学院の日常 二
マルコスと共に部屋に帰った。
マルコスは机の前に立ち、自分の羽織っていたローブから着けていた道具を置いてから慎重に脱ぎ、その土埃まみれの布を他の物に当てないようにしながらはげた木のようなものにかける。
「ラオは、なんか小綺麗で汚れてないね。僕はこのまま歩き回ってたら迷惑になっちゃうよ」
ローブは脱いだものの着替える様子の無いマルコスは、部屋の奥に並べられる箱を持ってきて道具を整理しながら言う。
それをを聞いてマルコスも汚いと思っていたのかと考えつつ、疲れでボーッとする頭を使ってかろうじてベッドに上がることはせず床に伏せる。
しかし、それをどうにかしようにも自室まで服の無く、俺は目立たないので無かったがマルコスは道すがら通りかかった他人のほとんどに嫌な顔をされていた。
帰ってきて間もないので比較的清潔な室内では外出の汚れは目立つ。
俺はグレタさんの獣の彫られた石で一度汚れを落としたが、マルコスは散々戦闘やら何やらをして地面にも寝っ転がされたことで、特にローブはひどいもので土埃や血の汚れが粘土のようになって薄くこびりつくところさえあってとても不潔だった。
ここからでも分かる背の高い器具だけでも、並べている道具はローブから取り出したものよりも多くなっていた。
時々机上に視線を落として止まっており、よく見ているとマルコスは容器や道具をあちこちから更に並び替えてペラペラと紙の束をめくる。
「頼んだ水はそろそろ来るんじゃ無いかな。終わったらご飯にしよう」
液体に何かを入れる音がしたり器に入った液体同士を混ぜたりして、長く机の前に立って作業していたマルコスがぽつりと喋る。
部屋に戻る途中、マルコスは通路にいた使用人の女性に声をかけ、名前と自室を伝えて水の魔石と桶、それと拭う布を持ってくるように言っていた。
それは確か一階での出来事で、使用人の女性は地味な格好の女性と薄く短く派手な格好をした女性の二人いて、一人がいち早く反応して早歩きをまでして大慌てな感じだった。
彼女の性格については知らないが異常に狼狽して無我夢中にやっている風に見えた気がする。
俺は使用人の彼女のおかしさはどうでもいいと感じ、マルコスも同じなのかその時は何も言わずに来たが、彼女がおかしかったなら問題を起こしてそれに巻き込まれることも無くは無い。
こちらには何も無くとも無駄に待つことは十分考えられるので、あの場では思い至らなかったが少しは気を使った方が良かったか。
今さらの心配はともあれ、俺達二人がここに着くまで寄り道はしていないもののまっすぐ歩いてきた。
彼女があの調子の歩みで水場まで行ってまっすぐ来たと考えて、マルコスの言ったようにもうそろそろ着いてもいい頃かもしれない。
コンコンコンコンッ
「失礼しますマルコス様。水の魔石と桶、手拭いを持って参りました」
四回扉を叩く音の後に、さっきの返答で聞いたばかりの彼女の声が聞こえた。
やはり何を思っているのか緊張しているらしく、押し殺してはいるが声に震えがある。
扉には鍵がかかっているので当然開かないが、マルコスはそこから動くことなく作業する手を止めずにいる。
彼女も待たされているしどうしようか、代わりに開けようか、だけど自分のやり方で開くのか、と本心ではまったくどうでもいいと思い、のっそりと立ち上がっていたが、マルコスが胸をそらすように少し振り向いて口を開いた。
「ラオフェン開けてきてくれない?触れてから頭の中で開くように思いながら口に出すと開くから」
「ニャオ(わかった)」
言われた通りに、というか一度やったことのあるように一度体で触れて、頭の中で開けと思いながらニャと言うと扉からカチッという音が鳴り、間があった後に扉が独りでに開かれて、大きめの桶を抱えた使用人の彼女がいた。
「マルコス様、魔石と桶と手拭いを持って参りました。どちらでお使いになられますか?」
彼女は気丈な性格らしく見た目には出していないが、どうしても緊張が消えないようで言葉は丁寧だが声は震えている。
それでも、開いた先にいた俺に気づくと少し安心して気がゆるんだように見えた。
「……その辺の床でいいから置いてて貰える」
作業に集中していたマルコスは待たせて、少し出来たのだろう余裕で一息ついて声だけをかける。
使用人の彼女はマルコスに声をかけられるまで一瞬茫然自失になっていたらしく、ハッと気がついてやけに体を震えさせながら桶を置き、帰るのかと思いきやまたなぜか立ち尽くしていた。
使用人には一々声をかけられる動いてはいけないという決まりがあるのか?
そうだとするとマルコスが帰るよう伝えるのが筋が通っているが、あいにくというほどでは無いがこっちの様子を見ていない。
代わりに俺が帰っていい旨を口出しして伝えるのが良いように思えるが、もし彼女が猫が喋ることに驚く人だったら更にややこしい状況にならないか?
