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4.事実は悪夢より奇なり

 そこでようやく、僕は目覚めた。


 寝汗が酷く、背中に服が張りついていた。口もからからだ。酷い夢を見たあとはいつもこんな感じになる。


 しかし、そういう夢を二夜連続で見たのは初めてだ。しかも、今回の夢は、これまでのように身動きがとれない状態で殺されたのではなく、結果的には自分から死を選んだだけに、寝覚めの悪さが格別だった。


 捕まった木が呆気なく引っこ抜けたり、希望の光が見えた後に死んでしまったりしたことも、仮に僕の未来を示唆しているのだとしたら、まさしく最悪としかいえないだろう。


 頭を押さえて、深く息をついた。


 悪夢というのは、どうしてこうも人の心を執拗しつようにえぐるのか。酷く気が重かった。現実にすら嫌気を感じる。


 だからこそ、信じたいのかもしれない。人に見せられない内なる苦痛を読み取ってくれたあの少女を。


 正直、初対面の人間を信用するのは無用心で浅慮せんりょだろう。しかし、彼女なら何とかしてくれる。何故か僕はそう感じていた。


 重たい心を希望で奮い立たせて、ベッドから起き上がった。ひとまず、汗にまみれた体を洗わなければと思い、風呂に入った。


 入浴を済ませた僕は、そこで心とはうらはらに体の調子が良いことに気づいた。どうやら早めに眠れたことが功を奏したようだ。最近は全身が気だるく、あくびが絶えない状態が当然という感覚でいただけに、すっきりとした目に新鮮さを感じた。フレッシュマコト。


 まだ早い時間だったが、はやる気持ちに身を任せて僕は学校へ行く身支度を整えはじめる。朝の支度が進むごとに胸が高鳴っていく。


「あ、お兄ちゃん。今日はいつもより早いんだね。何か用事あるの?」


 戦地へ行くような心持ちで靴を履いていた僕に、後ろから詩音がそう聞いてきた。振り返らずに僕は答えた。


「あるのかもしれないし、無いのかもしれない。今はただひたすらに道を行くだけだよ」


「え、なに。お兄ちゃん、大丈夫?」


「用事があればまた連絡する。それじゃ、いってくるよ」


 妹の心配を背に、僕は勢いよく外への扉を開いた。この先に広がる新たな景色に期待して。


 外はどしゃ降りの雨だった。僕は傘を持って外に出た。幸先が悪い。




 湿った空気と靴下に不快感を覚えながら、教室へたどり着くと、真っ先に左端の最後列を見た。人がまばらに見えるなか、白玉飛鳥はその奥にいた。


 彼女は本を読んでいた。相変わらず眠たそうな顔であったが、昨日と違い、白い長袖シャツ姿であった。やはり6月にあの上着は暑かったのだろう。


 僕は白玉飛鳥のもとへ歩み寄った。ゆっくりと机のそばまで近寄ると、彼女は僕の方へ振り向いた。今度は表情が豹変せずにぼんやりとしたままの目をこちらに向けてきた。


 背中から嫌な汗が流れ落ちる。口も少し乾いてきた。彼女へ聞きたいことはあったが、どう言えばいいのか思いつかない。


「あ……白玉さん、おはよう」


 とりあえず挨拶すると、彼女は黙って頭を下げ、再び本を読み始めた。よく見ると、微妙ながらも口元が上がっているように見える。気になった僕は彼女が持っている本を指差す。


「その本は?」


「落語の本なの」


 喋り方は子供っぽいのに、センスは存外に渋い。


「へー、落語かー。ちなみに今読んでいるのは何ていう話?」


「夢の酒なの」


 聞いたことのない話である。といっても落語なんてまんじゅう怖いぐらいしか知らないが。


 しかし、夢という言葉がとても気になったので、今度は本の内容を聞こうとして、後ろから、すみません、と呼びかけられた。振り向く。眼鏡をかけた女子生徒が苦い顔で立っていた。


「あ、ごめん。白玉さん、それじゃ」


 自分が彼女の着席の邪魔になっているのだと気づき、その場から離れる。そして、そのまま自分の席に戻ろうとしたそのとき、シャツの裾をつままれた。驚いて白玉さんの方を見る。


「放課後ついてきてほしいの」


 それだけ言うと、ぱっと彼女は裾から手を離し、再び本に手をつけた。僕は何か言おうとしたが、またしても言葉が見つからず、改めて席へ戻ることにした。




 あれから、白玉さんが僕に接触することはなかった。彼女は休み時間になる度に、急にふらっと教室を出て、チャイム間際にようやく戻ってきていた。昨日はずっと自分の席にいて、今朝も大人しく本を読んでいたのに、その後はえらく活動的である。


 無性にその行動が気になり、後をつけようかとも思ったが、さすがにまだ親しいといえない間柄なので、やめておいた。恋するうぶな少年かストーカーだと思われかねない。特に前者は僕らしくないので、なおさらそう思われたくなかった。


