#14 偽者だと認めます
壁際で待機して、マイラはまるで微動だにしない。この部屋の隅っこに置いてある銀色の甲冑の方がどちらかといえばまだ動き出しそうだな。
起き上がり小法師から忍者にジョブチェンジしたかと思えば、今度はマネキンにジョブチェンジしている様子。転職の激しいやつだ。
食ってるところを見られているのは趣味じゃないけれど、マイラは何もない場所、ただ一点をひたすらに見つめている。
瞬きしている様子はないし、瞳孔が開いている。今度は死体にジョブチェンジかよ。完全にホラーじゃねえか。
死体と大差ないのを見ながらメシ食うのもまた趣味じゃない。亀の量は多いのだし、誘ってみよう。
「マイラよ。そなたもこちらへ来て食せなんだか?」
俺はそう言って手をこまねいただけだ。
そしたらクワッと開いた。マイラの目が。
そのまま動かないと思っていたら、カタカタと震えだし、それからゆっくりと側頭部を掻き毟るように押さえつけてから、
「イイイイィィィイイィイイイヤアアァァァアアアア!!」
うっせええええええ!
どうして悲痛な声を上げているのか全く理解が追いつかないし、それは宇宙の法則の向こう側にあるのだろうから追いつきたいとも思えない。
高飛車なタイプでも無口なタイプでもねえ。ニュータイプだわこれ。
サスペンスなドラマで恋人か家族の死体を発見した時みたいなリアクションが、どうしてここで表現されているのか。
死体はあるけどさ。亀の。家族でも恋人でもあるはずがないし、調理したのあんただろ。
こう考えている間もずっと叫んでるし、ピープ音みたいに脳が処理し始めた。やばい。たぶん洗脳され始めてる。
「落ち着け! マイラ! おい! おマイラ落ち着けい!!」
最近あんまり耳にしないネットスラングみたいになった。けれどもそれでマイラはハッと我に返ったようだ。
「ま、まさかあのようなことを仰られると思いませんで……」
「記憶が混濁しておるでの。気にするでない」
せめて完食してやらなければ亀だって報われない。けれども俺の胃袋はブラックホールじみてるわけじゃない。
だからマイラを再び、発狂しないよう気をつけながらメシに誘って、ようやく了解を得たのである。
結局3回くらい発狂したけど。
それだけ異音が発せられていたのに、見張りのモブは飛び込んで来たりしない。
扉は重そうだし、それが閉まっている時に向こう側の音が聞こえてきたこともないから、防音効果のすこぶる高い造りなのだろう。
窓からは外の音が聞こえてきたりするけども、扉の外には階段を下りるまで窓がないから、扉の外には伝導しないわけなのだな。
じゃあ発狂したマイラに刺されそうになっても助けが来ねえじゃねえか!
助けてパパとママ!
脳裏には元の世界の両親の姿が浮かんだのだが、呟き炎上して店舗から賠償請求されたと知るやニッコリ笑って「生命保険申し込んどいてあげたから。あんたの口座引き落としで」と言いながら俺を家から叩きだした張本人でもあった。
たぶんそのうち暗殺されてたし、向こうの俺の体が朽ちてたら普通に喜んでると思う。
「……明日来る小間使いはどのような者じゃ?」
俺の残した亀をモグモグと食うマイラ。食ってる姿は普通にかわいいな。頭蓋骨がくぱっと開いて触手でてきたらどうしようかと思ったけど。
「知りませぬ」
誤射せぬようミサイルを監視しつつ、話を振ったが収穫はびっくりするくらいなかった。名前くらい言おうぜ。
明日来るメイドさん、まともだといいなあ。
初日がカレットだったのは、幸運極まりない出来事のような気がしてきたぞ。
まともなメシが出てきた時は、いつだってカレットが居たし。たぶん厨房の女神だと思う。タプタプシチューは際どいけど。味濃いよあれ。
話を振ってもロクに返ってこないから、俺はミサイルを監視するしかなかった。し続けるしかなかった。平和のためだから仕方ない。
そうしてるうちに割りとあっさり亀は完食された。やっぱり腹減ってたんじゃねえか。メイドさんはいつもひもじいって聞いてたからな。
すげえ頑張って聞き出したところによれば、長時間柔軟効果のある液体に漬けてあったものを煮込んでから焼く料理で、煮るという文字と亀って文字を使って――煮亀ってんだと。
