第一話 雷
ボクはアレックの周りをぐるぐる駆け回っていた。すごく楽しい。
「チート~、黒い雲が近づいてきたよ。雷が落ちたら危ないから城に帰ろう。ここには隠れるような大きな木もないから」
アレックが何か言っている。『雷』って何だっけ? 急に暗くなってきたな。
もうちょっと遊びたかったので、アレックには近寄らないで走っていた。
「チート! 雨が降って来たよ。帰るぞ!」
あんまり言うことを聞かないと、アレックが怒っちゃう。もっと遊びたかったけど、ボクはアレックに向かって走る。
はっ!! 息が止まった。
ドォーーーーン!!!!
大きな音がする。
体が動かない。
ボクはそのまま倒れる。
「うっ!! チート!! チート!!」
アレックが走り寄ってくる。でもボクの体は動かない。
目の前が真っ白に光っている。
頭の中が爆発しているようだ。近寄って、顔を覗き込むアレックが真っ白な光でよく見えない。
光はすこしづつ弱くなってきて、アレックの心配そうな顔が見えるようになってきた。
僕はアレックの顔をじっと見つめた。かすかに動いているアレックの尖った耳を見つめた。それから周囲をゆっくり見回した。
僕はこれまで感じたこともないような、おかしな気持ちになった。
「アレック……ここは地球かい?」
アレックの心配そうな顔が、不思議そうにじっと僕を見つめる顔に変わる。
『地球』って何だっけ?
そう思うと同時に、暗闇の中に青い丸い物体が思い浮かぶ。青を基調として、白や緑、茶色の模様のある、とても美しい物体だ。
頭がもの凄く痛くなってきた。
「う~!!」
そのまま意識が遠のいた。
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ボクは目が覚めた。頭が痛い。ボクは自分のベッドで横になっていた。
俺は目が覚めた。頭が痛い。俺は誰かのベッドで横になっていた。
ボクは……俺は……
……おかしい。自分が自分でないような、やはり自分であるような……
頭が痛い……とにかく痛い。
意識が遠のく。
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「う~ん」
うなされながら目が覚める。
ボクは周りを見回した。ママンと目が合った。
俺は周りを見回した。知らない女性と目が合った。
「チートちゃん!! 目が覚めたのね!!」
ボクはママンに手を伸ばした。
俺は女性に手を伸ばした。
頭が痛い……
意識が遠のく。
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意識が遠のき。意識が戻り。
二つの自分が交じり合う。
自分と自分が交じり合う。
過去のボクを遡る。
過去の俺を遡る。
ボクと……
俺が……
交じり合う。
意識が戻り。意識が遠のく。
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僕は目を覚ました。
雷……雷に打たれたのだ。今では解かる。沢山のことが解かる。
頭がすっきりしている。生まれてから、今ほど頭がすっきりしていることはない。
周りを見回してみた。ダレナがベッドの横に置いた椅子で眠っている。
ダレナは僕の身の回りの世話をしてくれている大切な家族だ。銀色の髪を短く切っていて、緑の目、真っ白な肌、尖った耳。……そう、そして、考えたこともなかったが……とても綺麗な若い女の子だ。
そうだ、僕は『考え』た事がない。無意識に『考え』ていたかもしれないが、意識して『考え』た事はない。
僕は生まれて初めて『考え』てみる。
……前世? 前世と言うべき物が僕に出来たのだ。
僕の名前は……チート。
今世の記憶を探る……チートリウス……正式名はチートリウス・ゲラアリウスだ。僕が今寝ているベッドは、僕の部屋にある。この部屋はお城の一室だ。
前世の知識を使って『考え』てみると、ゲラアリウス家がこの城の城主の家系であろうと推測できる。……そうだ、パパンが「お館様」と呼ばれているのを思い出した。つまり僕はこの城の城主の次男だ。
体を起してみる。ダレナが寝ている椅子の横にテーブルがあり水差しが置いてある。とても喉が渇いていたので、その水差しを手に取って水を飲む。
んっ……手が大きい。僕の前世の体格と、今世の体格との差があるようだ。
体を見回す。足も大きい……体も大きいようだ……というより巨大だ。前世の僕が小さかった訳ではない……前世の記憶では背は高い方だった。
体が大きいと感じるし、いつもの体だと感じる。おかしな感覚だ。
ここが異世界だということは、すぐに解かった。今世の記憶は、あまりはっきりしないのだが、目の前にいるダレナのように耳の尖った人間は前世にはいない。ここが異世界というよりも、前世が異世界だったのかもしれない。
