#19 切実な願いと危険の回避
「ておサマー? おっひるゴハンどするデースカ?」
「んー? むにゃむにゃ適当に任せるう…………ぐう」
「わっかりマーシタ!」
陽光が降り注いでいるのか部屋内はポカポカと暖かく、それが俺を惰眠から逃さんとして、混濁した意識を覚醒させないでいる。
だから、そんな大変な会話をしてしまったとは気付かずにいた。
気付いた時には、すでにテーブルの上にはそれがあった。
「タラチュラデース!」
どこからどう見ても蜘蛛だ。丸ごと蜘蛛だ。
蜘蛛がホカホカと湯気を立ち上らせている。茹でたのね。
胴体部分は10センチほど。そこから長い足が生えている。でかすぎる。3匹もあるし……。
しかしながら、胴体も足も、すなわち全体は固い甲羅に包まれているようで、留めなくてもいい原型がくっきり残っているが、頑張って見方を変えればカニに見えなくもない。
カニだ。これはカニなんだ。そうだカニじゃないか。カニなんだってば! カニだって言ってるでしょ!
足とか普通にぽっきり折って、中身をほじほじすればいいのだろうか。
細くて長いフォークやナイフが置かれてるけど、これを使えってことなのかな。
もういいや。よくわからんから先達にお任せしよう。
「マーベリーや。これはどう食えばいいのかのう?」
鼻歌交じりに壁際で待機しているマーベリーを呼びつけて、捌き方を教えてもらう。まあほぼほぼカニでした。
パキパキと足を折って、中から覗く白い身をほじくりだしていく。それが一箇所に集められているところを見れば、あんまり赤くないカニの身にしか見えない。
ぱくりと食べてみると、カニなのだから当然だが、カニみたいな味がした。それでいて、筋肉繊維は細長くなく、細かくギュッと詰まっている。
魚っぽいカニの味だ。見た目は欺瞞が必須なほどひどいが、美味い。
「そなたも食せばよかろう」
「いいんデースカ!?」
食うところを見られるのは好きじゃないんだってば。
何かしら作業でもしててくれれば別に気にならないのだけど、ガン見してくるから気にするなって方が無理だ。
カニを二人でほじくっていれば、自然と無口になるのが普通なのに、マーベリーはずっとなんか喋っていた。
別の国から来たとか、親か兄弟と思われる名前を説明もなく出してきてあれはこういう奴でこれはああいう奴でとか、何言ってるのかイマイチわからなかったし、食ってる最中くらいは黙っていて欲しかった。飛んでるし……。
しかし美女が美味そうに食っているサマは、見ていて悪くない気分になるな。ちょっとお行儀悪いけど。
食い方自体は綺麗なもんだし、昔可愛い子をメシに誘ったらうどんを天高く持ち上げて下から食った時に比べれば、気にならない。食い方って大事だよな。
そんなこんなでカニは綺麗に食されて、食後には火茶を淹れてもらった。ロザリンが得意なやつだ。
美味かったからまた飲みたかったのだけど、マイラだと最後まで話聞いてくんないから頼めなかったわけだ。
ところでこっちで目覚めて以降、アルコールの類が一切出てきていないのは、一体どういった理由からなのだろうか。
ワイン片手にシャム猫の背中を撫でているようなシチュエーションがあっても良さそうなのだが。
ワインだのビールだの言っても通じなそうだし、酒とか言ったら鮭を丸のみする羽目になりかねない。
まあ体が別のものになったからか、飲みたいとも思えないからいいか。毎日飲んでたのにな。
例によってマーベリーを対面に座らせて、食後のティータイムと洒落こむ。
「お砂糖いくつシマースカ?」
「じゅっこ」
「わっかりマーシタ」
特に異論は唱えられず、カップにはするすると角砂糖が放り込まれていく。やっぱりそんなにびっくりするようなことじゃねえんじゃねえか。昔っから甘党過ぎるみたいに言われてきたけれども。
「ワッタッシもいただきマース」
そしてマーベリーは角砂糖をカップへドボドボと入れる。じゅっこ、にじゅっこ、さんじゅっこ。角砂糖はカップからはみ出して積まれてしまう。
「果実煮も入れマース」
ジャムっぽい、濃い紫のドロドロしたやつを惜しまず投入。カップの中の液体は、もはや液体ではない。
「牛酪も入れマース」
薄い黄色の四角いやつをボトンと入れる。たぶんバター。そういうの先に入れないと、温度下がってるから溶けにくくならないか? そもそもそこが問題じゃないけれど。
「いっただっきマース!」
混ぜるスプーンが立つくらいのカップの中身を掬って飲んでいる。いや食べている。
砂を噛むようなジャリジャリという音が聞こえる。
流石にこれは、俺でも勝てない。
飲み物じゃねえよそれ。パフェみたいになってんぞ。
ジャリジャリ音を聞きながら、俺もカップを傾ける。
上手いこと炒るのがどうやら難しいようではあるが、実に芳醇な味わいだった。
「そなたも上手なのじゃのう。美味いぞよ」
そう言った後マーベリーを見たら、瞳をうるうるとさせつつ、紅潮した頬に揃えた指先を添えている。
