#10 事情と同情
ゴーン。鐘の音が響く。
重い足取りで歩く俺には、その音がなんだか虚しさを演出しているような気分になる。
おかしい。部屋を出て、真っ直ぐに来たのだから、帰り道も真っ直ぐ戻ってくれば、王室に着くはずなのだ。
だが、歩けど歩けど王室はおろか王室へ向かう階段すらも見えてこない。
これだから異世界は困る。完全に迷子になっちまったじゃねえかよ。
似たような景色、似たような扉、変わらない廊下。どうも同じ所をぐるぐる回ってるような気がする。
けれど歩くしかないから、しばらくの間うろうろしていると、遠くの方で人影が見えた。
渡りに船とはこのことだ。道を尋ねよう。自分の城の自分の部屋への道を尋ねるなんてバカみたいだろうけど、何せ帝王様は記憶があいまいみーだからな。
「ちょいと、そこの人やー」
「おや、帝王様。ご機嫌麗しゅうございまする」
小走りに駆け寄って声をかけてみたら、ガタイのいい男がそう言って平伏した。
若草色の角刈り頭に、ごつごつとしていながらも血色が良く、僅かに赤みを帯びている健康的な顔。年齢は二十代半ばだろうか。
俺はこの男に見覚えがあった。平伏を解く。
「そなたは確か、地大臣のネビンズであったかの」
男は元々細い目を更に細めて頷いた。
「左様にございます。時に帝王様、主大臣様よりお話は伺っておりまする。秘石を探す為に儀式の間を訪れなさるとか」
「うむ。見つかると良いがのう」
「左様でございますな。私は主大臣様より、禊ぎに使う薬草の調達を仰せつかりまして。これから武鷹枝へ向かうところにございまする」
また新しい単語が出てきたぞ。これは重要そうだからスルーするわけにはいかない。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥って言うしな。聞いとくか。
「すまぬ。武鷹枝とはいかなる所じゃ?」
「ああ、これはとんだ失礼を。帝王様があまりにお元気なご様子であらせられるゆえ、お記憶が定かでないことを失念してしまいました。申し訳ございませぬ」
地大臣は言って頭を下げようとしたが、俺はそれを阻止した。そんなのいいからさっさと言ってよ。
「いや、いいのじゃ。そなたが悪い訳ではなかろう。それで――」
「武鷹枝は武の房に鷹の枝。武大臣スターリー殿の保有する騎士団の名称にございまする」
スターリー……確か、橙色の髪をきっちりと後ろに流して日焼けしたような小麦色の肌を持っていて、顔つきも体格もいかつく、いかにも武人、という感じの男だったかな。
結構覚えられるもんだな、俺。朝メシの時もヒマだったから記憶を探りながら覚えようともしてたし。
騎士団に鷹の字を当てるのは、なんだか合っている気もするけども、騎士団って単語があるんだからそう言えばいいじゃねえか何に拘ってんだよ。ブヨーシなんて早口で言ったら病死に空耳すんぞ。
「ほほう、そうじゃったか。しかし、何故薬草の調達に騎士団が必要なのじゃ? 騎士団は薬草に詳しいのかのう」
俺は首を傾げた。そういった知識に長けているのは、もっと知的な団体……例えば文大臣とか水大臣とかの方が得意そうなのだが。
「いえ、薬草の知識に長けた者は私の房に大勢おりまする。なれどお恥ずかしいことに、薬草の在庫が足りなくなってしまい、外の山にこれを摘みに行かなくてはならない運びと相成りました」
「ふむ。外には魔物が出る。つまり騎士団は護衛、というわけじゃな」
「仰せの通りにございます」
「しかしなんだ、魔物は秘石が無ければ歯が立たないのではなかったか」
「町や村から遠く離れれば離れるほど強敵になりまするゆえ、秘石の力を借りなければならない程の魔物はその辺りには現れませぬ。強力な魔物でなければ、武鷹枝の者は手練でございますので問題ございますまい」
魔物にもランクがあるんだろう。要するに雑魚なら秘石がなくても倒せるのだな。確かに“強力な”魔物には敵わないみたいなことを言ってた気がする。
「なるほどのう」
「本日中には間に合わぬやも知れませぬが、お許し頂きとうございまする」
ふうむ。なんだか大変なイベントみたいになってるな。
主大臣は言わずもがなで、文大臣にもなにか頼んでいたし、風大臣にも許可がいる。そして薬草の調達は地大臣で、それの護衛に武大臣が協力するわけだな。水大臣も何かするのかな。しなかったら一人だけ仲間外れだけど。
