第十八話 運動会の始まり
明日は運動会である。
魔王様夫婦は、兄ちゃ夫婦に城下町を案内されている。
ママンは姉ちゃとダレナとジュリアの四人で、服を買いに行くと言って出掛けていった。
アレックもベタンコート卿と共に商人達や胴元達との打ち合わせに忙しいようだ。
僕は城に残されたジェームスとルールーとで遊んでいた。
「ねえチート、チートは馬鹿だったのに、良くなったの?」
ジェームスは僕の体をペタペタ叩きながら尋ねた。子供は容赦ないな。
「いや、僕が馬鹿だった事はないよ。ちょっと、ぼんやりしていただけだよ。雷に打たれて、しゃきっとしたんだよ」
僕は本当の事を教えてやる。
「ふ~ん、そうなんだ」
ジェームスは今度はルールーに抱きついている。僕の家族はルールーをまったく怖がらないな。
「うふふふ。ルールー、舐めるとくすぐったいよ」
「おう、ジェームスや。ここに居たのか。チートと遊んでいたんだな。儂も暇なのだ。混ぜてくれ」
パパンはそう言うと、ルールーを撫でながら、ジェームスをくすぐりだす。
「ひゃひゃひゃひゃ。おじい様。くすぐったいよ」
パパンは、ルールーに頭を甘噛みされている。僕も、じゃれあっているパパン達に混ざる。
しばしルールーも含めて四人で、じゃれあった後。食堂で、おやつを食べている。
「ねえ、おじい様。魔王様は世界一強いの?」
「う~ん、そうじゃのう。強さと言うのは色々あってのう。魔王様は力も凄く強い。だが力だけなら、世界一強いのはチートかもしれん。それとも竜の世界の、見たことも無いような大きな竜かもしれん。魔王様は剣も凄く強い。だが、儂やアレックや王都に居るゼットブ殿の方が剣は強いかもしれん。だがな、もし魔王様が戦うと言うならば儂らは全力で、魔王様の為に戦うのだ。ジェームスもじゃぞ。儂らの王国は強い。その強さは魔王様が王国の中心にいて、儂ら王国の民が魔王様をしっかり支えておる事で適う事なのだ。王国の強さは、魔王様の強さなのだ。王国が世界一強ければ、それは魔王様が世界一強いということなのじゃ」
「解かったよ。僕達が強くて、しっかり魔王様をささえれば、魔王様は世界一強いんだね」
凄いな、解かったのか。ジェームスは四歳なのにお利口さんだな。思わず僕はジェームスの頭を撫でてやる。ヨシヨシ。
「世界一足が速いのはチートなんでしょ?」
ジェームスが僕を見上げる目には、尊敬の念がある。
僕はどきりとした。
前世の息子を思い出したのだ。
息子の運動会で僕が一等を取った時の目と同じだ。
「ぼ、僕は速いぞ。きっと世界一速いぞ。明日の運動会を良く見ていなよ。僕は一生懸命走るよ」
僕は、この可愛い甥が愛おしい。
僕は、僕が活躍する為の運動会が気恥ずかしかったのだが、俄然やる気になっていた。
ジェームスにいい所を見せるのだ。
−−−−
目が覚めてしまった。随分早い。まだ夜明け前のようだ。
隣のダレナはぐっすり眠っている。ママンと応援の練習を遅くまでしていた。
僕を驚かせたいとかで練習は見せてくれなかった。
僕はダレナを起さないようにそっとベッドから降りる。
−−−−
練兵場まで来てしまった。少し走ろうかな。
ルールーも一緒だ。そっと城を抜け出そうとしたが、ルールーに見つかってしまった。
練兵場は、競技場と観覧席、そして屋台とに区分けされている。
屋台には、この薄暗い内から、仕込みをしている人が結構いる。皆僕にお辞儀する。
「おう、これはチート様。随分朝早くからお出でになって、練習でござりますか」
凄く人相の悪い、賭博の元締めのギーエンさんだった。周りにも人相の悪い手下がいる。
「うん、早く目が覚めたんで散歩がてら来てみたんだ。ギーエンさんも早くから仕事なんだね」
「へえ、あっしらの稼業は、この運動会が、年に一度の大稼ぎできる時でござります。胴元達も大きく儲けれる事が多いのですが、それでも大きく賭けられて損をする事もあるのです。胴元達も必死でござります。特に今年は、一挙に沢山の金持ちがやってくる見込みでござりますので、賭け金も上がってくるとおもわれます。胴元達も皆で集まって、上手い賭け率を付ける為の、情報交換に余念が有りませんのでござります」