「なあなあ、あの子にずいぶんお熱やん。なんや自分惚れたん? 今日いつもよりテンション高いし、そうなんやろー?」


 授業が終わって、教室を出る彼女を眺めていた僕を見かねたのか、高崎がにやけた顔でそう聞いてきた。うざいので、僕は照れたそぶりで言った。


「そ、そんなんじゃないから。べ、別にあなたのことなんてゴミ虫だと思っている訳じゃないんだからね!」


「なんでツンデレみたいに言ってんねん。てか、俺のことちゃうし、言ってること酷いわ!」


「じゃあ、正直に言うよ。あなたのことゴミ虫だと思ってる!」


「お前しまいには絶交すんぞ!」


 休憩中と昼休みは友人とこんな風に馬鹿なことを喋り、授業は穏便に済ませているうちに時間は進んでいき、とうとう6限目が終わった。どくん、と胸の鼓動を感じた。


 「えー、以上で終礼を終了いたします。みなさん、気をつけてお帰りください。それではさようなら」


 葛西先生のホームルームという今この世で一番必要のない時間も終わり、僕は荷物をつかみながら、真っ先に白玉さんの方を見た。彼女は鞄と傘を持って立ち上がり、こちらへ近づいてきた。どくんどくん。鼓動が強く響く。


 白玉さんは何も言わずにそのまま僕の後ろを通り抜け、教室を出ていった。僕はひやかす友人に別れを言い、すぐに少女の後を追いかけた。




 雨粒がぱらぱらと傘や地面を叩く。鉛のような雨雲が空をおおうなか、僕はひたすら赤い傘を追いかける。


 学校を抜けて、すでに相当な時間が経っていた。飲食店や雑居ビルなどがある、にぎやかな街道からは離れ、空き地や民家が目立つ静かな路地を歩いている。


 道中は互いに無言であった。雨がそうさせているのだろうか、不思議と会話をする気にならない。ときどき白玉さんが、ちらり、と振り返ってはまた向き直るのみであった。


「ここなの」


 そう言って、白玉さんが案内してくれたのは、2階建ての白いアパートだった。空模様のせいで鮮明には見えないが、築年数はまだ新しそうである。


「濡れて滑るから気をつけるの」


 彼女はきゅっきゅっと階段を上っていき、折りたたんだ傘を手前の部屋のそばに立てかけた。その部屋を開錠し、中に入っていく。僕も同じように傘を置き、彼女へ続いた。


 玄関の隅にかばんを横たわらせ、明かりのついた部屋の中へ足を踏み入れると、そこはフローリングの一室であった。中央には木製のテーブルが置いてあり、その奥に白玉さんは座った。


 僕は対面に置いてある座布団へ腰かける。彼女と同じように正座してみたが、お見合いみたいだと感じ、すぐに足を崩した。


「何か飲むの? 持ってくるの」


「いや、お構い無く。……ここって白玉さんの家?」


「そうなの。学校へ行くための家なの」


「へー、そうなんだ」


 そのまま会話は途切れてしまった。沈黙が訪れる。雨の音と、彼女がかけたのであろう空調の音に耳をかたむけながら、僕は辺りを見回した。


 部屋の広さは感覚的に8畳ほどだろうか。彼女の背後からベランダへ通じている窓ガラスが見える。


 部屋には、ベッドやタンス以外には特にめぼしい家具類が見当たらなかった。テレビすらない。


 無駄な物はおろか必要そうな物も全くといっていいほど置かれておらず、テーブルの上にティッシュ箱がぽつんとのっているだけである。


 殺風景というより、生活感が感じられない部屋だ。モデルルームに座布団だけを敷いたら、こんな感じになるのではないだろうか。


「トイレなら入口のところにあるの」


 テーブルのそばにある中身の無いゴミ箱を覗いているとき、部屋の主にそう声を投げかけられた。


「いや、トイレは大丈夫だよ」


「そこでされると困るの」


「うん、それは分かってる。部屋がちょっと気になって見ていただけだよ」


 そのまま黙っていると、顔に血がどんどん上っていった。可愛い女の子に尿意をもよおしていると思われるのは、相当気恥ずかしかったようだ。あるいは、自分の内面を察したことのある彼女だからこそ、こんなにも羞恥してしまうのかもしれない。


