学院の日常 四
とにかく抵抗する気持ちだけで押し返した魔力は額の石から飛び出した。
「ゴハッ!?」
それと同時に魔力は勝手に複雑に蠢いて魔術になって黒い筒の形を取り、目の前のマルコスに伸びてうねりながらぶつかり、吹き飛ばしてから宙に散る。
「ニャオ……(マルコス大丈夫か……)」
大きく仰け反って頭を派手に地面にぶつけて辛そうな呼び掛ける。
不意の衝撃で心配になる頭の打ち方をしていたが、マルコスは倒れたままでも声に反応して手を振ってくる。
立ち上がれないけど、まあまあ問題なさそうということだろう。
罪悪感でそっと近寄り、未だに声も上げずにいるマルコスを観察していたら後ろに人がいる気配を感じ、気づいて振り向く前に声をかけられる。
「問題が起きましたね……マルコスくんとその使い魔には話を聞かせて貰いましょうか。他の皆さんは気にせず続けて、異変の時だけわたしに報告しなさい」
マルコスの衝突音、声か、駆けつけたのはシャーリー先生だった。
だが、こちらの様子を見ながら周りに続けるよう促すシャーリー先生の横顔には、とても悶絶しているマルコスを助けるとか心配するとかいうものには見えない。
それどころか、この近さまで来ないと分からなさそうだが、怠惰さが失われて冷たくなっているようで仕事が増えて嫌だと言っていると感じられた。
「あー、いったいなぁもう。ラオ、原因はたぶん賢者の石だと思うけど、どうかした?」
シャーリー先生の僅かに冷徹な雰囲気の加わった表情に怯えていると、マルコスはやっと調子が戻ってきて立ち上がった。
賢者の石について聞かれて返そうとしたが、俺が答えるより先にシャーリー先生が割って聞いてくる。
「それが?賢者の石に見えますか。わたしには属性の調和も何も賢者の石といえるものが見えませんが。予測になりますが、使い魔との融合で何らかの変質を起こしているのでしょう。そんなものを契約具に使う理由を聞きましょうか」
「理由は一つ余ってたからです。それと、えーっと、これは魔術師ギルドにも纏められず、この他のどれにも当てはまらない新種の賢者の石、のような何かということですかね?」
どれにもということは、この宝石以外にも賢者の石は数種類あるようだ。
「今さら気づいたのですか。大変貴重というか前代未聞で学院であっても命を狙われてもおかしくありませんね。まだ話がされていないなら、わたしからもフェリシー先生に伝えてますので今日中には行って報告書を書いて早めに学院長から保証を受けなさい。それと、ちゃんとやれば適当に調整出来るでしょうからそうして接続しなさい……マルコスくんも怪我が無いようですね。わたしは戻ります」
シャーリー先生は言うだけ言って元の場所に戻り、この間ほかに問題が起きた学生に対応する。
「思ってたより大事だったなぁ。まあ学院長に認められればどうにかなるか」
まだまだふらついているマルコスは辛そうにしながら呟いく。
どうにかなる。とは相変わらずの能天気ではあるが、命を狙われると聞いたからにはその様子に多少怒りがわく。
こんな魔力は多く使えても自分の分と比べてろくに魔力が操作出来なくなる石でも、いくつもあったらそこら中で魔力が溢れかえってそうなものだな。
それに一人で使うにしても、これがあると楽に魔術を強く出来るから欲しい人達で争いになりそうなもんだ。
争いの種な賢者の石とは思ってはいたが、正体不明の新種とくれば欲しがる者に狙われたりはしないのか。
そんな不安を感じているが、現実逃避か余裕のある考えもしている俺をよそに、マルコスはローブの裏から小袋を取り出し、それに手を入れて何かの粒を摘まんでそのまま呑みくだす。
立っていてもまだグラグラしていたマルコスだがそれも消え、あの粒でようやく本調子に戻り始めているようだ。
よく分からない内にシャーリー先生の話が終わったが、最初に大変貴重や前代未聞、命が狙われると確かに聞いた。
これまで気楽に好きかって学院を散歩していたけど、もしかしてたくさんの敵を作ってたりしないか。
周囲の奴らは実はこっそり狙ってたりしてないか。