「あいわかった。よろしく頼むぞえ」
「仰せの通りに。では失礼致しまする」
地大臣は平伏した後に、早足で廊下の奥へと消えていった。きっと急いでいたのだろう。呼び止めてしまって悪いことをしたな。
はて、何で呼び止めたんだっけ。
道を尋ねるのを忘れていた、と気付いたのは、地大臣が完全に消えた後だった。
□
「ああ、帝王様。お探し申しました。どこへ行かれていたのでございますか」
カレットが俺を見つけてくれたのは、同じところを何回もぐるりぐるりと回りに回って、今日はここで野宿か、と途方に暮れた時だった。
「いや、道に迷ってしまってな……」
そう言うとカレットは手を口元にやり、くすりと笑う。
「またまたご冗談を。ほぼ一本道でどのように歩めば迷われるというのでございますか」
「本当に迷ったのじゃ……」
きっと俺は本当に困ったような顔をしていたんだろう。それを見たカレットは僅かに気まずい顔をする。
「左様でございましたか……」
「左様でございましたのじゃ……」
本当にここまでか、と思った。誰にも発見されずに干からびてミイラになるのかと。全然人通りもないんだもの。
王宮ってもっといっぱい人いるもんじゃないのか。この階だけなのかな。それとも時間が悪いとか。昼時みたいだし、みんな昼メシ食ってんのかな。俺達もそうだし。
「さあ帝王様、お茶が冷めてしまいます。王室へ戻りましょう」
カレットは俺を慰めるように、にこやかに笑った。思いやるような台詞が外見の美しさと相まって、天使か女神に見えてきた。ふつくしい。
「うむ。助かったぞえ。すまんのう」
「いえ、そんな……」
カレットは静かに歩きだす。俺はおとなしくそれに付いていく。
昼食ができて王室に戻って、それなのに俺が一向に戻ってこないから、とても心配してくれていたらしい。マジでごめんとしか言いようがない。
「あの、帝王様……ロザリンは色々と失礼な口を利いているやもしれませぬが、お許しになって頂きたいのでございます」
歩いている途中に、カレットは静かにそう言った。
「む? わしは何とも思っておらぬぞえ。安心するがよかろう」
「なら良いのですが……帝王様が急にお優しくなられましたものでございますゆえ、ロザリンも気を許してしまっているのです」
それもそうか。つい先日までばかやろこのやろ言ってたらしいのに、急に「一緒にランチしようぜ!」だもんなあ。
まあ慣れてくれればいいだろう。慣れる前に化け物退治に行く羽目になりそうではあるのだが。
急な変化に戸惑ってはいるものの、偽者だから、なんて未だ思ってもなさそうだな。良かった良かった。
気を許してくれているのであれば、そっちの方が俺としても望ましい。
ここの連中は堅苦しすぎるんだ。せめてまともに喋って頂きたいし、脳内ミュージアムを休ませて頂きたい。
「はっ……申し訳ございませぬ。かような話を帝王様にしてしまうなどと……私もまた、帝王様のお優しさに甘えてしまっているやもしれませぬ。帝王様は御国を統治あそばすお方ですのに……」
ほらまた遊ばす! みくにをトーチ!「ミク似ちゃあーん! いいねえーその角度いいねえー。はいもっと笑ってー」パシャパシャ。「監督ったらー。松明焚きすぎぃ。ふぅ。あっついなあ」ぬぎぬぎ。「いいねえいいねえ汗ばんだ肌! もっと脱いでもいいんだよう?」「やだもう監督のえっち!」
脳内ミュージアムはもう無理だ。
「それも構わぬよ。しかし、そなたとロザリンは本当に仲が良いのう。姉妹のようじゃて」
「さ、左様にございますか……そのように思われていたなんて……恥ずかしい……です」
ぽっと紅く染まった頬に揃えた指先を添えるカレット。こんな仕草を嫌味なく自然にできて、しかも似合ってるとか何者なんだ。元の世界じゃ絶滅危惧種だろ。
いたとしてもほとんどは偽装したやつか、自分に酔ってるヤンデレとかだろ。デートのお誘い断っただけで包丁持って追いかけてくるやつ。
「小間使い達は皆、そのように仲睦まじいのかのう?」
「気の合う人もいれば、その逆もございますよ」
ふふ、と笑いつつ大人な返しをされてしまった。