カレットも同じ仕草をしていたけれど、その差は雲泥だ。片言なのに清純派を目指しているのかこいつは。無理があんぞ。
「歯が痛いデース!」
違った。
□
俺はもう思い知ったさ。
ここは不思議なワンダーランド。常識なんて、通じやしない。
俺が王宮に居るのも、今日を含めあと三日。明日はまた別のメイドさんが来て、その翌日にはまた別のメイドさんが来る。
それは高い確率で不可思議生命体なのだ。どこにも癒やしなんてない。
今から思えば奇跡以外の何物でもなかった。
性格から立ち振る舞いまで楚々としている可憐で儚げな美女と、初日に邂逅できたのは。
今日はもういいけれど、残りの二日間くらい好きにさせてくれてもいいじゃない。
見知った顔の方が心も休まるってもんだ。
というわけで、俺は目下、小間使い宿舎を目指して進行中。襟元にはリーサルウエポン、ナビゲーターを搭載中だ。
「そこ左よ。で、突き当たったら右。……で、ユウトが蜘蛛だと思っていたのは、正確には甲殻類の海産物ね。甲羅の中に鱈に似た身が詰まっているから、鱈中羅と呼ばれるわ」
「またそんな取ってつけたような……。でも見た目すっげえ蜘蛛みたいだったぞ」
「まあ似てるわよね。強い先入観で見ればそう見えるものよ……はいそこ左」
「妙な知識ばっか増えてくな……おっと、こんな会話してたらまたビジューの二の舞だな。慎まないと」
「大丈夫よ。アタシ耳がいいのが自慢だから。誰かが近づいてきたら足音ですぐわかるもの。そこ直進」
「じゃあどうしてビジューに気付かなかったんだよ」
「だからまずかったわねって言ったじゃないの。眠かったから反応が遅れたし、普段だって帝王は一人で喋りながら歩いてる人だったから、誰も気に留めないと思ったのよ」
「聞けば聞くほど変人だな……」
「そうね。アンタといい勝負。あ、そろそろ見張り兵がいるとこ通るわよ」
「く……言うだけ言って……」
進みに進んで一階部分へ辿り着く。
そこから奥へ奥へと進むとやがてそれが見えてきた。
追いやられたような佇まいみせる扉を開ければ狭い廊下が伸びていて、元の世界で住んでいた六畳一間のアパートみたいに、狭い間隔で扉が並んでいる。
シンと静まり返って、人の気配は感じない。今は忙しい時間帯だから、部屋には誰も居ないのだろう。
けれど一人だけそこに居るのを聞いていた。
廊下を突き進み、最奥の扉をココンとノックする。
「なんて名前の人だっけ」
「ソノラさんよ。すっごくいい人。アタシを追い出したりしない、数少ない人間ね」
「そりゃあ菩薩の如き御心だ」
「どういう意味よう」
静かに開かれた扉の向こうには、物腰が柔らかそうな風体の、銀髪の女性が居た。
50代くらいだろうか? 顔にシワこそあれど、整った顔立ちをしている。
「まあ、帝王様ではございませんか。お久しゅうございます」
柔和な笑みを浮かべつつ、彼女は平伏をする。それはすぐに解いて。
この女性がソノラといって、メイドさん達を統括している人なのだ。
メイドとしての経験が一番長く、その知識を活かして後世に伝え、奥に控えることを許されている人物なのだそう。だから帝王が幼いころから知っているらしい。
しっかりしててまともそうな人だから安心したが、それなのにどうして奇々怪々なメイドさんが育成されてしまったのだろうと、疑問に思った。
しょっちゅう王宮に忍び込んでいるコロナがそれを知っているのも当然だ。
本来叩き出すはずのコロナを俺が連れているのを不思議に思っていたが、そこは記憶が曖昧論を掲げて対処した。
「コロナちゃん、木の実あるわよ。食べる?」
「食べるー」
コロナはさくらんぼめいた木の実を受け取ると、もしゃもしゃと食べ始める。
それはいいのだけど、俺の肩の上でそうするものだから、果汁がビシャビシャ飛んできたのはいただけない。
「して、帝王様が、かような場所に来られるなどと、如何なさったのです?」
「うむ。ちと頼みがあってのう」
「あらあら、仰って頂ければ、こちらから馳せ参じましたのに」
「用があるのはわしじゃぞえ。わしが来るのが筋というものじゃろう」
と言ったらまたびっくらこかれたから、ここでも記憶が曖昧論を適用した。便利。
そして俺は用件を言う。
もうマジでチェンジだと。マジでチェンジだからノーチェンジの人で頼むと。つまりカレットとロザリンを本指名。残りの日をよろしく頼むとそう伝えた。
了解は得れたものの、帝王なんてメイドさんに何の興味も抱いてないし、そんな指名制度が勃発すること自体が青天の霹靂。
マジありえないのではあるが、背に腹はなんとやらだし、ビックリ人間と初対面で初めましてからの慣れない内にまた交代なんてうんざりだし、明日あたり邪眼を片目に宿した女が包帯を巻いて出現しそうでもう嫌だ。「見えないものが見えるの……」とか言い出すんだろ。どう相手すんだよ。
「帝王様が、かようなことをお頼みあそばすなんて、信じられませんわ」
久しぶりのお遊びターイム! お題は“お、た、の、み!”
