零話 日本にて
黒猫は一匹、人通りの無い早朝の住宅地をぽつぽつと歩いていた。
この朝の散歩は黒猫の日課で、目的は特に決めて無いが一応は縄張りの確認と知り合いとの挨拶の二つをしていて、大抵は事件も出会いも何もなくて長い散歩と挨拶をするだけで終わっている。
しかし、その日はいつもと大きく違った。
三又に十字の分かれ道をいつものルートをたどって何度目か、黒猫は小鳥の気配しか感じない静かな道を急がずゆったりと進む。
この先曲がるとは更に狭いが、古く風情のある家々に挟まれた路地があり、そこには同じこんな早朝に散歩をしていて少しだけ相手をしてくれるお爺さんがいる。
黒猫はお爺さんの撫でる手を思い出し、心なしか歩調をぽつぽつからするすると変え、今日も待ってましたと道を曲がって路地に入ったその瞬間。
黒猫はいつの間にか奇妙な文字で埋め尽くされた円の図形の上に立っていた。
驚きで逃げる間も鳴く声をあげる間も無く、前方にあのお爺さんの姿を探そうと首を捻るうちに図形に吸い込まれていき、もうその場所に黒猫の姿は無かった。
狭い路地の先には、怪現象の一部始終を見ていたお爺さんがおり、黒猫の消えた場所を驚きの表情で固まって見ている。
少しして深くため息つくと、お爺さんは黒猫に別れを告げられなかったことを気掛かりだと思いつつ、一つ寂しくなった町を惜しみながら朝の散歩を続けるために歩き出した。