これは流石に気付かんわ。亀ってそんな当て字でいいのかよ。しかしこの世界特有の読み方かもしれんな。
じゃあもう何でもありになるじゃねえか後が怖すぎる。
空になった皿を片そうとしたマイラに、
「美味かったぞえ。礼を言うぞよ」
と言っただけなのに、マイラは信じられんくらいにのけぞった。もはやブリッジだ。それかエクソシスト。死体からのエクソシストって皮肉かよ。職業多彩かよ。履歴書書くのめんどくさくなるぞ。
それから手をつくでもなく腹筋と脚力だけで体を元に戻したマイラは、ほんのり紅くなりつつそっぽを向く。
「べ、別に帝王様のためではございませぬ」
いや俺のためだろう、どう考えても。
なんで頬を染めているのだしかし。取ってつけたようなツンデレ属性は誰得なのだ、と突っ込みたい。しかし突っ込みたいと思った時には既に皿を回収して退室した後だったから、やりきれなさだけが残った。
扉が閉まる音を聞いて、俺はベッドにボスっと背中を預ける。
すっげえ疲れた。今日ハード過ぎるだろ。癒やしの要素がどこにもないのだけれども。
確かこれからメイドさんはなんやかんや忙しく、風呂の時間までは呼ばない限り来ないはずだ。つまり帝王様のフリータイムでもあるわけだ。
常にはっついてるシステムを組んでないのは、本物さんが作ったルールだからだ。
本物さんなら獣アイランドに行くんだろうけど、俺はメンバーを考えなければならないからそれどころじゃないし、それどころじゃなくても絶対に近付きたくもない。
よって、瞑想タイム。
自慢みたいにマッチョメンどもを見せつけられたものの、どいつもこいつも騎士道を重んじてるのか知らんけど、堅苦しそうな男ばかりだった。肉壁としては優秀そうだが。
武大臣が言うように、騎士三人で固めてもいいのだけど、ムキムキマッチョに囲まれていたら暑苦しそうだし息が詰まりそうだし、ロマンスなんて生まれないし生まれても困る。
その他、風大臣のとこ以外はどれを連れて行っても役立ちそうだし、三人しか枠がないのは網羅を不可能にしているから、本当に悩むなあ。
長い旅に出るのであれば、慎重になって当然だ。
とはいえ、さっきみたいに各房に行ってそれぞれの手腕を見学していたら時間がかかりすぎるし、水房へ赴いたとしてオペの様子とか見学しても腕なんかわからねえよ。教授じゃねえし。「なにっ!? 患部をあんなに早く摘出するなんて!」とか言えない。そもそも外科手術なんかないかもしれないけど。
ないならないで、「なにっ!? 風邪の患者にあんなに適した風邪薬を処方するなんて!」とか余計に言えない。
ああいかん。脳内ミュージアムに突入しそうだ自重しよう。
あまり長引いてると、その間にまた「後宮へいってらっしゃーい」になりそうだ。
後宮なんて行ってる場合じゃないって演出が必要なのだ。どうすればいいのやら。
□
まだ一日は半分くらいしか経ってないのに、俺はすげえ疲れていた。疲れていたから幻覚を見た。
脳内ミュージアムではない。目の前にくっきりとした物体が浮いている。
全長10センチほどのそれは、昆虫のような薄い羽をパタパタとせわしなく動かして浮遊している。
バカンス中だか知らんけども何故かビキニの水着みたいなものを着ていて、薄紫のカールがかった肩まで伸びた髪にクリクリとした瞳。
異世界では虫も人型になるらしい。そうだ、これは虫なんだ。人形みたいだけど、虫なんだ。
虫なのにすげえ笑顔で寄ってきて、俺の目の前まで来たら一旦止まり、おもむろに背中を向けたと思ったら左手をあてた腰を捻って俺をガン見しつつ、右手はブイサインを作って左目から右目に流す。
「ジャーン! かわいいアタシ登じょ「飛んでけええええええええ!!」
ひったくり犯みたいにそいつを乱暴に掴んで力任せにぶん投げた。窓に向かって。
窓は閉じているから飛んでいかないかもしれないけど、それすら突き破って果てしなく太陽まで飛んでいって欲しかった。
それなのに、そいつは背中の羽をブブブブブと一生懸命動かして窓の手前で止まりやがった。
それからまた近づいてくる。
「ちょっと! 何すんのよ! 危ないでしょ!」
「危ねえようにしてんだよ!」
わあああん! もうやだー! 喋ってるうー! 朝っぱらから呪われて、次は呪われたメイドを相手にして今度は呪いの人形の相手とか、呪われ過ぎぃ!