 なんとか気を紛らわすためにも何か話すべきだと考え、ふと、今なら学校で聞けなかったことが聞けるのではないかと思うに至った。意を決して尋ねる。


「……そういえば、白玉さんはどうして僕が怖い夢を見ていると分かったの?」


 白玉さんは眠たそうな目で僕の顔をじっと見つめていた。観察されているようで妙に居心地が悪かった。そう感じていると、彼女はいつも通りの口調で言葉を発した。



「わたしにはムエンが見えるの」


 ムエン、と僕が言葉を飲み込むためにつぶやくと、彼女は続けて言った。


「ムエンは夢の気なの。人の体から見える夢の気が煙みたいだから、ムエンなの」


 夢煙むえん、ということだろうか。全くピンとこない話であったが、今は話を進めてみることにした。


「じゃあ、白玉さんは僕の体からも、その夢煙というのが見えて、怖い夢を見ていると?」


「あなたからはとても濁った夢煙が見えるの。おそらくムキなの」


「ムキ?」


 彼女は少し間を空けて答えた。


「……ムキは夢の中で怖いものを見せるの。キは鬼のこと」


 夢の鬼だから、夢鬼むきなのか。ようやく何となく話が分かってきた気がする。僕は自分なりに解釈してみた。


「つまり、僕が悪い夢を見るのは、夢鬼とかいうやつが僕の中にいるからということか。それで、悪夢を見なくするためには、その夢鬼を何とかすればいいってこと?」


「ひとまずはそういうことなの。私があなたの夢鬼を払いのけるの」


「なるほど」


 正直、現実的と言える話ではないし、白玉さんに騙されているという可能性も否めないが、先日の彼女を見た後だと妙に納得できた。まだ詳しいことを聞いていないが、特に危険なことや悪徳商法などでなければ、試しに身を委ねてみようか。


 そう思った矢先、あることが引っかかった。僕は聞いてみる。


「そういえば、白玉さん。僕の夢鬼とやらを払いのけることに対する見返りなんかはないの? 例えば、お金とか」


 もしも、何か売りつけてきたら、変な壺ぐらいなら買ってしまうかもしれない。僕の質問に白玉さんがくすっと笑った。まさかもっと高い物を買わせる気か。僕は心の中で身構えた。


「お金はいらないの。夢鬼をもらうの」


 どういうことであろうか。夢鬼とは僕の悪夢を引き起こしているものじゃなかったのか。さっきまで話を理解しかけていたのに、また掴めなくなっていた。


「夢鬼をもらうってどういうこと?」


 その質問に白玉さんはしばらく考え込むように上を見た。そして、唐突に言った。



ばくは悪夢をもらうの。悪夢は夢鬼なの」


「……バクってあの悪夢を喰うっていう?」


 僕の言葉に、そうなの、と白玉さんはうなづく。そして、こう続けた。


「わたし、ばくなの」


 いよいよ頭がおかしくなりそうだった。


 ばくというのは、中国から伝来した妖怪で、悪夢を喰うとされている生き物だ。


 昨日の「悪夢を食べる」という彼女の発言が妙に気になり、携帯電話で検索して、この獏の存在を知った。ちなみに、今も検索履歴には、下から『悪夢を食べる』『獏 妖怪』『獏 擬人化 萌え』という言葉が鮮明に残っていることだろう。


 だから、彼女の口から唐突に獏という言葉が出てきても、驚きは感じなかった。しかし、それを信じるかどうかは別の話だ。


「いや、だって君はどうみても人間じゃないか。……まさか、人間に化けているとでも?」


 苦笑いを浮かべて冷静に言ったつもりだが、声がうわずっていた。そんな僕の言葉に、彼女は首を振った。


「わたしは人間なの。けれど、獏の力を持っているの」


 話が何やら怪しい方向へ進んでいないだろうか。思わず僕は声を震わせた。


「ば、獏の力?」


 白玉さんはこくりとうなずいた。


「獏の力は夢を操る力なの。それであなたの夢鬼を取り除くの」


「……は、はあ」


 もはや、僕の頭は理解を放棄した。これなら、先祖の念が云々、この壺を云々、と言ってくれた方がまだ受け入れられた。


 そんな僕をよそに、白玉さんは言う。


「あなたの夢煙を見るかぎり、夢鬼も相当強大なの。だから、妹にも手助けしてもらうことにしたの。もうすぐ来るの」


 ああ、なるほど。もうどうにでもなればいいよ。思考をやめた頭で投げやりに思っていると、ふいに、インターホンが聞こえた。続いて、ノックが3回。


 来たの、と、白玉さんは立ち上がり、とことこと入口へ向かった。


 彼女がこちらの横を通りすぎたあとで、僕はため息をついた。


 誰なのだ。彼女なら何とかしてくれると思った奴は。今までの話を丸々聞かなかったことにして、帰りたい。今ならまだ帰れるだろうか。


 背後で扉が閉まる音がする。そして、足音が迫ってきたので、僕は振り返り、硬直した。


 戻ってきた白玉さんの背後から、顔の上半分が包帯で覆われた小さな女性が現れた。肩まである白い髪と紅色の着物が無ければ、女性とすら思えなかったかもしれない。目で見えるところ全てが異様であった。


「き、きみは?」


 僕がとまどいながら聞く。


「あ、はい、初めまして。白玉ユリと申します。このような姿でお会いする無礼をお許しください。このたびは誠心誠意尽くさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 包帯姿の少女が可愛らしい声でそう口上すると、フローリングに直接座り、丁寧に頭を下げた。背中から大きな風呂敷が見える。


 とりあえず、僕は今日という訳の分からない1日を呪うことにした。

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