みんな仲良く優しい世界ってわけでもなさそうだな。やっぱ女同士ってめんどくさそうだもんなあ。
「よもや、かような話を帝王様に申し上げる日がこようとは、思ってもみませんでした」
「嫌か?」
「滅相も……逆でございますよ」
それが建前ではないってことくらいは、表情から見て取れた。
聞くところによると、帝王と会話することなんてほとんどなかったらしい。
だからこうして俺が小間使いの内情に感想を言ったり探りを入れているなんて、カレットにとっては信じ難いことのようだ。
だけどとても喜ばしく感じていると。
後宮の化け物っていういい見本があるから置き換えてみたらよくわかるけどな。
逆に配置してみて、メイドさんの化け物どもが「身の回りのお世話しますね! ウホ!」って寄ってきたら後宮の美女軍団の中に逃げるし。
だからそういうことなのだ。メイドさんのことなんて興味ない。
優しい優しいって言われて悪くない気分でいたけれども、感覚が反転してるだけで結局やってることは変わらないような気がしてきた。
化け物達に優しくできるかって言われたら、せいぜいバナナをくれてやるくらいしか思いつかないし。
「魔物が蔓延っていなければ、私とロザリンも顔を合わせることはなかったのでしょうけれど」
クソ広い王宮を黙って歩いているのも息が詰まるから話を振りつつ歩いていると、カレットも気を許したのか饒舌になってきた。
自分のことは話さなかったけれど、ロザリンの境遇についてぽつぽつと語り出す。
慣れてないような喋り口だし見るからに幼いから、メイドさんとしての経歴も短そうと思っていたら本当にその通りで、王宮へやってきてから1年も経ってないそうな。
どうやら貧しい村の生まれらしく、村の外に出て稼がなければ結局飢え死にになるから、彼女の親御さんは出稼ぎに行ったらしい。そこを運悪く魔物に見つかってしまったわけだ。
取り残されたロザリンは独りぼっちになってしまって、貧しい村では養ってくれる家庭もなく、彼女も彼女で村を出なければ飢え死にしか待っていなかったと。
で、とりあえず栄えた町に行ってみようとしたら彼女も魔物に襲われてしまったらしく、そこを偶然通りがかった王宮の騎士に助けられ、けれど深い傷を負っていたからここへ担ぎ込まれたらしい。
そしてそのままメイドさんになったと。普通にかわいそうな話だった。
かわいそうとか思うのは偽善なのかもしれないけれど、そう思うことくらいしか、今の俺にはできない。
そんなだから粗相があっても大目に見て頂きたいのだと、カレットは言う。そこは当然肯定して。
こんな話聞いてしまったら感情移入してしまうし、脳内ミュージアムは全米が泣く内容に変わってしまう。
俺には絶対の権力があるのだから、うまいこと駆使すればロザリンにもっとおいしい思いをさせてやることもできるのだろうが、秘石が見つかれば外に出なきゃならんしなあ。
苦肉の策みたいに「もっとまともに扱ってあげてよ!」と言い残して旅立ったら不自然極まりないし、逆によからぬことを吹き込んだんじゃないかってなって結局は咎められそうだ。逆効果。
もう少し考えておこう。
「帝王様、私が今申し上げたことは――」
「うむ、内緒にしていれば良いのであろう」
そんなもん、苦い思い出に決まってるのに、わざわざ思い出させるようなことを言うほどサディスティックでもない。
話の切れがいいところで王室にたどり着いた。鐘を鳴らして中に入る。
しかしその中にロザリンの姿はなくて、テーブルの上には山盛りなサンドウィッチが寂しそうに佇んでいる。
「……あら? ロザリン、いないの?」
「厠かのう」
椅子に腰掛けつつ待ってみても帰ってくる様子はない。火茶のポットからまだ湯気は立ち上っているけれど、いい加減冷めてしまいそうだ。
もしかして隠れているんじゃないかと思って部屋内をあちこち探してみても、観葉植物の陰にも壺の中にも飾り鎧の中にもいなかったし、絨毯が盛り上がっているわけでもなければ壁が出っ張ってるわけでもなかった。
「どうしたのかのう。何か急に用事ができる場合はあるのかの?」
「いえ、それは考えられませぬ。今日は帝王様の元に在任してますゆえ、勝手に離れるなどとは」
「ふうむ。どうしたもんかのう」