僕に挨拶した後に、車座で何やら話し込んでいるのが胴元達らしい。
博打は負ける事も有る訳だから胴元も真剣だという事か。
「ねえギーエンさん、僕が言うのも何だけど、僕が速過ぎても賭けになるの? 皆、僕に賭けるんじゃないの?」
「えへへ。そういう訳じゃねえんでございます。例えば、去年の徒競走でしたら、チート様が勝つ予想の賭けは受け付けませんでした。他の選手が勝つ予想の賭けは高い賭け率で受けます。で、チート様以外のどの選手が二位かを、予想する賭けが一番売れたのです。チート様が勝った方が胴元は儲かる仕組みになってございやす」
「ふ~ん、そうなんだ。僕が勝てば、僕らは儲かるんだね」
「今年の運動会では、三日目にはチート様が勝てないかもしれない、ハンデのある種目が、ござりますんで、賭けも良く売れやしょう。その分、賭け率を上手く付けてやらねえとなりやせん」
賭博と言えば、前世の日本では国が行なう以外は違法な物だった。
こうして、この世界の賭博を職業としている人と話してみると、当たり前の事なのだろうが、この仕事に一生懸命取り組んでいるのだと感じる。
どんな世界のどんな職業であろうとも、一生懸命だと言う事は素晴らしい事だ。
僕も一生懸命走ろう。一生懸命力を出そう。
競技場に出てみると、一人だけ選手と思われる者が走りこみをしていた。
顔に見覚えがある。一緒に狩りに行った辺境連隊の兵士だ。
「やあ、おはよう。随分早くから練習しているんだね。あなたは辺境連隊の人だよね」
「はっ。これはチート様、おはようございます。そうです辺境連隊伝令のキャメロンです」
「キャメロンさんも運動会に出るんでしょ。どの種目に出るの?」
「はっ。俺は三日前に行なわれた長距離競走の予選を、勝ち抜けました。今日、あと一回勝ち抜けば、二日目のチート様と決勝で走れます。二日目の決勝で、いい成績が上げられれば三日目のチート様だけにハンデのある長距離競走にも出られます。俺も運動会に出場し始めて、三年目。今年こそは賞金がいただける順位になりたいです。」
「ねえ、賞金ってどのくらいなの?」
「ええ、俺の出る長距離競走では、一等、二等が百刻マーナ。三等が五十刻マーナ、四等が四十刻マーナ、五等が三十刻マーナ、後十等までが二十刻マーナでございます。去年より大分、増えておりますよ」
なぜ一等と二等が同じなのかな。そうか、僕が必ず一等になっていたからだな。
まあ、結構な額の賞金みたいだ。賞金は胴元達が出すと言う事で、ゲラアリウス家には僕の一等賞金がいつも入っていたはずだ。
「キャメロンさんも、いい成績で賞金が獲れるといいね」
「はいっ。チート様のお陰で、竜を狩った特別手当も沢山いただけましたし。もし賞金が獲れたなら、貯めていた金と特別手当と合わせて、田舎に家を建てるつもりなんです」
狩りに同行した兵の特別手当は二十刻マーナだったはずだ。新兵の一年分の手当と同じくらいだったと聞いている。
辺境連隊の兵になる者達は、お金を貯めて、結婚して農民になる者が多い。そして、それは推奨されている。
辺境連隊で屈強な兵だった者が、辺境の農民になれば、いざと言う時の武力にもなる。狩りも辺境連隊で上手くなった者が多く、兵達が農民として住む村も潤う事が多い。
僕とルールーとキャメロンさんは、競技場を軽く走る。キャメロンさんは、僕らにまったく付いて来れない。
「ҐՓҡʞҭ ՂҡɬԽґұɳՑՎɦҭɵɟՓɕʗɟՖɳҭɺɟҬʒҥҭԻҟɾɰ」
キャメロンさんは立ち止まって、何やら魔法を唱えて、体の色んな場所を触り始めた。
キャメロンさんがまた、走り始めると、明らかに速くなった。軽く走っている僕と同じくらいの速さだ。僕は速度を上げてキャメロンさんを抜く。キャメロンさんは、それ以上の速度は出ないようだ。ルールーはまだ付いてこれる。僕は更に速度を上げて全速力を出す。ルールーも一周は付いてこれたが段々引き離す。ルールーは、この何日かで格段に速くなったな。
僕は二十周して止めた。ルールーもキャメロンさんも僕の傍に来た。
「チート様、二十周されましたようですが、全力で走られましたか?」
