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Whisper Voice  作者: iliilii
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第二話

「慧汰!」


 颯太がちゃんと名前を呼ぶときは、大抵怒っているときだ。期末試験が終わった直後のまったりとした昼休みの教室。カリカリとした気配が近付いてきて、食べ始めていた弁当から顔を上げる。


「次からは自分で断って!」

「次からも何も俺は何も知らん」

「何で俺が慧汰の窓口なんだよ」

「知らね。窓口にした人に聞け?」


 むすっとした顔の颯太は、それでもしばらくすると機嫌が直る。こういう後にひかない性格が好きだ。


「弁当だって待っててくれないし」

「待ってたけど遅いから食べ始めた」


 慧が冷たい、と言いながら颯太も弁当を取り出し箸をつける。


「慧、小鳥遊さん気を付けてあげなよ」

「……面倒くさいな、女って」

「ちゃんと彼女ってなればまた違うんだろうけどね」

「まだそこまでいってねーよ」

「このクラスにそういう子いなくてよかったね」


 颯太の言葉に頷く。どういう訳か、俺は一部の女子にモテるらしい。愛想の欠片もない男のどこがいいんだか。勝手な噂を真に受けて、勝手に盛り上がって勝手に冷めて勝手に悪く言う女どもにはうんざりだ。食べ終わった弁当を片付けながら颯太を見れば、弁当をかき込みながらにやりと笑うという器用なことをしていた。


「なあ、何で颯太知ってるんだ?」

「知らないの小鳥遊さんくらいじゃない? 慧が小鳥遊さん見てにやにやしてるの、このクラスのみんな知ってるよ」


 思わず周りを見渡せば、颯太の声が届いたヤツらににやりと笑われる。サムズアップはやめろ。隣の席の須藤が訳知り顔で頷いている。まあ、俺も隠してないしな。

 小鳥遊の姿が見えないのをいいことに、みんなに「何かあったら頼むな」と声をかけておく。特に一塊になって弁当食べていた女子からは、妙に力強い頷きが返ってきて正直驚いた。


「本当このクラスの女子、いい人ばっかだよ」

「お前の仕業だろう。どうせ吉井使って手懐けたんだろうが」


 同じクラスの吉井小鞠(よしいこまり)は颯太の彼女で、これまた小三からの腐れ縁だ。吉井とは途中別のクラスになったこともあるが。

 小鳥遊に発声練習を教えていたのも吉井だ。しっかり者の吉井が側に居るなら、小鳥遊も大丈夫だろう。


 急に教室の中がざわりと嫌な空気に変わる。「小鳥遊さん……」颯太の小さな呟きに、振り返り、颯太の目線を辿って驚く。


「小鳥遊、それどうした?」


 教室の後ろの入り口に立つ小鳥遊の右の頬が赤く腫れている。色が白いから一層その赤が目に付く。慌てて駆け寄り声をかければ、涙目の小鳥遊の代わりに答えるのは吉井とも仲のいい小島だ。


「何って言うか、言いがかり?」

「高岡関連?」


 同じように駆けつけた吉井の問いかけに、むかつく様子を隠すこともなく小島が頷く。少し前の自分を罵る。何が大丈夫だ! 怒りが一気に腹の底から吹き上がる。

 後ろから颯太の「あー…さっきの子かなぁ」と言う情けない声と、「慧、気を鎮めろ」という低く抑えた声が聞こえた。意識して腹に力を入れ、息を細く吐き出すことで、怒りを何とかやり過ごす。


「おいで、小鳥遊。保健室行こう」


 戸惑うような小鳥遊の背をそっと押せば、よろけるように体が傾ぐ。慌ててその体を引き寄せ受け止めた。


「もしかして足捻った?」


 心配そうな小島に小鳥遊が小さく頷く。小島が言うには、頬を叩かれたあとに突き飛ばされたらしい。尻餅こそつかなかったらしいが、すぐそこの手洗い場での出来事だったからか、戻ってくるときには足を引きずっていることに気付かず、怒りのまま前を歩いてきてしまったらしい。しきりに小鳥遊に謝っている。

 小柄な彼女を抱き上げて保健室に運ぶのは容易い。でも、きっとそれを小鳥遊は望まない。本当は極力足を動かさない方がいいのに。


「嫌だったら言って」


 痛みで顔をしかめる小鳥遊にそう声をかけ、その細すぎる腰に片手を回し、こっちに体を引き寄せ、その軽すぎる体を軽く持ち上げる。


「こうすると歩きやすいだろう? 俺の肩につかまって、捻った方の足はつかないようにして。このまま保健室まで行ける? それとも抱えた方がいい?」


 密着する体に真っ赤になって必死に顔を横に振る小鳥遊を見て、いきなり抱き上げなくてよかったと安堵する。


「颯太、あと頼むな」


 ゆっくりと保健室に向かうために教室を出た途端、密着しているせいで廊下にいたヤツらに思いっきり注目される。これなら抱き上げて顔を隠してあげた方がいいかもしれない。


「小鳥遊、抱き上げるから顔を隠せ」


 同じ事を思ったのだろう。一瞬体を離すも、ついた足に痛みが走ったのか、歯を食い縛り顔をしかめた小鳥遊は、途方に暮れたように目を彷徨わせたあと、素直に体を預けてきた。抱き上げた彼女は、俺の首元に顔を埋めてその顔を隠す。俺の肩の辺りでシャツを握りしめるその指が、細く弱々しい。

