一時間目
放課後。
一人の男子生徒が別館四階の廊下を歩いています。彼は、青山秀一。十六歳。平均よりもやや高い背丈。目にかからない程度の長さで雑に切られたバサバサの髪。やや骨張り、柔らかいとは言いがたい印象を受けるその眼には、四角く角張った細い黒縁眼鏡をかけています。
ぴしっと背筋を伸ばしキビキビとした歩調で歩く彼ですが、その動きとは異なり、目元にはうっすらと隈ができ、疲れの色が見えていました。
彼は廊下の突き当たりにある元天文学部の部室に入り、部室内にある扉から隣の倉庫へと入ります。
さらにその倉庫の壁に掛かっている非常梯子を使い、天井裏へと登っていきます。
ほこりっぽい天井裏へと辿り着くと、そこからは狭い天井裏を身をかがめて、足下を確かめるようにやや慎重に、しかし慣れた動作で進んでいきます。
天井裏にある柱を目印に、右へ二回、左へ一回曲がって、ついたのは五階にある物置部屋の真下の空間。
そこで秀一は、頭上にある物置部屋の床を一枚持ち上げると、腕の力で部屋の中へと侵入成功。
秀一は、身体についたほこりをぽんぽんと手早く払うと、眼鏡を人差し指の先でくいっとあげて、身だしなみを整えます。
ここまで来ると、目的地はすぐ目の前の扉の向こうです。
この扉は部屋の裏口。本来の入り口は反対側の廊下にあります。表口から入ることが出来れば、こんな面倒なルートを通る必要はないのですが、特別な事情のためにそれは出来ないのでした。
はぁ。
目的の部屋の前で立ち止まった彼は、扉の前で音も無くため息をつきます。
コンコン、と扉をノックし、
「入るぞ」
ガチャリ、と扉を開けました。
――ここは「花園」
一般生徒はおろか、教師ですら立ち入りを禁じられた、学園の才媛四人が集まる特別教室。
全校生徒が憧れる「BIV」の四人が集まる、秘密の部屋。
しかしその実態は――
「秀く~ん」
脳天から頭蓋がとろけるような甘~い声で出迎えたのは、阿澄ほのか。
少し色素が薄く茶色味を帯びた髪をふんわりと緩く巻き、髪の毛と同じ鳶色のくりくりっとまあるい目をした、おそろしくかわいいこの少女。
身体の方も、背丈は平均よりも少し小さく、しかしそれに反するように胸は大きく。
兎にも角にも反則級のかわいさを誇る、通称「神に愛された生きる天使」
「おはよ~」
「おはよう、だけど今はもう朝じゃないどころか夕方だ」
「今日はじめて会ったから、おはよう、でもいいんだよ~」
「......ちなみにこの会話、今日三回目なんだがどう思う」
秀一のツッコミを、えへへ~? とほんわかした笑顔でさらりと流すほのか。
「今日も良い天気だね~」
「ああ」
「お日様がぽかぽかして、すごくいい気持ち~」
「今はもう夕方で山陰に沈んでるけどな」
「うぅ、秀くんのいけず~」
「......ちなみにこの会話も、今日三回目なんだがどう思う」
「えへへ~」
誰からも好かれるゆるふわ愛されガールなほのかですが、さすがの神様も容姿に全てを与えすぎたと思ったのか、釣り合いを取るかの如く、他の部分がゆるゆるの、ゆるふわ愛されガール。
そのほのかのお家は、古くからあるヤのつく建設業を営んでおり、いろんな意味で危なっかしい天使であります。
お茶いれるね~、とふわふわ歩くほのかを何の気なしに見ていると、
「シュウ!」
おっすおっす、とボリューム満点な胸をゆらしつつ手を挙げて秀一を呼んだのは、長身の褐色肌の美少女。
彼女の名前は、エルル・L・ルルゥ。ボリュームのある金髪とネコのような碧眼を持つ、名前の通り異国生まれの少女です。
母親はアマゾン奥深くの少数部族の出身。父親は世界的に権威のある考古学者兼トレジャーハンター。同じ音が続いて呼びにくいのはお国柄、ということです。
「ミテミテ! カンジれんしゅーした!」
その健康的で張りのある頬に墨をつけ、筆を見せながらエルは晴れ晴れと笑います。
「おう、偉いなエル。なにを書いたんだ?」
これこれ、と自慢げなエルの前に置かれた半紙に書かれた文字に、秀一は眉をしかめます。
「ドウドウ? じょーず?」
「あぁ、上手に書けてるよ。うん......」