水差しを元のテーブルに置いた時に音がしたのだろう。ダレナが目を覚ました。
僕が体を起しているのを見たダレナは立ち上がって僕の体に抱きつく。
「チート!! 目が覚めたのね!! 良かった!! あ~良かった!!」
ダレナは泣き出す。
「本当にチートが助かって良かった! チートが死んでしまったら、私は……私は……あ~本当に良かった!!」
ダレナは僕の胸で泣きじゃくる。僕は上体だけ起している。ダレナはベッドの上に立っている。それでも僕の胸で泣きじゃくっている。
ダレナの頭を撫でて慰める。すっぽりと頭が手に隠れてしまう。ダレナは子供じゃないよな……やっぱり僕の体は巨大だ。
部屋のドアがノックされた。
「ダレナ様。どうかなさいましたか?」
ダレナの泣き声を聞きつけて、使用人の一人が声をかけたようだ。使用人の声には聞き覚えがあるのだが、顔も名前も思いだせない。まったく今世の僕はぼんやりしていたんだな。
「チートが目を覚ましたの!! お館様やサリア様にお知らせして!!」
「まあ!! ……はい! すぐお知らせいたします!!」
使用人がパタパタと駆け出す。
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「チートちゃん!!」
部屋のドアが開くとママンとパパンが飛び込んで来た。
「あ~チートちゃん!! 私のかわいいチートちゃん!!」
「チートよ!! よくぞ無事でおった!! よくぞ無事で!!」
ダレナが僕に抱きついたまま泣いているのもかまわずに、ママンとパパンは僕に抱きつく。僕用の大きいベッドには四人が乗っている。ママンもパパンも泣いている。
僕もとても嬉しくなって、自然と涙があふれる。
「ママン!! パパン!!」
ママンとパパンに顔をくっつけて大泣きしてしまった。僕は何歳になったんだっけ? 今世の記憶がはっきりしない。体は巨大なのだが……
「チート目が覚めたのね!!」
「おーチート!!」
「チート!!」
姉ちゃと兄ちゃとアレックが飛び込んで来る。やはり、みんな僕に抱きつく。六人が僕に抱きついて喜んでいる。僕の体が大きいので、みんな僕に抱きついていられる。
僕の今世での大切な六人だ。今世の記憶には、この六人以外の記憶はあまり無いようなのだ。
あれっ、パパン、ママン、兄ちゃ、姉ちゃの名前が解からない。ほんとに今世の僕は、ぼんやりしている。
んっ! ずっと家族と思っていたが、アレックとダレナは僕とどういう関係だろう? アレックとダレナは耳が尖っている。他の家族は丸い耳だ。多分、僕も丸い耳だったと思う。……僕は自分の耳を触ってみたが、やはり丸かった。他の家族はそんなに色白ではない。種族が違うようなのだ。アレックとダレナは使用人なのかな……? 家族としか思えないのだが……。
僕の右腕に抱きついていたアレックが僕が右手で自分の耳を触った時に、僕の目を覗き込んだ。アレックが時々見せる不思議そうな顔をしている。
−−−−
みんなが、乗っていた僕のベッドから降りて、僕の周りを囲んでいる。
医者と思われる男がランプのような物で、僕の目の前をユラユラさせていた。僕の目をのぞきこんだりする。そして何も無い僕の頭の上の空間を見たりしていた。
「もう大丈夫でございます。もともとチート様はいたって頑健。意識を失っている時も体に異常はございませんでした。目が覚めて反応も正常でございます。後遺症も無いでしょう。起き上がっても、食事を取っても何も問題ありません」
パパンにねぎらわれて医者が帰ると、僕と家族六人だけとなった。
今世の僕の記憶は、前世の記憶と比べて、スカスカだ。中身が非常に薄い。前世では子供を持つまで生きていたようなので、単純に人生が短いというのを考慮しても、やはり中身が薄い。僕はかなり薄ぼんやりと生きてきた。僕は、ぼんやりさんなのだ。……馬鹿? いやいや、ぼんやりさんだ。
ぼんやりさんな僕だけど、周りを囲む家族には、ものすごく愛されている。僕もこの家族を愛している。前世の記憶にある家族も愛していたが、今世のこの家族への愛はもっともっと強いと感じる。僕がこの世界に居るからかもしれない。それとも中身の薄い僕の今世の記憶が、ほとんどこの六人の家族のことだけだからかもしれない。
僕はこの大切な家族に話しかけようとして、戸惑った。前世の記憶が出来たことを話すべきだろうか? 僕は以前の僕と変わってしまったと思う。前世の記憶が、『狐付き』とか『悪魔付き』とか思われる可能性があると告げる。今世の記憶からでは、どうしていいのかは解からない。……とりあえず、ぼんやりさんっぽい演技をしておこう。
「ぼ、僕はお腹が減ったんだな……ご、ご飯が食べたいんだな」
前世の記憶にあった、特徴のある話し方の有名画伯の真似をしてみたが、これでうまく行っただろうか?
