第十七話 魔王様のお迎え
王都へと続く街道は、大変広く、整備も良く、本当に走りやすい。
高速馬車も良く通るので、僕が引く超特大の馬車も実に滑らかに走れる。
まあ、高速馬車の何倍もの速度なのだが。
明後日の運動会を御観覧する魔王様のお迎えに、僕は馬車を引いている。
馬車にはジュリアと、その執事と従者、そしてアレックが乗っている。
王都に着けば、兄ちゃ家族も、魔王様と一緒に馬車に乗るそうだ。
馬車の後ろにはルールーが走っている。馬車を引く僕は全力の半分くらいの速度で走っているので、付いて来れている。
全速力で馬車を引くと何かが飛び出てきたりした時に、躱せない可能性があるからだ。僕は躱す自身はあるのだが、馬車に乗せてる人の命を掛けてまで試すことじゃない。
王都に近づいて来た。早朝から二十刻(四時間四十八分)以上は走っている。
僕もルールーも、まったく疲れていない。
アレックは三十刻以内に王都に着けると言っていた。
時どき、自転車を見かける。前世の自転車と大差ない。非常に高価で、貴族の玩具として自転車は売られているそうだが、あまり普及していない。
人と心を通い合えるので、馬牛が非常に使い勝手がいい世界なのだ。自転車は実用的では無いのかもしれない。
ゲラアリウス領を出発してから二十五刻で王都に着いた。途中で一回休憩しただけだった。
僕は王都に初めて来た。しかし、ゆっくり見て周る余裕はない。
魔王様を乗せて、ゲラアリウス領へ、とんぼ帰りしなければならないのだ。
かなり遠くからでも立派な王宮が見える。
今世ではゲラアリウス家の城より大きい建物を見たことの無かった僕は、何倍も大きい王宮に感動する。
速度を落としてゆっくりと進む。
王宮の門付近になると、超大型の馬車を一人で引いている僕と、横に付いているルールーは、かなり目立つ。
王都の民は皆、驚いた顔で僕の方を見ている。
門にたどり着くと、兄ちゃが駆けつけてきた。
「おう! チート! よく来たな!」
兄ちゃは僕に抱き付いて来た。
「いや~チート! 立派だなあ。こんな大きな馬車を引けるようになったのか! 暫く見ない間に、また大きくなったんじゃないか」
兄ちゃは飛び上がって、僕の頭に手を伸ばした。
「兄ちゃ! 久しぶりだね! 元気だったかい!」
僕も嬉しくて、抱き合って共に再会を喜び合う。
「これはジョウ殿。わざわざの出迎えご苦労様です。お父様の準備は出来てお出ででしょうか?」
馬車から顔を出したジュリアが、兄ちゃに声を掛けた。
「ははっ、ジュリア様。魔王様もお待ちです。チートが引く馬車と言うのが、どんな物かと興味深々で、いらっしゃいました」
門の守衛が敬礼するなか、城の中に入っていくと、すでに魔王様が待ち構えていた。
僕とアレックは馬車から離れて、目上の者への挨拶の姿勢を取る。
「魔王様。お初にお目に掛かります。ゲラアリウス伯爵家次男チートリウス・ゲラアリウスと申します。こちらはゲラアリウス家顧問のアレックです」
「おう、其方らがチートとアレックか。会いたかったぞ。儂が王のバロアリウス・シンアリウスじゃ。チート、そちは本当に大きいのう!」
魔王様も大きい。背は僕より低いが、横幅は僕よりすこし大きいくらいだ。噂どおり立派な角と牙。この世のものとも思えない程の、怖い顔だ。
魔王様は僕の肩を撫でている。自分より大きい人間を見たことが無いようだ。
僕は魔王様の顔を良く見る。
良い人だ。
間違いない。
表裏のない、堂々とした心根の持ち主だ。
「何じゃコイツは、狼ではないか! おう! よう馴れておるな~」
ルールーを魔王様が、しゃがんで撫でている。
ルールーの頭を撫でようとした魔王様は躱された。
あっ、魔王様の頭を舐めているぞ。むっ、魔王様の頭を甘噛みしだした。
「おひょひょひょひょ! これは可愛い狼じゃな! 気に入ったぞ!」
「貴方、私達も紹介してくださいな」
「おう、そうじゃ。こちらが儂の妻、ソフィアネッタ。そして、こちらが見送りに来た儂の甥、ブリアリウスじゃ」
「ソフィアネッタです。ソフィアと呼んで下さいな。魔王妃なんて呼ばないでね」