プリーズ! プリーズ解呪!
「ふっふーん、アタシにそんな酷いことしていいのかなー? っと」
なぜだか呪いの人形は得意気に鼻を鳴らしている。何だこいつ。
「今すぐぷちっと潰してもいいんだぜ?」
俺はそう言いつつそいつに向かって手を伸ばした。けれどもその手はピタッと止まってしまう。
「アタシに酷いことしたら、アンタが偽者だって言いふらしてやるから!」
「あぁん!?」
確かにわたしは偽者です。けれども誰にも疑われていないはずだし、夢にも思ってないはずなんだ。
帝王様がお倒れになってから、毎日医師さんに診せていたらしいから誰かの監視の目がついていたはずで、入れ替わるにしてもそんな隙がないはずだから、それでも疑わざるを得ないほど決定的な相違点を見せつけない限りは安心だと思っていた。
なにか物的証拠でも残してしまったのだろうか。こいつがその決定的な証拠でも持っているのなら、すみやかに回収せねばなるまい。たとえ血を見ても。
「……どうしてそう思う。誰からか聞いたのか」
「誰からっていうか、自分で言ってたじゃないの。鏡見てさ。こんなの俺じゃなーい! って」
言った。言ったさ。言ったけども。どうしてこいつがそんなの知ってるんだ。
鏡を見て俺が別人になっていると気が付いたのは、昨日の朝だったか。……昨日の朝!? マジで!? まだそんだけしか経ってねえの!? 濃密過ぎぃ!
「……どうしてそう言える」
反論しようにも、若干の遅れが生じる。
なぜなら、カマをかけられているかもしれないからだ。
ここで「えっ! なんで知ってるの?」なんて言ったら先ほどの言葉を肯定することになる。
言い方を考える必要があって、それが僅かなラグとなるのだ。
この呪いの人形がラジコン操作で操られていて、中にはボイスレコーダーが搭載されている可能性だってある。言質とられちゃまずい。
「だってアタシ、ずーっとここに居たもの」
「バカ言うな。お前なんか見た覚え――」
そっから先は言えなかった。体が硬直してしまう。なぜなら思い出したから。
昨日これと同じフィギュアを見た。棚に飾ってあったやつだ。
本物さんのコレクションかと思っていたフィギュアそのまんまだ。
「お前って言わないでよ。アタシにだって名前くらいあるんだから」
「そう言えば聞いてくるのかと思ったのか。大きな間違いだな。お前は虫で呪いの人形でラジコンでフィギュアだろう」
「全然何言ってるのかわからないわよ。変な言葉使うのね」
「お前らにそっくりそのまま返すわい」
「お前じゃないってば。アタシはコロナよ」
「そうか。で、お前はどうして――」
「ねえ聞いてた? アタシ今、名乗ったつもりなんだけど、ねえ、今の数秒まるで意味が無いじゃない」
昨日の朝、俺は部屋内を物色して、これを見つけた。
俺はただのフィギュアかと思って普通に棚に戻したわけだが、コロナとかのたまってるこいつは、時たま王宮に入り込む趣味があるらしく、帝王とも顔見知りだったらしい。
だから、本物さんであれば何事も無く棚に戻すような行動を取るはずがない。
どうして胴体を鷲掴みにされて黙っていたのかってのは、絶望ゆえ体を硬直させていたからだと言う。
「見つかったらこっぴどく叱られちゃうのよ。ホント怖かったんだからね」
「じゃあ隠れたりしてりゃあ良かったろうが」
見つかりたくないのに棚に棒立ちしてたとか、こいつたぶんアホだ。この広い部屋の中には壺なり飾り鎧なり隠れるにうってつけの場所はいくらでもあるだろう。
「寝起きだったもん」
「いや、だからさ。寝る場所からして、壺なり絵画の裏なり、他にもっとマシなとこあんだろうが」
「狭いとこは無理よ。音が反響しそうな場所で寝てたら耳がおかしくなっちゃうの。ひらけたとこでないと。ここって何かとうるさいから」
「朝の鐘か。確かにあれはうるさいな」
「でしょ? アタシにとっては死活問題なのよ」
「どうしてだ」