今世の記憶からは、僕がどんな風に話していたのかが、よく解からない。自分の話し方を覚えていないのだ。
「そうね。五日も昏睡していたのだものね。食いしん坊のチートちゃんは、お腹がぺこぺこよね」
そう言って涙ぐんでいるママン。どうやらこの話し方でいいようだ。
−−−−
ママンに言いつけられた使用人達が食事を運んできた。誰の顔も覚えていなかった。う~ん、やっぱり僕は、ぼんやりさんだ。
ベッドの横のテーブルに食事が並べられ、フォークやナイフ、スプーンに似た物も置かれる。ぼんやりさんの僕は使えるのだろうか? ホークやナイフは使えないような気もする。今世の記憶からは思いだせない。ちらりとママンを見てみた。
「あらっ! チートちゃん。ご飯の食べ方を忘れてしまったの? 仕方が無いわね。ママンが食べさせてあげるわ!!」
しまった! ちゃんとホークやナイフは使えたみたいだ。
ママンが僕に食べさせようとして、ふと手を止めた。
「ダレナ。やっぱり、あなたがチートちゃんに食べさせて」
そう言ってダレナにテーブルの前の位置をゆずろうとする。
「いいえ。サリア様の方が慣れてらっしゃるようですから、どうぞお願い致します」
「そうお!! なら私が!!」
うれしそうに言ってママンがおかゆのようなスープを、スプーンで掬って、僕の口の前に持ってきた。
「フー……フー…… はい! かわいい天使ちゃん。 あ~んして!」
家族は全員、部屋に残っている。めちゃくちゃ恥ずかしくなった。今世のチートには恥ずかしくない事なのだろうが、前世の記憶がある僕は顔から火がでるように恥ずかしかった。が、口をあけて食べた。
すごくおいしい。食べたことのある味だ。とてもおいしい。
随分手際よくママンが僕に食べさせてくれる。そうだ今世の記憶を思い出した。小さい時はママンがこうやって食べさせてくれていた。ダレナがやって来たくらいには、もう僕ひとりで、食べれるようになっていた。今世の記憶の中には、すぐに思いだせない事もあるようだ。
「はい! ア~ン!」
「はい! ア~ンして!」
次から次にママンが食べさせてくれる。十人前くらいは食べたかな。
「マ、ママン。ぼ、僕はお腹が、い、いっぱいなんだな。」
また某画伯の真似で、そう言った。まだ食べられたのだが、ママンは僕がもういいと言わない限り、食べさせ続けそうだった。
「そうお。もういいの? そうね、目が覚めたばかりなのだから、少しにしておいた方がいいわね」
……ふだんの僕はもっと食べるのか? 食いしん坊って程度じゃないな……
「お館様。チートをもう少し休ませて上げましょう。医者はもう大丈夫と言ってましたが、今夜は俺が付いてますから。みなさん、この五日間ほとんど寝てないでしょう? お休みください」
「アレックだって寝てないだろう?」
兄ちゃがアレックにそう言った。
みんなほっとしたように、僕を見つめて、互いに肩をさすったり手を握り合ったりしている。
「いえ兄さん。俺が遅くまで蔵書部屋に居るのは知っているでしょ。俺はあまり寝ないでも平気なんです。俺にまかせて、みなさん休んでください」
「そうだな。アレックにまかせて、みんな寝よう」
パパンがそう言うと、みんな僕にお休みを言って出て行った。
一人残ったアレックが僕のベッドに手を掛けて、ベッドの下をなにやら探っている。何かを左手で掴んで立ち上がった。剣のようだ。えっ!
「で、お前は誰なんだ?」