「どうしたの?何かあったのかな」
ついに彼女がいつまでも動かないことに気がついたマルコスが声をかけた。
だが、彼女は全身を跳ねさせて驚いた後に顔を伏せる。
マルコスから逃げたつもりでそうなったと思うが、下にいる俺には今にも泣き出しそうな顔とばっちり相対していた。
色々とごちゃごちゃ考えているうちにマルコスが先に答えたが、それでも彼女はかなりびっくりしたので、もう何をしても驚く性格と納得するしかない。
それなら俺からも言うかと思い、一応魔力が分かるならとゆっくりはっきりと魔力を集中させてボイスを使った。
「カエラナイノカ?」
彼女は反応は鈍かったが魔力は分かるらしく、ボイスを使うまでこちらを見て首をひねっていたが、いざ俺がボイスを使うと緊張とは又違うもので驚かれた。
「えっ!?猫が?あっ……はい。失礼しました」
彼女は最後まで一人でわたわたし、変な騒がしさの残り香を置いて部屋を出ていった。
「ナンダッタンダ?」
結局、色んな違う顔色をしながらも大体驚いた表情をしていて、その気は無くても散々引っ掻き回してから何も分からない内に出ていってしまった。
彼女自身も理由は不明だが何かと被害者ではあったので、別に誰かを責めたいわけでは無いけどもやもやするものがある。
「大方早とちりしてたんでしょ。僕の伝えかたも変だったかもだけど、自分の無用心で一人慌ててるのはどうでもいいんだけど、巻き込まれる身としては滑稽ですら無いよね。嫌な噂立たないといいんだけどなあ」
マルコスも彼女と俺達の関係が分かってないと思っていたが、実は何かを察していたらしい。
しかし、あれでマルコスに嫌な噂が立つとは。
彼女が勝手に勘違いしていたとは考えられても、マルコスは一つも悪いことをしたようには見えなかったが。
少なからず事情を知っているマルコスに何がなんだか聞こうかとしたが、また無言になって慎重に作業をしているのが見えたので、俺も元の場所に戻って置かれた桶を眺めつつ横になった。
いつになればマルコスも動くんだ。と待つつもりでいたが、意外に早く、いま混ぜている液体に砂っぽいものを入れて終わったようで、奥に積み上がっている道具からそこそこある箱状の入れ物を取りこっちに来た。
そのまま桶に近づいたマルコスは中から水の魔石を手にとり、中の魔力を少し操作すると魔石から水が溢れ出す。
桶に溜まる水はあっという間に半分までになり、マルコスはその位でまた魔石の魔力を操作して水を止めて、机の上にあった粉を桶の水に少量振り掛けるようにして入れた。
水からは白い煙に似たものが大量にゆらりと立ち上ぼり出す。
それは煙のようだが、煙とは違ってすぐに宙に散ってしまっていた。
「ナニシタンダ?」
「なにって、見たまんまお湯だよ。水は体を洗うには冷たいよー」
服を脱いで汚れた服を箱に投げ込みながら言う。
お湯と言えば、微かな記憶の奥底のもので一度経験がある気がする。
それは温かい水で、雨とは全く違うものだったはずだ。
「ラオも洗ってあげようか?」
「イラナイ」
マルコスはふーんと残念そうな声を出したが、俺は獣の石でごみを取ってもらっているし、水に浸かるのは大嫌いだ。
しかし体を洗うのに温かい必要はあるのか。
冷たいのが嫌だから手間を惜しまずわざわざ水からお湯に変えているなら少し理解出来ない。
だが、俺の考えがそうであると言ってもマルコスがお湯を使うことをどうしても止めたいということではない。
俺はいっさいの服を脱いで手拭いをお湯に浸して体を拭うマルコスを、何の意味もなく見るのも嫌になってそっぽを向いて伏せた。
この次はご飯を食べにいくと言っていたが疲れたからか食欲は無く、無意味に待つのも勿体無くて眠りに落ちそうになっていた。
すると、扉が叩かれずに開かれる。
「おい、マルコス。お前絨毯を置いてい行ってたぞ」
全裸で体を拭うマルコスのいる部屋を開けたのは、妙にふわふわで小綺麗になっている巻いた絨毯を素手で肩に担いでいる同居人のロデリックだった。
「そういえば忘れてたよ、持たせてごめんね。それとなんだか遅かったけど。どうしたの」
全裸で体の隅々まで拭うマルコスは通路から見えているとわかっているはずなのに、恥ずかしがることは無く受け答える。
「先にお湯使ってたか。失礼、早く閉めないと問題になりそうだ。遅くなったのは、もう済ませて来たから良いんだが……フェリシー先生に大口鯨虫と白刃鳥の群れのことをすっかり伝え忘れていたからな。コゴブ達のことは省いたが先生を探すのに手間取っただけだ」
