#11 システムとミサイル
時たま鳴る鐘の音は、単なる時報だった。
この世界には時計がない。正しく言えば、元の世界のように、ほとんどの人間が正確な時計、もしくはそれに準ずる物を所持しているのではない。
豊富な水源を利用した水時計がこの王宮のように大きな建物には存在して、それを元に1日に10回の鐘が鳴る。時間は16分割なのだが、多くの人が寝てる夜には鳴らさないでいるわけだ。
その代わり始まりと終わりには、それを示す鳴らし方をする。
起き抜けに聞いたけたたましい音は夜明けくらいに鳴る始まりの合図。朝から忙しい人達はあれを目覚ましにして起きるわけだ。
俺はびっくらこいて飛び起きてしまったけれども、元の世界で言う目覚ましのアラームだって耳が慣れてくれば気にならなくなってくるし、緊張感がなければそのまま熟睡すらある。
だから緊張感を持ってちゃんと起きてくれるメイドさんが起こしに来るわけだ。
途中で聞いたお寺の鐘みたいな音で時刻を把握しつつ、一日の仕事をこなしていき、終わりの特殊音が聞こえたら仕事納め。帰ってのんびり過ごしていれば日が落ちて、それから寝れば始まりの鐘の音までに十分に寝れる計算になっている。
だから終わりの鐘の音は“今日も一日お疲れ様でした”といった意味合いを持つ。
したがって、しんみりとした音で然るべきなのに、聞こえてきた音は“パンパカパーン!”だったからもう全然意味がわからない。
カレットはまたしても拒んだが俺とロザリンの押しに負け、昼メシに続き晩メシも彼女らのセンスにお任せしつつ、共に卓を囲んで楽しく食べた。
メインディッシュとして、焼いた肉にソースがかかっているものがあったのだが、昼メシの時にソースを褒められたのがよっぽど嬉しかったのか知らないけども、ソースまみれでタプンタプンになっていたから、どちらかと言えばシチューだった。
聞けば普段の彼女らの食事は余り物で済ますのが常で、偉い人達にお出しする肉を骨からそぎ落とせば、骨の周りに残留した肉が彼女らの食材となるらしい。
骨の周りの肉は美味いから、それほど悪くない内容なんじゃないかと思っていたのだが、デザートのメロンを食ってる時にロザリンが「皮よりおいしい!」なんて言うから涙が出そうになった。
ちなみに風呂は晩メシ前くらいに入る。
一緒に入ってくれればいいものを、帝王様の裸体を見るなんてのは、メイドさんの彼女らからしたらとんでもないことだってんで、丁重にお断りされたのだ。
だから着替えもセルフサービスだったわけだな。お背中流してもらえるのかと思ってた。
どうやって背中を流すのかってそりゃあ、石鹸を泡立てに泡立てまくって泡々になったやつをこれでもかとそれに塗りたくって、いい感じにぬめぬめになったらそのそれがそれにビタっとあふんあふん!
激しい警告音が鳴り響き、脳内ミュージアムは緊急メンテナンスに突入した。
風呂場は帝王専用の、例によって広くて豪華なものだった。大理石めいた床は滑るったらありゃしない。
浴槽の脇にはライオンみたいなオブジェがあって、そこから湯気を纏ってお湯が出ていたから、吐瀉物に身を浸しているような気分になるなと思ったら、穴の空いた目からジャバジャバ出てたからもう意味がわからない。
メイドさん達はローテーションを組んで帝王の世話にまわるようで、また明日は別のメイドさんが来ると聞く。
で、それが終われば次の日は晴れて休みなわけだ。つまり今日カレットが休みだったように、ロザリンは明日が休みなんだな。
とはいえ彼女らは王宮に括られている存在だから給料があるわけじゃないし、休みだからといって城下町でお買い物というわけにはいかず、体を休めるだけの、本当の意味でのお休みなのだとか。
邪魔にならない程度に王宮を散策する自由くらいはあるそうだ。それで今日はカレットもロザリンと連れ添っていたのだな。
ちなみに帝王の世話にあたらなかった日は、どこぞのシンデレラよろしく埃にまみれてお掃除三昧だったり厨房当番だったり洗濯当番だったりして、他の偉い奴らに用件を言いつけられたらそれに従ったりするのだそうだ。
ロザリンに明日もおいでと勧めると、ロザリンは苦い顔をして「遠慮いたしますですわ……」と言った。明日来るメイドさんが苦手らしい。
俺としては、美女軍団の中から明日はどんなタイプが来るのかと、密かに楽しみではあるのだが。
ロザリンは人懐っこいように思えるのに、それでも苦手とするタイプといえば、近寄りがたいオーラを醸し出してる高飛車なタイプとか暗くて無口なタイプとかかなあ。
聞いても答えてくれなかったから想像しておくしかない。言ったら悪口になるってことなんだろうな。
晩メシを終えて彼女らを帰した後は、ベッドでボヨンボヨン遊びながらひたすらに待った。
主大臣が準備ができたら呼びに来ると言っていたからだ。
しかし“パンパカパーン”が終わっても、待てど暮らせど一向に来ないから、俺のトランポリン技術だけが向上していく。