そこには、筆先を力一杯押しつけて書いたであろう、極太の「下呂」の文字。
「なぁエル、どうして『下呂』?」
「?」
秀一に問いにエルはきょとんと目を丸くします。
「だから、どうして『下呂』?」
「......どうしたのシュウ? カエルのまねっこ?」
「は?」
「アタシはゲンキいっぱいゲロ! シュウこそトツゼンどうしたゲロ?」
ゲロゲロ、と楽しそうにエルはのどを鳴らします。
「違う、そうじゃない」
秀一は眉間を揉みます。
「『下呂』ってのは、ほら、それ。おまえの書いてる、その漢字だよ」
「? へー、これゲロってヨむんだ!」
「これ、誰に教わった?」
彼女の母親は、信仰上の理由により文字を持たない民族で、父親は常に世界中を飛びまわっていたため、アマゾン奥地で母親に育てられたエルも文字の読み書きが出来ません。数年前に母親が流行病でなくなり、父親の実家のある日本にきましたが、まだまだ不得意です。そのため、漢字も誰かに教わらなければ書けません。
「リンカがそこのオンセンいったんだって! オミヤゲもらった!」
なるほど、と秀一は頷きます。
「あ! いま、アタシのニューヨクシーン、ソーゾーしたでしょ? シュウのエッチ!」
「............はぁ」
「やめて! そんなドージョーのメでアタシをみないで! ドージョーするならカネをくれ!」
「............はぁ」
「......はい、マジメにベンキョーします。はい」
言外の秀一の圧力に屈したエルは、しゅんとして勉強に戻りました。
「まったく......あぁ、字は上達してるからな。その調子で頑張れ」
秀一の言葉にエルは、顔をぱぁっと明るくします。
「ウン! アタシ、ガンバル!」
ものすごい勢いで半紙に文字を書き散らすエルを見ていると、どこからか視線を感じます。
「............」
無言でじーっと秀一を見つめる、背丈が百四〇センチにも届かない幼女がいました。
彼女の名前は、三条鈴。これでも秀一達と同い年の立派な高校生です。父親はIT企業の社長、母親は元妹系グラビアアイドルという、現代的裕福なご家庭のお嬢様。
母親譲りの整った顔立ちに、きめ細やかな黒髪はおかっぱで、黙して動かぬ彼女の姿はまるで日本人形。
その彼女が、小さなその手で掴んだノートをおずおずと秀一に差し出しました。
「お、鈴。宿題やってきたんだな?」
こくこく、と鈴はうなずきます。
基本バカどもには冷たく接する秀一ですが、鈴だけは例外。溺愛しています。
「鈴は良い子だなぁ。どれどれ、どのくらいできたかな~」
ぱらぱら、とページをめくり宿題を確認。鈴の身体と同じようにちいさく、かわいらしい文字で書かれた回答の正解率は6割といったところ。ですが、きちんとこうして宿題をやってくる鈴はとってもえらくてかわいくて、秀一は溺愛しているのです。
「うんうん、ちゃんとやってきて、鈴はえらいなぁ。よしよし、ほら、こっちに----」
と、ページをめくる秀一の指がぴたりと止まりました。宿題の回答が書かれた次のページ。そこには男と男が絡み合う、濃厚で緻密なイラストが。
「......がんばりまし、た」
ちっちゃな手をぎゅっと握って、鈴は強く頷きます。
「............」
大丈夫。宿題はちゃんとやってある。問題ない。最後のページのイラストは、なんかアレだ。そう、なんか......アレだ。あの絵の意味をわかっていないのだ。きっとなにかの拍子に目撃した、飲み込んで僕のエクスカリバー的なイラストを、意味もわからず描いてみちゃっただけなのだ。そうじゃなければ、こんなに純真無垢な子があんなえげつないイラストを描くはずがない。
「よし、よし......うん」
そう一人納得すると、秀一は、現実を自分の都合のいい方に解釈し、都合の悪い物は見なかったことにします。
ちなみに、こういうイラストを目撃するのは今回が初めてではありません。かなり頻繁に目撃しています。しかも男性の片方がなんとなく自分に似ている気がしないでもないですが、それらも全て都合良く解釈され、鈴は純真無垢でピュアピュアな女の子ということになっています。秀一の中ではな。
