コゴブとグァクバ 四
扉の先は又同じ扇状の形をした大きな部屋があり、連絡役が予備らしいゴブリンが十数匹いた。
「ギッ!ギャギャギャ……グギャワッ!」
ゴブリン達は現れたこちらを一斉に見る。
その内ひときわ大きい一個体が別の一匹に何かを伝え、奥の扉に去っていったのを確認してからこちらに襲いかかってきた。
「はぁっ、相手にするつもりは無いのになぁ」
ゴブリン達への同情と増えた仕事の愚痴の籠る嘆息をして魔力を手に集めて唱える。
「クトスバ、メャルタ、バプラ……ルエラ」
一度切って、一言唱えながら軽くあおぐように振るうと、紐のついた玉となって十数の人数分の玉がゆっくりと飛び出した。
勇ましく走っていたゴブリンは少し怖じ気づいた風になるが、その玉は動きが遅くて何も起こらないのを見て怒ったように荒々しく駆けてくる。
その玉はそれぞれを塞ぐように追尾していていて、一人のゴブリンが浮遊する玉の側までついて叩き落とそうとしたところでマルコスが口を開いた。
「エディボノア」
最後の詠唱と共に玉から網が発射されて、全てのゴブリン達を絡め取って丸い檻になった。
ゴブリンも抵抗はしているが網の見た目や動きをしていた筈が、檻の形になってからは幾ら激しく叩かれようともびくともしていない。
「はい終わり。この砦も一回網で把握するから……てっ、危ないっ!」
マルコスが焦って声を上げて入ってきた扉の方を向く。
それにつられて見ようとするが、振り向く前にエラルナミアの時に感じたベタつく魔力、空気が液体に変わったかと思うほどの強烈な水の属性の魔力が押し寄せたことで何が起きたかを把握した。
あの時は通路を埋めつくほどの水量でも重圧は感じなかった。
だが、それが苦痛を伴う倦怠感ともなれば、その襲い来るだろう脅威は想像を絶するものになると思われる。
扉の先に波のうねる轟音をあげて天井まで届いている水の壁が見え、逃げようと身を翻すとグレタさんの落ち着いた声が聞こえた。
「大丈夫ですよ。だって……」
グレタさんの言葉は目の前の濁流の音でかき消される。
しかし、ゴブリン達を含む部屋の全員が水に飲み込まれることは無かった。
部屋には未だに水が流れ込み、正面から激しい濁流が叩きつけられているのが見えているが、その濁流は正面に立つグレタさんを境に遮断されていた。
「ローズマリーさんだよね。敵味方見境無さすぎない」
「まあ、向こうにも事情があると思いますから。それよりも急ぎませんか?」
会話をしている二人だが、グレタさんの手には円盤が握られていてそのお陰だと分かった。
しかし、それよりも後ろのゴブリン達がグギャグギャと煩くて仕方ない。
グレタさんの言うように波を気にしないで済むなら先を急ぎたい。
抗議の証に、グレタさんの言葉が聞こえないのかゴブリンの叫びを止めようと近づいていくマルコスに、背中から飛び付いて邪魔をする。
「えっなに、なんだラオフェンかぁ」
「サキニススモウ」
「そうだったそうだった。クトスバ・ウォ・ネブ」
正気に戻ったマルコスは、ゴブリンにぶつけようと集めていた魔力を網に変えて濁流を障害にせず広げた。
少し広いらしく、これまでとは違って険しい顔を首を捻りながら網を操作しており、流れてくる波の強さが弱まった頃に苦虫を噛む一歩手前、口に放り込まれた位の不満そうな表情でパッとこっちを向く。
「おかしい。三階まである分かったけど一番最後の部屋に入ろうとした糸が切られた上にそれきり閉じられた。場所は分かったけど何をされたのか気づけ無かったのは不味いかな」
マルコスが糸を切られたと言う部分でグレタさんも驚いた顔をして、顔を伏せて考えながら口を開く。
「マルコスさんの魔力が切られるなんて高度な技術を所持していますね。しかしそれなら余計に石碑を持っていった理由が謎になるようですが」
「ただ、魔術以外の技術で魔力と対抗するなら障気があるけど。そこまで行くと見てみないと分かんないね」
「とにかく到着する前に消費してしまうのは避けたいので今のうちに進みましょうか。マルコスさん先導をお願いしますね。ラオフェンさんは離れないように」
グレタさんの提案に従い、全員で固まって歩きだした。
「でも、浸水は一階で終わりでゴブリンも残り少ないね。一直線で突き抜けるけど良いかな」
「それならそうしましょう」
言葉通り、道中はマルコスが先導するがゴブリン達を避けることは無く、小規模な群れと頻繁にぶつかった。
だが、マルコスが扉を抜ける度に即座に弾丸を放ち一人で対処してしまうので、ほとんど障害が無く三階に上がって目的の部屋の前までまでたどり着いた。