 不意に彼女が女の子であることを突き付けられた。

 知れば知るほど惹かれていく。理由も分からず、彼女じゃなきゃダメなんだと、自分の中のどこかが叫んでいる。今まで感じたことのないほどの独占欲と焦燥。俺だけのものにしてしまいたい。


 ざわめく廊下を小島の先導で保健室まで最短距離で足早に移動する。


「ごめんな。俺がもっと気を付ければよかった」


 小さく彼女にだけ聞こえるように声をかけると、埋めた顔が左右に揺れた。こんな時なのに、その仕草が可愛くて仕方がない。

 そう思った瞬間、密着する体と体温、彼女の匂い、腕に伝わる重み、彼女の息遣い、その全てが鬱陶しいほどクリアに襲いかかってくる。


「高岡君、モテるんだね」


 耳元で、いつも以上にはっきりと聞こえてきたその声に苦笑が漏れる。どうせならもっと別のセリフがよかった。


「好きな子にモテなきゃしょうがないだろう? 俺は小鳥遊にだけモテたいよ」


 勢いよく顔を上げ、大きな目をこれでもかと見開いたその顔に、少し引いた赤みが再びゆっくりとその色を濃くしていく。その色付く様を間近で目にし、俺までがらにもなく高揚する。再び真っ赤になった小鳥遊は、口をぱくぱくと動かすだけであの綺麗な声は出ていない。しばらくぱくぱくしていた小鳥遊は、声にするのを諦めたのか、再び首筋にその真っ赤な顔を埋めた。

 その仕草にほっとする。少なくとも嫌われてはいない。首筋にかかる小鳥遊の息がなんとも艶めかしい。




「どうだった?」  

「軽い捻挫だって」


 保健室から再び小鳥遊を抱えて教室に戻れば、駆け寄ってきた吉井に、養教に散々告げ口してきた小島が答える。


「よかった。高岡、帰りそーちゃんの自転車借りる?」

「颯太、いい?」


 吉井の提案に、颯太に確認がてら声をかけると、頷きながら自転車の鍵を差し出す。


「帰りに慧んとこに寄って自転車引き取るから、そのまま慧んちに置いといて」

「わかった」


 小鳥遊を席に下ろしてやれば、真っ赤な顔をしながらも自分には関係ない話をされているとでも思っているのか、保健室で貰ってきた小さな保冷剤をハンカチに包んで頬にあて、どこかきょとんとした顔で見上げてくる。


「帰り、颯太の自転車で家まで送っていくから」

「えっ、いいよ。悪いよ」

「それくらいさせて。元はと言えば俺のせいだから。それとも誰か迎えに来てくれる人いる?」


 微かに不安をのせたその顔が左右に振れた。


「大丈夫。弟も一緒に迎えに行こう」


 顔を寄せ小声でそう言えば、小鳥遊の顔が安堵したようにふわっと綻んだ。




 放課後、颯太の自転車のサドルに小鳥遊を乗せ、ハンドルを俺が握り、保育園に小鳥遊の弟を迎えに行った。小鳥遊にコアラのように抱きつく人見知り真っ盛りの弟ごと再びサドルに乗せて歩き出す。いつも帰りがけに別れていた場所から少し行った先にある小鳥遊の家は、自宅と思っていたよりも近かった。

 明日の朝も迎えに行くこと、養教から注意されていたことを再度繰り返し、今日はとにかく安静にしていることを約束して別れる。コアラな弟が心配そうに「ちゆちゃん、けがしたの?」と聞いてきたのをいいことに、小鳥遊の腕からコアラを降ろし、しっかりと小鳥遊をフォローするよう言い聞かせてもきた。


「こんばんはー。お邪魔しまーす」

「颯太か! スルメ食うか?」

「食べる! でも慧のとこが先」


 なんとなく自室のベッドに腰掛けぼんやりしていると、颯太とじいちゃんの声が階下から聞こえてきた。トントントンと小気味よく階段を上ってくる足音が近付き、上りきった位置にある俺の部屋のドアが開いた。


「颯太、お前の自転車、キャリアがなかった」


 自転車の鍵を投げて渡せば、危なげなくキャッチする。おかげで小鳥遊をサドルに乗せて俺がハンドルを持つ羽目になった。後ろから腕を腰に回して貰おうと期待していたのに。俺の腕に掴まる小鳥遊も悪くはなかったが。