「ふふふ、鈴は宿題ちゃんとやってえらいなぁ。ほらほら、こっちにおいで?」
そんなことを言いながら自分の膝の上に鈴を座らせようとする変態もとい秀一。
鈴が無垢でかわいいから仕方が無いのです。手招きするその表情は、ぐへぐへしており変態じみてはいますが、決してそんなことはないのです。
そんな秀一の魔の手に、ビクッと震えて、じりじりと後ずさりする鈴。
「ふふふ、怖がらないで。ほら、おいで、おいで~」
じりじりと距離を詰める秀一と、その分後ずさる鈴。
「秀一」
富士山麓の湧水のごとく透き通った声で彼を呼んだのは、荒瀧凛香。
BIVのリーダーにして、学園の誇る女王様。
腰にまで届く黒髪は絹のように艶やかで、モデルも真っ青になるほどすらりとした手足を持ち、童話の中の雪女を彷彿させるような冷たいまなざしを持つ、凛とした超絶美人。
唯一、胸だけは神様に見放されたのか、まな板と同等の薄さと強度を誇っています。
そんな彼女は、今日も上座に置かれた、指定席となっているアンティークの椅子に、長くスラッと伸びた足を組んで、まな板を張り、尊大に座っています。
「鈴がかわいいのはわかるけど、ほどほどにしておかないと通報するわよ?」
「凛香......おまえ、警察の番号知ってるのか?」
「当たり前でしょ、おばかさん。私を誰だと思っているの?」
「じゃあかけてみろ」
「あら? いいのかしら?」
そう言いながら凜香はポケットから携帯を出すと、ピピピと画面をタッチします。
prrrr――
『午後四時三十三分二〇秒をお知らせします――』
携帯の向こうから聞こえるのは無機質なそんな声。通話を切った凜香は、一度目をつむると、ふ、と物憂げなため息をつきます。
「......まったくもう、電話番号変えたら、ちゃんと教えておいてくれないと困るわ」
「そんなわけあるか! 警察の番号は半世紀以上前から変わってねぇよ!」
「ふふふ、そんなに熱くなっちゃって。そこまでして私に正しい番号を教えたいの? ふふ、跪いて足を舐めれば、特別に教えていいわよ?」
「誰が舐めるかぁ!」
当然の如く、凛香もまた残念お嬢様です。
「あら? あなたは私の足を舐めたくないというの? おかしな人......はっ!? もしかしてこれがいわゆるツンデレ!? そうね、そうなのね!? だから、いつも私に冷たい態度を取るのね!」
「違うから」
「ふふ、照れなくていいのよ、わかってるから」
「違うから」
「でもごめんなさいね、私はあなたの気持ちには――」
「違うって言ってんだろ!?」
「ふふ、そうね『言わぬが仏』というやつね」
「それを言うなら『言わぬが華』だ!」
『知らぬが仏』と混ざってる、と秀一は指摘します。
「言わぬが鼻? ふふ、おばかさん、鼻でしゃべれるはずないでしょ。言わぬが鼻......ふふ、ふふふ......アハハハハ!」
ガターン、と痛々しい音を立てて椅子ごとひっくり返る、痛いお嬢様、もとい凛香。
なにがツボに入ったのか皆目わかりませんが、笑い続けて下着丸出しで地面を転がる凛香から顔を背けて、はぁ、と秀一はため息をつきます。
入学当初密かに彼も憧れたことのある、学園の誇る女王様のこんな実態を誰が知るでしょう。
「ほら、いい加減始めるから、みんな席につけ」
あきれ混じりの秀一のその言葉に、四人はそれぞれ円卓の席へと戻りました。
「中間テストまで二ヶ月半! そこで赤点とったら――」
秀一はそこで言葉を句切り、四人を見回します。少女たちは神妙な面持ちで頷きました。
部屋の前方、黒板の前に立ち、チョークを手に取り秀一が告げます。
「さぁ、授業の時間だ――」
ここは「花園」
BIV集まる秘密の花園。ここでは学園の誇る、才色兼備のお嬢様四人が集い平民には縁遠い絢爛豪華なお茶会を嗜む場所――と一般生徒は思っている。
しかしその実態は、四人のわがままお嬢様を教育し直すための秘密教室。
ではでは、そこの講師を押しつけられた一人の男子生徒と彼女たちの物語のはじまり、はじまり。
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