2回転半宙返りをマスターしそうなところで鈴が鳴り、主大臣が地大臣を引き連れて、申し訳なさそうな顔をして入ってきた。
「帝王様、申し訳ござりませぬ……! 本日中には間に合わなく存じますれば、明日までには何としても準備の方を完了とさせて頂く所存にござりますゆえ、なにとぞ平にご容赦頂きたく存じ奉りまする……!」
ふたりともすげえ疲れた顔してたし、よっぽど頑張ったんだろう。盾祭り・マッスルも2回目だし。
それでも間に合わなかったってのは、それだけ大変な作業なんだろうな。
俺はメシ食ってお喋りして風呂入ってメシ食ってたから全然知らんけど。
絞りだすような声で、絨毯に額をこすりつけてすっげえ謝ってるけど、おでこダニに刺されそう。
「ええい、面を上げい。そなたらが必死になってくれたのは、その顔色を見れば一目瞭然じゃて。それをして、どうして咎めることができようか」
「有難う存じまする……!」
そう言って顔を上げた主大臣に遅れて、地大臣もゆっくりと顔を上げた。
他にも関わっている大臣はいるはずなのに、どうして地大臣だけを伴っているのかと思ったが、それは手間取ったのが主に薬草に纏わる部分だったからと聞く。
「薬草を集めるのに苦労しておったのかの?」
「いいえ、薬草は武鷹枝の助けもあって、滞り無く収集できました」
「ほう。では、何にそんなに手間取ったのじゃ?」
「みじん切りが辛くて……」
そっちかよ。
煮詰めるためにみじん切りにする必要があるんだな。慣れない包丁持ってたまに指切ったりして「いったぁ~い!」って言ったりしてたわけか? いい年した男どもが。
「手が痒くなり申して……」
手袋しろよ。
「催涙効果のある葉汁が目に飛んで来ますし……」
玉ねぎかな?
「そして強烈に臭いのでございます」
ちょっと待ってそれ煮詰めたやつに俺が入るんだろ? えっ? 大丈夫なの? それ大丈夫? しばらく後宮に行けないよみたいなことを言ってたけどそういう意味?
やだなあ。後宮に行かなくていいのはいいけど、カレットとロザリンにも「こいつくっせえ」って顔されたら、やだなあ。
果てには誰一人として近づいて来なかったら俺、泣いちゃうよ?
「ですが明日までには、必ず」
日が落ちても心許なくゆらゆら揺れる灯台のもと、薄暗い中トントントントン葉っぱを刻むんですね。わかります。
明日には儀式の間とやらに行くことは間違いなさそうだな。秘石とやらが見つかれば決死の冒険の旅。見つからなかったら極刑。気が重くなってきたなあ。
「あいわかったぞえ。ふたりとも、ご苦労であった」
どことなくソワソワしてた風だったから、俺がそう言って開放してやったら平伏した後そそくさと出ていった。
部屋内はもうだいぶ暗くなっていて、カーテンを開けてみたらやっぱり日が落ちている。昨晩も聞いた、鳩の鳴き声めいたものが聞こえてきた。くるっぽー、くるっぽー、って。
近場に生息してるのかな。夜なのにフクロウみたいに風流さなんて微塵も感じられないのが聞こえてくるあたり、やっぱりふざけてやがるぜ。
一旦空気を入れ替えてから寝ようかと思って窓をカチャリと開けたら、どこぞからニラの腐ったみたいなえげつない悪臭がしてきたから迅速に閉めた。
これがさっき言ってた薬草由来のものだってんなら、明日なんて来なければいいのに。
薬草じゃなくて毒草じゃねえのか。くっそ。くっさ。
せめて早いとこ寝て英気を養っておこう。寝不足の状態でこんな悪臭が充満したところにぶっこまれたら、オートマティックに嘔吐しちまう。
てくてく歩いて壁に引っ掛けられている、柄杓めいたものを手に取った。金属製の、長くて細くて深いやつだ。
これを灯台の中で燃えている縄にカポカポ被せて消化するわけだ。ベッド横の燭台に火を移すのも忘れない。
昨日は睡眠を促すためカレットがやってくれていたが、本来は自分が寝たい時に自分でやることらしい。
それが済んだら布団に潜り、情報整理をする。
世界は魔物の脅威に怯えている。それを救うには魔物のボスを倒せばいいっぽい。
しかし強い魔物には秘石がないと、戦闘を生業にしている騎士団ですら歯が立たない。
秘石は破魔の儀式によって授かるもので、その効果は儀式を執り行った本人がいなければ発揮しない。儀式を執り行えるのは帝王だけ。
本物さんはそれの最中にバタンキューしたらしく、目が覚めたら俺になっていた。どこにいったのやら。
秘石は儀式の間にある可能性が濃厚だ。そこに明日行く。なかったら走って逃げよう。
儀式の間に入って探しものをするだけなのに、ややこしい準備が必要だから、今日は手持ち無沙汰でいたわけだ。
その間にカップが茶器やらポットが茶壺やらソースが粘り汁やらのいらん情報が入ってきたわけで。
どこぞの中二病患者みたいに、漢字にそれっぽい当て字してりゃあいいみたいになってるな。こんなに西洋風な外見で。
名前もみんな西洋風なのに、耳で聞いてるだけだからわからんが、ひょっとしたらカレットも“火烈徒”とか書くんだろうか。暴走族かな?
