思う。
観客も、今年程では無いにしろ結構居たと思う。
僕はなぜ緊張しているのかを考えて、結論に達した。
観客の期待に応えなければならないと思っているからだ。
皆は僕がとても速く走るのを期待している。
見たことも無い程の人間の速度が見たいのだ。
僕は走るのをワクワクしていると同時に緊張もしているのだ。
僕は緊張を解そうとしている。
この世界の僕は、とても丈夫で多分世界一速く走れもする体なのだ。
前世では四十年以上も生きていたのに、緊張が解せないなんて、僕は何をやっているのだ。
緊張を解して、僕の全部の力を出し切らなくてどうする。前世の記憶を役に立てるのだ。
目を閉じて瞑想の真似事のような事をしていると、かなり落ち着いてきた。
周囲の緊張感に横のルールーも毛が逆立っている。
一緒に走りたそうなのだが、僕は気持ちを通わせて、ここで見ているように伝える。
ドドン!!
騒がしかった観客が太鼓の音で静まった。
「フレ~!!」
ドドン!!
「フレ~!!」
ドドン!!
「チートちゃ~ん!!」
「フレッ フレッ チ~トちゃ~ん!! フレッ フレッ チ~トちゃ~ん!!」
ワ~!!!
ドドン!!
観覧席の一角に少し高い台が設えてあったのだが、そこに百人以上の黒い服の団体。先頭にはママンだ。
学生服……だよね。
黒い服に金のボタン。
どこからどう見ても前世の記憶にある学生服だ。
ママンの鉢巻には日の丸が。更に振られている大きな旗にも日の丸だ。
ママンの両横のダレナと姉ちゃはチアリーダーの格好をしている。スカートを履いている。それも丈が短い。ボンボンも持っている。
う~む。
僕は貴賓席のジュリアを見る。僕の方を見て笑っている。
ジュリアが応援団を完成させた事は間違いない。
「さん、さん、ななびょ~し!!」
ドン! ドン! ドン!
ドン! ドン! ドン!
ドンドンドンドン! ドンドンドン!
……。
応援団に促されて、観衆がほぼ全員、三三七拍子に合わせて拍手をしている。
観衆は応援団など見たことも無いはずで、ママン達に歓声を上げている。
かなり受けているようだ。
ワ~!!!
ドドン!!
競走が始まる。位置に付いた時には完全に落ち着いていた。
……ありがとうママン。
僕は十五人の真ん中に位置する。
一刻杖(一キロメートル)ほどの直線競走だ。
短距離と言っても、魔法があるこの世界では結構長い距離である。
銅鑼が鳴ればスタートだ。
観衆も静まり返っている。
ゴ~ン!!!
僕はゴールを駆け抜けた。
後を振り返る。まだ半分の地点にも、どの選手も来ていない。
ワ~!!!
凄い歓声だ。
他の選手達もゴールした。
二等になった選手が両手を挙げて喜んでいる。
僕が近寄ると抱き付いて来る。僕も嬉しくなって抱きつき返すと、三等の選手も四等の選手も団子になって僕に抱き付いて来た。
結局、どの選手とも抱き合って健闘を称えあった。
うん。競走っていうのは、いい物だな。
ワ~!!!
歓声が鳴り止まない。僕の名前を皆が叫ぶ。
チート様~!! チート様~!!