扉を閉めて言う内容は、ロデリックは気にしてないと分かるが苦労をしたように聞こえる。
言われてみれば、帰ってきてフェリシー先生のところに真っ直ぐ行ったが、フェリシー先生は俺達を見るなりナイフを受け取って紙にさっさと何かを書かせるとどこかに行ってしまった。
マルコスも同様に俺を連れてはいたといっても自分だけ先に帰って来たし、ロデリック一人で探しに行ったかは詳しく知らないが負担をかけたことになる。
「おーそれは……お湯は洗浄の魔術をちょちょいと使えばいいけどロデリックも使うでしょ?」
本人としては世話を焼かれっぱなしな話を聞き、マルコスは部屋の奥に絨毯を置いているロデリックに対して何か言おうとしたが途中で切った。
「ああ、俺も汚れは気になるからな。使おう。洗浄の魔術は俺も使えるから先に食事に行くと良い。ついでに片付けておこう」
「片付けまでさせちゃっていいの」
「俺も使う訳なんだ。気にするな」
二人は空気感の合った会話を進め、マルコスも着替えまで終わらせた。
「僕とラオも寄り道しないで戻ってくるから気は使わないで良いからね。それじゃぁ、ごゆっくり」
扉を先に抜けて俺を待つマルコスが軽く言う。
「お前がそう言うからには本気で言ってるのだろう。分かった、気は使わないことにするかな」
ロデリックもマルコスと同じく軽く返答をして、俺達も食堂に向かった。
「ロデリックは本当に気を使わないと思う?」
疑問で聞いてきたマルコスの言葉の端には面白がる雰囲気がある。
「タブン、ツカウ」
正直なところでは分からないが、マルコスが口にする程なら言ったことに反していたりすると思う。
「かなぁ。でも意外と違って分かんなかったりするのがロデリックなんだよね。どっちにしても、不確定なのは刺激になるから良いけど」
雑談もそこそこに食堂に着いてその調子で話は続けたが、俺は疲れで早く部屋に戻りたくて、マルコスも食事はすぐに終わらせる。
食事は前と変わらず使い魔用の餌と言っていた塊が出たが、疲れであまり食べ無かった。
「なんだ今日は早いな。まだ片付けてないぞ」
部屋に戻って見たのは、シャツにズボンの軽装でおそらく着替えてすぐと思われるロデリックだった。
「やっぱり片付けようとしてじゃん。あれ、ゆったりした格好。ロデリックは今日ご飯食べに行かないの?」
たしかにロデリックの格好はおかしいとは思わないが、学院内でほかに見たことのある服装ではなかった。
だが、それで食事さえ許されないとなれば、あまり気楽な格好は学院内を移動するには適さない規則があるようだ。
「明日の授業と急がないといけない研究資料のまとめが同時に来ている。今日は薬草ドリンクで徹夜だ」
取り出したのはまだ液体にされていない薬草の束だ。
晩御飯抜きかつあれで一夜を乗り切るのは無理をしてるように思う。
「アハハ、それは大変だ。僕も明日の授業でちょっとしなきゃならないことがあるんだけど。それまでは少しくらい手伝えるからね」
マルコスも大変だといって手伝いまで申し出る。
何気に特徴的だな、と思っている乾いたような曖昧な笑いまでしていて、ロデリックの言った徹夜はかなりつらいと今想像出来た。
「手伝わせて悪いが頼もしいな。今日までの疲れをいつまでも引きずるわけにはいかないから助かる」
ロデリックまで珍しく正直に助けを求めるとは本格的に辛そうだ。
「本当、今回の試験は大変だったね。ラオには明日も絶対に来てもらう授業があるからよろしく。それじゃ僕は水を捨てて来よっかな。ラオはおやすみなさい」
二人のやり取りに不安をおぼえて俺も出来ることはないかと考えたが、何か思い付く前にマルコスに寝るよう促されてしまう。
仕方ない。もとから手助けには俺自身が力不足なのは分かっている。
「ウン、オヤスミ」
そう思って眠ろうと口に出せば、さっきまでの協力しようかという考えは眠気によって押し流され初めていた。
マルコスの寝台に飛び乗って端で丸くなる。
今日はまどろみが無く、いつの間に意識を失うように熟睡した。
静寂の立ち込める暗闇の中、ゆらゆらと体を揺する感触が入り込んでくる。
「おはようラオ。さて、今日はわりかし重要な使い魔の授業が初めっからあるからラオにも起きて貰うよ」
起こそうと体を押してくるのはマルコスの腕だ。
疲れは無くても怠さはあり、昨日言われてはいたが億劫な気分が先立つ。
「今日も良い朝だね。ロデリックはいないけど食堂に行こう」
寝惚けた頭と体でもなんとかマルコスの言葉に従うことはでき、ふらつきながらマルコスを追って朝日の差す通路を食堂に向かって歩いた。