そして俺も――。あれ。俺って名前なんていうんだろ。俺は真崎悠斗だけども、帝王の名前。
みんなして帝王様としか言わないからわからんぞ。名前を聞かれてもアウトだなあ。“ここはどこ私は誰?”をするには遅すぎる。
まあ帝王を名前で呼ぶ機会なんてなさそうだし、どうにかなりそうではある。
その他、この世界での何気ない情報をカレット達からそれとなく聞いていたから、それらを思い返しているうちに眠くなってきた。
ああ明日が来るのが嫌だなあ…………ぐう。
□
カンカンカンカン! クソうるせえ!
ガバッと飛び起きた。こっちが“パンパカパーン”でいいじゃねえか。
ゆっくり寝てていいよって言われても、お寝坊させて頂くにはまだまだかかりそうだな。
伸びをしてからベッドを降りて、カーテンを開ける。スズメのようなチュンチュンという鳴き声が朝を演出している。
夜明けの空は薄暗いが、雲ひとつない。今日もいい天気になりそうだ。遠目に見える建造物の赤い屋根や、立ち並ぶ高い木々の間を小鳥が飛んでいる様は、実に平和そうに見える。
魔物がハッスルしているなんて、この光景からは想像できない。窓は開けないぞ。臭そうだから。
昨日仕入れた情報によれば、けたたましい目覚まし音からメイドさんが王室に来るまで、結構時間が空くらしい。音を聞いて目覚めて準備してから来るのだから当然だ。
それを聞いていたから昨日のうちに水を用意しといてもらった。
テーブルの上に置いてあった水差しから、勝手にグラスに移して勝手に飲む。うまい水だ。余計な雑味は感じられず、口当たりはまろやかで飲みやすい。
この世界は水源が豊富らしく水に困ったことはないらしいが、水質もよさそうだな。
昨日は鏡と格闘していたが、今日はどうしようか。部屋内には興味を惹かれるものもないしなあ。
仕方ないからガウンの腰紐を解いて夜中に出没する変質者みたいにバサッと広げ、ぶーんってやって遊んでた。
そうして時間を潰して待っていたら、本日のメイドさんが現れたのだ。
リンと鳴ってからギィと開くはずが、鳴ると同時に開く。
リン……からのギィ……のはずが、リギィ! みたいな。
「帝王様。早くお目覚めくださりませ!」
起きてるけど。立ってるし。
開けながら叫んでたし、絶対に中の様子を確認しないまま言ってたよこの人。
俺より少し年上くらいだろうか。顎先くらいまで伸びた直毛の黒髪が印象的だ。例に漏れず美人で、知的な顔つきだった。
それよりも目に付いたのは、胸元に備わったミサイルだ。今にも飛び出しそうだな。
ミニスカスーツなんて装備させたらすげえ似合いそうだ。秘書とか教師っぽい感じになるやつ。エロゲじゃないぞ。
「ああ、おは――」
つかつかと歩いてきた彼女は、俺が言い終わるのも待たずに口を開く。
「おはようございます。今日の担当は私、マイラでございます。ささ、お早くこちらへ。身嗜みの準備がございますので。今ので予定より8秒遅れました。早くなさって下さい」
そう言ってテーブルの方を指す。
何この人こわい。すっげえ早口だし。
絶対に無礼だと思うんだけど、慣れた様子でテーブルの上に道具一式を展開してるし、それはマイラがこの仕事を短くない期間続けていることを示すから、怒られたりしてないんだろうな。
じゃあやっぱり本物さんは、自分から見てブサイクちゃんに「やーいブサイクとんちんかーん!」みたいなノリで罵倒していただけで、その他は寛容だったと思える。
興味がなさすぎてどうでも良かっただけかもしれないが、それでも怒りはしなかったのだと思えることから、罵倒していた事実と相まって、脳天気で無神経な奴だったんじゃねえかな。
神経質な奴で、躾を厳しくしていたなら、こんな態度は取らないに決っている。個性なんて出さずに、みんなして機械みたいに同じ言動を取っ
「早く!」
「はい!」
睨まれました怖いです。
急いで椅子に座ったと同時に頭に液体がぶっかけられ二刀流スキルで櫛を通され乱暴にワイパーのように顔を拭かれ今日の服を押し付けられ、30秒以内に着て出てきて下さい、と言われ平伏したマイラは退室する。
その平伏も恐ろしい速さでもって一連の動作を行うものだから、まるで起き上がり小法師のようだった。たぶん足の筋肉とかすごい。
ロザリンが顔をしかめた理由がわかった。誰でも苦手だわこんな奴。