大歓声だ。
僕は手を振って応える。
ママンと目が合った。
赤い襷に日の丸の鉢巻。
典型的な応援団長の格好をしたママン。
目から涙が溢れている。
ダレナと姉ちゃもママンに寄り添って泣いているようだ。
僕の晴れ姿が嬉しいのだろう。僕も少し涙ぐんだ。
−−−−
僕はお昼の弁当を食べている。やっぱりダレナの作った弁当は美味しいな。
運動会で弁当を食べるのは、今世の世界でも定番なのかな。
前世での子供の運動会で、子供が教室でお弁当を食べるようになった時は結構ショックだったな。
やっぱり運動会のお弁当を家族揃って食べるのはいいな。
掲示板には、短距離競走の正式な順位が載っている。
出身領も載せてあるが、王国中から選手が来ているのが解かる。
計測された時間も載っている。僕は、七.一八脈(六.二〇三五二秒)となっている。去年もこの競技は有って、僕は十.五五脈(九.一一五二秒)で走ったそうだ。
この一年の僕の成長は凄まじい。雷に打たれて、前世の記憶を持ってから、走る練習を沢山した。体の制御が相当上手くなったのだ。
今回も僕の勝ちという賭けは売っていなかったそうだが、僕と二位との差で、複数の賭けを売っていたそうだ。二位は二十五.五八脈(十七.七八一一二秒)だった。
ママンは、応援団長の格好のまま弁当を食べている。
「チートちゃん。速かったわ~!。応援していて、私は鼻が高かったわ」
「ママン。その格好は……」
「ああ、これはジュリア様が、この黒い服に金のボタンが合うと仰って下さったの。この頭に巻いてる布もジュリア様が作って下さったのよ」
やっぱりジュリアだ。
「私、この応援の仕方が凄く気に入ってるの。開拓団のお手伝いの時にチートちゃんの応援の仕方で、アレックに知恵を求めたら教えてくれた、この応援しながら踊るっていうのが、とても好きなの」
……発端はアレックだったのか。まてよ、きっと僕が前世の応援団の事をアレックに話したんだな……。発端は僕か……。
「私もこの着物は、可愛らしくて気に入ってるわ。このフワフワした毛玉も。着物の丈が短くて踊りやすいのよ。ねえダレナちゃん」
「ええ、アリア義姉様。最初は着物の丈が短くて、少し恥ずかしかったですけど。可愛いし、本当に踊りやすいのですよ。ジュリア様は色々な着物の事を良くお知りですわ」
チアリーダーの格好の姉ちゃとダレナは、満足そうだ。
この世界でも女の子は可愛らしいのが好きなんだな。
「おーほっほっほっほっほ!! 皆さん、素晴らしい応援でしたわよ。チート殿の快走に、御花を御添えになられましたわ。おーほっほっほっほっほ!!」
元凶のジュリアだ。
ママン達をからかっているのか。僕をからかっているのか。
どちらにしても面白がっているよな。
「ジュリア様。たいへん美しい衣装を、ママン達に教えて下さってありがとう」
僕はジロリとジュリアを見る。
ジュリアはどこ吹く風だ。
まあ、ママン達も、観衆も喜んでいたので良しとするか。
−−−−
「第三の競技は~長距離競走~準決勝~」
昼が終わると、明日の長距離競走の準決勝だ。
僕以外の二十九人を決める。
暫くしてスタート位置には百人を越す選手達が並んでいる。
この中にキャメロンさんも居るはずだ。
ゴ~ン!!!
銅鑼が鳴りスタートだ。
選手は周回を重ねて行く。二十周でゴールだ。
キャメロンさんはトップグループに居る。頑張ってほしい。
「キャメロン! 頑張れ~!!」
ブレッド連隊長が大声で応援している。
手には賭けの札を握り締めている。当然キャメロンさんに賭けているのだろう。
準決勝はトップのみが賭けの対象のようだ。
つまりキャメロンさんがトップにならなければ賭けは負けということだ。
十五周目でキャメロンさんが抜け出した。そのままするすると二位グループに2百杖ほどの差を付ける。
これは勝てそうだぞ。
「キャメロ~ン!!! いけ~!!!!」
ブレッド連隊長の応援に力がこもる。
あと二周。二位グループから抜け出した二人の選手がキャメロンさんに迫る。
あと一周。キャメロンさんと二人の選手の距離は百杖に満たない。抜かされるのか。
「がんばれ~!! キャメロンさ~ん!!」
「キャメロンいけ~!!!!」
僕もブレッド連隊長に近づいて一緒にキャメロンさんを応援だ。
賭けの札を握り締めて応援しているブレッド連隊長とお互い肩を組んで声の限りを尽くして応援している。
やったー!! キャメロンさんが一位だ!!
歓声もすごい。僕もブレッド連隊長も大喜びだ。
ゲラアリウス領きっての大男二人が抱き合って喜び合う。
準決勝なのでキャメロンさんに賞金は無いのだが、ブレッド連隊長からの御褒美は確保できたと思う。
「さあ、そろそろ参りましょうぞ! 思う存分、力を出しましょう!」
「えっ、どこへ?」
「チート様、何を言っているのですか。力系の競技が始まるから出場しに行くに決まっているではありませぬか」
「えっ、ブレッド連隊長も出るの?」
「まったく何を……。力系の競技が始まってから六回目。過去の五回はどの種目でも、チート様が一位で某が二位だったではござらぬか」
うーん、そうだったんだ。
思い出して見るが記憶には無いな。