「ブリアリウス・シンアリウスです。ブリアと呼んで下さい」
「ソフィア様、ブリア様。お初にお目に掛かります。王都にお招き頂けて、有りがたく存じます」
「チート殿、御免なさいね。本当なら、ゆっくりと王都を楽しんで頂きたい所なのだけど。バロアがどうしても、チート殿が引く馬車に乗りたいと言う物だから……。ジョウ様が言うには、明るい内にゲラアリウス領まで行くには、城で食事の持て成しも出来ないとの事で心苦しいわ」
「いいのですよ。僕は走る事が何より好きなんです。皆様を、ゲラアリウス領まで、お運び出来て嬉しいのですよ」
「チート殿。この度は、慌しいですが、いつかまた、王都にいらしてください。その時は歓待いたしますよ」
「有難うございます」
ソフィア様も、ブリア様も何と美しいことか。どちらも人族の血が濃いようだな。
ジュリアも人族の血が濃いみたいだから、魔王様の家系といえど、魔族の血が濃い者ばかりという訳では無さそうだ。
兄ちゃの横に、魔族の血の濃い美しい女性と、小さな男の子がいる。
「チートだ、チートだ」
小さな男の子が僕の体をペタペタ叩く。兄ちゃが微笑んでいる。
「これ、ジェームス。チート叔父様でしょ。チートさん。お久しぶりね」
「はい、お義姉さん。お久しぶりです」
「あら。チートさん。覚えていて下さったのですね。てっきり私の事は覚えていないかと思ってましたわ」
実は覚えていない。アレックから聞いた、姉さんと甥の名前がドリーネッタとジェームスリウスだと言うことしか知らない。
顔は何度か合わせていると思うのだが、雷に打たれる前の僕は誰かを覚える事は無かったし、子供はペタペタ叩いてくる煩わしい存在くらいにしか認識していなかった。
「お義姉さんも、ジェームスも運動会に来れるのですか」
「ええ、参ります。ジョウと一緒にゲラアリウス領に帰れる、せっかくの機会ですからね」
「わあ。嬉しいです。パパンもママンも姉ちゃも喜びますよ」
アレックとジュリアに伴われて、魔王様もソフィア様も馬車に乗り込んでいる。
いつの間にか、ジュリアの執事と従者が降りてきて魔王様の従者と共に、乗り込む皆に花びらを撒いている。それは必要なのか? 大体、花びらは、いつ用意したんだ?
よし、帰るぞ。
ブリア様に一礼してから、僕は馬車を引いてゆっくり走り出す。
王宮の門を出て、王都の民の中を走り抜けていく。
馬車からは花びらが撒かれている。
王都の民は手を振って馬車を見送っている。誰が乗っているのか解かっているのだろう。
−−−−
暗くなる前にゲラアリウス領の城に到着することが出来た。
城が近くなった時に、一足先にルールーを走らせたので、パパン、ママン、姉ちゃを始め、ゲラアリウス領の主要な人々は打ち揃って魔王様を出迎えていた。
魔王様とソフィア様が馬車から降りてくると、自然と拍手が巻き起こった。
いつの間にかまた、花びらが舞っている。魔王様達は手を振っている。
パパンとママンが進み出る。
「魔王様、ようこそゲラアリウス領へお越し下さいました。お久しぶりにございます」
「おう、ジョージ。本当に久しいの。ジョウの結婚式以来では無いかの。チートの結婚式には儂は来れなんだからの」
パパンと魔王様はがっちりと手を握り合い、抱き合った。
「おう、サリア。息災であったか。少し会わん内に、サリアの大事なチートは、賢くなったようだし、今、乗ってきた馬車も信じられないくらいの速度で引いていたぞ。サリアも嬉しかろう」
「はい、魔王様、お久しぶりでございます。チートちゃんの引く馬車には、驚かれたでしょうね。運動会では、もっともっとチートちゃんの活躍が御覧いただけますわよ」
「まあ、サリアさん。久しぶりに会えて嬉しいわ。チート殿の引く馬車は本当に速かったわ。チート殿は世界一の健脚に違いないわ」
「まあ……嬉しいですわ」
ママンは僕の事を褒められるのが、事のほか嬉しいようだ。
「おじい様! おばあ様! おば様達!」
ジェームスがパパンやママン、姉ちゃ、ダレナに抱きつく。
お義姉さんも挨拶を交わしている。兄ちゃも家族が揃って嬉しそうだ。
