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高速増殖炉(4月27日)

「ねぇ、秀一」


 放課後。今日はほのかは華道のお稽古、エルは家の用事、鈴は部屋にいるけれど疲れて机で眠ってしまっていて、花園には秀一と凜香の二人きり。


「なんだ?」


 化学の教科書をぱらぱらとめくっていた凜香は尋ねました。


「この、こうしょくじょうしょくりょ、ってなにかしら?」

「こうしょくじょうしょくりょ?」


 復唱した秀一に、凜香はくすり、と笑います。

 聞き覚えのない単語に、貸してみろ、と秀一は凜香から教科書を受け取り、そのページに目を通します。


「ここよ、これ」


 凜香の指さす、該当文字。


「ああ高速増殖炉、な」

「ええ、だから、こうしょくじょうしょくりょ」

「言えてねぇよ」


 ほぼ全て噛んでるじゃねえか、と呆れる秀一の言葉に凜香はきょとんと目を丸くします。


「ふふふ、面白いことを言うわね。この私が、噛む、なんてそんな幼い失敗をするわけないでしょう? あなたの聞き間違いよ。うちの系列の病院、紹介しましょうか?」


 艶めく長い黒髪を右手で梳き、何の疑いもなくそう微笑む凜香に、どうしてそこまで自分を信じられるのかと、秀一は呆れを通り越して軽く尊敬します。


「......じゃあ、もう一度言ってみろ」


 秀一はポケットからスマホを取り出し、ボイスレコーダーアプリを立ち上げました。


「こうしょくじょうしょくりょ......ふふふ」


 ドヤァ、と溢れんばかりの満足げな表情を凜香は見せます。


「言えてないだろ!? ドヤ顔すんなよ!」

「言えてないかしら?」


 秀一のツッコミに、きょとんと凜香は目を丸くします。


「言えてねぇよ......聞いてみな」


 そう言って、秀一は今録音した凜香の声を再生。


『こうしょくじょうしょくりょ......ふふふ』

「な?」


 これでわかったか? と秀一が凜香を見ると、彼女の顔から表情という表情が消えてまるで能面のようになっていました。


「お、おい、凜香......?」


 瞬きすらしない凜香に秀一が不安になり声をかけると、彼女は、ハッと我に返り、それからぶつぶつと何かを言いはじめました。


「こうしょくじょうしょくりょ......こうしょ......こう......」


 小さな声で何度も何度も繰り返し、結局一度も言えなかった凜香は、ふむ、と一つ頷きます。


「これはあれね、人体の構造的に発音できない言葉というものなのね」

「違うから。普通に発音できるから」

「じゃあ秀一、あなたは言えるのかしら?」

「さっき言っただろ」

「もう一度!」


 むっ、とむくれた凜香は、りぴーとあふたみー! と間違った催促をしてきます。あたまのわるさがもろに出ていて、聞いているこちらが悲しくなってきます。

 未だにRepeat after meの意味すら把握できていない凜香の英語力に不安を覚えつつ、秀一はとりあえず彼女の要望に応え言いました。


「高速増殖炉」


 こともなげに言う秀一に凜香は頬をぷくーっと膨らめました。


「わかったわ。秀一、あなたやっぱり変態なのよ。だからそんな言葉がしゃべれるんだわ。この変態、ロリコン、近未来的ハゲ」

「やめろ、特に最後。俺は禿げてねえ!」


 必死に最後を否定する秀一に、だから近未来なんじゃない。と冷たく凜香は言い放ちます。

 ハゲというのは対男性にとって最終兵器とも呼べる言葉です。頭髪にまったく問題がない人をも不安に陥れる魔の言葉。いつか自分もそうなるのでは......という不安を男はいつだってもっているのです。


「......わかった。おまえも言えるようにしてやるから。そうしたら、前言撤回しろよ!? 特に最後!」

「そこまで教えたい、っていうのなら、教わってあげないこともないけれど?」


 上から目線の凜香ですが、その表情はとてもうれしそうでうずうずしています。


「よし。俺に続いて言ってみろ」

「高速」

「こうしょく――」


 いきなり噛みました。今回は自覚があるらしく、凜香はやや恥ずかしそうにうつむき唇を噛んでいます。


「もう一度。高速」

「こ、こ・う・そ・く!」

「増殖」

「ぞ・う・そ......ぞ・う・しょ! く!」

「炉」

「ろ!」

「高速増殖炉」

「こうしょくぞうしょくりょ!」


 全てきれいに噛みました。


「うん、わかった。凜香。おまえには無理だ。あきらめろ」


 俺もあきらめるから、と秀一はしみじみと言いました。


「やら! じぇったいやら!」


 なんで他の言葉まで言えなくなってんだ、ったく、と言いながら秀一は少し考えます。その間にも凛香は、やらやらやら! いうのいうのいうの! と子どものように地団駄を踏んで喚きます。


 お嬢様のかわいそうな姿を、心からの哀れみを込めて見つつ、秀一はノートにさらさらとペンを走らせます。


『高速蔵書黒』

「ほら、これを読んでみろ」


 その文字列を見て、凜香はきょとんとしてから、


「こうそく、ぞうしょ、くろ」 


 噛むことなく言いました。


「言えたわ」


 ぱぁぁ、っと彼女の顔が明るくなります。


「高速増殖炉、高速増殖炉、高速増殖炉!」


 そんなにうれしかったのか、凜香は何度も繰り返して言いました。


「ふふふ......ふふ、ふふふふふ、あは、あははははは!!!!」


 本当にうれしかったらしく、凜香お得意の高笑いが出ました。

 ひとしきり笑うと、ふぅ、と一息つき、目元ににじんだ涙をぬぐって凜香は言いました。


「悪かったわね。さっきの言葉は撤回するわ......あなたはただ小さい子が好きで興奮しちゃうだけのパンピー。将来的に禿げる可能性はわからない」

「全然否定する気ねえだろ」


 ふふふ、と凜香は笑います。


「今度、育毛剤プレゼントしてあげるわ」

「やめろ! 本気で心配になるからやめろ!」


 お願いします、と懇願する秀一に凜香は、どうしようかしら、といたずらっぽい笑みを浮かべます。

 花園は今日も平和です。



 翌日。

「高速増殖炉」が言えることを他の三人に自慢しようとした凜香が、またも噛まずに言えなくなってしまい、みんなにからかわれることになりましたが、それはまた別のお話。

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