何度も繰り返している思考だが、過去を振り返っていっそう大きくなった不安に苛まれて、どれだけ見ても俺を見てたりしない周りにすら疑心暗鬼になっていたら、気がつけばしゃんと立てているマルコスが俺に近寄ってもう一度額に指を伸ばした。
「次は調整してからか。ラオ、手が滑った時にどうなるか分かんないから、今だけで良いから少しの間は動かないようにしててね」
今度は更に慎重に触れる魔力が賢者の石の中の流れに沿いつつ、じわりじわりと流れを組み替えていく。
それは俺の体では無いはずなのに、体の中身をいじくられているのに似るのか奇妙な不快感と、これまでの流れかたよりも綺麗というか、すっきりとつかえるものが取れたような快感が同時にあって頭が混乱していた。
こんなに変な体験をして、本当に賢者の石の調整とやらは出来るのか。
でも、魔力の流れがこれまでに比べて理路整然として感じられるので、少なくともそれに関しては良好に働いていると思いたい。
それからも少ししていると直に賢者の石がキリキリと音を立てだす。
その頃には魔力の流れの操作も終わって、今は俺は気づいていなかった賢者の石自体?なのか、イメージとして、たぶん壁や天井のようなものがねじれるようにして形を変えられているのを感じていた。
耳障りな音と知らなかったものが変えられていることに不安になるが、マルコスが慌てていないならまだ大丈夫なんだと思いたい。
いい加減に考えることも尽き、正面にいる真剣な表情のマルコスを眺めていたら、音がキリキリからギリギリ、更には直ぐにキュルキュルに変わる。
もう不安でいっぱいなのに手を離されないので動けず、音が小さくなり始めるとマルコスは口を開いた。
「そもそも、あの謎の魔術はなんだったんだろ。うねる柱の魔力塊を飛ばす魔術なのは分かるけど、妙に魔法陣が複雑だったからそれだけじゃないと思うんだよ。はい終わり。だけど、次はやっと感覚の共有をするかまだ待ってね」
「ニャ(疲れてきたぞ)」
我慢出来ずに愚痴が先になったが、確かにあの無理矢理押し出した魔力が魔術の形をしたのは不思議でしかない。
マルコスはあれが魔術だったと気づいているのか。言っておくか。
だが、それを口に出す前に一度魔力の操作を途切れさせたマルコスが先に喋った。
「もう終わるから辛抱してよ。じゃあ三二一はいで合図するね。そしたら、ラオの魔力は閉じて僕だけ感覚が伝わるようにするから、ラオには何も起きないけど変なことしないようにね。じゃあ、三、二、一、はい!」
合図がかけられると、さっきまでとはまた違う魔力の流れを賢者の石では無い目と耳に感じてマルコスに操作されて起こされた魔力の集中でそこがカッと熱くなって涙が出てくる。
「あれ?おかしいな、見えるけどにじんでる。ラオどうかした?」
これは聞いてない、と怒ってやろうかと思ったが、マルコスの何があったか分かってない心配する声を聞くとその気も失せた。
「ナーオ。ニャーア(目と耳が熱くなった。涙が止まらない)」
正直に伝えればマルコスも現状を理解して、顔をハッとさせた後、今も熱を発する魔力の流れを少しずつどうにかして正していく。
「ごめんなさい、ラオは属性がこんがらがって偏ってたっけ。僕がうっかり忘れてたせいだ」
ちょっと取り返しのつく失敗をしただけなのに、マルコスは少なくとも少しは目に見えて落ち込む様子をしていた。
「ニャオ?(偏ってると駄目なのか?)」
気落ちしているマルコスには悪いが、それよりも魔力が絡まるとか偏るとかが初耳で気になる。
なんとなく今のマルコスの落ち込んでいる原因で、それを突っついて広げているんじゃないか、と途中で気がついたが気になるものは気になると、マルコスの言葉をまった。
「魔術以前の魔力操作の初歩で、属性には魔力を誘導したり、魔力の中で固まってるから、それに合わせて加減しなきゃいけないんだ。でもラオみたいに偏ってるのが普通で、僕は実は特殊で単純に属性の操作を失念してたよ。他の人には当たり前なんだけど」
「ニャウニャ(マルコスが特別なら仕方ない)」