すこし息が上がった様子でキャメロンさんが聞く。
「うん、そうだよ。全力で走ったよ」
「おう! 俺は六周致しました。去年は二十周の長距離競争で、チート様がゴールされた時、俺は五周した所でした。俺は去年より大分速くなっているようです!」
「よかったね。いい成績が取れそうだね。そう言えば、さっき魔法を掛けていたようだけど、どんな魔法なの?」
「はい、速く走る為の直接の魔法は有りません。体の色んな部分の筋肉を強くする魔法を掛けるんです。ただ、これは難しくて、どのくらい強くするか、どの筋肉を強くするかを上手く選択しないと、走るどころか立っている事もできなくなるんです。そして、それは人それぞれ違うんです」
「ふ~ん、魔法で速く走るのも難しいもんなんだね~」
僕もルールーも自然と魔法を使って走っているのだけれどね。
キャメロンさんは、また魔法を掛けたようだ。今度は魔法を解いたのかな。足を中心に揉み解している。そして、体を動かして筋を伸ばしたりしている。
キャメロンさんの様子が何だか格好いいので、僕は体が凝った事など無いのだが、足を揉んだり、筋を伸ばす運動をしたりしてみる。ルールーまで伸びをして、体の筋を伸ばしている。
そうしている内に朝日も完全に上がり、随分明るくなった。
運動会に出る選手達が、段々と競技場に集まってくる。
僕を見ると一様に挨拶する。ルールーを見ると皆怖がる。
邪魔になるといけないので、僕はルールーを連れて競技場を出た。
競技場があり、その外は観覧席、そしてその周りには屋台がひしめいている。
すでに屋台からは良い匂いが漂う。屋台の先には、テントがずらりと並んでいる。
城下町の宿には入りきれない領民達が宿泊しているのだ。
朝早くて、遊んでる子供もいないようだから、歩いて城まで帰る事にした。
子供達がいると、僕を触りに来て中々進まなくなるのだ。
城下町をゆっくり眺めるのもいいものだ。
狩りから帰ってきた後は、僕は一人で城の外に出る事も多い。まあ、ほとんどルールーも付いて来るのだが……。
アレックから一人での外出の許可が出たのだ。
アレックは、僕が一人で城の外を出歩いても、危険は無いと判断しているのだ。
王国内にはゲラアリウス家を害する者は、まずいない。
もし、僕を害する気でも、矢の音は聞き分けて躱せるし、襲われても走って逃げれば捕まらない。
領地に居る限り、衛兵も領民の目もあるので、愛されているゲラアリウス家が襲われると言う事は、ありえない。
アレックに一人での行動を許されて、僕は強い大人と認められたようで嬉しい。
ママンやダレナの外出には、必ず共の者が付く。
兄ちゃや姉ちゃは、王都大学に入学して剣の腕が上がってから、一人の外出が許されたそうだ。
アレックは……小さい子供の時かららしい……その時分から辺境連隊の猛者達より、剣の腕が上だったからだそうだ。
城に帰ると、炊事場でダレナが料理人に采配を振るってお弁当を作っていた。
「やあダレナ。おはよう」
「おはよう、チート。今日は随分早く起きたのね。チートも運動会でワクワクしてるの?」
「うん、そうだね。運動会っていいね。ワクワクするね」
「私も運動会が大好きよ。お弁当作って、チートの走るのを、みんなで見るの。今年はサリア様の応援が凄いのよ。ジュリア様も手伝って下さったのよ。チート、楽しみにしていてね」
ジュリアが手伝った、ママンの応援か……う~ん、どんな物なんだろう。
−−−−
食堂で朝食を食べると、ベタンコート卿がやってきた。
「お館様! 賭けの胴元達を見てまいりましたが、ものすごい勢いで賭けが売れているようです。運動会もまだ始まっていないのに、これはすごいことですぞ! ウフフフフッ」
「なんと! それほどなのか! 儲かってしまうではないか! ウフフフフッ……ウシシシシッ」
パパンとベタンコート卿が悪い笑い方をしている。
魔王様家族と、パパンとアレック以外の僕の家族は、すでに競技場に行っている。
パパンとベタンコート卿とアレック、三人で何やら話している。確認することでもあるのだろう。
「チート、そろそろ行こうか」
アレックが僕に声を掛けた。
さあ、いよいよ運動会だ。