探し疲れたのもあって、ぼすっとベッドに腰掛けて肩を落としたら、ヒラヒラとした長いシーツの先に隠れて小さな靴が置いてあった。小間使い御用達のデザインのやつ。
「まさか……」
何もせずともモッコモコに膨らんでいる布団をゆっくりめくると、そこにロザリンは居た。
うつ伏せになってスースーと静かに寝息を立てている。
「いたぞえー」
別の所を捜索中っていうか窓を開けて外を調べているから、そんなところにいるわけないだろって突っ込みたくなったカレットに声をかけた。
カレットは振り返ったと思ったら、やばい剣幕をして走ってくる。
「ロザリィン!!」
「ひゃっ!?」
その一喝でロザリンはガバッと起きた。
それからカレットに、こっちが引くくらい叱られていた。
メイドさんが帝王様のベッドに忍び込むなんて、良くて追放悪けりゃ打ち首レベルなんだってさ。
「ま、まあ。もういいではないか。悪気があったわけでもあるまいて」
「帝王様がそう仰られるのであれば、これ以上私がどうこう言えるものではなくなってしまいまするが……」
あまりの剣幕だったから、口を挟むのが遅れてしまって散々ロザリンは泣きじゃくった後ではあったが、とりあえず怒りを収めてもらった。
「うう……ごめんなじゃい……えぐっ」
「どうして忍び込もうと思ったのじゃ? そんなに眠かったのかのう?」
「ひっく……おぶとんが……ふかふかだったから……えっぐ……いづも……いいなって……えぐっ」
エッグ出雲という卵投げがメインイベントの楽しいテーマパークが生み出されそうになったが、脳内ミュージアムは急激な負荷によりダウンしてしまったので、建設計画は頓挫した。
要は、待っていて暇だったから見るからにフカフカな布団に包まれてみたいという願望を実現したのだ。
入室合図の鈴が鳴れば飛び出す予定であったものの、普段からメイドさんは朝は早くて夜は遅いし、寝不足が手伝って寝入ってしまったと。
そんな行動を起こしてしまったのも、帝王が俺になって接し方が急変したことに起因するものだと思われる。
発見したのが俺達だったから良かったようなものの、いつ他の偉い奴らが訪問するかもわからないから割りとマジで危ないとこだったみたい。
粗相があっても大目に見ると、俺は是したが他の偉い奴らはそうじゃない。
「カレットもそなたのことを案じておるからこそ、ここまでの剣幕になったのじゃよ。さあ、もう泣き止みなさい」
「ご厚情痛み入りまする」
「すんすん……ありがとうございますですわ……」
頭に手を置いてわしゃわしゃ撫でてやったら、目を細めて子猫のようになったのがすっげえ可愛かった。猫アレルギーだけど。
「さあ、昼食を食べようではないか。茶も冷めてしまうぞえ。わしはもう腹がペコペコじゃ」
俺がそう言うと二人は微笑して、ようやく昼メシにありつけたのである。
俺の案を採用して、大皿にサンドウィッチは大量に盛られていた。
存在感のあるパンはフランスパンのようで、それが軽く焼かれて色とりどりの野菜や肉等が挟まれている。
ひとくちかじれば香ばしいパンと野菜が心地良い音を立て、肉は何の肉だがわからんが、今までに食ったことのない味わいで少しクセがあったが、ソースがそれをうまく消すでもなくむしろ調和しつつも引き立てていて、香りもよく実に美味だった。任せて正解だ。有難いです、美味いメシ。
ラーメン食いたいとかのたまった日には裸荒綿なんてひどい当て字の荒ぶった裸の綿を食わされかねない。荒ぶった裸の綿ってなんだよ。
「このソースは美味いのう。これも作ったのかね?」
「ソース……でございますか?」
これも通じなかった。洋風世界のくせしやがってふざけてやがるぜ。
「この……挟んである……液体? じゃ」
「ああ、それならカレットさんが作ったものですますわ。カレットさんはこういうのをお作りになるのがすごくお上手なんですのよ!」
「ほほう。名前はあるのかの?」
「私が勝手に作ったものです。名前なんてございませんよ」
カレットは照れるように笑いながら言う。ロザリンもすっかり元気になったようで、うまうま言いながらサンドウィッチを頬張っている。
ソースはソースで俺にはそれ以外の何物でもないのだが、こちらでは何と言うのだろう。調味液とかかな?
そう思って聞いてみたら、二人で声を揃えて言った。
「粘り汁」
あっそう……。