「こないだ外しちゃったんだよね。小鞠のがよかった?」

「いや、あれはいい」


 吉井の自転車はドピンクな上にこれでもかとデコられていて、正直近付きたくない。可愛いのに、とどこか面白そうに目を細める颯太の気が知れない。


「で?」


 椅子を跨いで後ろ向きに座り、その背もたれに両腕と顎を乗せた颯太に声をかける。


「うーん、俺の言い方が悪かったのかなぁ」


 黙って先を促すと、昼休みに呼び出されたときの事を話し出した。


「今日の子はさ、最初から慧と小鳥遊さんが付き合ってるのかって聞いてきたんだよ。でね、まあつい、まだって答えちゃって」

「普通に否定しろよ」

「俺の希望的観測と願望が混じっちゃって」

「本当は?」


 へらへらと笑っていた颯太の顔付きが変わる。


「なんか、雰囲気やばそうだったから。否定するともっとひどいことになりそうだったんだよね」

「うぜぇ」

「それ俺のセリフだから」

「だよな、ごめん」


 謝罪の言葉に、颯太はよしよしと偉そうに頷く。


「小島の話だと、一方的に『あんたなんか』みたいな事言っていきなり叩いてきたらしい」

「うん、小鞠もあのあと色々聞いて回ってた。とりあえず小鞠たちが制裁加えておくって」

「こえー。吉井えげつないからなぁ」

「暴力に訴えないんだから可愛いもんだよ」

「内容聞いた?」

「聞いてない。女の子には女の子の事情があるだろうからさ」


 颯太の爽やかな笑みが余計に怖い。普段温厚な吉井は、怒らせるとその場でどうこうすることはないかわりに、その怒りは巡り巡って倍以上になって返ってくる。しっかり原因が相手に伝わるような制裁方法は、相手に反論の余地を与えず、周りも妙に納得する。イジメにならないあたりが巧妙でえげつない。ああいうのを腹黒って言うんだ。それを手懐けている颯太はさながら魔王だ。


「小鳥遊さんは?」

「痛そうだったけど、病院行くかって聞いてもいいって言い張るから、朝迎えに行ったときに俺がテーピングすることにした」

「ふーん。で、言ったの?」


 そのにやにや笑いやめろ。


「まあ、一応。それらしきことは」

「はっきり言ってないの? 返事は?」

「聞いてない。でも悪い感じじゃなかった。……と思う」


 ふーん、と言いながら、それはもう楽しそうににやにや笑う颯太が鬱陶しい。自分だって吉井と付き合うときに色々あったくせに。


「抱き上げたの無自覚でしょ? 普通はおんぶだよねぇ、あの場合。小鳥遊さんも恥ずかしそうだったけど当たり前に抱き上げられてたし」


 言われて気付く。抱き上げるとしか考えてなかった。そうだな、好きな子じゃなければ背負うな。


「慧がさ、童貞だって知ったらみんなびっくりするよね。あの馬鹿女たちが流したヤリチン疑惑、完全否定できるよ」

「余計な事言うなよ」

「モテる男は大変だぁ」


 揶揄する颯太にうんざりする。あいつらは俺が好きなわけじゃない。己の同情心に酔っているだけだ。


「じじい! 気配がダダ漏れだ!」


 ドアの向こうに感じた気配に声を上げると、ドア越しに聞き耳立てていたじいちゃんが、にやにやしながら焼きスルメ片手に部屋に入ってきた。スルメの香ばしい香りが腹を刺激する。


「なんだ、慧はまだか。颯太はもう大人の階段上ったのになぁ」


 大人の階段って……その言い方はどうなんだ。


「……颯太、じいちゃんに話してるのか?」

「うん。色々相談に乗って貰ってるし」


 二人して「ねー」と態とらしく首を傾げるのはやめろ。二人して避妊具装着のレクチャーしてくれなくていいから。俺だってそのくらいは知っている。じじい、未成年を煽るな。


「じいちゃん、今日スルメ?」

「おう。よっちゃんがまた小田原で一夜干し買って来てくれたんだよ。他にも色々あるぞ。颯太も食ってくだろう?」


 颯太とじいちゃんが夕食にはどの一夜干しを食うか話している。俺はきんめがいい。

 よっちゃんは隣の家の爺さんだ。うちのじいちゃんと仲がいい。二人していつも七輪で何かを炙りながら酒飲んで笑っている。

 その七輪の火熾しを子供の頃から見ていたおかげで、炭の立てる音に耳を澄ますようになった。じいちゃんはわざわざ取り寄せするほど、炭に妙なこだわりを持っている。覚えているのは白炭は紀州の備長炭で、黒炭の菊炭はたしか能勢だったか、それとけんけら炭。そのけんけら炭の立てる音が小鳥遊の声の質と似ている。


 じいちゃんと一緒に裂いたスルメを旨そうに食う颯太は、当たり前のようにうちで飯も食っていった。帰ってから自分ちの飯も食う。サッカー小僧は食い過ぎだ。






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