「アタシたちピクシーは耳がすっごく良いの。風を聞いて気流を読んで風脈を見て風に乗って飛ぶわけ。だから耳がおかしくなっちゃったら風の音が上手く聞こえなくなるの。つまり飛べなくなる。ね? 死活問題でしょ?」
「反響してなくても十分うるさいと思うけどな、俺は」
「嫌は嫌だけど、割りと大丈夫よ。ひらけてたら音って分散するし、弾くようにすれば平気じゃない?」
「全然ピンと来ねえ。たぶんそれお前らだけだわ」
体の構造が全く違うのだと思われる。
ここまで詳細に語られれば、認めざるをえない。人形でもラジコンでもなく、妖精なのだと。
そんな見た目と言えばそうなのかもしれないが、聴力を駆使して空を飛ぶ、というのは初耳だな。
「それはわかったことにしておこう。しかしだな、それでも丸見えだったじゃねえか」
「本物だったら普段あんなとこ見ないもの。どっかの偉いさんからの進物を適当に置いてあるだけだし。興味ないのよね。それに寝起きっから部屋の捜索始めるなんて思わないでしょー」
「うぐう」
話せば話すほど偽者ゆえの行動が出てくる。もうダメだ。諦めよう。
「わかった。それはわかった。それはともかくとして、俺に何の用なんだ」
「何よ」
「用があるから出てきたんだろう」
「そうよ。機会を窺ってたのよ。この時間が一番空いてるのは知ってたけど、昨日は人が居たから」
「他人がいるとまずいのか」
「言ったじゃない。怒られるからよ。つまみ出され時もあるわ」
「なんでだよ」
「多分後ろから小突いたり足を引っ掛けて転ばしたり暗闇の中で急に現れて驚かしたりしてるからじゃないかなあ? いつの間にか顔を見るだけで嫌がられるようになったわ」
「……お前なあ」
「お前、じゃなくてコロナって呼んでよね」
溜息を一つ。要求を呑まなければ話が進みそうにない。
「わかったよ。コロナは何の得があってそんなイタズラばかりしてるんだよ」
「だって面白いもの」
「……それだけか?」
「うん、それだけ。特に人間の中で一番偉いっていうアンタの周りは面白いのよ。今は偽者だけど」
見つかったらつまみ出されたりこっぴどく叱られたりするのに、それでもイタズラをやめられないらしい。たぶん病気だな。
「……偽者だってのは誰にも言うなよ?」
「偽者だってのは認めるんだ?」
「仕方がない。だが言うな」
「なんでよ」
「帝王の名を騙るなどとは極刑がふさわしい、のだそうだ。つまりバレると俺は死んでしまうのだ」
「ああ、そんなことも言ってたっけね。牛歩の刑だっけ?」
「なんだ聞いてたんじゃないか。それだ」
「じゃあ言わないでおいてあげるわ。困っちゃうもの」
「なんでコロナが困るんだ。困るのは俺だぞ」
「アンタも困るだろうけど、アタシだって困るわ。アンタほど面白い人もなかなかいないもの。いなくなっちゃうとつまんないじゃない」
「俺、そんなにおかしいことしてたか?」
俺はコロナをじっとりと睨んだ。フィギュアみたいな見た目して、人をおもちゃみたいに言いやがって。
「えっちょっと待ってよ自覚症状ないわけ? むしろ、おかしいことしてない時間の方が少なかったと思うけど? 部屋の中だろうが外だろうがずっとよ? えっ本気? ホントに? それ含めて冗談よね? ね? そうよね?」
すっげえ心配そうな目をされてしまった。体のサイズが同じなら、肩を揺さぶるくらいはしそうなセリフだな。まあ確かに色々とあったかもしれんが。
「俺だけのせいじゃねえし……というか、俺のあとを付けてたってのかよ?」
「そうよ。そうじゃないと退屈じゃない。無意味に高い、天井に潜んでれば大体の人は気付かないから楽なもんよ。で、アンタってさ――」
「アンタアンタ言うんじゃねえ。俺だって名前があるんだい」
「帝王の名前?」
「それは知らん。俺の元の名前だ」
「ふうん。なんてーの?」
「真崎悠斗」
「あっそう。それで、マサキュットはさ――」
「……聞いてた?」
油汚れすごい落ちそうみたいな名前になった。