誘拐犯と猫又 一
図形に吸い込まれた直後、黒猫は五感や意識が曖昧に感じる空間に投げ出されていた。
最初は自分が消える感覚に恐怖を感じてなんとか逃げ出そうともがいたが、だんだんとその気持ちさえ曖昧となり、空間に溶けてしまいそうな眠気の中で唯一自身を繋ぎ止めている引っ張るのような力に流されるままになった。
どのくらいか流されて少し経った頃、同じく漂っていたらしい何かと激しくぶつかって混ざった感覚があった。
黒猫は混ざった時に抵抗感のあった薄い人格のようなものがぶつかった拍子に消えたのを感じていると、その何かのお陰か徐々に意識がはっきりしてくる。
感覚が戻ったところで周りを見渡すと、力の流れにも色と形があるのが分かり、よく観察すると奥の方に吸い込まれる時にも見た奇妙な図形があるのが見えた。
黒猫は何かは分からないがこの空間から出る手掛かりだと思って、意識と共に形を取り戻しつつある体で色も形もある力の流れに爪をたてる。
力の流れにしがみついて待っていると、やはり力の流れは図形から来ているらしく図形が近づいてきた。
図形の先に何があるかは知らないが敵だろうが何だろうが絶対に引っ掻いてやろうと決め、ついに図形に目と鼻の先まで接近すると、またしてもそのまま図形に飲み込まれていった。
図形を潜るとその先は強い光に満ちており、黒猫は突然の光に目が眩んでふらついて伏せる。
黒猫が伏せていると、すぐそばから人の声が聞こえた。
「マルコス、おめでとう。使い魔召喚は成功だ」
ぶっきらぼうな言葉だがとても優しい女性の声が聞こえ、それに応えてもう一つの声がする。
「あぁ、うん、ありがとうフリーダ。でも、今日は凄く疲れたかな」
応えた声は男性のもので、黒猫は何となく情けない感じがするなと思った
「それは何度も失敗してたからだろう。でも本当にお疲れ様だ。しかし、な……疲れているかも知れないがさっさと召喚した使い魔と契約しろ。召喚したのに逃げられたら失敗どころか事件になるかもしれないぞ」
「あっ、そうだね。やっと召喚したのにまた失敗にするわけにはいかない」
女性が男性に注意をする声がし、男性は慌てるように応えて一つ、フンスッと気合いを入れる声が聞こえ、男性のいる方からゴソゴソと布のすれる音がなる。
黒猫は何故か人間の喋っていることが理解出来ていたが、とにかくこの男が誘拐した犯人だということを分かって興奮していた。
黒猫はようやく視力が戻って、まだゴソゴソとしている男をはっきりと見据えると制服と呼ばれる服に似る服装に外套を羽織っている姿で、探し物が見つからないらしく、黒猫に対して頭を間抜けにさらしながら外套の裏に手を突っ込んでいる。
黒猫はいつもより体の調子が良い気がして一息に跳んでいけると確信し、顔を無茶苦茶に引っ掻いてやるために男の頭に向かって素早く跳躍した。
「マルコスっ!前!!」
男の後ろからもう一人いた人間が叫んでいたが、むしろ下げていた顔が正面を向いたことで引っ掻き易くなる。
「うわぁっ!?」
驚きで固まった男の男の頭に爪を食い込ませてしっかりつかむと、後ろ足で思いっ切り何度も引っ掻く。
「痛たたた!?痛い痛い!フリーダ、取って取って!!」
男は慌てていて叫ぶばかりで何もしてこないので何度も何度も引っ掻く。
怒りに任せて夢中に引っ掻いていると背中から首をつかまれてひょいと持ち上げられた。
「マルコス、大丈夫か?ただの猫じゃないか」
「いった~……ごめん、突然のことでびっくりしてた。ありがとう」
「このくらい自分でどうにかしろ。分かったなら早く契約具を出せ。後、契約具は外套の内側じゃなくて左の袖の裏に入れてたろ」
「あぁ、そうだった。ありがとう」
男は何でも女に面倒をみられて、ようやく白い宝石のような契約具とやらを取り出し、宝石を両手で握りこむと何かよく分からない言葉をゴニョゴニョと紡ぎだす。
男のことは無視し、身動いでみるが女に首をがっちりつまみ上げられていて逃げられそうにない。
ここまでかと力を抜いて落ち着いてみると、さっきの自身の跳躍した高さやしっぽの感覚がおかしなことに気づいた。
どういうことだ。と尻尾を前の方に持ち上げて覗き込むと、一本しかないはずの尻尾が二本も生えていて、自分の意思に従ってゆらゆら揺れていた。
黒猫が驚いて確認のために尻尾を振っていると、男が言葉を終えて黒猫の額に向かって宝石を押し付ける。
宝石はなんの抵抗も無く黒猫の額に半分ほどまで収まり、男がもう一度ゴニョゴニョと言うと宝石が淡く光って宝石から力が流れてくる。
力の流れと同時に黒猫の頭に使い魔契約により出来ることが知識として入り、黒猫に起きたことや魔法陣という図形のことが分かる。
そして、黒猫は初めてこれまでの儀式が「野良の生物を限定し」無理矢理誘拐して使い魔として契約するものだと知った。
「よし、成功だ。本当にありがとうフリーダ」
「そうか、私もようやく安心出来るよ」
「ナーオゥア?ニァーーウォア!?(使い魔?どういうことだ!?)」
「あぁ、ようやく黒猫さんの言葉が分かるよ。これから君の名前は『ラオフェン』だからね。よろしくラオ」
顔を傷だらけにした情けない男が飼い主面して名付けまでしてくる。
「ニャーッ、ニァーーウォウアーー!?(なんだお前、意外と図々しいな!?)」
「やっと猫らしく鳴いたな。仲が良いみたいで安心したよ。ラオフェン、これからマルコスをよろしく頼む」
「ニャウアー!(知るかよ!)」
「アッハッハ。ラオ面白いね」
魔術学院の一角の儀式場で、地球の日本産の妙に人間臭い猫又の、混乱の末に出た妙に人間臭い鳴き声が響いていた。