「あはは、ありがとだけど僕の属性のことは秘密だよ。魔術師にとっては命に変えられない位大切なものだからね。ラオもむやみに教えないようにね。あっだんだんラオの視線も治ってきたかな」
マルコスの属性は聞いちゃまずかったか。
俺の属性についてだと、属性を教えたのはグレタさんしかいないけど、風属性だけだったはずだから大丈夫。
そして、俺から見てマルコスの後ろにいる者をマルコスが答えて実際に視覚と聴覚が伝わっているのを確認して、近くで様子を伺っていたシャーリー先生の声が聞こえた。
「全員ひとまずは出来ましたね。次の授業までには更に正確な操作を出来るようにしておいて下さい。では使い魔の召喚についてになります。魔法陣を使いますのでこちらに集まって下さい……円になるようにお願いしますね」
シャーリー先生はぞくぞくと目の前に集まる男性の学生に眉をひそめて言葉を足し、その指示に従って学生は踵を返して円を作った。
「魔法陣は古い召喚の魔術を現代魔術として再構築されたものになります。皆さんは大抵の人が初めてだと思いますので、どんな構成をしているのか見逃さないように。基礎となる部分は……」
学生達は魔法陣を見つめ、説明をするシャーリー先生の言葉に聞き入っている。
しかし、シャーリー先生は説明をしながらどこからともなく取り出した長い木の棒で魔法陣を描いているものの、俺にはそれが何を表すのか話を聞いてもさっぱりで気持ちいいほどに右から左に流れていく。
他の使い魔もたまに魔法陣を見て面白がったり、興味深そうにしているものもいるがほとんどはどうでもいいとそっぽを向いている者ばかりだ。
ちなみに、色のきついヒル人間は興味深そうに魔法陣を眺める頭の良さそうな側にいた。悔しい。
暇潰しに空を見上げて流れる雲の形を何かに例える遊びをする。
戦っているコゴブとマルコスっぽい雲を見つけたところで、辺りが緊張した身をほぐして微かに動くざわつきがあってシャーリー先生の喋り声が響く。
「ここまでに質問は……無いですね。それでは魔法陣自体は難しいものでも無いので使い魔の召喚に移ってください。失敗しそうになったら発動する前に魔法陣を崩して、発動した後なら諦めなさい。そもそもこの短距離とも言えない距離も召喚出来ない者が魔術師と呼べるのか疑問となりますか。では余裕をもって離れてからどうぞ」
シャーリー先生の挑発気味の言葉で一角の方がもっとざわつきが激しくなるが、予想通りか本を読んで全く相手にしていないシャーリー先生に威勢を失って静かな元通りになった。
「僕達も向こう辺りにしようか」
俺と一緒で騒がしかった他人を観察していたマルコスは動き出したので付いていく。
少し歩いて空いている場所に構えるとマルコスは懐から出した木の棒を魔術で伸ばし、ガリガリと地面に線を引いてあっという間に描ききった。
その形は理解できなかったので覚えは不確かでも、それはシャーリー先生が描いた魔法陣と同じに見える。
「それで後は魔力を流すと召喚されるらしいけど、ラオは準備良い。魔力は抑えて何もしないようにね」
「ニャ(分かった)」
魔力を抑えるの意味は方法が分からなくて感覚でやって返事してみたら、マルコスは大きく頷いてから魔法陣に手を当てて魔力を集中する。
マルコスから流れされる魔力は魔法陣の線に沿って走り、たまっていく魔力が多くなるほどにわずかながら発光を強めていく。
光に応じて魔力の高まりが見え、まだ弱い光だがこれ以上は魔法陣が持たないと思ったところで、急に目の前がまばたきするように暗くなってから大きくぐらついた。
「成功したね」
小さな異変に首を横に倒そうとしたが、何故か後ろからマルコスの声が聞こえたので振り向く。
やはりマルコスは居てようやく召喚されたかと、足元に目線を落とすとそこは魔法陣のど真ん中だった。
「なんかあっさりいったね。みんなも同じみたいだし、さっそく魔術の貸付かな」
「それでは次に移りますので、みなさんまた集まって下さい」
マルコスの言葉の直後、シャーリー先生の呼び集める声がした。