結局、元の構造から三階に上がるまで砦にある部屋をほとんど通ることになる長い道のりになった。
「そうだ一つ、多分この部屋は二部屋をぶち抜いた形で広いと思うけど、ラオフェンは僕とグレタさんのどっちについていく?」
「マルコスニスル」
「はよう入らんのか」
少し言葉を交わして足踏みをしていると、きちんと閉じられている扉から何故かよく響くしゃがれ声がかかる。
「呼ばれちゃったね。それじゃ、失礼しまーすっ」
呆気に取られた三人だが、マルコスはブーストをして魔力をみなぎらせて、注意しながらも自然体で扉を押し開けた。
採光窓が少ないせいで室内は昼間なのに薄暗く、奥が少し霞んで見えにくいことから他の部屋に比べて広いことが分かりおよそ二倍、更には天井も同じく倍は高い。
「いらっしゃいよニンゲンさん達。報告には聞いたがお仲間が暴れまくって大変だそうじゃわい。どうするつもりかはあるのかね?」
喋っているのは小さな影で、しゃがれて響く声からさっきのゴブリンだろう。
ゴブリンは二人いてこちらに向けて並び陣取っている。
部屋の中央にいたのは花の冠をしたよぼよぼで老いた風のゴブリンと、二メートルは超える筋骨隆々で巌のような巨漢のゴブリンの二匹だった。
巨漢のゴブリンが長鋭い牙を剥いて長く裂けた口を開き、凶相をもっと恐ろしげに変えて喋った。
「ガッハッハッ、こいつらつえぇなぁっと。オマエらが最近此処等を騒がす化けモンか。あいやそれはバカデケェ芋虫だったか?」
見た目は威圧的に恐怖を与えるが頭の方はあまりよくないらしい。
横にいた老ゴブリンも、せっかくの雰囲気をと言わんばかりに脛を殴って声を張り上げた。
「当たり前じゃボケ!お主は体ばかり大きくして頭の中はすっからかんなんじゃないのかいな。それは鯨の頭に芋虫と何度言ったら分かるんじゃ!?」
「グァクバ老……そのクジラ?のことは聞き飽いたぜ。だいたいでっかい水溜まりが信じらんねーのに、その水溜まりにいる奴の頭を持ってる芋虫とか意味分からんだろ」
「だからお主は馬鹿じゃというんじゃ。魔物に意味が分からないとはまず自分の顔と体を見てから言ぇい!そうやってワケわからん奴が生まれるんじゃと教えてやったじゃろうが!」
「だれが化けモンだボケジジイ!!」
「誰がボケじゃこのクソボケが!!わしは長老じゃぞ!長老に向かってジジイとは何事じゃ!!」
「んなこと言ったら俺だってキングだぞ!老いちまった長老は引っ込んでろ!」
異様なゴブリンのような何かは俺たちを無視して勝手に喧嘩を始める。
こいつらは何がしたいんだ。と思っていたがマルコスはむしろ違うことが気になったようで、こっちもこっちで腕を組んで考え込んでいた。
「鯨頭に芋虫の体……大型の正体は大口鯨虫か?それが真実なら僕らには手が余るぞ。ゴブリンの相手なんかしていられない」
マルコスがそう呟いた直後、身長差で不恰好な掴み合いになっていたゴブリンで、巨漢のゴブリンが怒りの矛先を変えてマルコスを睨み付ける。
「おいおいおいおい、なぁにがゴブリンの相手はしてられんだよ雑魚ニンゲンがよぉ。そんなに芋虫野郎が心配なら俺に任せな。お前を殺した後にしっかり芋虫もぶっ殺してやっから」
ゴブリンの勢い任せな挑発と言えない挑発にマルコスは笑い、魔力を集中させて組んでいた腕をほどいてかまえる。
「やれるならどうぞ。だけど僕が勝つよ。グレタさんはそっちをよろしく」
マルコスと巨漢のゴブリンは視線を合わせてにらみ合いになったため、俺もマルコスの隣に立ち、グレタさんは老ゴブリンに話しかけた。
「わたしはグレタと申します。どうぞよろしく」
巨漢のゴブリンよりも挑発らしく聞こえる自己紹介をしたグレタさんに、老ゴブリンも臆さず笑顔になる。
「わしはグァクバと言う。長老じゃ。少しばっかり相手を頼むかの。ほれっ!お前も戦士ならば挨拶をせぬか!」
名乗ったグァクバは、今か今かと姿勢を低くして構えていた巨漢のゴブリンの腿を摘まんで叱り、巨漢のゴブリンも痛がらないが嫌そうに名乗る。
「コゴブだ。我が氏族のキングである」
「僕はマルコスだ。捻ってやろう木偶の坊」
マルコスの言葉にコゴブが飛び上がった。
重厚な巨体が石の床を砕き、高々と跳躍したコゴブは足を天井につけ、蹴った勢いで急降下して踏み潰す動きで片足で前蹴りを繰り出す。
狙われたマルコスは弾丸の雨でコゴブを押し、腕で防いで真正面から受けきる。
コゴブが笑って腕を振り上げたところで、死角を取るように俺も駆けだした。
グレタさんとグァクバもゆっくりと向かって歩み、全員の戦闘が始まった。