魔王様は、ブレッド連隊長やタルタリムト導師に声を掛けている。知り合いなのだろう。
その他の者達にも、魔王様は丁重に言葉を交わして行く。
魔王様にお言葉を頂けるのは、そうある事ではないので、皆嬉しそうだ。
一通り挨拶が終わると、僕らは食事の為に食堂へと向かった。
今日は走りながらパンを食べただけなので、お腹がペコペコだ。何日も何も食べなくても平気なルールーが、羨ましい。
−−−−
ふ~。お腹いっぱいだ。城の食事は、いつもおいしいな~。
今日は、いっぱい走って、馬車の制御で力も使った。できる事なら、競技場まで行って全速力で百周くらい走れば完璧かな。
そして風呂に入った後は、ダレナとイチャイチャして寝る。あ~そんな生活を死ぬまで続けたい……。
僕がそんな自堕落な事を考えていると、ママンは女性陣を引き連れてサロンへ、黒白(囲碁)を打ちに行ってしまった。
男性陣はまた飲んだり、タバコや葉巻を燻らせたりしている。
「しかし、魔王様。ひさしぶりですな~。『王国帝国戦争』の終結以来、ゆるりとお話する機会はありませなんだな~」
ブレッド連隊長も大分きこしめしている。
「おう、ブレッド。『王国帝国戦争』ではお主は、本当によう働いたの~。ゼットブと、お主は双璧であったぞ」
「めっそうもございません。ゼットブ殿にくらべれば、某など大した者ではございません」
「ゼットブもの~。強いし、有能なんじゃが……どうも女癖がよろしくない。この二十年、女性との噂が途絶えた事がないんじゃ。いつも五、六人くらいの女性を侍らせて、身の周りの世話をさせておる。愛人にいたっては数十人おるとの噂じゃ。奴もそろそろ四十近くのはず。はよう身を固めて落ち着かんもんかと思っておるのじゃ」
魔王様の言葉に、随分と声を潜めてブレッド連隊長が言う。
「そういえば、ゼットブ殿は、ものすごい性豪だと評判ですぞ。このゲラアリウス領まで聞こえてきますぞ。まあ、英雄色を好むといいます。大目に見てさしあげたらどうです」
ゼットブ様は性豪なのか……。そんな噂聞いた事が無い。僕が子供だと思って、皆、その手の話はしないのかな……僕も結婚しているんだが。
「なにを言うか。お主もジョージも英雄じゃが、妻一筋ではないか」
「ははっ。魔王様も英雄で妻一筋ですな。しかし、我らの場合は共通するのは妻が非常に……それはもう非常に怖……しっかりしている所ですな。しっかりした妻が居ると、他の女性になど目が移りませぬな」
「ワッハッハ! ブレッドの言う通りだ。しっかり者の妻が居ると、他の女性など眼中にないわ。のうジョウもそうだろう」
パパンが兄ちゃに振る。
「ははは。父上、妻がしっかりしているかどうかに関わらず、私はドリーを愛しているから、他の女性に目は移りませんよ。チートはどうだい」
兄ちゃは僕に振ってきた。
「う~ん。僕は……ダレナが居れば、それでいいな」
僕は偽らざる事を言った。
「ほほう! チートよ。すごい惚気じゃのう! しかしな、儂のソフィアに対する思いは、もっと強いぞ!」
「いやいや魔王様! 某のリディアに対する愛こそ、王国一でありますぞ!」
「はっ! ならば儂のサリアに対する愛は、世界一だぞ!」
「儂のソフィアへの愛は、宇宙一じゃ!!」
なんか子供の喧嘩のようになってきたな。
「皆様、お待ち下さい。先ほどから一人の女性への愛が、至高のように語られておられますが、私の妻達こそがまさに天使。私の六人の妻への愛は深く深く、正真正銘の本物でございますぞ。」
う~ん。タルタリムト導師が、話をまぜっ返した。
ちなみにアリムト教の天使は色々な種族の特徴を持ち、赤子であり、また大人でもある性を持たぬ美しい存在である。
「なんと、そうか導師達は妻が多い事で有名じゃった! 六人の妻をそれほど愛しているのか! これは面白い! ワッハッハッハ!! 飲もうぞ!!」
魔王様の一言で、皆和気あいあいと、更に飲みつづけた。
魔王様が居るからなのか、いつものように蔵書部屋に引き上げていないアレックは、ワインを舐めるように嗜んでいる。
顔は無表情だが、憮然としているようだ。
アレックだけが独身なのだ。