6.悪夢の刃
暗闇の意識に笛の音がとおく響きわたり、目を覚ました。澄んだ高音でありながら、どこか素朴で民族的な雰囲気のする音色だった。その音がどこから聞こえてくるのか確かめようと首を振る。
視界には草原が一面にひろがっていた。鮮やかな緑に彩られたなだらかな丘陵。ときおり風がふいては草花が手を振るようにそよぐ。
体を動かそうとしたができなかった。丸太で組まれた十字架の柱に両腕をひろげた状態で押しつけられて拘束されている。両手足を縛っているのが鉄線でなく、荒縄であったのはまだ良心的だろうか。
何とか抜け出そうともがいてる間も笛の音は鳴りひびいていた。どうやらそれは頭の上から聞こえるようだ。一旦、動きをとめ上を向いた。雲の群れと青い空。他には何もなく、音の出どころはわからない。
ずん、ずん、と地面が揺れだした。前を向く。息が詰まった。ある丘の上から顔があらわれたからだ。
それは額に2本ねじれたツノが生えた巨大な顔だった。包帯で覆われていて表情はうかがいしれないが、明らかに化け物だろう。それは鬼にみえた。鬼の顔がどんどんせりあがっていき、徐々に姿があらわになっていく。
顔の下からは赤くてどっしりとした体。茶褐色によごれた腰布が巻かれている。両手にそれぞれ銀色の何かをもっていた。大股でこちらへ歩みよるたびに地面を揺らしていく。
赤い鬼が止まる。すでに目の前だ。こちらを見下ろしている。近くで見るとより手足が丸太のように大きく見え、おもわず息を飲む。
手元にもっていたものが何か確認した。左手にナイフ、右手にハサミをもっている。僕の顔よりも刃は大きいが、鬼の巨大な手でにぎられているとやけに小さく感じた。
鬼はぬくもりのない瞳でこちらを見くだしたまま、左ほほにハサミを当ててきた。肌に冷たい刃がはりつき、口もとや首すじがこわばる。
「君のせいだよ、早川くん」
鬼がいった。はっとする。知っている声。
「君のせいだよ、早川くん」
「僕の、せい?」
「そう。僕が誰かもう分かるでしょ?」
沈黙。鬼は返事を待っていた。意を決して言った。
「鳴田……」
「あたり」
景色が陽炎のようにゆらめく。変化していく。
そこは階段の踊り場だった。窓ガラスから西日に照らされたこの場所を僕は知っている。そこは僕が通っていた波起中学校。屋上へ向かう踊り場だった。踊り場の大きさにあわせて十字架もいくぶんか縮んだ。
鬼の顔にある包帯がひとりでに動いてほどけだす。ほどけおえた後に現れたのは、中学の同級生の鳴田の顔だった。たまらず目をそらした。
「なんで僕を見殺しにしたの?」
ハサミが開いて、閉じる。鉄の冷たさがほほをすべって首へ移った。ハサミが上下にゆれ、ぐにぐにと首の肉が動く。
「卑怯者。弱虫。臆病者。なんで助けてくれなかった。なんで……」
「ごめん」
ハサミが止まる。
「ごめん?それで?……それで許されると思ってるのか!」
鳴田は巨大な牙を見せつけるように顔をゆがむ。さらにその顔はいつのまにか血が塗りたくられて真っ赤になっていた。ずいっと血まみれの顔が近づく。額にあるツノが僕の髪をかすめる。
「思ってないよ……僕は、君に殺されても仕方がないと思っている。殺したいなら殺せ」
「そうか、わかった。君は自分が死ねばつぐなえると思ってるんだ」
なら、死ね。といつのまにか逆手ににぎられたハサミが頭上高くへあげられた。彼に殺されよう。僕は目をつぶった。
そして──うめき声が聞こえて床がかすかに揺れた。何があった?目を開けた先で鬼がひざまずいて体をうつむかせていた。彼の足もとをみると、右の太ももに細長い棒が突き刺さっていた。僕のおしりには鳥の羽のようなものがくっついてる。
見たことないがわかる。これは弓矢の矢だ。そう理解したとき、
「生きてるの?」
階段の下から声がした。今日何度も聞いた声。上へあがる階段側の壁際で拘束されていたからその姿は見えない。僕は声を張りあげた。
「白玉さん!」
僕の声に反応して鬼と化した鳴田は叫ぶ。いや、違った。彼はナイフを落として空になった左手を首にあてていた。そこにも脚と同じつくりをした矢がささっていた。
苦しみあえぐ鳴田に夢中になっていた僕の視界をさえぎるように白玉さんはあらわれた。僕の顔を一目みてから、背を向けた。
彼女の服装は部屋で見たものと同じ和装であったが、右手に弓を握りしめ、左腰に刀をたずさえている。
「これがあなたの夢鬼なの」
彼女がそう言うと、右手の弓が淡く輝きだした。泡のような光を放ちながら空気にとけこむように消えていった。不思議な光景だったが、彼女は意にかいさず、そのまま腰の刀をためらいなく抜いた。窓から射しこむ光をうけて刀身が光る。
白玉さんは刀を肩に寝かせて前に進む。その動きに気づき、右手のハサミをかかげて起きあがった鬼の上体を袈裟がけに切り裂いた。刀を寝かせた状態から振り下ろすまでの動きは見えていない。彼女の姿勢と鬼の左肩から右脇腹にかけて刻まれた深い傷跡と大量の出血により、そう判断した。
鬼の体が倒れて校舎の壁に激突する。そのままずるずると崩れ落ちた。
「し、死んだの?」
「意識はあるの。長くはないの」
白玉さんが僕のほうへくると、血がついた刀で手足を縛る縄を切ってくれた。僕は両手をさすりながら力なく伏している鬼に近づいた。
「鳴田、ごめん」
鳴田がゆっくりとこちらを向く。その表情に僕はあっとなった。困ったような泣き出しそうな顔だった。その顔は2年前ちょうどこの踊り場で見た顔と同じだった。彼は何かいいたそうにして、そのままがくりと頭が落ちる。それっきり彼は動かなくなった。
大変執筆が遅くなって申し訳ないです。
これからもマイペースで執筆させていただくために文章の量を少し減らそうと思います。
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