ぱーりらっぱりらぱーりらヒューヒュー! のーんでのでので、飲んでー! 「ブヒュッ、今期アニメは豊作ですな。小生の好みばかりで甲乙つけがたい。今宵は飲み明かしましょうぞ」「デュフフ。前期が不作だったから喜びもひとしおですな。ブユフフ」「ボルコポ。祝い酒、というわけですな。いやはやめでたい」かんぱーい! ガシャーン! 「うわあ粉々だ!」「血が、血が」「あ~がぁ! 目が~目がぁ~!」
脳内ミュージアムは爆発した。
「記憶が……曖昧で……」
「はい。そうでしたわね」
そう言ってにっこり微笑まれた。見透かされてる気がする。
すげえいい人そうだから、害になるようなことは起きないと信じよう。
□
その帰り道。俺は引き続きコロナの案内で帰路についていた。
面倒だから平伏してくる奴らを回避ゲーしつつ、長い距離をのらりくらりと歩く。
「小間使いを特定の誰かにするなんて、アンタ何考えてるのよ。疑われるかもしれないって危険まで冒してさ。まあソノラさんなら大丈夫だとは思うけど」
「そうであってほしいな。俺の感覚からしたら、ここのメイドさん……小間使い達は奇抜すぎんだよ。心が休まる暇もねえ」
「アタシは見てて面白いけどね。だからここに忍びこむの好き」
「本物さんは相手にしてなかったんじゃないのか。コロナのために苦行に耐える気はないぞ」
「相手にしてなかったみたいだけど、勝手に騒いだりしてたもの。で、一昨日の子達がお気に入りなわけだ?」
「そりゃそうなるだろうが。比べてもみろやい。俺はまともな小間使いを希望しただけだぞ」
「本当にそれだけえ?」
俺の視界からはコロナの表情は読み取れないが、ニヤニヤと笑っているのは感じ取れる。そんな声してるし。
「……何だよ。それ以外なにもないぞ。しいて言うならロザリンにうまいもんでも食わせてやりたいって思ってるけどな」
「ふうーん? じゃあその子だけでいいのにねえ?」
「うっせ。他意はない。カレットは料理がうまいんだぞ」
実際そう思う。マイラやマーベリーも意外に美味いもん持ってきたりしてたが、焼いただけとか茹でただけとかだったし、素材が良かったとしか思えないものばかりだ。
もうちょっと刻んだりとか素材の味を引き立てようとか思おうぜ。
「ああ、あの子ね。そういえばあの子の服の中に入って体中くすぐったことがあったわ」
何だと! 服の中のあんなとこやそんなとこまで!?
「早くピクシーに転生する方法を教えろ下さい!」
「何考えて生きてるのよ……」
「あ、そうだ。それは置いといて、部屋に帰ったらちょっと頼まれて欲しいことがあるんだが」
「何よ改まって」
「ふふふ、これはコロナにしかできないことだ。いうなれば、特殊任務だな」
「なにそれ面白そうね」
そうこう話しながら王室まであと少しのところで、遠目にさっきのソノラさんが誰かと話しているのが見えた。いつの間にか追い抜かされていたんだな。
そして、ソノラさんの前に居たのはメイドさんの格好をしていて片目を隠している若い女だった。
そこはひとまず置いといて、布なり眼帯なり包帯なり巻けばいいのになぜだか海藻を顔面にへばりつけていて、ぬらぬら光ってるし、それ便所紙代わりのやつだし、2秒に1回くらいずり落ちていた。
「――でね、明日は予定を変更して、帝王様の元ではなくて、厨房へ回ってほしいの」
「――フッ。我の封印されし神眼には見えていたわ――。そう、走り抜ける疾風が疾駆するようにな――」
「あらあら、うふふ」
封印されてるのに見えてるし、頭痛が痛いみたいなこと言ってるし、比喩として何も合ってないし、やばい以上にやばい。
もし今日チェンジと言ってなかったら……。危ないところだった。うふふじゃねえよ。